梅田駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]()
大阪市営地下鉄御堂筋線・梅田駅
|
梅田駅(うめだえき)は、大阪府大阪市北区にある阪神電気鉄道・阪急電鉄・大阪市営地下鉄・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。隣接するJR西日本大阪駅と事実上同一の駅。また、大阪市営地下鉄東梅田駅・西梅田駅、JR東西線北新地駅とも隣接する。
阪神、阪急、大阪市営地下鉄、大阪駅や西・東梅田駅を合わせた1日の乗降客数は223万人で、新宿駅(347万人)、池袋駅(261万人)、渋谷駅(243万人。但し直通連絡人員を含めると285万人)に次ぎ日本国内4位である。
目次 |
[編集] 概要
『梅田』という地名は、かつて鉄道が開通するまで周辺一帯が沼地(湿地帯)であり、開発するにあたり、この田園地帯を埋め立てたことに因んでいる。元々沼地であったため特に地名はなく、埋め立てた当初は『埋田』(うめた)と呼ばれていたが、地名として馴染まないので、近くの大阪天満宮の梅花殿にあやかって『梅田』(うめだ)となり、現在に至っている。
阪急各線と阪神本線の起点駅。また阪急で「大阪行き」といえば、梅田行きのことをいう。かつては国鉄大阪駅との連絡駅であることを強調するためか、「大阪梅田駅」と呼んでいたこともあった。また会社ごとに駅の位置が大きく異なっているため、「阪神梅田駅」・「阪急梅田駅」と区分して呼ぶ事も多い。現在でも阪神電車のアナウンスは「次は、大阪、大阪梅田、阪神百貨店前です」となっているうえ、阪急でも2004年頃から車掌等のアナウンスで「大阪梅田」の呼称が使用されるようになり、構内自動放送でも2006年秋のダイヤ改正前後から、神戸線・宝塚線系統の駅で「大阪梅田」の呼称が使用されている(京都線系統の駅の自動放送は当面「梅田」呼称のまま)。
ただ、「大阪」というのはJR大阪駅を表しているとは限らない。関西私鉄においては大阪側ターミナルの駅名の前に、大阪(大阪市)にあることを強調するため「大阪」を案内においてつけることが多く(上本町駅を「大阪上本町駅」とするなど)、更には大阪阿部野橋駅のように「大阪」を正式名につけている例も存在するからである。
山陽電鉄の5000系に「梅田」ではなく「阪神梅田」の行き先表示が入っているのと、阪神電鉄の直通特急対応車両に「梅田」「阪神梅田」両方の行き先表示が入っているのは、山陽電鉄線内で阪急梅田駅と阪神梅田駅を区別するため。また、山陽電車の車内アナウンスは「阪神、大阪梅田行き…」である。
また、新大阪駅の在来線コンコースには「大阪駅(梅田)へは15・16番のりば…」という掲示がある。
それぞれの位置関係は、JR西日本大阪駅を中心に、北西にJR貨物、南西に阪神、東に大阪市営地下鉄、北東に阪急がある。
[編集] 利用可能な鉄道路線
その他、以下の駅・路線とは地下道などを通って乗り換えが可能。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 大阪市営地下鉄
[編集] 駅周辺
梅田も参照。
- 阪急百貨店うめだ本店
- 阪急百貨店イングス館
- HEP NAVIO
- HEP FIVE
- 大阪府曾根崎警察署
- 阪急東通商店街
- エスト
- 新阪急ホテル
- ヤンマー本社
- 阪急三番街
- 阪急17番街(阪急ターミナルビル)
- 阪急32番街(阪急グランドビル)
- 新阪急八番街(新阪急ビル)
- D.D.HOUSE(北野阪急ビル)
- 阪急かっぱ横丁
- 阪急古書のまち
- NU chayamachi
- ちゃやまちアプローズ
- 梅田芸術劇場(劇場飛天→梅田コマ劇場より改称)
- ホテル阪急インターナショナル
- 毎日放送本社・放送センター
- 梅田ロフト
- 阪神百貨店梅田本店
- ヨドバシカメラマルチメディア梅田
- ウインズ梅田(日本中央競馬会場外勝馬投票券発売施設)
- アクティ大阪
- ディアモール大阪
- ホワイティうめだ
- イーマ
- 梅田ダイヤビル(マルビル)
- 梅田DTタワー
- 大阪駅前ビル(第1、第2、第3、第4)
- ホテルヒルトン大阪・ヒルトンプラザイースト
- ヒルトンプラザウエスト
- オオサカガーデンシティ
- ハービスオオサカ
- ハービスエント
- 毎日新聞ビル(毎日新聞大阪本社、スポーツニッポン新聞社、オーバルホール)
- 新梅田シティ
ほか
バスについては大阪駅を参照。
[編集] 阪神 梅田駅
[編集] 駅構造
- 頭端式、つまり櫛形5面4線の地下駅で、阪神百貨店の直下に位置する。
- ホームは地下2階に位置している。改札口はホーム車止め側の東改札のほか、地下1階には西改札がある。
- ホームは北側から1番線降車用(片面)、1・2番線乗車用、2・3番線降車用、3・4番線乗車用、4番線降車用(片面)の順となっている。なお、3・4番線乗車用ホームのうち、4番線側は有効長が5両分しかないため、事実上普通列車(4両編成)専用ホームとなっている。ただ、6両編成の急行系車両のうち、梅田駅到着後回送となる平日朝の一部列車については4番線にも入線する(4番線降車用ホームは有効長が6両分あるので、降車側の扉だけ開く)。
- のりば
1 | ■ 主に直通特急・特急・準急 |
2 | ■ 主に直通特急・特急・準急 |
3 | ■ 主に急行・快速急行 |
4 | ■ 各駅停車(普通) |
[編集] 利用状況
阪神本線梅田駅の一日平均乗降客数は178,324人(平成16年度)。 阪神電鉄の中で乗降客数最大の駅であるが、ここ数年20万人台を割り込み、1970年代前半の水準にまで落ち込む状況が続いている。また、その年の阪神タイガースの順位にも大きく影響される。
[編集] ジューススタンド
阪神梅田駅東改札前にあるジューススタンドはいつも客足が絶えずにぎわっている。ここで売られている『ミックスジュース』140円(2005年(平成17年)現在)は、店頭に置かれたおよそ5台のミキサーで常に作りたての味が楽しめる。関西の鉄道駅にはこのようなジューススタンドと呼ばれる店舗をよく見かけるが、ここは著名な店の一つである。
[編集] 歴史
- 1906年(明治39年)12月21日 それまでのターミナルだった出入橋駅(廃駅)より路線を延ばす形で開業。現在より西(ハービスENTあたり)にあった。
- 1939年(昭和14年)3月21日 移転、地下化。
[編集] 隣の駅
[編集] その他
- シンセサイザーによる発車メロディが流れる。
- 阪神梅田~阪神三宮間を含む通勤定期券を持っている場合、その定期券で阪急梅田、阪急三宮でも乗り降りできる。逆に、阪急梅田~阪急三宮を含む通勤定期券を持っていれば、阪神梅田、阪神三宮の両駅でも乗り降りできる。(どちらの場合も、IC定期券ではこの制度は適用されない。また、定期券の券面に含まれていない社局では、梅田~三宮間の途中駅で降りる場合は別途料金が必要となるので注意が必要である)
[編集] 阪急 梅田駅
乗降客数は、日本国内で10位(平成16年度)。また1フロアの駅としては、床面積および10面9線のホーム・線路数も私鉄最大の駅である。なお、京都本線・宝塚本線・神戸本線それぞれが乗り入れているものの、当駅は正式には宝塚本線・神戸本線の駅(管轄は宝塚本線)となっている。第1回近畿の駅百選に選定。
[編集] 駅構造
- 頭端式、つまり櫛形10面9線の駅。京都本線(河原町・北千里方面)は1~3号線、宝塚本線(宝塚方面)は4~6号線、神戸本線(三宮方面)は7~9号線をそれぞれ使用する。
- ホームは3階にある。改札口は車止め側の3階改札口のほか、2階南寄りには2階中央改札口、2階北寄りには茶屋町口改札口がある。
- ホームは東から1号線乗車用(片面)、1・2号線降車用、2・3号線乗車用、3・4号線降車用、4・5号線乗車用、5・6号線降車用、6・7号線乗車用、7・8号線降車用、8・9号線乗車用、9号線降車用(片面)の順になっている。
- エレベーターは、コンコース外に1階⇔3階直通が、コンコース内に2階コンコース⇔1号線乗車用が設けられている。また、エスカレーターは、コンコース内では降車用も含め全てのホームに1基ずつ設置されている。
- のりば
■京都本線ホーム | 1 | 通勤特急・快速特急・特急・快速急行(早朝のみ)・普通(平日ラッシュ時のみ) |
2 | 快速急行・急行・臨時特急「いい古都エクスプレス」(行楽期のみ) | |
3 | 普通 | |
■宝塚本線ホーム | 4 | 急行・通勤準急 |
5 | 普通・通勤急行(平日早朝のみ) | |
6 | (※平日ラッシュ時のみ使用) 特急「日生エクスプレス」・通勤準急・普通(箕面行きを含む) 神戸線⇔宝塚線⇔京都線を跨ぐ回送 |
|
■神戸本線ホーム | 7 | (※平日6:17発~21:51発/土休日6:17発~19:02発のみ使用)普通 |
8 | 特急(昼間時間帯)・急行・通勤急行・普通(早朝・夜間) 臨時急行(桜花賞・宝塚記念開催日のみ) |
|
9 | 特急・通勤特急・快速急行・普通(早朝・深夜) |
[編集] 利用状況
阪急梅田駅の乗降客数は554,707人(平成15年)。路線別の駅としては、日本国内10位である。
- 阪急宝塚線205,263人(平成15年度)
- 阪急神戸線199,166人(平成15年度)
- 阪急京都線150,278人(平成15年度)
[編集] 歴史
阪急梅田駅は、1910年(明治43年)に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の手で開業したときは東海道本線南側にある地上駅であったが、十三駅までの高架化の際に梅田駅も高架駅となった。しかしこの時、国鉄大阪駅の高架化工事が既に立てられていたため、高架駅は仮建築として造られた。その後、大阪駅の高架化工事が部分完成するとともに、予定通り1934年(昭和9年)に再び地上駅化された。
なお、1944年(昭和19年)からは新京阪線→京都本線(元・新京阪鉄道→京阪電気鉄道の路線で、京阪が戦時中に阪急に統合され、戦後分離する際に阪急に残存したもの)電車の梅田駅乗り入れも、宝塚本線の線路を用いて開始されるが、京阪では戦前に独自で新京阪線と京阪本線の梅田駅乗り入れも計画していた(→京阪梅田線を参照)。京阪による梅田の駅設置予定地は阪急の手にその後渡り、今では「HEPファイブ」というビルが建っている。
その後、京都本線電車の乗り入れ本数が増加するのに伴い、宝塚本線との線路共用では捌けなくなったため、宝塚本線の複々線化名目(急行線扱い。よって中津駅に京都本線のホームはない)で複線を増設した。この時、十三~梅田間高架・複々線化の際に残った地上線の一部を用いて営業を開始し、1949年(昭和24年)に休止となった北野線の用地を活用する事にした。
1959年(昭和34年)に十三~梅田間が3複線化され、十三駅あるいは天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅)発着となっていた京都本線の列車も梅田駅に乗り入れるようになると、今度は駅が手狭になり、1966年(昭和41年)から1973年(昭和48年)にかけて東海道本線北側の現在地への移転高架化拡張工事が行われた。阪急創始者の小林一三は欧州のターミナル駅を理想としており、阪急梅田駅は「ターミナル」の意味通り全ての路線の基点として位置づけられている。
- 1910年(明治43年)3月10日 開業。
- 1926年(大正15年)7月5日 梅田~十三間高架完成により、高架駅に移転。この時、梅田~北野間の地上線は北野線として残存。
- 1934年(昭和9年)6月1日 国鉄大阪駅高架化により、地上駅に移転。
- 1924年(昭和24年)1月1日 北野線の営業を休止。
- 1966年(昭和41年)2月1日 現在地への移転高架化拡張工事起工。
- 1967年(昭和42年)8月27日 神戸線ホーム移転。
- 1969年(昭和44年)11月30日 宝塚線ホーム移転。
- この時点では、暫定的に、1~5号線を宝塚線ホーム、6~9号線を神戸線ホームとした。
- 1971年(昭和46年)11月28日 京都線ホーム移転。
- 1973年(昭和48年)11月23日 京都線ホーム1線増設され、移転高架化拡張工事完成。
[編集] 隣の駅
- ■宝塚本線
- 特急日生エクスプレス・通勤急行・急行・通勤準急
- 梅田駅 - 十三駅
- 準急・普通
- 梅田駅 - 中津駅
- ■京都本線
- 通勤特急・快速特急・特急・快速急行・急行・普通
- 梅田駅 - 十三駅
[編集] その他
- 阪急梅田駅で発売される切符の「田」の字は「口」に「メ」の字の表記となっている。これは阪急には漢字2文字で「田」で終わる駅が6つ(他の駅は園田駅・池田駅・富田駅・吹田駅・山田駅)あるのと、梅田駅の乗降客数が一番多く、自動改札機がなかった頃ラッシュ時に素早く判別するための目印とした名残である(ただし、「口」に「メ」の字となったのは、近年のコンピュータ汎用フォントを使った機械に更新されてからであり、それ以前は、四角形「□」とその4頂点を結んだ対角線「×」の表記であった)。
- 発車メロディは、神戸線・宝塚線・京都線それぞれの路線をイメージしたものが、回送列車も含めて全列車とも発車約40秒前から流れる。ただ、終電(全線とも0:25)だけはメロディの最後が異常に長く延ばされており、実際の発車時刻は0:26~27頃となっている。ちなみに、発車メロディを採用した1996年2月27日以前は各線で異なるブザー音(「ブー」または「プー」)であった。
- 深夜0時前から終電の発車まで、駅全体に終電間際であることを知らせる「第三の男」(オリジナルアレンジ曲)が流れる。
- 3階(ホーム階)では、改札口を入ってすぐのところに、各線別に見やすい大型発車案内板が設置されている。1990年台前半までは幕式の発車案内が使われていたが、その後は「ラガールビジョン」と名付けられたカラービジョン(光ファイバー式)となった。このラガールビジョンは時に画面右半分を使って沿線情報を流すこともある。
- 1階に、開店当時は関西最大規模であった「紀伊國屋書店梅田本店」がテナントとして入居している。また、紀伊國屋書店の入口前にある2つの大型カラービジョン「ビッグマン」は待ち合わせ場所としてよく利用されている(普段は沿線情報、コマーシャルなどだが、稀にNHKニュースや、中央競馬のGIレースなどテレビ番組を放映することもある)。加えて、1階の一部スペースを使って何らかのイベントがよく催されている。
- 2階神戸線側改札口横に、関西初出店となった成城石井梅田店(2001年開店)がある。それまではコンビニエンスストアAsnasであった(後に3階に移転)。
- ホーム屋上は駐車場となっている。
- 阪急梅田駅で配布している時刻表は、神戸線版、宝塚線版、京都線版の3種類に分かれている。
- 阪神・阪急は梅田~三宮間で通勤定期券の相互利用が可能である。詳しくは、阪神梅田駅の「その他」項を参照。
- 阪急と阪神との経営統合に伴い、2006年9月下旬から10月上旬まで、阪急梅田駅(ビッグマンなど)に阪神タイガースの、阪神梅田駅に宝塚歌劇の広告が相互に掲出される。両者がライバル関係ではなくなったことにより、今後もこうした動きは広まると思われる。
[編集] 大阪市営地下鉄御堂筋線 梅田駅(M16)
[編集] 駅構造
島式1面2線の地下駅だが、ホームは上り線(新大阪・千里中央方面)側と下り線(天王寺・なかもず方面)側が壁で仕切られている(壁に開いた出入口によって往来が可能)。改札口はホーム新大阪寄りの北改札、ホーム中程付近の改札(3ヶ所)、ホーム難波寄りの南改札がある。 深夜の2本のみ、当駅止まりである。
- のりば
1 | ■ なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面 |
2 | ■ 新大阪・江坂・千里中央方面 |
[編集] 利用状況
大阪市営地下鉄御堂筋線梅田駅の1日平均降客数は398,786人(平成14年)。 地下鉄の駅としては、日本で新宿駅(地下鉄3路線合計)、綾瀬駅(大半が常磐線からの直通客)、池袋駅、渋谷駅、東京・大手町駅に次いで6番目に乗降客が多いが、他線との接続がなく、共同使用駅でもない地下鉄単一路線の駅としては日本一の乗降客数を誇る。
[編集] 歴史
1933年(昭和8年)に仮駅で開業、1935年(昭和10年)に本駅が完成した。当時は1両での運行だったが、将来の輸送量増加を見込み、当初から当時の車両の大きさで12両編成対応で造られた。もともと上り線と下り線は同じトンネル内にあったが、ラッシュ時には改札制限まで行っていた混雑を解消するため、太平洋戦争前から2号線(谷町線)用に準備されていたものの同線の建設ルート変更に伴い放置されていたトンネルを転用して下り新ホームが造られ、1989年(平成元年)に完成した。上り線・下り線の間に壁があるのはこのためである。
[編集] その他
第4回近畿の駅百選に選定。
[編集] 隣の駅
[編集] JR西日本 梅田駅(仮称)
現在、大阪駅付近をノンストップで梅田貨物線を通過する関空特急「はるか」・「スーパーくろしお」に梅田界隈から乗降できるようにするため、現在の梅田貨物線を地下線にした上で、より大阪駅に近接した位置に「JR梅田駅」(仮称)を開設する計画がある。地下線にする理由は、現在梅田貨物線となにわ筋の交点に設置された踏切などで渋滞が発生しやすいため、それを解消する目的も兼ねている。大阪駅再開発の一環として、さらなる大阪キタの発展が期待される。
なにわ筋線の項目も参照のこと。
[編集] JR貨物 梅田駅
新大阪駅から大阪環状線の福島駅に至る東海道本線の支線(通称:梅田貨物線)上に位置する貨物駅。通称梅田北ヤード。引込み線は71本、敷地面積は24haで日本一広い貨物駅である。コンテナ貨車も常備されており、常備貨車には「西ウタ」と表記されている。
「梅田駅」が正式名称だが「梅田貨物駅」あるいは「JR梅田貨物駅」とも呼ばれる。同駅に発着する貨物列車のほか特急「はるか」などが通過する。将来、梅田貨物駅の機能は関西本線百済駅と東海道線吹田操車場跡地に設置する貨物新駅に移転する予定で、機能移転完了後には梅田貨物駅は廃止される計画。発生した土地は大阪駅北地区再開発計画やJR西日本 梅田駅(仮称)の建設用地として供出される見込み。大阪のもっとも中心、地価も相応に高額の場所に巨大な用地があるため、再開発計画は三菱地所を中心とした9社が行う。
梅田貨物駅の構内で毎年JR貨物恒例のバザールが開かれており、客の多くは元国鉄職員とその家族達で、入場者数は2万人にも上っていた時期もある。主な商品は鉄道部品で、バザールを始めたのはこれらを売るためである。
昔墓地だった関係から毎年8月下旬に地蔵盆があり、地元の人も参加して無縁仏の供養を行っている。江戸時代には梅田村と呼ばれていた。
かつては瀬戸内海からの荷を受けるため安治川に通じる堀割水路があったが、1967年までに埋め立てられている。
近くに新聞社がある関係から梅田駅の主な貨物の一つが新聞紙であり、100年以上前から扱われている。北海道からの牛乳も売り上げに貢献しており、産業廃棄物が入っている貨物も扱っている。産業廃棄物が入っている貨物の取り扱いは年々増えている。
50年以上前に立てられた社屋は老朽化が進んでいるが、移転が決まっていたので改修はなされなかった。そのため、所々傷みが出てきており、特に9月前後は台風などにより被害を受けている。
現在使われている1967年製の入替え機関車DE10も梅田駅移転に伴い役目を終える。
[編集] 移転問題
1987年には貨物機能を吹田操車場跡地に移転することが決まっていたが、移転先の吹田市の住民などにより反対運動があり移転計画が滞っていた。しかし、1999年に国鉄清算事業団と関係自治体などの間で基本協定が結ばれ、吹田市が吹田操車場跡地へ貨物機能の半分を受け入れ、残りの半分は、百済貨物駅(東住吉区)に移転することで合意がなされた。この合意の後も反対運動は起きていたが、2006年2月10日に、鉄道・運輸機構、JR貨物、吹田市、摂津市、大阪府ら関係5者の間で貨物機能移転計画の着手合意協定書が締結された。これにより貨物機能が2011年に移転されることが決まった。しかし、吹田市の反対派の住民は住民投票を求めており、今後の展開は不透明である。
[編集] 駅概要
- 所在地 : 大阪府大阪市北区大深町2丁目25
- 梅田貨車区 : 列車の点検を行う部署である。最盛期の国鉄時代には1日に約40~45両を点検していたが2000年には約9両にまで減った。それに伴い人員も半減した。
- 売り上げ目標 : 梅田貨物駅の平日の収入目標はコンテナで1450万円、車扱いで4万2000円である。
- 自動車代行駅である和歌山オフレールステーション、福知山オフレールステーションへ向かうトラック便が運行されている。
[編集] 取り扱い貨物
[編集] 歴史
- 1874年(明治7年)大阪荷扱所として発足。
- 1928年(昭和3年)12月1日 梅田駅(梅田貨物駅)に改称される。
- 1928年(昭和3年)住民の訴えにより全長約200mの梅田貨物駅地下トンネルが竣工。
- 1959年(昭和34年)11月5日 汐留~梅田間に日本初のコンテナ専用列車「たから号」が運転開始。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により日本貨物鉄道に承継。
- 1987年(昭和62年) 梅田貨物駅が売却されることが決定。
- 1994年(平成6年)9月4日 梅田貨物線に関空特急「はるか」が運行開始。