SPEED
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SPEED(スピード)は、日本の女性4人組の歌手グループ。90年代後半を代表する女性アイドルグループだったが2000年に解散した。主にプロデュースは伊秩弘将。
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[編集] 来歴
1995年11月11日、日本テレビの音楽番組『THE夜もヒッパレ』の企画で活動スタート。グループ名を番組内で公募し同年12月2日に決定(正式発表は1996年1月13日。この日がSPEEDの結成日とされている)。メンバーは上京と共に品川区立日野中学校に編入する。(寛子は区立第一日野小学校)
1996年8月5日、シングルCD『Body & Soul』でCDデビュー。同年12月31日、日本レコード大賞新人賞受賞。その後リリースされた『White Love』、『my graduation』はメガヒットを記録し、それぞれ冬の名曲、卒業の名曲として知られる事となった。その頃にリリースされた曲は次々とミリオンセラーとなった。又、数多くのCMにも抜擢された。
1997年3月2日、ゴールデンアロー賞受賞。同年12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場。1998年、史上最年少で東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドームの4大ドームツアーを行う。
1997年12月22日、インターネットライブ「SPEED INTERACTIVE LIVE in X'mas」の瞬間同時アクセス数が2,200ストリームという当時の日本記録を樹立した。
1998年、この年は、SPEEDにとって絶頂の年になった。日本でアムラーブームが、安室の結婚→活動休止で落ち着き、1997年に安室に次ぎ、同年後半「White Love」で人気が上昇した2番手の女性アイドルだったSPEEDが安室のポストを獲得する事が出来た。この年に発売した3曲は全てオリコンで首位を獲得し、ミリオンセラーになっている。(「ALIVE」のみオリコン調べで96万枚(トイズ・ファクトリー132万枚))。
1998年12月31日、人気絶頂期だったこの年、レコード大賞での事前の発表では、SPEEDはその年最高の売り上げと、社会現象を巻き起こした「my graduation」を歌うはずだった。ライバルのGLAYは、その年最高の売り上げではない「SOUL LOVE」がノミネートされていたが、急遽当日は、SPEEDは、その年の最高売り上げではない「ALIVE」を披露した。何があったのか不明であり、ファンの間では不満の声が未だにある。その年の大賞は、オリコンシングルチャートのTOP10に同じアーティストが何曲もノミネートするブームを作ったglobe。曲は社会現象にもならなかった「wanna be a dream maker」。しかし、解散の時にSPEEDの曲を振り返るときに何度も「my graduation」が受賞したと誤報があったが、どのニュースも謝罪の言葉はなかった。
1999年10月5日 「SPEEDが2000年3月31日で解散する」との発表があった。
(当初は10月中旬に発表する予定だったが、週刊誌との関係で約1週間発表が前倒しになった)
そもそもSPEEDはソロデビューには若すぎたため結成されたグループであり、初めから解散は決まっていた。スクール校長はグループのデビューにあたり解散後のソロ活動に向けて今からすべきことを個別にアドバイスしているのだが、これも特殊な結成が故の事だろう。(詳細は97年の「沖縄アクターズスクール公式ガイド」に掲載)こうした背景から事務所社長はメンバーの動向を見つつ解散時期を探っていくことになる。そうした中、97年には「翌年の全国ツアー終了後に解散しようと思う」と近い関係者に語るところまで来ていた。尤も、この案はソロの準備期間が必要との考えもあって却下されたのだが、その時の表情はとても真剣で決して冗談ではないことを伺わせていた。そんな紆余曲折を経てついに98年夏、メンバーに解散を勧告。一気に解散が現実味を帯びてきた。その後99年の春から具体的な話し合いになり、解散発表の1ヶ月ほど前に決定の運びとなった。
突然の解散発表は、島袋(hiro:当時中学生)が男性タレントとの交際を写真週刊誌に掲載され、交際反対をした事務所との軋轢があった事が1つの要因と週刊ポストに掲載された。(尤も、解散発表直後の多くの週刊誌で「解散の原因は男問題」とされていたが、後に事務所側が正式に否定している。又、島袋自身もこの件に関していくつかのリアクションを起こしている。 まず男性タレントとの関係については2000年3月のセブンティーン誌上で自発的に「友人関係」を強調 (母親にも友人として会わせている<参照: 1999年10月女性自身内・母親インタビュー>)、 解散報道に関してはNHK特番「SPEED駆け抜けた青春(2000年1月放送)」「hiro素顔でMelody Fair」第1回放送分にて否定している。特に、hiro素顔でMelody Fairでは【一連の報道で落ち込んでいた自分を、ある喫茶店で出合った女性が励ましてくれ、それを契機に立ち直る事が出来た】エピソードを紹介している。
2000年3月26日 事務所社長がラジオ番組で解散後の再結成(例えば年に1度など)を発表。「お客さんが寂しがっている部分もあるでしょうから…」「実はこれが初めての発表で本人たちにもまだ話していないんですけれどね(笑)」
2000年3月31日、テレビ朝日の『ミュージックステーション』でのファイナルライブをもって惜しまれながら解散した。
[編集] 来歴(解散後)
解散後はそれぞれソロ活動を行っている。又、チャリティライブのため、2度再結成をしている。 再結成の話にやや抵抗のあるメンバーもいたが、解散したグループがあえて指名された事、一人の人間としてチャリティの部分を受けとめた事から心の整理がついたという。 メンバーの複雑な心境が垣間見える。関係者は「再結成はメンバーのスケジュールとタイミング次第」としており、今後も不定期的な再結成が行われる予定となっている。
2001年10月6日 震災からの復興をアピールする「See阪神・淡路キャンペーン」目玉イベント「淡路夢舞台スーパーフラワーズライブ2001」の初日に登場。一夜限りの再結成を果たした。震災にあった淡路の子供たちから「彼女たちの歌で励まされた」「元気な姿に勇気づけられた。立ち直った姿を見て欲しい」などの声が自治体や兵庫県に寄せられ、兵庫県が出演を強く根強く要請。事務所側も充実したソロ活動に絡めて「感謝、出発というテーマもピッタリでぜひ協力したい」とこれを快諾、実現に至った。ライブでは元気な歌声、ダンスを披露。2万4000人の観客を沸かせた。なお、この「淡路夢舞台スーパーフラワーズライブ2001」の収益金2000万円は当初、震災被災者への義援金に充てられる予定だったが、半分の1000万円は発表直後に起こったアメリカ同時多発テロ事件被災者への義援金に急遽変更された。又、後に発売された関連CDの収益金の一部はアフガニスタンの難民支援義援金として寄贈された。
2003年4月8日~12月31日 「Save the Children 一緒に始めよう」キャンペーンのメッセンジャーとして集結。全国13万人動員のチャリティツアーを行うなど全国に募金を呼びかけた。ファミリーマートやライブ会場での募金に加えチャリティライブ、CD、関連商品などから集まった寄付金は総額1億4644万5469円(12月1日現在)。実行委員会の予想をはるかに超えるものだったらしく効果は絶大であった。寄付金は世界の子供たちに向けての啓蒙事業などに充てられた。
履歴とは関係ないがアメリカ同時多発テロ事件時には新垣と島袋はニューヨークに滞在していて2人の安否が気遣われていた。
〈補足〉
- 現役時代とソロ活動開始時の所属レコードはトイズファクトリーであったが、現在はそれぞれ、エイベックスに所属している。
- SPEEDという英語の語源は成功・繁栄という意味であり、彼女たちはまさに「名は体を現す」存在であったといえる。
[編集] メンバー
- 島袋寛子(しまぶくろ ひろこ、hiro、1984年4月7日 - )
- 今井絵理子(いまい えりこ、elly、1983年9月22日 - )
- 上原多香子(うえはら たかこ、1983年1月14日 - )
- 新垣仁絵(あらかき ひとえ、HITOE、1981年4月7日 - )の4人。
いずれも沖縄アクターズスクール出身。
[編集] 島袋寛子
メンバー最年少。メインヴォーカルを担当。突き抜けるような高音が特徴。 最年少とは思えない受け答えでよく「しっかり者」と言われていた。 が、その一方で何事にも真剣に考え悩む一面があり、時には死を望むこともあるなど 精神的な“もろさ”も持ち合わせていた。 性格が非常に真面目で「正義感が強い」「自分の心に嘘つかない」等コメントも真面目なものばかり。 当時、「真面目すぎる性格が災いした」とする意見があったが、一理ありそうである。 (ちなみにラスト曲「April」の「楽になりたくて心切りつけていた夜もあった」はまさにこのことを指しているのだ)解散前の紅白歌合戦での出演中、客席から常に「ひーろーこー!」と野太い男性の声援が出番が終わるまで続いていた。
[編集] 今井絵理子
メインヴォーカルを担当。パンチのある歌声で特にアップテンポの曲でリーダーシップを取っていた。 ライブを盛り上げるのが非常にうまく元気、元気で「ステージの人」と評するファンも多い。 今井はとにかく人一倍仕事熱心。仕事に関して自分にも他人にも厳しかった。何でも自分が納得できるまでチャレンジしていたし、きつい事でも率先してやっていた。時にはやる気の見えないメンバーに激怒したこともあった。 自分の仕事が少なくてムシャクシャしていたという理由も今井らしい。また、今井は解散に対して唯一消極的で(メンバーそれぞれの道を尊重したものの)できればしたくないとしていた。ソロになれば仕事が減る可能性は大。人一倍仕事熱心な今井にとっては複雑な心境だったのではないか。
[編集] 上原多香子
ダンス&コーラスを担当。美人で天然ボケで、ポワッとしていておしゃべりで甘えん坊で、何より誰でも気軽に話せる人物であった。こういう“誰でも話せる”メンバーがいるとグループのバランスは安定するものだ。(他のグループ・例えばMr.Childrenではドラムの鈴木英哉が類似タイプ。彼がいないと会話が少なくなるそうだ) STEADYやWHITE LOVEなどの振り付けを担当した中尾有里はこう評価する。「おとなしい寛子をいつも引っ張っていたのは多香子。グループのバランスを図っていたしっかり者」と。確かに島袋は今井・新垣とは(仲が悪いわけではないが)年齢や性格、仕事絡みで(お互いに)ちょっと喋りづらかったというが、上原にはツッコミを入れるなど気負いなく喋っていた。テレビやライブでもじゃれ合う姿がとにかく目立っていて“仲良しコンビ”と評判だった。頷けるコメントである。島袋もといSPEEDにとっての上原は特にその内面部において大きな存在だったのだ。リーダーでもヴォーカルでもない彼女だが、ある意味SPEEDにとって最も重要なメンバーであったと言えるのかもしれない。
[編集] 新垣仁絵
メンバー最年長。最年長ということもありグループのリーダーである。メンバーの意見をまとめたり、料理を作ったり、宿題の点検をしたり…とまるでメンバーの母のようであった。SPEEDではダンス&コーラスを担当していたが、中でもダンスのセンスはグループ髄一で与えられた振りを崩して自分流にアレンジしていた。Long Way Homeの振りを彼女が担当できたのもセンスを認められていたからであろう。 性格面での特徴はまず「怒ると怖い」ということ。初期の頃、今井とヒョンな事から大喧嘩して以来メンバーに「怒らせると怖い」という認識を植えつけてしまったという。(自称SPEEDの“裏ボス”だ)一方でオヤジギャグを連発するなどお茶目な一面も見せており“リーダー”として“一メンバー”として、二つの顔をうまく使い分けていたように思う。
[編集] 代表曲
- STEADY
1996年11月18日発売。最高位2位ながらも、自身初ミリオンセラーを達成した曲。 テレビ朝日系「イタズラなKiss」の主題歌。初動26万枚。オリコン調べで累計128万枚(トイズファクトリー発表によると150万枚)をセールス。
1997年10月15日発売。5thのシングルで、2回目のミリオンヒット曲である。 資生堂「ティセラ エンジェルドロップ」CMソングに使われて、ロングヒットし、オリコン調べで累計185万枚(トイズファクトリー発表によると200万枚)を売り上げたSPEED最大のヒット曲となると同時に冬の名曲となった。
1998年2月18日発売。ハイペースで売り上げを伸ばし、オリコン調べで初動56万枚を売り上げて、累計148万枚(トイズファクトリー発表によると175万枚)の大ヒットとなった。卒業シーズンの名曲である。歌い始めと、サビの雰囲気が全く異なる。
- ALL MY TRUE LOVE
1998年10月28日発売。オリコン調べで自身最大の初動セールス60万枚を記録して、累計122万枚(トイズファクトリー発表によると160万枚)を売り上げた。TBS系「1998年バレーボール世界選手権」のテーマソング 。また、カップリング曲には島袋のソロ曲(hiroとして)「見つめていたい」、今井のソロ曲(Eriko with Crunchとして)「冷たくしないで」が入っており、それぞれ、エプソン「カラリオ」のCMソング、ロート製薬「キャンパスリップ」のCMソングだった。またこの曲で、通算オリコン首位記録を5にした。ちなみに、正式な発売日以前にフライング発売の分がオリコンにカウントされたため、オリコン初登場113位(国内盤チャート)から翌週1位(当時のオリコンは101位以下は売上未集計なので、113位の週の分は初動セールスにカウントされない)という記録を作った。
- Starting Over
2000年3月31日に放送されたミュージックステーションスペシャルのSPEEDファイナルライブの締め括りとして歌われた曲。歌っている途中で上原が泣き始めてしまい今井も目を潤ませながら歌いきった。その後のタモリからの花束贈呈では遂に今井も泣いてしまった。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- BODY & SOUL(1996/8/5) ※日清シスコ「シスコーン」CMソング
- STEADY(1996/11/18) ※テレビ朝日系ドラマ「イタズラなKiss」主題歌
- Go! Go! Heaven(1997/3/26) ※アサヒ飲料・三ツ矢サイダー「さわやかぶどう」「さわやかグレープフルーツ」CMソング
- Wake Me Up!(1997/8/6) ※ロート製薬「ロートZi:リセ」CMソング
- White Love(1997/10/15) ※資生堂「ティセラエンジェルドロップ」CMソング / カップリング曲「ナマイキ」 - 日清食品「日清焼きそばU.F.O.」CMソング
- my graduation(1998/2/18) ※日清食品「日清焼きそばU.F.O.」CMソング / カップリング曲「Brand-New Weekend」 - EPSON「スーパーカラリオ」CMソング
- ALIVE(1998/7/1) ※松竹系映画「アンドロメディア」主題歌
- ALL MY TRUE LOVE(1998/10/28) ※TBS独占放送・1998年バレーボール世界選手権テーマソング
- Precious Time(1999/2/17) ※EPSON「カラリオ」CMソング / カップリング曲「季節がいく時」 - 東宝系映画「ドラえもん のび太の宇宙漂流記」主題歌
- Breakin' out to the morning(1999/5/19) ※フジテレビ系ドラマ「アフリカの夜」主題歌 / カップリング曲「アダムとイブ」 - ロート製薬「ロートZi:リセ」CMソング
- Long Way Home(1999/11/3)
- One More Dream(2001/12/12): 1回目再結成時リリース
- Be My Love(2003/8/27): 2回目再結成時リリース
- Walking in the rain/Stars to shine again(2003/11/27): 2回目再結成時リリース
[編集] アルバム
- オリジナル
- Starting Over(1997/5/21)
- RISE(1998/4/29)
- Carry On My Way(1999/12/22)
- BRIDGE(2003/11/27): 2回目再結成時リリース
- ベスト
- MOMENT(1998/12/16)
- SPEED THE MEMORIAL BEST 1335days Dear Friends 1(2000/3/29)
- SPEED THE MEMORIAL BEST 1335days Dear Friends 2(2000/3/29)
- ライブ
- SPEED MEMORIAL LIVE "One More Dream"+Remix!!!(2001/12/19): 1回目再結成時リリース
- BEST HITS LIVE〜Save The Children SPEED LIVE 2003〜(2004/2/11): 2回目再結成時リリース
- その他
[編集] 出演
[編集] 映画
[編集] テレビドラマ
[編集] CM
- 日清シスコ「シスコーン」「ダイエットシスコーン」
- アサヒ飲料 三ツ矢サイダー「さわやかぶどう・レモン・グレープフルーツ」
- ロート製薬「ロートZi:リセ」「キャンパスリップ」
- 資生堂「ティセラ エンジェルドロップ」
- 日清食品「日清焼きそばU.F.O.」
- セイコーエプソン「カラリオ」
- 明治製菓「きのこの山・たけのこの里」「クリフ」「フーア」「ダンス」「手作りチョコレート」
- KFC「ピザハット」
- NTT「タイムプラス」「テレチョイス」「わくわく新生活フェア」
- ECC英会話「ECCジュニア」
- 日本放送協会「NHKデジタルハイビジョン」
[編集] ラジオ
- 「ハイ!SPEEDで行こう!」(1996年 - 2000年、ニッポン放送)
[編集] DVD
- SPEED First Live ~Starting Over from ODAIBA~(2003.9.18)
- SPEED TOUR RISE IN TOKYO DOME(2003.9.18)
- SPEED FINAL DOME TOUR REAL LIFE(2003.9.18)
- SPEED VIDEO CLIPS「SPEED SPIRITS I」(2003.10.22)
- SPEED VIDEO CLIPS「SPEED SPIRITS II」(2003.10.22)
- Save the Children SPEED LIVE 2003(2003.12.25)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- SPEED 10th Anniversary(TOY'S FACTORYによる10周年記念サイト)
- 1番仲よさそうなペアは? 「オリジナルランキング」アンケートサイト
- シングルチャート大辞典・SPEED 「山ちゃんランド」個人サイト
- アルバムチャート大辞典・SPEED 「山ちゃんランド」個人サイト
カテゴリ: 日本の歌手グループ | 日本のアイドルグループ | 沖縄県出身の人物