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アニメの歴史 - Wikipedia

アニメの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アニメの歴史(アニメのれきし)では、これまでの日本国内外のアニメに関する主な出来事を挙げる。

目次

[編集] 歴史

日本でアニメの制作が始まったのは大正期であり、外国から輸入されたアニメーション映画の人気を受けて製作されたものである。下川凹天、幸内純一、北山清太郎の3人がそれぞれ別個にアニメの製作を手がけ、時期的にも同時期だった為、3人のいずれもが日本のアニメの創始者と位置付けられている。諸外国と同じく当初作られていたアニメは数分程度の短編映画が多かった。作り手も個人若しくは少人数の工房での家庭内手工業に準ずる制作体制で、生産本数も少なく、生産の効率化を可能とするセル画の導入も遅れていた。1930年前後にセル画が使われ始まるまでは、日本では切り絵によるアニメが主流であった。第二次世界大戦を迎えると、戦意高揚を目的とする作品が制作される。軍部が提供した潤沢な予算は技術力の向上に繋がったとの評価がある。第二次大戦後は、映画会社の東映1956年に日本動画社(日動)を吸収合併し、アニメスタジオ(東映動画)を発足。劇場用アニメーション映画の製作を開始した。最初の劇場長編作品は『白蛇伝』(1958年、79分)で、「東洋のディズニー」を目指した目論見通りに海外へも輸出される。その後、年約1本のペースで新作が製作されたが、高品質のフルアニメ作品を少量製作する体制だった為、作品数はあまり多くならなかった。しかし、国際的には継続的に年に1本のペースで劇場長編作品を生産可能だった国はアメリカと日本しかなく、これがアニメ大国への第一歩となった。

[編集] テレビアニメの始まり

1958年にテレビ放送が始まると、番組内のコーナーでアニメを使用する番組が作られたが、一回の放送も数分程度のものが多かった。テレビCMにも盛んにアニメーションが用いられるようになり、後のエイケンのTCJや漫画家横山隆一の「おとぎプロ」が制作に携わっている。この時代に始まった短いアニメを利用した番組は『みんなのうた』(1961年放送開始)がある。同年にはおとぎぷろ制作による日本初の連続テレビアニメ『インスタント・ヒストリー』がフジテレビで放送された。アニメーションは長い制作期間と制作費がかかるというのが当時の映像業界の常識であり、海外のアニメが盛んに放送される中、本格的なアニメ番組を製作しようというテレビ局は現れなかった。

[編集] 少ない制作費

初の本格的連続アニメ番組は『鉄腕アトム』(1963年放送開始)である。前述の1961年放送開始の『インスタント・ヒストリー』は3分番組で実質は1分だった事もあり、週1回放送の30分番組という後のテレビアニメの基本形態を作った『鉄腕アトム』が日本初の本格的テレビアニメシリーズと位置付けられている。原作者の手塚治虫自らが制作会社虫プロダクションを興し、制作を指揮した。手塚は毎週放送するという連続アニメの制作が日本でも可能だという事を先ず示す必要があると考え、極端に低い放映権料で番組制作を請け負った。足りない制作費は自分の漫画の原稿料で補ったという。

この『鉄腕アトム』に対して、フジテレビから放映権料の名目で虫プロダクションに提供されたのは、資料によりまちまちであるが、50万円から75万円だったとされている。そして実際に制作にかかった経費は150万円から260万円だったとの説がある。尚、低い制作費というのはアニメ作品として低いという意味であって、テレビ番組の予算としては決して低くはなかった。当時の30分番組の製作費の相場は1分1万円であり、当初はフジテレビも30万円を提示したという。

この時の価格が業界での標準となった為、現在に至るまでアニメ業界は低予算に苦しめられる事になる。しかしその御蔭で、バンクシステムや止め絵の多用といった単なるリミテッドアニメを越えた独自の工夫が発明された。また、放送本数の増加、価格的な国際競争力、金目当てではない作家の養成、絵の荒さを補う質の高い脚本、といった低予算だからこそ得られた利益も数多い。 黎明期から多くのアニメスタジオが設立され、数多くのアニメが製作されたのも、新規参入に莫大な資本が必要無かった為である。一定の人気を得られるアニメが低予算で制作出来るので、テレビ局はアニメを次々と発注し、アニメ番組で使われる題材も更に豊富になっていった。

[編集] 再放送と海外輸出

低予算な為1回だけの放送では制作費が回収出来ず、1970年代辺りから海外輸出が重要な資金回収手段となった。 輸出の際は、わざと放送権を安く販売し、その代わりに多くの国に輸出するという販売戦略が採られた。この方が短期間で資金の回収が可能だった為である。これにより日本のアニメは海外へも広がっていった。

最初に輸出されたテレビアニメは『鉄腕アトム』である。1963年にはアメリカ合衆国で放送されていた。『鉄腕アトム』は1話1万ドル(当時のレートで360万円)で104話がアメリカ三大ネットワークNBCの関連会社NBC FILMSに販売され、当時の金額で約3億円を稼いだ。『鉄腕アトム』は実際の制作費が150万円だったのに対して、フジテレビでの放映権料は50万円と完全に赤字だったのを、この輸出によって補った。 尚、アメリカでの放送はその後も『ジャングル大帝』等があるが、アメリカからの下請けという形を除いて、ネットワークに乗る事はなく、『鉄腕アトム』も『ジャングル大帝』もNBC FILMSが番組販売された。その後のアメリカでの日本製アニメの放送は、シンジケーション販売による地方ローカルとケーブルテレビが主流となっており、またアメリカでの売り上げは相対的に低くなった。1995年東映動画の海外販売は全世界で約10億円だったというが、金額別内訳ではヨーロッパが全体の85%を占め、東南アジアが9%、中近東が3%、アメリカは3%であった。東映では30分もの1本の価格は4000ドルから5000ドル(40万円から50万円)に設定され、40年前の1本1万ドル(360万円)の鉄腕アトムからは格段に購入し易くなっている。自国でアニメを制作するよりは輸入した方が安いという点が、世界で日本のアニメが放送される理由の一つになっている。

日本のアニメでフィルムが散逸したものは少ないが、これは再放送・海外輸出の為にフィルムが保存された為である。

この他、玩具・菓子・文具メーカーにキャラクターの絵の付いた製品の製造権を売る、版権ビジネスが重要な資金回収手段となった。特に玩具メーカーは積極的で『おはよう!スパンク』(1981年)の様に、メーカー主導で製作された番組もある。これ等のメーカーは製品の在庫が払底するまでは、突然に資金提供を降りるという事も無かったので、ある程度長期見通しを持って番組制作を続けられるという利点も生まれた。この為、数回または数十回に渡って長いストーリー展開がある番組も作られるようになった。それまでのアニメは、海外のテレビアニメーション番組や『鉄腕アトム』に倣い、1話完結のものが多かったのである。続きもののストーリーを持つアニメの極初期のものとしては『巨人の星』(1968年)があり、その後1974年頃には特に珍しいものではなくなっていた。

[編集] モノクロアニメとカラーアニメ

1893年に今日の映画であるシネマトグラフが発明される以前から、フィルムを用いない映像玩具がありアニメーションの元祖とされるが、その一種であるゾーアトロープを改良したプラキシノスコープを使って1888年からフランスのエミール・レイノーがパリの蝋人形館で「光学劇場」と称して作品を上映していた。その内容は物語付きの数分間のアニメーションと言えるもので、着色も成されたものだったという。フィルムによるアニメが制作されると、カラーフィルムの発明されるのを待たずに、フィルムに1コマずつ直接着色するという手法で早くからカラーのアニメが制作されている。例えば、ウィンザー・マッケイの短編作品「リトル・ニモ」は1911年の公開である。1932年ディズニーが初めてフルカラーで製作した『花と木(Flowers and Trees)』を公開して以降、第二次大戦前にはアメリカではカラーによる短編アニメが盛んに製作され、1937年にはディズニーの初のカラー長編アニメ『白雪姫』を公開している。日本では1958年東映動画による劇場版『白蛇伝』はカラーによる作品だったが、それ以前に大藤信郎が色セロフォンや千代紙を使った短編のカラー作品を発表している。このように劇場作品に於いては、海外作品を初めとして、カラーアニメは既に制作されていたが、初期のテレビアニメはテレビ放送のカラー化及びカラーテレビの普及が進んでいない事情もあって、全て白黒だった。最初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』(1965年)は、アメリカ合衆国での放送を前提に資本が集められて実現した。同じく海外輸出を目的に作られた『ドルフィン王子』が『ジャングル大帝』の1965年10月に先立つ事半年前の4月4日から4月18日にかけて3話が放映されており、こちらをテレビアニメカラー第一作とする意見もある。尚、1963年12月20日から1964年にかけた全15話が放送された人形アニメーション『シスコン王子』、1964年1月25日に放映された『鉄腕アトム』56話はカラーで制作されたが、放送自体はモノクロであり、カラーのテレビアニメではなかった。

カラーに由るテレビアニメは、制作費がかかる事と、カラーの受像機が普及していなかった事情から、この後も数年間は新作はカラーと白黒の作品が混在していた。但しこれはアニメに限った話ではなく、この時代、他の多くの番組も同様にカラーと白黒が混在していた。

[編集] 低年齢層に受け入れられたアニメ

当初、アニメは日本では子供達の間で特に人気があった。大人達はそれまでに見慣れていた時代劇やホームドラマの様なものに関心が高く、アニメには余り興味を示さなかった。そして初期に作られたアニメで成功した作品は殆どが子供向きのものであった。この事情から、1960年代から1970年代にかけて制作されたアニメは殆どが子供、特に12歳以下を対象とした内容であった。キャラクターグッズを欲しがる年齢層もこの年齢層に重なっていた為、アニメ制作会社にとってもこれは好都合であった。 この様に、初めてのテレビアニメが制作されてからの約10年間は、良くも悪くもアニメは『鉄腕アトム』に多くの影響を受けていた。現在の日本のアニメは原作を持つ作品が多いが、これは黎明期のテレビアニメに原作付きの物が多かったという例に倣った結果と言える。

[編集] 内製システムの崩壊

テレビアニメは大人気となり、大量のプロダクションが生まれ、作品数も飛躍的に増加したがその結果、アニメーターの数が不足した。多くのプロダクションは美術系大学の卒業生等を集めたがそれでも足りなかった。優秀なアニメーターの引き抜きが恒常的に行われるようになり、アニメーターの人件費はみるみる内に高騰した。反面、テレビ局の製作費はそれほどは増えなかった。

それまで殆どのアニメ製作プロダクションは内製システムを採っていた。キャラクター設定から原画・動画・動画チェック・彩色・撮影等、全ての工程を社内で行う事によって、作品の品質を保てていた。外注は1963年には既に存在したが、恒常的には行われていなかった。しかし、1971年から東映動画は主だった工程のみを自社内で行い、動画・彩色等の比較的単純な工程については外注や出来高払いに移行をし始め、実質的な人員整理を開始した。これに対しては組合側が激しく反発したが、経営側は応じず、1972年、指名解雇が始まる。経営側は組合側の反発にロックアウトを行って応酬した。経営側が強硬だったのは、赤字が嵩み、人件費の削減が行えない限り、会社の存続が困難だった為だといわれている。

一方、虫プロダクションでは1973年に労働争議が起き、解決しないまま倒産した。因みに社長の手塚治虫は虫プロ設立当時「僕は何かあったら労組の先頭に立って一番に会社を糾弾する」と冗談を言っていた事がある。

内製システムを採っていた大手2社でこのような事態になり、同じく内製システムだったタツノコプロも1970年代半ばに賃金問題と社長の死去で、70名から80名の有力な人材が流出して結果的にリストラを行なったのと同じ状態になった。これらの事件を切っ掛けに、殆どのプロダクションは多くの作業を外注に頼るようになり、また、以後、アニメーターの給与は極めて低く抑えられる様になった。例えば、虫プロダクション出身者によって設立された日本サンライズは、虫プロダクションを教訓に、制作管理スタッフだけを正社員として発足した。この状況は2005年現在も続いている。あまりに賃金が安過ぎる為、1980年代後半以降、動画・彩色というアニメ制作に欠かせない工程は殆どが人件費の安い海外で行われるようになり、アニメ制作の空洞化が指摘されている(尚、東映動画は海外発注を1973年に開始している)。

[編集] オリジナルビデオアニメ(OVA)の登場

1980年代になり廉価な家庭用ビデオデッキが量産され始めるとOVAが登場した。これは劇場用映画でもなければ、テレビ放送もされないアニメの総称で、主にビデオソフトの形で販売された。最初のOVAは『ダロス』(1983年)で、この後も続々と新作が発売され、現在では日本アニメの柱の1つになっている。OVAは、作品そのものを購入出来るような収入を持つ独身男性を主要購買層に定めた作品が多く、それらを対象にしたアニメは自然とOVAで発表される事が多くなった。この結果、アニメは低年齢・家族向けのテレビ番組と高年齢層向けのOVAに二極分化する時代を迎えた。

その後、児童・家族向けのテレビアニメがキャラクター商品展開、海外輸出で制作資金を回収しているように、高年齢層向けの作品でも放送終了後のビデオソフト化で制作資金を回収するという前提を持ったテレビアニメが増えて来た。ほぼ無料で視聴出来るテレビアニメ化による宣伝効果、キャラクター商品の売り上げはOVAより大きかったからである。これらの作品は深夜帯や独立UHF局、アニメ専門のケーブルテレビ局で先行放送した直後にビデオソフト化し、話題になっている内に販売するという販売戦略が採られている。この形態での放送・ソフト化が広まり、現在では狭義のOVAは衰退し、高年齢層向けの作品の殆どがテレビアニメとして放送されている。

[編集] 年齢層の多様化

1990年代以降、アニメを見る年齢層は0~40歳代まで広がった。これはアニメを見ない世代が減った訳ではなく、小さい頃にアニメを見ていた世代がそのまま高年齢化した為で、総体としてアニメが子供のものであるという認識は変わっていない。しかし、積極的にアニメを見ない成年でも、アニメに強い拒絶反応を示す者は、数十年前に比べて激減している。

社会のアニメに対する抵抗が少なくなった頃には、『美味しんぼ』(1988年放送開始)『YAWARA!』(1989年放送開始)等、家族・児童向けでない一般成人向けのアニメがテレビ放送された事もあるが、現在の所成功したのは上記2例に止まっている。現在でも地上波でテレビ放送されるアニメは依然として家族向け、児童向けのものが多く、例えば平日21時から地上波テレビで20代OL向けの恋愛アニメが放送されるという状況は未だに生まれていない。但し成功例がある事実からも分かるように、一般成人がアニメを受け入れられない訳ではなく、一般成人向けのアニメは再放送や海外展開、キャラクター商品展開等がし難い為、製作側の不安が大きい為だと考えられる。

1988年に劇場公開された宮崎駿監督作品『となりのトトロ』は公開時には人気を得られたとは言えなかったものの、翌年のテレビ放送で大きな話題となり、1989年の『魔女の宅急便』以降、宮崎駿及びスタジオジブリの作品は爆発的な人気を得る事なる。また、それ以前に製作された『天空の城ラピュタ』等も合わせて再評価された。人気の中心は子供とその親達で、一層アニメ鑑賞の一般化が進んだ。宮崎駿は国民的なアニメ作家となり、後年『千と千尋の神隠し』で米国の第75回アカデミー長編アニメ賞を受賞して国際的にも第一人者の地位を不動のものとした。

少女漫画のテレビアニメ化については、以前は一部の児童向け作品を除いては消極的であった。理由としては、一般女性向けの少女漫画はキャラクター人気よりストーリーの面白さで成功する例が多く、キャラクター商品展開がし難い事等が挙げられる。しかし、2005年にはフジテレビ系列がノイタミナという一般女性向けの少女漫画をアニメ化して放送する枠を設け、更に2006年には日本テレビが少女漫画『NANA』の放送を開始した。どちらも一定の成功を収めており、今後の動向が注目される。

OVA作品に代表される高年齢の熱狂的なアニメ愛好者を対象とした作品は、現在でも深夜放送枠、独立UHF放送局ケーブルテレビCS放送等で見るか、OVAとしてアニメ専門店やレンタルビデオ店で入手するしかない。それらの作品は対象を絞り込んだものが多く、一般成人が敢えて見てみようと思う程の影響力は無いのが現状である。

[編集] コンピュータグラフィックスの登場

コンピュータグラフィックス(CG)の利用は、1960年代から始まり、アメリカでは映画『2001年宇宙の旅』にも参加したジョン・ウィットニー(John Witney)が先駆者として評価され、1961年に『カタログ(Catalog)』を制作。日本でも、1967年11月に第1回草月実験映画祭において、山田学と月尾嘉男によるコンピュータ制御のプロッタで描画したアニメ『風雅の技法』を発表。日本初のCGアニメと目されている。黎明期のCGは表現力の乏しさから抽象的なアートアニメーション、計算に基づいたシミュレーションに用いられた。初期のコンピュータゲームも図形的なデザインによる、リアルタイムで生成されるアニメーションと見る事が出来る。商業的な娯楽作品にCGを大々的に用いる切っ掛けとなったのは、1982年ディズニー制作のアメリカ映画『TRON』の登場が大きい。その影響は日本にも及び、コンピューターを部分的に用いたアニメが幾つか制作された。1983年には映画『ゴルゴ13』とテレビアニメ『子鹿物語』、1984年には映画『SF新世紀レンズマン』『超人ロック』等が制作された。しかしこれら1980年代前半の作品は映像の新奇性が話題となると見込んで、CGが採用された実験的なものであった。その後も部分的にCGを使用した作品は続くが、セル画を用いないデジタル化で新たな技術革新となったのは1990年代後半頃からである。ディズニーとピクサーは共同で、CGアニメ制作用システム、コンピュータ・アニメイテッド・プロダクション・システム(CAPS)を開発した。CAPSは、1989年の『リトル・マーメイド』で試験的に最後の一部が用いられ、続く1990年に公開された『ビアンカの大冒険』で全面的に採用となった。1991年には『美女と野獣』、1992年には『アラジン』にも用いられ、興行的にも成功を収めた。セルアニメーションで培われた技法と、CG独自のカメラワークや表現が違和感なくを調和させて、1992年にはアカデミー賞の最優秀科学技術賞を獲得した。更に1995年にはアメリカのピクサーが制作した3D CGによる『トイ・ストーリー』が大成功を収める。従来の見世物になっていたCGが実用段階になり、アニメの単なる手法の一つとして定着していった。日本でも1995年に3D CGを使用し、セルを全く使わない最初の連続テレビアニメ『ビット・ザ・キューピッド』が放送開始される。いち早くセル画を廃止してアニメ制作をデジタル化したアメリカのディズニーに続き、1997年には富士写真フイルムが利益の少ないセル画の生産を停止したのを期に、東映動画が彩色を全てコンピューター化し、使用可能な色数はそれまでの80色程度から一気に1600万色となった。この技法をコンピューター彩色という。その後のコンピューター化は更に進み、今日では海外の下請けスタジオまで原画を直接ネットワークで送り、完成したデータもネットワーク転送で受信するという、国際的分業が行われている。

原画は従来通り人間が手描きで行い以降の過程をコンピュータで処理する手法と、原画段階から3Dモデリングを元にコンピュータが作画を行う手法に大別される。

[編集] テレビアニメの本数増加

1997年以降、(特に高年齢層のアニメ愛好者を対象とした)テレビアニメの本数は増加傾向を見せ始めた。俗にアニメバブルとも呼ばれている。

要因としては、1995年の新世紀エヴァンゲリオンの大成功、この年に実用化されたコンピュータ彩色による制作費の低下・制作期間の短縮化、複数の企業が制作費を出し合う製作委員会方式によって制作費の調達が容易になった事、テレビアニメのビデオソフト化で制作費を賄う仕組みが出来た事、そして地上波の深夜放送枠、ケーブルテレビ局、WOWOWノンスクランブル枠、独立UHF放送局CS放送BSデジタル放送といった新たな放送枠が開拓された事が挙げられる。

但し、深夜放送枠、WOWOW、独立UHF放送局に由る放送は、それまでOVAとして販売されていた類の作品の放送が中心(後者の特徴に就いてはUHFアニメを参照の事)で、OVAが減った分、テレビアニメが増えただけだという指摘もある。この移行現象は「OVAの登場」でも述べられている様に、テレビアニメの方がOVAに比べて作品から得られる利益が大きかった為である。

その一方で、家族向けテレビアニメの本数はバラエティ番組テレビドラマに枠を奪われる等減少の一途であり、テレビアニメは幼年層向け作品とアニメ愛好者・若者向け作品とへの二極化が進行している。

[編集] 国によるアニメ産業育成

1977年から、文化庁は毎年数作品の「こども向けテレビ用優秀映画」を選定し、テレビアニメに製作援助金を交付する制度を開始した。1998年には一般向け作品を含む「文化庁優秀映画作品賞」に統合された。

2004年5月、アニメや漫画など日本のソフト産業の保護・育成に官民一体で取り組む為の「コンテンツ法」が参院本会議で全会一致で可決、成立した。

[編集] OVA

オリジナルビデオアニメの歴史や種類に就いての詳しい内容は、OVAの項目を参照の事。

[編集] アニメと思想

アニメは時に深く思想的な動きと絡んでいる。

1970代以前は、主に手塚治虫やディズニー等のアニメに影響を受けた人々が多かった。またまだアニメが開拓期であった事から、色々な人々が試行錯誤していた時代である。

1970年代~1980年代は、アニメに学生運動大学闘争等、どちらかと言うと自由主義的な人間が自己の思想や意見の発表の場としてアニメを利用した時代である。この時代からアニメに哲学や古典文学を持ち込む傾向が増えた。また反権力的、反権威的なアニメ作品も出てきた。

1990年代~2000年代前半は、上述の2つの世代に影響を受けた世代である。自由主義な時代の反動から保守的な勢力がアニメ産業に入ってきたが、同時に強くアニメの国際化を意識する世代でもある。ただ、この世代はアニメを見てアニメを作った、という人が多い為、アニメ産業の革新性や発想の貧困化が起きるのではと危惧する人が多い。

2000年代後半には、大学または大学院でコンテンツに関して専門的に学問を学んだ人々がアニメ産業に就職する時期である。それ等の人々がどう活躍するかは依然不透明だが、アニメ産業に革新性を呼び込む事が強く期待されている。

[編集] アニメーション映画

アニメーション映画に就いての詳しい内容は、『アニメーション映画』を参照の事。

映画館で上映される映画にも、アニメ作品は存在する。日本のアニメ映画の歴史は古く、反戦アニメ『煙突屋ペロー』(1930年)や、漫画が原作の『のらくろ二等兵』(1935年)が作られていた。戦前は文部省の指示により、劇場は必ず教育映画を少しはかけなければならなかったので、短編アニメは多く製作された。長編では、戦意高揚アニメ、『桃太郎の海鷲』(1942年)や、その姉妹編の『桃太郎 海の神兵』(1945年)等がある。中でも、桃太郎海の神兵はディズニーの『ファンタジア』の影響もあり、戦前のアニメーション映画に於ける集大成と言われる程優れた技巧が見られる作品であった。

大戦後も、細々とながら短編アニメ映画は製作され続けていた。この時代の代表作に『すて猫トラちゃん』(1947年)がある。

戦後の本格長編アニメ映画は前述したカラー映画『白蛇伝』(1958年)に始まるが、『鉄腕アトム』がテレビ放映されるとその影響は直ぐに現れ、この後は、映画の世界でもリミテッドアニメは珍しくなくなった。1960年代は、アニメーション映画はほぼ東映動画と映画『鉄腕アトム』を創った虫プロダクションだけの時代が続いた。但し、東映動画の長編作品は年に1~2本程度、虫プロダクションの制作頻度はそれよりも遅く、当時、莫大な数の邦画が作られていた事から考えると、アニメーション映画は殆ど作られていなかったと言って良い。

1970年代に入ると、他社の参入によりアニメ映画の本数は増加するが、テレビアニメを単に再編集したものが多かった。しかしビデオデッキが全く普及していない時代であり、熱心な愛好者は、テレビの名場面が再び劇場の大スクリーンで見られるというだけで、喜んで劇場まで足を運んだ。比較的有名な再編集アニメ映画には、『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)がある。同作品と翌年公開された『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』は大成功を収め社会現象となった。この成功でアニメが一般社会に認められる事となり、この後に日本でアニメーション映画が多数作られる切っ掛けにもなった。

1980年代は再編集アニメに加え、『AKIRA』等、新作映画も多く作られた。この他、東映まんがまつりに代表される、テレビアニメでの人気作の新作を映画にし、数本立てで上映する形態が恒常化した。これ等の作品はアニメ愛好者よりは家族を狙った作品が多い。90年代から成功を続けている宮崎駿作品の『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』等が登場したのもこの時代である。『ドラえもん』の劇場用長編も公開が始まっている。

1990年代のアニメーション映画は、本数は増加したが、高年齢層を狙った作品は少なく、児童・家族向けの作品が多かった。アニメ映画は観客の層が偏り、資本の回収が困難な事が多く、また、高年齢層のアニメ愛好者は劇場に足を運ぶよりは自宅でビデオで繰り返し見る方を好んだ為、製作側が自然とテレビアニメやOVAを重点に置き始めた為だと考えられる。また、テレビアニメの映画化が非常に多いのがこの時代の特徴である。因みに、1990年代アニメーション映画はほぼ毎年日本映画興行成績の上位に位置しており、1989年の『魔女の宅急便』を始めとして、1991年は『おもひでぽろぽろ』、1992年は『紅の豚』、1994年は『平成狸合戦ぽんぽこ』、1995年は『耳をすませば』、1997年は『もののけ姫』、1999年は『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』と、以上がその年の日本映画興行成績の最上位を記録している。
2000年代になると、アニメ無しでは日本映画は成り立たないとまで言われる程、アニメ作品の比重が増加した。キネマ旬報に由ると、2002年度の日本映画の興行収入10位までの内6本がアニメで、1位と2位、4位、5位は全てアニメだった。但し、2003年度は、アニメの本数は5本に減り、1位はアニメではなかった。またこれ等のアニメ映画の殆どは『ポケットモンスター』に代表されるテレビアニメ番組の新作を映画にしたものである。

教育の現場では比較的アニメは多用される。比較的初期の作品に、『カチカチ山の消防隊』(1948年、日本漫画映画社、消防庁)がある。現在では、麻薬防止用の啓発ビデオ『ダメ。ゼッタイ博士のゼミナール』(1995年)や、税金著作権銀行等の啓発・広報ビデオ等、アニメの使用は広がっている。教育映画は実写でのドキュメンタリー作品が中心で、従来、アニメの比率は高くなかったが、近年、割合は増えつつあり、歴史教育映画・番組でも、アニメを使用したものは多い。嘗てアニメは幼児・低学年向けに限られていたが、近年では中学生向け程度まではアニメ作品が創られるようになっている。

[編集] 海外輸出の歴史

日本アニメの主な輸出先は北米で、金額では過半数を占めるといわれる。しかし、日本のアニメは、北米だけではなく、フィリピン韓国等の東アジア、南アジア地域、南米、当時社会主義国時代だった東欧諸国を含むヨーロッパ、オーストラリアロシア等、全世界で放映されており、それ等の国の映像文化・児童文化に与えた影響は非常に大きい。但し、放映状況に就いては明確な統計もなく、それぞれの製作プロダクションにもはっきりとした記録が残っていない場合が多い。本小項目内では、主に北米向けの輸出状況に就いて述べ、分かる範囲で他国の状況をも列挙する。

本格的なアニメの輸出は、1963年、アメリカ合衆国で『鉄腕アトム』が放映された事に始まる。『鉄腕アトム』は現在までに30箇国以上で放映された。これを皮切りに、1970年代までにかけて『ジャングル大帝』、『エイトマン』、『マッハGo Go Go』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『宇宙戦艦ヤマト』等がアメリカ合衆国で放映された。また、アメリカ向け専用番組の下請け制作も広く行われた。


これ等日本のアニメの進出に対し、明確な拒否反応を示した国も幾つかあった。殆どの国での拒否的反応の理由は、古くから日本でも行われた批判と同じで、暴力的であり、性的な表現を含む、というものだった。国によってはそれ等には過敏に反応し、かなり大きな内容の変更が行われた場合もある。但し、いずれにしても、当時主な視聴者であった子供らからははっきりとした拒絶はされず、殆どの国では現在でも同じ様に日本製アニメが放映されている。

外国で放映されたテレビアニメは、日本製である事を隠す為、スタッフ名が削除されたり、現地風の名前に差し替えられて放映された作品もある。また、内容が現地に合わせて改変されるのは恒常的に行われた。例えば、前述の『科学忍者隊ガッチャマン』では、アメリカ放映の際、戦闘場面が暴力的であるという理由で削除され、関係ないロボットを登場させたり、別ストーリーを構成したりして放映時間を調整した。

また、ある国で受け入れられた作品が他国でも人気になるとは限らなかった。例えば『超電磁マシーンボルテスV』は、日本ではさほど成功しなかったが、フィリピンでは主題歌が軍歌に採用される程の大成功を収めた。日本風の生活風景の出るもの(『ドラえもん』)や、特定の国を扱った作品(『ベルサイユのばら』)は、国によって受容されるかどうかが明確に違う。

1980年代になると、アメリカでは日本と同じ様に、玩具を売る為のアニメの製作が盛んになり、日本のスタジオも下請けの形でこれ等の作品製作に加わった。実際には殆どを日本で製作した作品が多い。但し、元となる玩具販売がアメリカ国内限定という事情もあり、これ等作品の殆どは日本では放映されていない。例外として『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』は、アメリカ向けに製作された玩具販促アニメであるが、日本に逆輸入されて放映された。

この時代になると、アメリカの日本アニメの愛好者団体(ファンサブ)の活動が活発化してくる。最古参のファンに由ればこれらの団体は北米で家庭用ビデオデッキが販売されて直ぐ、1976年に活動を始めた。起源に就いては、ロサンゼルスのアジア人向けUHF局が流していたロボットアニメを鑑賞する会から始まったという説がある。当時から、日本製アニメに対してanimeという語が使われていたという。

日本アニメの海外での評価と進出は、1989年12月の『AKIRA』の北米公開を境に大きく変化する。当初ハリウッドではこの映画はあまり注目されず、北米での配給権を買ったのは中小の配給会社だった。しかし、各地の芸術系映画専門館で巡回的に公開する策が功を奏し、観客や批評家に日本のアニメは芸術的なものがあるという印象を与える事に成功した。AKIRAは、ヨーロッパでも同様の公開方式を採り、こちらでも同様の印象を与える事に成功した。

1992年から1993年にかけ、『超神伝説うろつき童子』が、イギリス、アメリカで劇場公開された。この作品は成人アニメである。日本では特に評判の高い作品ではなかったが、そのようなアニメ作品に見慣れていなかったヨーロッパ人、アメリカ人には衝撃的な作品であり、おびただしい数の批判が寄せられた。また、一時期、animeはそのような成人アニメの代名詞ともなった。但し、海外でこの作品と同程度の印象を与えた成人アニメ作品は、この後は出ていない。

1995年以降、日本のアニメシリーズがほぼそのままの形で放映される形態での輸出もされるようになった。但し、国によっては相変わらず大きな改変がされる事も多い。特に、通常のテレビで子供が直接見る時間帯に放映されるものに多い。この時代から輸出されるようになった作品に、『美少女戦士セーラームーン』、『ドラゴンボール』、『遊☆戯☆王』等がある。1996年に『攻殻機動隊』が、アメリカのビルボードでビデオソフト週間売り上げ1位をとった事も、アニメ輸出へ有利に働いた。尚、ビルボードで日本の映像作品がビデオ販売1位となったのはこれが初めてである。

1999年には新たな転機があった。前年から放映されていた『ポケットモンスター』が全米を初めとして世界各地で大成功を収めた。映画版『ポケットモンスター』と、映画『リング』のハリウッドリメイク版の成功から、日本映画、特にアニメ作品への注目が高まった。1963年から1998年までにアメリカに輸出されたアニメよりも、1999年から2003年までに輸出されたものの方が量が多いとさえも言われる。しかし、単に『ポケットモンスター』と『遊☆戯☆王』が成功しただけであり、日本のアニメ全体が評価された訳ではないという冷静な見方もある。これらの作品の成功により、ハリウッドの映画会社の中では、日本映画や日本アニメの専門部署を設け、北米向け輸出や改作が可能な作品がないか検討を始める所も出てきており、いずれにしても影響は一過性のものとは限らない。この頃、アニメのアメリカへの輸出量は、前年比で3倍まで増えた事もあったが、その後の伸びは鈍化した。

また、中国政府は自国のアニメを発展させる為、ゴールデンタイムの時間帯の外国制作のアニメの放映を禁止し、更にアニメ放映の約8割以上を自国制作のアニメにする措置を2006年9月から行うと発表した。


[編集] 年表

[編集] 1906年

  • 『愉快な百面相』 現在判っている最古のアニメ作品。

[編集] 1900年代

  • 古いアニメーションフィルムが2005年に京都にて発見されているが、フィルム制作の技法や一緒に発見された映写機の製造年代より、明治40年代に作られたと見られる。日本最古の現存するアニメーション作品である可能性がある。

[編集] 1917年

[編集] 1924年

  • 『兎と亀』 完全な形で残る日本アニメとして最古。
  • 『煙り草物語』 フィルムが現存しているものとしては日本最古の実写合成アニメーション映画(未公開)。

[編集] 1927年

『鯨』 全体の一部ではあったが、日本で初めてセル画が使われる。

[編集] 1928年

[編集] 1930年

  • 『煙突屋ペロー』 反戦を訴えながら、検閲でその部分が削除され戦争賛美映画にされてしまった影絵アニメーション映画。1987年に完全復元。

[編集] 1932年

[編集] 1937年

  • 白雪姫』 初のカラーによる長編アニメ映画。

[編集] 1941年

  • 『鉄扇公主』 萬籟鳴、萬古蟾監督(双子の兄弟)によるアジア初の長篇アニメ。1942年日本公開。中聯作品。萬兄弟は香港時代の胡金銓(King Hu)の上司である。

[編集] 1943年

[編集] 1945年

  • 桃太郎 海の神兵』 戦意高揚であるが、技巧や芸術性では戦前の長編アニメの最高峰とされる。また手塚治虫に大いに影響を与えた。

[編集] 1947年

  • 日本動画株式会社(現東映アニメーション)設立。
  • 『すて猫トラちゃん』ダイナミックな動きで当時の作画技術の高さを伝える。

[編集] 1958年

  • 白蛇伝』 日本最初の長編カラーアニメ映画。

[編集] 1960年

  • 『新しい動画 3つのはなし』(NHK系) 国産初のTVアニメーション番組。3つのアニメ作品を実写パートによって繋ぐ構成。

[編集] 1961年

  • 『インスタントヒストリー』(CX、おとぎプロ制作) 国産初の連続TVアニメーション。

[編集] 1963年

  • 鉄腕アトム
  • 鉄人28号
  • 仙人部落』 フジテレビにて放送された、世界初の深夜アニメ。
  • 『銀河少年隊』 NHKに於ける最初の国産TVアニメシリーズ。但し竹田人形座繰演の人形劇との組み合わせであった。
  • エイトマン』 テレビ局とスポンサー主体でタイアップ製作された最初のアニメ作品

[編集] 1965年

  • 『ドルフィン王子』『ジャングル大帝』 日本初のカラーテレビアニメシリーズ。
  • 『宇宙人ピピ』 NHKで放送された日本初の実写合成TVアニメシリーズ。
  • オバケのQ太郎』 当時のSFヒーローもの全盛の中で、社会現象と言われる程成功したギャグアニメ。

[編集] 1966年

[編集] 1968年

  • 巨人の星』 「スポ根」という分野を確立したテレビシリーズ作品。放映は3年間に亘る。

[編集] 1969年

[編集] 1972年

[編集] 1973年

[編集] 1974年

[編集] 1975年

[編集] 1977年

  • 12月、月1話1時間という特異な形式のアニメ『野球狂の詩』が放送される。

[編集] 1978年

  • さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』が公開、興行収入43億円、配給収入21億円という日本映画史上記録的な大成功を収める。

[編集] 1979年

[編集] 1980年

3月15日、劇場アニメドラえもん・のび太の恐竜が公開される。

[編集] 1981年

  • うる星やつら』 同人誌に於いていわゆるエロパロ本が大量に発行された恐らく最初の作品。
  • 六神合体ゴッドマーズ』 やおい本がそれまでの隠れた存在から、即売会等で一気に一般化する足がかりとなった作品。

[編集] 1983年

[編集] 1984年

[編集] 1985年

[編集] 1986年

[編集] 1988年

  • となりのトトロ』『火垂るの墓』 二本立てで上映される。興行的には不振だったが、ビデオ販売が好調で、国民的映画となる。
  • 大友克洋監督の劇場作品『AKIRA』公開。製作費に当時としては異例の10億円を投じた大作で、日本のみならずアメリカでも成功し、その後の日本アニメの海外進出の足がかりを作った。
  • OVAシリーズとして『機動警察パトレイバー』が始まり、多くの視聴者を獲得する。この作品の成功により、アニメをビデオのみで売るというOVAの手法が商売として成り立つ事が証明されるとともに、それまでまちまちだったOVAの製作・販売形態も1本30分弱・価格は5,000円前後という形に収斂されていく事となる。

[編集] 1989年

[編集] 1990年

[編集] 1991年

[編集] 1992年

[編集] 1994年

[編集] 1995年

[編集] 1996年

[編集] 1997年

[編集] 1998年

  • 独立UHF放送局WOWOWノンスクランブル枠と、新しいアニメ放送枠が開拓された。
  • 日本のアニメ専門チャンネル「アニマックス」がケーブルテレビ・CSで開局。出資には大手スタジオが関わる。

[編集] 1999年

[編集] 2000年

  • 鋼鉄天使くるみ』が世界初の8cm DVDシングルアニメとして発売される。
  • 4月26日、『NieA_7』がWOWOWノンスクランブル枠で放送される。放送後はその回が公式サイトで無料配信されるという、日本初のインターネット再放送を行った。

[編集] 2001年

[編集] 2002年

  • 10月、『キディグレイド』が放送される。アイキャッチを何人かの著名な漫画家や絵描きが担当するという手法が取られる。

この手法は『うた∽かた』、『月詠』、『ぱにぽにだっしゅ!』等に受け継がれた。

[編集] 2003年

  • ファインディング・ニモ』が世界的に大成功。全米興行収入は3億ドル、世界興行収入は8億ドルを越え、アメリカ、全世界とも、従来アニメ映画で第一位だった『ライオン・キング』を抜き、総合としても、この時点で興行成績ランキングのいずれも歴代上位10位に入る。アカデミー賞・長編アニメーション部門を受賞。

[編集] 2004年

  • ドリームワークスの劇場作品『シュレック2』が、前年公開の『ファインディング・ニモ』を越え、アニメ映画歴代第一位となる興行成績を挙げる(この時点で世界歴代7位、全米歴代3位)。しかし、アカデミー賞は『Mr.インクレディブル』に奪われ、シリーズ2作連続での受賞はならず。
  • 日本では、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)といった、アニメ界の巨匠が相次いで劇場作品を発表したが、『ハウルの動く城』以外は興行的に振るわず、成功を収めた『ハウルの動く城』にしても最終的な興行成績は同監督の前作『千と千尋の神隠し』には届かず、やや肩透かしとなった格好。

[編集] 2005年


[編集] 関連項目


[編集] 参考文献

  • 山口且訓、渡辺泰『日本アニメーション映画史』(1977年、有文社)
  • 伴野孝司、望月信夫『世界アニメーション映画史』(1986年、ぱるぷ)
  • 山本映一『虫プロ興亡記』(1989年、新潮社
  • 草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』(2000年、徳間書店
  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(2001年、徳間書店)
  • 津堅信之『日本アニメーションの力』(2004年、NTT出版)
  • 津堅信之『アニメーション学入門』(2005年、平凡社新書)
  • 山崎敬之『テレビアニメ魂』(2005年、講談社現代新書


[編集] 参考DVD

  • 『日本アートアニメーション映画選集』(紀伊國屋書店)第二次世界大戦前から戦後の短編116本を集めた。DVD12枚組 発売当時定価36万円
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