佐藤由紀彦
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佐藤 由紀彦(さとう ゆきひこ、1976年5月11日 - 、静岡県富士市出身)はプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。端正な顔立ち、右サイドから正確なクロスを上げる事から、FC東京時代は「東京のベッカム」、2003年に移籍した横浜FM時代は「ハマのプリンス」とよばれた。
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[編集] 経歴
清水商時代に多くの全国大会で優勝を経験し、1995年に清水エスパルスに加入。しかし出場機会に恵まれず、1998年に自ら志願して当時旧JFLのモンテディオ山形にレンタル移籍。石崎信弘監督の薫陶を受け成長し、同年のJFL新人王およびベストイレブンに選ばれた。
1999年、本籍は清水に残したまま、当時J2のFC東京にレンタル移籍。元々トップ下が定位置であったが、大熊清監督により右サイドアタッカーのポジションを与えられた。この頃はまだ知名度が低く、選手紹介の際にスタジアムDJが「斉藤ユキヒコー!」と名前を間違えた事もあったが、この年、FC東京のJ1昇格に貢献するとともに、ナビスコカップのニューヒーロー賞を獲得。
翌2000年、FC東京に完全移籍し、精度の高いクロスを武器とする右サイドのスペシャリストとして、さらに3シーズンを過ごした。しかし2002年、自身の負傷による戦線離脱の穴を埋めるため、横浜F・マリノスからレンタル移籍してきた石川直宏の活躍により、シーズン後半は右サイドのポジションを奪われた。
2003年、出場機会を得るために横浜FMにレンタル移籍。この年のJ1ファーストステージ・セカンドステージの完全制覇に貢献し、またシーズン途中には(石川直宏と入れ替わる形で)完全移籍となった。
2004年も再び横浜FMで活躍したが、シーズン後半になって同じ右サイドの田中隼磨が台頭し、控えに回ることが増えた。2005年にはプロ選手としてのキャリアの起点である清水に移籍することとなった。
2006年には怪我や若手の台頭もあり、シーズン当初から出番がない状況が続いていた。再び出場機会を求めていたところ、恩師石崎監督から誘われ、同年6月に柏レイソルへレンタル移籍した。
甘いマスクとは裏腹に、出場機会を求めて5チームを渡り歩いた苦労人であり、ヒーローインタビューにおいて「J2は魂が磨かれる場所」という言葉を残した。
[編集] 所属チーム
- 1992-1995年 - 清水商業高校
- 1995-1997年 - 清水エスパルス
- 1998年 - モンテディオ山形(レンタル)
- 1999年 - FC東京(レンタル)
- 2000-2002年 - FC東京
- 2003年 - 横浜F・マリノス(レンタル)
- 2003(途中)-2004年 - 横浜F・マリノス
- 2005-2006年 - 清水エスパルス
- 2006年(途中) - 柏レイソル(レンタル)
[編集] 個人タイトル
- 1999年 - ナビスコカップ(ニューヒーロー賞)
[編集] 関連
柏レイソル - 2007 |
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