国府津駅
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国府津駅(こうづえき)は、神奈川県小田原市国府津4丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)と東海旅客鉄道(JR東海)の駅。JR東日本の管轄駅である。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線の計3面5線を持つ地上駅。単式ホームに隣り合って設置された駅舎はコンクリート造り4階建てとなっている。ホーム間は地下道及び跨線橋で結ばれており、1番線、2番線、4番線、5番線を東海道線、2番線と3番線を御殿場線が使用している。
御殿場線の線路は駅の小田原寄りで東海道線の上り線を高架で跨ぎ、御殿場方面に繋がる。御殿場線自体は単線だが、車庫への引き上げ線が並行しているため、車庫までの間は複線のように見える。また駅の西側には国府津車両センターがあり、東海道線を走る列車の基地となっている。
- のりば
1・2 | ■東海道線 | 小田原・熱海・伊東・沼津方面 |
2・3 | ■御殿場線 | 松田・山北・御殿場・沼津方面 |
4・5 | ■東海道線 | 横浜・品川・新橋・東京方面 |
■湘南新宿ライン高崎線直通 | 新宿・池袋・大宮・高崎方面 |
- 一部の列車は、当駅で特急列車の通過待ちを行う。
- また、一部列車は当駅で快速アクティーや通勤快速(平日の下りのみ)の待ち合わせも行う。
なお当駅の東京寄りにあった当駅の機関庫は、鉄道関係のものとしては日本で最初の鉄筋コンクリート建造物とも言われる歴史的に貴重なものであったが取り壊されてしまった。
辰野駅や南小谷駅と異なり、自動券売機にはJR東日本線とJR東海線を区別する機能は付いておらず、券面はすべて「東日本会社線」と表示される。
[編集] 利用状況
- 2005年度の1日平均乗車人員は6,464人(JR東日本)であった。
[編集] 駅周辺
この駅は小田原駅付近から延々と続く市街地の東の端に位置している。南側には現代の東海道たる国道1号線や西湘バイパスが走っており、西湘バイパスには国府津インターチェンジもある。駅の南方には海があり、国府津海水浴場の砂浜が広がっているのを見ることができる。駅の西方にはJR東日本の国府津車両センターが広がっている。
国府津という地名は、昔大磯町西部(国府本郷・国府新宿付近:異説もあり)に相模国国府があって、それに近い港ということで付けられたといわれる。
- 国府津駅前郵便局
- 小田原市立国府津小学校
- 小田原市立国府津中学校
- 国府津インターチェンジ - 西湘バイパス
- 国道1号
- 小田原シティーモールクレッセ(鴨宮駅との中間)
- 日立グローバルストレージテクノロジーズ小田原事業所
- ライオン小田原工場
- 三共小田原工場
[編集] 路線バス
[編集] 歴史
1887年(明治20年)、神奈川駅(現在は廃止)から当駅までの鉄道路線の開通によって開業した。2年後の1889年(明治22年)には、当駅から御殿場駅・沼津駅を経て静岡駅までが開通したが、国府津駅から御殿場駅までの区間は勾配がきついため列車を後押しする機関車を連結することとなり、当駅は機関車の基地として重要な役割を有することとなった。1888年(明治21年)には、駅前から小田原・湯本までを結ぶ小田原馬車鉄道も発着するようになっている。これは後に小田原電気鉄道と社名を改め、1900年(明治33年)には日本で4番目の電気鉄道(路面電車)となった。
1925年(大正14年)には横浜駅から当駅までが電化され、電気機関車と蒸気機関車を付け替える駅としての役割も担うようになる。
しかし御殿場廻りのルートは勾配がきついため速度向上のネックとなっており、またトンネル掘削技術が向上したことにより、熱海を経由する新しい路線を建設しようとの機運が高まった。まず1920年(大正9年)、熱海線として当駅から小田原駅までが開業。これに伴い小田原電気鉄道線は廃線となった。熱海線はその後、1922年(大正11年)12月21日には真鶴駅まで、1924年(大正13年)10月1日には湯河原駅まで、1925年(大正14年)3月25日には熱海駅までと次々に延伸が重ねられ、1934年(昭和9年)12月1日、ついに丹那トンネルの完成により沼津までが全通し、こちらが新たに東海道本線を名乗ることとなった。
全通以前は「つばめ」や「さくら」といった当時最速とされた列車でさえも機関車連結のために停車していたが、東海道本線のルートが熱海経由になったことにより、当駅は本線の後押し機関車の連結駅としての役割を、また新ルートは当初から電化されていたため、機関車を付け替える駅としての役割をも終えることとなった。
国府津~御殿場~沼津のルートはこのとき御殿場線として分離され、1943年(昭和18年)には戦時中の金属供出により単線となった。以後国府津駅は、東海道本線から御殿場線の分岐する小さな接続駅としての役割のみを持つ駅となった。
1980年(昭和55年)には駅の西方に国府津電車区が開設され、湘南電車の車両基地となった。また1987年(昭和62年)の国鉄の分割民営化により、東海道本線の東京駅から熱海駅までが東日本旅客鉄道(JR東日本)の管轄、御殿場線が東海旅客鉄道(JR東海)の管轄となり、この駅は両者間の分界駅ともなった。
[編集] 年表
- 1887年(明治20年)7月11日 - 神奈川駅(現在は廃止)~国府津駅間開通に伴い開業。
- 1889年(明治22年)2月1日 - 国府津駅~御殿場駅~静岡駅が東海道本線の一部として開業。
- 1920年(大正9年)10月21日 - 熱海線・国府津駅~小田原駅間が開通し分岐駅となる。
- 1925年(大正14年)12月13日 - 横浜駅~国府津駅間が電化され、電化・非電化の境となる。
- 1934年(昭和9年)12月1日 - 丹那トンネルの完成により熱海駅から沼津駅までが電化複線で開業し、従来の熱海線とあわせて東海道本線とされ、御殿場経由のルートは御殿場線となる。
- 1980年(昭和55年)? - 国府津電車区が発足する。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)と東海旅客鉄道(JR東海)の分界駅となる。
- 2004年(平成16年) - 組織改編により国府津電車区が国府津車両センターに名称変更となる。
[編集] 隣の駅
- 東海旅客鉄道
- ■御殿場線
- 国府津駅 - 下曽我駅
[編集] その他
1900年5月10日に第1集東海道篇が発表された『鉄道唱歌』(大和田建樹作詞、多梅雅作曲)では、12番に国府津が小田原電気鉄道との接続点であったことから「国府津おるれば電車あり 酒匂小田原とおからず…」と歌われているが、初版では歌い始めが「国府津おるれば馬車ありて」となっていた。これは、発表がちょうど小田原電気鉄道が馬車から電車へ動力を改めた時期に一致したため、急遽書き直されたからである。