メルボルン
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メルボルン(Melbourne、英語での発音は「メルボルン、メルブン, /ˈmel.bən/ 又は /ˈmæl.bən/ 」に近い)はオーストラリア大陸南東部、 ポート・フィリップ湾に面したヤラ川(Yarra)河口の港市。ヴィクトリア州の州都で最大の都市。都市圏人口は370万人(2006年オーストラリア統計局概算)で、シドニーに次ぐオーストラリア第二の規模の都市である。メルボルンは地球最南端の人口100万人を超す都市である。
メルボルンは2002年と2004年の2度、The Economist誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で1位を獲得している。 しばしばシドニーとの比較がなされるが、近代的で忙しい大都市のイメージが強いシドニーと比べると、歴史的な建物や文化が残り、のんびりして住みやすいという印象を持たれているようだ。アメリカの雑誌 "en:Utne Reader" はこのように書いたことがある。: " メルボルンは市民意識の伝統的な高さに加えて、世界中からの移民のコミュニティー、オーストラリアで最高の食事、多くのことが南半球で1番格好いい都市の値がある。"(2004年11月/12月)
メルボルンはしばしばセカンドクラスの世界都市、と分類されることもあり都市部再開発を行っている。例えば、雑誌 "CITIES"に掲載された、イギリス, ランバラー大学のthe GaWC study group には、大阪、バンクーバー、プラハと並び「高度に発展した、マイナーな世界都市」と格付けされた(1999年)。 ロンドン、ニューヨーク、パリに次ぐ多さで世界の学生が学ぶ。
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[編集] 歴史
[編集] 初期
ポートフィリップとヤラ川の辺りは30,000年前からその地に住むと思われる先住民族クリン, Kulin の地であった。彼らは漁業、狩猟、採集などを行いポートフィリップの豊かな資源によって生活していた。ヨーロッパの移民により持ち込まれた病気に多くが打撃を受け、虐待、誤治療、アルコール、性病、によってクリンの人々の数は急激に減った。1870年代までに多大にいなくなってしまい、今日にメルボルンに住むほとんどのアボリジニーは他の地域から来た人々である。今日アボリジニーの歴史を残すものは少なく、例えばカヌーに使われた木がメルボルンクリケットグラウンドの近くにある他、ポートフィリップ沿岸にある貝塚くらいである。
1977年にウェスタンポートまで行ったジョージ・バスによってバス海峡が発見される。レディーネルソン号で1802年にジョン・マレーがポートフィリップを発見すると、マシュー・フリンダースが後に続いた。1803年にチャールズ・グリムズはヤラ川の河口を発見し、今のケイラー地区まで到達。同1803年のちに、NSW総督はフランスのバス海峡地域の占領を恐れ、デビッド・コリンズ大佐を300人の囚人とともにポートフィリップ、モーニントン半島のソレントに送り居住地を拓かせようとするが、新鮮な水の不足のために断念。1804年にタスマニアへ居住地を移しホバートを創る。その囚人のなかには後の開拓者、政治家の ジョン・パスコー・フォークナー がいた。
バス海峡の北岸はクジラ狩猟者、アザラシ狩猟者が20年ほどいた。1824年ハミルトン・ヒュームとWilliam Hovellは陸路でNSWからウェスタンポートを目指してきたが、代わりにコリオ湾に着き、良質な放牧地を発見する。10年後、タスマニアで放牧をしていたエドワード・ヘンティは今のヴィクトリア西部、ポートランドの王領地に違法で羊牧地を設立した。
北タスマニアで成功していた農家ジョン・バットマンは更に放牧地を求めて1835年4月、バス海峡をポートフィリップに渡りヤラ川の河口に着く。6月8日彼の手記に、”そしてボートは広い河を上った… そして… 6マイル上流に良質でとても深い河を見つけたことを嬉しく思う。ここは村を建てられる場所だ。(This will be the place for a village.)”と書いてある。この最後の文は後にメルボルン建設憲章として有名である。
バットマンはローンセストン, Launceston に戻りヤラに居住地を拓くための大規模な探検の準備をする。しかし同時期にその時にはローンセストンで実業家となっていた John Pascoe Fawknerは同じアイデアを持っていた。フォークナーはスクーナー船エンタープライズ号を買い、移住しようとする人々とともに4月4日に出航した。1835年4月30日に代理艦長を務めていたJohn Lanceyは居住地になる土地を選び、船を泊め船上の荷物を下ろした。そのスポットはヤラ川北岸、今のスペンサーストリートとキングスブリッジの間の辺りである。
一方でバットマンはレベッカ号で出航し、9月2日にヤラに着いたが既にフォークナーの人々がいるのに落胆し、憤慨した。2つのグループにとって十分な土地があり、10月16日フォークナーが他の居住者とともに到着すると、彼は土地を分配して、誰が最初に着いたかで論争しないことに同意した。バットマンとフォークナーは新しい町に住み、1837年3月に英国首相メルボルン卿にちなんで正式にMelbourneと名付けられるまで幾つかの仮の名前がその町に使われた。
メルボルンはヤラ河岸にテントや小屋の集まりで始まったが10年もしないうちに牧畜の中心地となり、石やレンガで金融ビルが建てられた。1836年9月にはニューサウスウェールズ植民地のポートフィリップ地区の行政中心地になる。
1851年7月居住者はヴィクトリアを独立した植民地にする運動を治め、ラ・トローブは最初の総督代理になった。数ヶ月後金がBallarat, Bendigoを初めとする植民地の各地で見つかった。続いて起こったゴールドラッシュはヴィクトリア、特にメルボルンを急激に変革した。
[編集] ゴールドラッシュ以降
1850年代にビクトリア州中央部で金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、港による貿易の必要性から急速に発展した。1880年代は大英帝国で2番目に大きな都市となり、「素晴らしいメルボルン」として知られた。今日ではヴィクトリア女王時代の建築物がロンドンを除く世界中の都市で最も多く残っている。
1901年にオーストラリア連邦が成立してから、1927年にキャンベラに移転が開始されるまでは連邦の臨時首都であった。
第二次世界大戦での移民の流入により20世紀前半は着実に拡大を続けた。1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会(メルボルンオリンピック)が開催された。2000年にシドニーでオリンピックが開催されるまでは、南半球で唯一の開催地であった。
1990年代を通じて、クラウン・カジノやメルボルン博物館、メルボルンエキシビジョン・コンベンションセンターなどの公共建築物が積極的に造られた。
[編集] 地理
メルボルンはオーストラリア大陸の南東に位置し、大陸では最南に位置する州都である。ポート・フィリップ湾に面し、郊外は東に広がる。湾口の南東に位置するダンデノン丘陵とヤラ丘陵からヤラ川が注ぎ、en:Maribyrnong川とその支流の西と北は平坦な農業地域になっている。
旧市街地(City)では超高層ビルが並ぶ風景が見られ、その南端はヤラ川に接する。郊外では人口密度が低く、片側4車線程度の道路が碁盤の目状に敷かれ、一戸建てで広大な庭を持った家々が並ぶ。
[編集] 地球上での位置
日本の大体の人は「オーストラリア国旗にはイギリス国旗(ユニオンジャック)も描かれている」「オーストラリアはアメリカやイギリスと同じくアングロサクソンの国」などのように、メルボルンに対してもアメリカやイギリスの都市と同じような印象を持っている。それに加え、日本からは方角が違うだけで、メルボルンへの距離や飛行時間はアメリカ西海岸あたりとほぼ同じな為、欧米と同じ感覚の人が多い。しかし、逆にメルボルンから世界を見れば、地球上ではかなり特異な場所に位置しており、パース(オーストラリア)・アデレードと同じく「世界から隔離された都市」である。
メルボルンとロサンゼルス・シカゴ・ニューヨーク・バンクーバー・トロント・パリ・アテネ・ローマ・フランクフルト・ロンドンなどを含む「北半球のアメリカ本土(ハワイとアラスカは除く)・カナダ・ヨーロッパ諸国」とはすべて12000km以上離れている。東京から12000kmと云えば、アメリカを超えてカリブ海のバハマ、ヨーロッパを越えてアフリカのモロッコ、インド洋を越えて南半球のアフリカのマラウイ共和国、オーストラリアを越えて南極大陸にそれぞれ届く距離で、それ以上ということである。
また、メルボルンを中心とした正距方位図法の世界地図を見ると、12000km圏内にあるメルボルンと同じ欧米系の民族のいる国(中東系は除く)は、隣国のニュージーランド・ハワイ(アラスカとカナダとアメリカ本土は入らない)・南アフリカ共和国・ジンバブエ・ナミビア共和国・ウラル山脈以東のロシア(モスクワやサンクトペテルブルクは入らない)・中央アジア5ヶ国(旧ソ連で圏内に入るのはロシア以外この5カ国のみ)・チリ・アルゼンチン・ウルグアイしかない(※中南米&カリブ海諸国の中で圏内に入るのは最後の3カ国のみ)。
それでも、タラマリン空港からは特別仕様のカンタス航空機による12000km超えのロサンゼルスへの直行便が就航している(飛行距離(片道):約12800km。所要時間:メルボルン発=14時間10分、ロサンゼルス発=15時間15分)。このメルボルン‐ロサンゼルス便は数年前にやっと就航が実現したばかりであり、世界でも有数の長距離路線として知られている。なお、日本からだと片道12000kmを超える国際線の直行便は1便もない。
この12000km超えの直行便は現在ロサンゼルス便のみで、他のアメリカの都市やカナダやヨーロッパ諸国へはロサンゼルス以上の遠さのため直行便はまだ飛べず、シカゴ・トロント・ニューヨークへはいずれもロサンゼルス、バンクーバーへはホノルル、アテネ・ローマへはドバイ、フランクフルト・パリへはシンガポール、ロンドンへはバンコクでの経由が必要。この為、世界の航空業界では『国際線が長距離便ばかりなのはオーストラリアの宿命』と云われている。毎年メルボルンで開催されている「全豪オープンテニス」では、このような選手達の長時間&長距離の移動と北半球とは季節が逆になるため、他の三大大会に比べ、毎年番狂わせが起こりやすいことでも有名になっている。
一方、日本との距離は約8000km強で、メルボルンからだと余裕で『近隣諸国の1つ』である。
日本の「東レ・パン・パシフィック・テニス」(女子のみ)は近隣諸国であることを活かして、毎年、全豪オープンテニスの直後に開催されている。そのため、世界のトッププレイヤー達の出場率が高い。
[編集] 気候
Jan | Feb | Mar | Apr | May | Jun | Jul | Aug | Sep | Oct | Nov | Dec | Yearly | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均最高気温 (℃) | 25.8 | 25.8 | 23.8 | 20.2 | 16.6 | 14.0 | 13.4 | 14.9 | 17.2 | 19.6 | 21.8 | 24.1 | 19.8 | |
平均最低気温 (℃) | 14.2 | 14.5 | 13.1 | 10.7 | 8.6 | 6.9 | 5.9 | 6.6 | 7.9 | 9.4 | 11.1 | 12.8 | 10.1 | |
平均総降雨量 (mm) | 48.2 | 47.0 | 50.6 | 58.2 | 56.6 | 49.8 | 47.9 | 50.3 | 58.7 | 67.4 | 59.3 | 59.1 | 653.2 | |
平均降雨日数 | 8.3 | 7.4 | 9.3 | 11.5 | 14.0 | 14.2 | 15.1 | 15.6 | 14.8 | 14.3 | 11.8 | 10.5 | 146.7 | |
平均快晴日数 | 6.3 | 6.3 | 5.7 | 4.4 | 3.0 | 2.5 | 2.7 | 2.9 | 3.4 | 3.6 | 3.5 | 4.4 | 48.5 | |
平均曇天日数 | 11.2 | 9.7 | 13.4 | 14.9 | 18.0 | 16.8 | 17.2 | 16.8 | 15.7 | 16.4 | 15.1 | 14.2 | 179.5 | |
出典: Bureau of Meteorology |
[編集] 人口構成
メルボルンの人口 | ||
---|---|---|
1836 | 177 | |
1851 | 29,000 | |
1854 | 123,000 | (gold rush) |
1860 | 140,000 | |
1880 | 280,000 | |
1890 | 490,000 | |
1895 | 900,000 | (economic collapse) |
1956 | 1,500,000 | |
1981 | 2,806,000 | |
1991 | 3,156,700 | (economic slump) |
2001 | 3,366,542 | |
2004 | 3,592,975 | |
2006 | 3,720,300 | (2006 estimate) |
2030 | 4,500,000 | (projected) |
メルボルン 都市部人口密度 (人/ha) |
||
---|---|---|
1951 | 23.4 | |
1961 | 21.4 | |
1971 | 18.1 | |
1976 | 16.75 | |
1981 | 15.9 | |
1986 | 16.05 | |
1991 | 16.8 | |
1996 | 17.9 |
この街は誕生以来、19世紀のゴールドラッシュ期、二度の世界大戦後の難民など、各国からの移民を多く受け入れている。人口の約74%がアングロサクソン系、約19%がその他のヨーロッパ系、約5%がアジア系(近年の増加率が高い)である。 ギリシャ系も多くギリシャやキプロスを除くと一番多くのギリシャ人が居住することで有名でありギリシャ系のお祭りも多く行われている。中国人街、ヴェトナム人街、イタリア人街など、国ごとのコミュニティを形成して住む傾向にある。そのため多種多様な食文化の影響を受け、広大な農地や海と隣りあって食材も豊富であるため、各国の料理を安く手軽に味わうことができるのもメルボルンの特徴だ。国外からの留学生の受け入れにも積極的。
[編集] 産業
メルボルンはオーストラリアの3つの大きな企業、テルストラ、BHP Billiton, National Australia Bank の本拠地があり、またBusiness Council of Australia, the Australian Council of Trade Unions 、オーストラリア証券取引所に名を連ねる会社の多くがある。
商業と工業の大きな中心地であり、多くのオーストラリアの大企業の本社(四大銀行のうち二行の本店)が立地するが、海外企業の地域本部はシドニーを好む傾向がある。オーストラリアの自動車工業の中心地であるほか、機械工業、食品加工業が盛んである。繊維・被服・履物工業が盛んであったが輸入の影響による縮小が著しい。同国のファッションの中心地であるのはその名残である。
[編集] 政治
メルボルン都市圏は、30の市議会(議員は公選、市長は議員から市議会が選出のen:弱い市長制)の管轄領域に分割される。オーストラリアの他州の州都と同様、都市圏全体の行政は州政府の管轄であり、メルボルン圏だけを管轄する地方自治体はない。都心部を管轄するメルボルン市議会の市長は、"'Lord' Mayor" という上級の呼称をもっているが、権限は他の市長と変わりない。
[編集] 文化及びスポーツ
[編集] 名所
- メルボルン・クリケット・グラウンド(MCG):4月から9月の間、オーストラリアン・ルールズ・フットボールの試合が週に1,2回行われる。2006年の英連邦競技大会に備えて現在改築工事中であり、最大収容人員は10万3千人になる予定である。
- メルボルン・パーク:テニス4大大会の一つである全豪オープンの開催地。全豪オープンは毎年1月に開催される。
- アルバートパーク:1996年以降、毎年F1が開催されるようになったことで、世界的に有名となったメルボルン最大の公園。敷地内には人造湖やスポーツの複合施設などがある。F1のサーキットは普段、公園内に乗り入れるための公道として利用されている。
- en:メルボルン・エキシビジョン・コンベンションセンター:王立展示館の代わりとして、1990年代にサウスバンク地区に建設された。多くの会合や展覧会が開催される。
- en:ヴィクトリア・アート・センター:ヤラ川の南岸にある尖塔で、メルボルンのランドマーク。州立劇場とハーマー・ホール(旧称はメルボルン・コンサート・ホール)から成る。シドニーのオペラハウスとはライバルとしてよく比較される。
- en:クラウン・カジノ:アート・センターからヤラ川沿いにすぐ近くにある。南半球最大のギャンブル場やレストラン、高級ブティック、ナイトクラブ、2つのホテル、シネマコンプレックス、フロアショーが入居している。まるでラスベガスのミニチュアである。
- コモ・ハウス(Como House)
- en:旧メルボルン監獄: 19世紀の大強盗、ネッド・ケリーが処刑されたことで有名な監獄。
- 聖パトリック大聖堂(Saint Patrick's Cathedral)
- リアルト・タワー(Rialto Tower):南半球で最も高いオフィスビルであり、55階には市内を一望できる展望台がある。
- キングス・ドメイン(King's Domain)
- en:クイーン・ヴィクトリア・マーケット:ビクトリア州最大のマーケットで、野菜、果物、精肉、魚介などの食品から、雑貨、皮革製品、お土産まで幅広い商品が取り扱われている。
- en:ビクトリア州立図書館:目抜き通りであるスワンストン・ストリートに面する。
- 王立展示館とカールトン庭園:王立展示館は世界展覧会のために1880年代に建設された。2004年7月2日、建物としてはオーストラリアで初の世界遺産に登録された。1901年5月9日に最初のオーストラリア議会が行われた建物である。
- 王立植物園(Royal Botanical Garden)
[編集] 博物館・美術館
- THE AUSTRALIAN GALLERY OF SPORT & OLYMPIC MUSEUM スポーツ&オリンピック博物館
- CHINESE MUSEUM 中国博物館
- GOLD TREASURY MUSEUM 旧財務省博物館
- IMMIGRATION MUSEUM 移民博物館
- POLLY WOODSIDE MARITIME MUSEUM ポーリー・ウッドサイド海洋博物館
- POST MASTER'S GALLERY(NATIONAL PHILATELIC CENTRE) 切手博物館
- SCIENCEWORKS MUSEUM サイエンスワークス博物館
- MELBOURNE MUSEUM メルボルン博物館:CBDの北東、世界遺産のカールトン庭園内にあり、南半球で最大の博物館。オーストラリアの名競走馬ファーラップの剥製が展示されている。
- en:ビクトリア国立美術館 (NGV):オーストラリアで最大のコレクションを誇る。フェデレーション・スクエア内と、セント・キルダ通り沿いの2個所に所在する。キャンベラにあるen:オーストラリア国立美術館と紛らわしいので注意。
[編集] 動物園・水族館
- MELBOURNE ZOO 王立メルボルン動物園 ー オーストラリア最古、世界で3番目に長い歴史をもつ。350種以上の動物が自然環境に近い状態で飼育されている。
- VICTORIA'S OPEN RANGE ZOO ウェリビー・パーク・ズー
- MELBOURNE AQUARIUM メルボルン水族館
[編集] スポーツ
- Melbourne Spring Racing Carnival 競馬レースシリーズ
- AFLグランドファイナル
-
- オージーフットボールの中心地
などが主要なスポーツイベントとして行われる。
1956年には南半球最初のオリンピック、2006年にはコモンウェルスゲームズが開かれた。
更に、オーストラリアで盛んなクリケットに関しては、メルボルン・クリケットグラウンドでの試合が行われている。
[編集] ショッピング
- メルボルン市内のバーク・ストリート
- サウス・ヤラのチャペル・ストリート
- フィッツロイのブランズウィック・ストリート
[編集] 社会基盤
[編集] 教育
メルボルン大学、モナシュ大学、ラ・トローブ大学、en:スウィンバーン工科大学、en:ビクトリア大学、en:ディーキン大学、RMIT大学、オーストラリア・カトリック大学の本部や主要なキャンパスがある。
州立の高級職業訓練学校であるTAFE, 私立の専門学校も多い。
州立・私立の初等・中等教育機関にはさまざまな種類のものがある。
公式な学位や資格を授与しない成人教育機関も数多い。
メルボルンの教育機関の公式サイト
- ラトローブ大学付属語学学校ホームページ(英語版)
- ラトローブ大学付属語学学校ホームページ(日本語版)
- スウィンバーン工科大学ホームページ(英語版)
- スウィンバーン工科大学ホームページ(日本語版)
- ビクトリア大学ホームページ(英語版)
- ビクトリア大学ホームページ(日本語版)
- オーストラリア・カトリック大学ホームページ(英語版)
- オーストラリア・カトリック大学ホームページ(日本語版)
[編集] 交通
[編集] 公共交通
メルボルンの公共交通機関はヴィクトリア州政府による許可のもとで、トラムと鉄道それぞれを運営する会社によって提供されている。これらは1990年代後半までは州政府が直接経営していた。現在これらのシステムはen:"Metlink"と命名されている。
トラムは、約240kmという世界でも屈指の充実した路線網を誇る。旧市街(City)から郊外へは放射状に近郊電車が伸びている。そのターミナルであるフリンダーズ・ストリート駅は、入口にずらりと時計(各路線の発車時刻を示す)が並んだ姿が特徴的で、メルボルンのシンボル的建築の1つである。この近郊路線は旧市街の縁を一周(City Loopと呼ばれる)しているが、北・東辺の半周3駅以外に地下鉄路線はない。
市内には多くのバス会社が存在する。長距離列車は都心部西部のen:サザンクロス駅に発着する。州内の列車はV-LINEと呼ばれる。州外への列車にはアデレード行きやシドニー行きのものがある。同駅および都心部北部に高速バスターミナルがある。
近郊電車とトラム、それに路線バスはメットカード(Met Card)と呼ばれる共通の切符で利用することができる。この切符は購入した地域(ゾーン)内であれば一定の時間、自由に利用することができる。 地域(ゾーン)はシティを中心に近い地域がゾーン1、遠くなるにつれゾーン2・ゾーン3となる。 料金システムは各ゾーンを対象に購入(ゾーン1内の利用であればゾーン1のチケットを購入)、もしくは利用するゾーンがまたがる場合はゾーン1+2のようにチケットを購入するシステムになっている。 また日曜日にはサンデーセイバーと呼ばれる日曜日だけの大幅に割引された特別券を利用することができ、ゾーン1~3までどのエリアでも同じ料金で乗ることができる。
[編集] 道路
メルボルンの道路は一般に道幅が広く、住宅地の一般的な道路でも片側2車線ある。また、歩道も完備されている。高速道路に関しては、信号があるものの時速100kmで走行できるハイウェイと、一般の道路とは切り離されているフリーウェイがある。どちらも無料で利用することができる。また、以前は市街地(City)をはさんで市の東西を移動するのには大変な時間がかかるという問題点もあったが、近年開通したCity Linkにより現在では解消している。ただこのCity Linkも近年の人口・車所有率の上昇に対応しきれず、朝・夕の通勤ラッシュ時にはかなりの渋滞を引き起こし、ラッシュ時のさらなる渋滞を避けるため、City Link入口に信号を設置、利用者の車の数を制限し渋滞を緩和しようと試みている。
[編集] 空路
- メルボルン空港(タラマリン空港)、国際空港、メルボルン北西のタラマリン地区、国際・国内便
- en:アバロン空港、メルボルンと南西のジーロングの間に位置する第2の空港、格安航空会社によるシドニーやブリスベン、アデレードへの便が就航
- エセンドン空港、メルボルンで最初の主要空港であるが、長らくの間使われていない
- オーストラリア空軍のクック・ポイント基地は都市の南西の端に位置する
[編集] 海路
メルボルン港はオーストラリアで最大のコンテナと一般貨物の港である。世界中の300の都市との間に貨物航路があり、年間3200隻の船が発着する。メルボルン港はメルボルン中心部の西のMaribyrnong川とヤラ川の交差する地点にある。 同港とタスマニア州のen:デボンポートを結ぶ定期カーフェリーen:「スピリット・オブ・タスマニア」の埠頭には、トラムでもアクセスできる。
[編集] 姉妹都市
メルボルンは多数の都市と姉妹都市提携をしている:
[編集] 外部リンク
- メルボルン日本人学校
- HOPE CONNECTITON INC. ホープ・コネクション オーストラリア、ビクトリア州政府に登録された非営利・非宗教の日本人のための社会福祉ボランティア団体
- SBS RADIO (FM93.1MHz) オーストラリア唯一の全国ネット日本語放送(毎週火曜日夜10時から11時)
- Dengon Net メルボルン発行の日本語新聞
- Nichigo Press メルボルン発行の日本語新聞
- メルボルンガイド
- くちこみメルボルン
夏季オリンピック開催都市 |
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