プラハ
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プラハ(チェコ語、スロヴァキア語:Praha)は、チェコ共和国の首都であり、同国最大の都市である。人口は、約120万人。北緯50度02分、東経14度45分に位置する。 ドイツ語では プラーク(Prag )、マジャル(ハンガリー)語では プラーガ(Prága )と呼ばれる。英語では”Prague”
市内中心部をヴルタヴァ川が流れる。古い町並み・建物が数多く残る街である。プラハ・カレル大学はドイツ語圏最古の大学である。尖塔が多くあることから「百塔の街」とも呼ばれる。ティコ・ブラーエが天体観測を行った天文塔もそのひとつである。市内にはヤン・フスが説教を行ったベツレヘム教会、プラハ大学などがある。
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[編集] 歴史
6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に集落が形成された。9世紀後半にはプラハ城、10世紀頃にヴィシュフラト城が建てられ、両城に挟まれたこの地に街が発達した。973年にキリスト教の司教座が置かれると、ユダヤ人の入植が始まった。しかし、プラハは度重なる戦渦に巻き込まれ、荒廃してしまう。
1346年にボヘミア王、カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カール4世となると、神聖ローマ帝国の首都はプラハに移され、プラハ城の拡張や、中欧初の大学、カレル大学の創立、カレル橋の建設とヴルタヴァ川東岸市街地の整備などの都市開発が行われ、ローマやコンスタンティノープルと並ぶ、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展。「黄金のプラハ」と形容されるほどだった。
次代国王ヴェンツェルの治世、ヤン・フスによるローマ教皇庁への抗議が行われ、1415年にフスが火刑にされると、フス派によってフス戦争が勃発、ローマ教皇の十字軍を破るが、15世紀後半に当時繁栄を誇っていたハプスブルク家のアルブレヒト2世がボヘミア王になると、フス派は支配下に入った。16世紀後半に次代のルドルフ2世の治世になると、芸術や科学を愛する王のもと、プラハに芸術家、錬金術師、占星術師などが集められ、プラハはヨーロッパの文化の中心都市として栄華を極めた。しかし、1618年にプラハ城で起きたプラハ窓外投擲事件を皮切りにビーラー・ホラ(白山)の戦いが勃発し、三十年戦争に発展。1648年、カトリックの最後の牙城だったプラハはスウェーデン軍に包囲されるが、ヴェストファーレン条約が締結され、戦争は終結した。しかし、王宮はウィーンへ移転され、プラハは人口が激減する。また、チェコ語の使用禁止や、宗教弾圧や文化弾圧などを受け、チェコは独自の文化を失い、長い「暗黒の時代」を迎えることとなる。
一方で、1784年に4つの市議会に分かれていたプラハは、一つの市議会に統合された。その4区とは「フラッチャニ」(城塞・城塞の北部、および西部地区)、「小地区」(下町、城塞の南部地区)、「元町」(旧市街、城塞の対岸・東側)、「新町」(新市街、その他の南方および東方地区)である。さらに町は1883年に「ヴィシェフラト」を、1850年に有名なユダヤ教徒コミュニティーの「ヨーゼフ街(ヨゼフォフ)」の併合をし、更なる拡大をする。
18世紀末、フランス革命やドイツ・ロマン主義に影響を受けた知識人らによって再び民族独立の動きが強まる。1848年にはプラハ市民による、オーストリアに対する蜂起がおこるが失敗した。第一次世界大戦終結後の1918年になってようやくオーストリア・ハンガリー帝国が解体し、チェコスロヴァキア共和国が成立すると、プラハ城に大統領府が置かれ、首都となった。1922年初頭に、37の自治体を合併し、人口は676,000人となった。しかし、1938年、ナチス・ドイツによって占領され、チェコスロヴァキアは解体されてしまった。第二次世界大戦中はここに居住していたユダヤ人約5万人がナチスによって殺害された。しかし、プラハが戦火に曝されることはなかった。
第二次大戦後は、社会主義国チェコスロヴァキアの首都となった。1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こるが、ワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け、改革派は弾圧された。しかし、1989年のビロード革命により共産党政権は崩壊、1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となった。2002年にドイツ東部からチェコを襲った水害では、ヴルタヴァ川が氾濫し、広範に床上浸水し、市の地下鉄が数ヶ月に渡って停止するなどの大きな被害を受けた。
[編集] 観光
1996年の外国人観光客は4,772万8000人を数え,国際的な観光地として発展している。
[編集] プラハの名所
[編集] 交通
[編集] 鉄道
プラハにはヨーロッパ各地を結ぶ多くの国際列車が発着する。
プラハの駅
- プラハ中央駅(Zel.st.Praha-hravni nadrazi)
- プラハ・マサリク駅(Zel.st.Praha Masarykovo nadrazi)
- プラハ・ブブニー駅(Praha Bubny)
- プラハ・ホレショヴィツェ・ザストラフカ駅(Praha Holesovice zastravka)
- プラハ・ホレショヴィツェ駅(Praha Holesovice)
- プラハ・デイヴィツェ駅(Praha Dejvice)
[編集] 空港
郊外にルズィニエ国際空港があり、フラッグキャリアのCSAチェコ航空のハブ空港として機能している。近年、空港の利用客は非常に大きな伸びを見せており、空港まで地下鉄が延伸される計画がある。
[編集] 市内交通
公共交通としては、三本の地下鉄と多くのバス・路面電車がある。
[編集] スポーツ
[編集] アイスホッケー
チェコは1908年創設の「国際氷上ホッケー連盟」(現・国際アイスホッケー連盟)創設時からの加盟国であり、アイスホッケーは国技とも言えるスポーツである。1969年、「プラハの春」の直後、世界選手権でチェコスロバキアがソ連を破って優勝した時や、1998年、長野五輪でロシアを破って金メダルを獲得した時には、プラハの中心部、ヴァーツラフ広場は勝利を喜ぶ人の群れに埋め尽くされた。 プラハには100年以上の歴史を持つスラビア・プラハとそれに次ぐ古豪のスパルタ・プラハという2つのトップチームがあり、両チームが対戦するプラハ・ダービーは大変な盛り上がりを見せる。
[編集] サッカー
1880年代、プラハにFAルールのサッカーが伝わった。1893年にスポーツクラブのスラビア・プラハがサッカー部門を創設。翌年にはスパルタ・プラハの前身であるクラル・アスレチック・クラブが誕生した。その後も、1903年にボヘミアンズ・プラハが、1948年には社会主義国特有の陸軍を母体としたクラブチーム、デュクラ・プラハが生まれた。
スパルタ・プラハとスラビア・プラハの2チームは現在でもチェコのサッカーリーグ、ガンブリヌス・リーガの優勝を毎年のように争う名門チームであり、両チームが対戦する試合はプラハ・ダービーとして盛り上がる。
[編集] プラハ市の行政区分
Staré Město | Altstadt | 旧市街 |
Nové Město | Neustadt | 新市街 |
Hradčany | Hradschin | 城山 |
Josefov | Josefstadt | ヨーゼフ街(ユダヤ教徒街) |
Malá Strana | Kleinseite | 小地区 |
Smíchov | Smichow | 笑い? |
Vinohrady | 葡萄園 | |
Žižkov | Veitsberg | ドイツ語では聖ヴィートの山、チェコ語ではジシュカ町 |
Vyšehrad | Wischehrad | 高城。要塞 |
Karlín | Karolinenthal | カロリーネの谷 |
Vršovice | Werschowitz | 小さい丘 |
Libeň | Lieben | |
Nusle | Nusl | |
Břevnov | Breunau | |
Bubny | Bubna | |
参照;Prague city districts | [1] [2] |
[編集] 姉妹都市
- 1990年 - ハンブルク
- 1990年 - フランクフルト・アム・マイン
- 1990年 - シカゴ
- 1990年 - ニュルンベルク
- 1991年 - サンクトペテルブルク
- 1992年 - フェニックス
- 1995年 - モスクワ
- 1995年 - ベルリン
- 1996年 - 京都市
- 1997年 - パリ
- 2001年 - 台北市
- 2003年 - ブリュッセル
[編集] プラハ出身者、関連人物
チェコ人の一覧も参照。
- ジュゼッペ・アルチンボルド - 画家
- マックス・ヴェルトハイマー - ゲシュタルト心理学者。ユダヤ系
- フランツ・ヴェルフェル - 作家。ユダヤ系
- カール・カウツキー - 政治家、社会民主主義者
- エゴン・キッシュ - 作家。ユダヤ系
- フランツ・グリルパルツァー - 劇詩人
- ハンス・ケルゼン - 公法学者・国際法学者。ユダヤ系
- カール・フェルディナント・コリ - 生化学者。ユダヤ系
- ゲルティ・コリ(ゲルティ・テレーザ・ラドニッツ) - 生化学者。ユダヤ系
- カール・ドイッチュ - 政治学者
- ヴァーツラフ・ハヴェル - 劇作家。大統領(1993-2003年)
- エドゥアルト・ハンスリック - 音楽学者
- テュヒョ・ブラーエ - 天文学者
- マックス・ブロート - 作家。ユダヤ系
- ユリウス・ポコルニー - 言語学者。ユダヤ系
- ベルナルト・ボルツァーノ - 論理学者
- イグナーツ・モシェレス - 作曲家。ユダヤ系
- ロマン・ヤコブソン - 言語学者。ユダヤ系
- ライナー・マリア・リルケ - 詩人
- ユダ・レーヴ - ラビ。カバラー研究家
- ヨゼフ・コウデルカ - 写真家。プラハの春を撮影し、発表。
[編集] プラハが舞台となった芸術作品
[編集] 音楽
[編集] 小説
[編集] 映画
- 死刑執行人もまた死す(1943年のアメリカ、ナチス抗議映画/フリッツ・ラング監督)
- アマデウス(1984年、アメリカ映画) - 物語の舞台はウィーンだが、撮影はプラハで行われた。
- 存在の耐えられない軽さ (1988年、アメリカ映画。上記小説の映画版)
- KAFKA 迷宮の悪夢 (1991年、アメリカ映画)
- マイセン幻影 (1992年、イギリス・イタリア・ドイツ合作)
- ミッション:インポッシブル (1996年、アメリカ映画)
- コーリャ 愛のプラハ(1996年のイギリス/チェコ合作、ヤン・スヴェラーク監督、アカデミー外国語映画賞)
- 9デイズ (2002年、アメリカ映画)
[編集] 漫画
[編集] 関連項目
- ルクセンブルク家
- プラハの春国際音楽祭
- カフェ文化
- ユーゲントシュティール
- 世紀末文化
- プラハ学派(プラハ言語学派)
- プラジャン
[編集] 参考文献
- 「週刊ユネスコ世界遺産 No.19 プラハの歴史地区」(講談社)