筑波大学附属中学校・高等学校
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筑波大学附属中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区大塚にある国立中学校・高等学校。
筑波大学附属中学校・高等学校 | |
国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人筑波大学 |
設立年月日 | 1888年(高等師範学校尋常中学科) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 |
所在地 | 〒112-0012 |
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電話番号 | 03-3945-3231 |
FAX番号 | 03-3941-7176 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
小学校、中学校、高校の何れからも入学を受け入れている。現時点では、筑波大学への特別な内部進学枠は存在していない。中学校では制服だが、高校では私服である。通称は筑附(つくふ)。自主、自律、自由をモットーにおく。中学校と高校は中高一貫ではなく内部試験があり、男女ともども80%ずつが進学できる。
現役生は、自校のことを「筑附」と称するが、各界で活躍している卒業生は、まだ東京教育大学附属高等学校時代の人が多いので、卒業すると、単に「附属」ということが多い。高校では現役生・卒業生ともに、何回生かで自己紹介をする。在学する三年間クラス替えは行われないので「○○回の○組」で通じる。また、卒業生は、「○○回」ということで、卒業年度を表す。
[編集] 沿革
- 1888年 高等師範学校尋常中学科として設立。
- 1896年 高等師範学校から分離され、高等師範学校附属尋常中学校となる。
- 1899年 高等師範学校附属中学校と改称。
- 1902年 東京高等師範学校附属中学校と改称。
- 1947年 学制改革により、東京高等師範学校附属中学校となる。
- 1948年 学制改革により、東京高等師範学校附属高等学校となる。
- 1949年 東京教育大学附属中学校・高等学校と改称。
- 1978年 筑波大学附属中学校・高等学校と改称。
- 2004年 国立大学法人筑波大学に移管。
[編集] 特筆すべき行事
- 高等学校としては1896年より行われている学習院高等科との総合定期戦は、筑附では「院戦」、学習院では「附属戦」の名で親しまれている。また1920年に初めて行われた東京開成中学校(現・開成中・高)とのボートレースは現在も行われ、日本で最も歴史を持つ対校ボートレースだと言われている。その他1年次の夏には長野県の蓼科にある桐陰寮にクラスで合宿に行く。そして9月には2006年で50回目となる桐陰祭[1]が開催される。高校の修学旅行は大体京都、沖縄である。
- 次に中学校の行事としては1年次に千葉県の富浦に遠泳をしにいく。大自然溢れる学校の寮で生活する。2年次には長野県の菅平。四阿山に登る。そして3年の修学旅行は、まさしく修学というべき感じである。文学、自然、社会、勤労体験、芸術などのコースが教師側から設定され生徒がその中から行きたいコースを選び、その中で自分の研究テーマを見つけ現地に行って考察するというものである。その他毎年、校外学習として岩槻、長瀞などに行く。
[編集] 施設
- 高校校舎はコの字型の3階建てとなっており、主に生徒棟と準備室棟、理科棟に分けられる。土足可のため、下駄箱がない。また、2003年度に情報実習室完成。2005年度に校舎のバリアフリー化として多機能付トイレやスロープ、エレベータを設置した。
[編集] 最寄駅
[編集] 著名な出身者
[編集] 政治
- 井上和雄 - 前衆議院議員、民主党国際局副局長
- 鳩山一郎(9回) - 元内閣総理大臣
- 川口順子 - 前内閣総理大臣補佐官、元外務大臣、元通産官僚
- 鈴木淑夫 - 元衆議院議員
- 斉藤十朗 - 参議院議員
- 藤井裕久 - 元民主党幹事長、元参議院議員、元衆議院議員、元大蔵大臣
- 美濃部亮吉 - 元東京都知事
- 村上誠一郎 - 元規制改革・産業再生機構担当大臣(附属小学校からの進学)
- 寺内寿一 - 元帥、陸軍大臣、陸軍教育総監、陸軍大将。伯爵
- 鳩山邦夫 - 自由民主党国会議員,元文部大臣。和夫、一郎、威一郎に続く政界のサラブレッド
- 秋葉忠利 - 広島市長
- 塚原俊平 - 元衆議院議員
- 保利耕輔 - 衆議院議員
- 片山さつき - 衆議院議員
[編集] 行政
- 山下英明 - 通産事務次官、三井物産副社長。のち旧制府立高校へ
- 小川是 - 大蔵事務次官、横浜銀行頭取。中学まで在籍、高校は都立戸山高校へ
- 篠沢恭助- 大蔵事務次官
- 片山さつき - 財務省初の女性主計官、経済産業大臣政務官。現衆議院議員。
- 澄田智 - 大蔵事務次官,第25代日本銀行総裁
- 木内信胤 - 横浜正金銀行員、興亜院嘱託、大蔵省参事官・終戦連絡部長、外為管理委員会委員長、世界経済調査会理事長
- 小倉和夫 - 外務審議官、フランス大使
- 林暘 - インド大使
- 阿部知之 - トルコ大使
- 岩村敬 - 国土交通事務次官
- 日下部元雄 - 世界銀行副総裁
- 渡辺裕泰 - 国税庁長官
- 瀬木博基 - イタリア大使
- 小島高明 - シンガポール 大使
- 永井亨 - 鉄道省経理局長、農商務省出身
- 駒井重次 - 大蔵省銀行検査官、元衆議院議員(昭和7~20年)
- 村上隆吉 - 農商務省水産局長、特許局長官
[編集] 経済
- 岩崎小弥太 - (5回) 三菱財閥4代目総帥
- 田実渉 - 三菱銀行会長
- 國重惇史 - 楽天証券社長
- 渋沢敬三 - 第一銀行副頭取・日銀総裁・大蔵大臣・民俗学者・渋沢栄一の孫
- 嶋中鵬二 - 中央公論社社長(附属小学校からの進学)
- 石川六郎 - 鹿島建設名誉会長。(弟とともに水泳部に所属)
- 黒澤洋 - 日本興業銀行会長。
- 諸橋晋六 - 三菱商事相談役。漢学の大家、文化勲章受賞の諸橋轍次の子息。
- 諸井貫一 - 秩父セメント社長、埼玉銀行会長
- 古川昌彦 - 三菱化学取締役会長。
- 山本卓真 - 富士通名誉会長。
- 荘孝次 - ニコン相談役。
- 戸田順之助 - 戸田建設会長。
- 戸田守二 - 戸田建設社長。
- 江草忠敬 - 有斐閣取締役社長。
- 深見悦治 - 成美堂取締役社長。
- 大橋光夫 - 昭和電工取締役会長
- 兼子勲 - 日本航空取締役会長
- 宮田了 - 南国酒家代表取締役
- 正田英三郎 - 日清製粉名誉会長相談役
- 正田修 - 日清製粉代表取締役会長 美智子皇后陛下の弟君
- 瀬木博雅 - 博報堂副社長
- 太田昭 - 太田胃散 取締役会長
- 藤澤義之 - メリルリンチ日本証券取締役会長
- 設楽洋 - ビームス取締役社長
- 藤巻健史 - 為替トレーダー
- 鶴谷武親(92回) - フューチャーインスティテュート社長(在学中は男子バスケットボール部マネージャー)
- 平野博文 - 日興プリンシパル・インベストメンツ代表取締役会長。
- 三輪豊明 - (88回)U.S.エデュケーション・ネットワーク社長。(附属小学校から)
- 本広好枝 - (88回)インド日産社長(日産初の女性海外販社社長)(附属小学校から)
- 畔柳信雄 - (68回)三菱東京UFJ銀行頭取 (附属小学校から)
[編集] 学問
- 池上千寿子- セクソロジスト、NPOぷれいす東京代表、日本エイズ学会会長(2006年)
- 石弘光 - 経済学者
- 石川経夫 -(73回)経済学者
- 岩井克人-(73回)経済学者
- 奥野正寛-(73回) 経済学者
- 川本裕子 - 経済学者、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授
- 岸本英夫 - 宗教学者
- 柴田雄次 - 化学者、東京帝国大学教授、東京都立大学初代総長、日本学士院院長、作曲家柴田南雄の父
- 瀬々敦子 (89回)- 法学者、信州大学助教授(高校からの進学)
- 高階秀爾 - 美術史家、国立西洋美術館館長、東京大学名誉教授
- 平川祐弘 - 比較文学者
- 船曳建夫 - 文化人類学者
- 山口一男 - (73回)社会学者
- 吉見俊哉 - 社会学者
- 森亘 (52回)- 元東京大学総長・医学部長、第5代日本医学会会長
- 松原謙一 (60回)- 生命科学者
- 小林寛伊 (62回)- 感染学
- 十文字一夫 - 十文字学園理事長
- 清水孝雄 (74回)- 生化学者・医学研究者
- 貫名信行 (78回)- 脳生理学者・医学研究者
- 松平賴武-本郷学園理事長
- 矢野洋四朗 - 学校法人矢野学園八王子実践中学校・高等学校理事長・校長
[編集] 文学
- 小林信彦 - 作家(高師附属中退の父親の意向により中学から入学。大空襲の混乱期だったため無試験であった。中学で美術研究会に所属し、高校では映画研究会を設立)
- 中井英夫 - 作家(附属小学校からの進学)
- 永井荷風(6回) - 作家(後の元帥・陸軍大将である寺内寿一と同期。長髪にしていたためもあり、軟派の筆頭として寺内とその取り巻きから頭を無理やり丸刈りにされるという虐めを受けた。この後、永井は寺内らの家を一軒一軒訪ねて「この頭はあなたの息子にやられました」と抗議し、母親に謝罪させた)本名:壮吉
- 中島健蔵 - 仏文学者、評論家(小学校から)
- 中村光夫 - 文芸評論家(1923年東京高師附属中入学)
- 長田幹彦 - 作家
- 浜尾四郎 - 推理作家、検事、弁護士、子爵、貴族院議員
- 星新一 - 作家(戦時下に高師附属から旧制東京高校へ。高師附属の自由さに比べ、東京高校の軍事色の濃厚さに驚いた)
- 渡辺武信 - 詩人、建築家
- 早野透(72回) - コラムニスト
- 草上仁(86回) - SF小説家
- 竹内薫(87回) - 文筆業
- 九鬼周造 - 哲学者 『「いき」の構造』の著者
- 村松剛 - 文芸評論家
[編集] 芸能・スポーツ
- 芥川比呂志(47回) - 俳優
- 今村昌平 - 映画監督
- 遠藤良平 - 元プロ野球選手(日本ハム)
- 小林義明 - 映画監督
- 檀ふみ(81回) - 女優(在学中は水泳部所属)
- 野村萬斎(93回) - 狂言師(在学中はバスケットボール部所属)
- 羽田惠理香 - アイドル
- 宮本駿一 - 歌手
- 村田実 - 映画監督
- 嘉納行光 - 講道館館長、全日本柔道連盟会長
- 中川洋吉 - 映画評論家
[編集] マスコミ
- 岩味潔 - 日本テレビ
- 大川慶次郎 - 競馬評論家(全レースの予想完全的中。「競馬の神様」)
- 高井真理子 - NHKアナウンサー
- 西脇亨輔 - テレビ朝日アナウンサー
- 上田万由子 (102回)- TOKYO FM
- 内田忠雄 - ニュースキャスター(NY在住)
- 俵孝太郎 - 政治評論家
- 広瀬久美子 - NHKアナウンサー
- 広瀬修子 - NHKアナウンス室
- 保坂和拓(94回) - 朝日放送アナウンサー
[編集] 芸術
- 芥川也寸志(52回) - 作曲家、指揮者
- 諸井三郎(30回) - 作曲家
- 岸田劉生(18回) - 画家
- 藤田嗣治 - 画家
- 山田真巳 - 画家
- 吉住渉(90回) - 少女漫画家
- 岡田信一郎 (9回)- 建築家(鳩山一郎と同期。その縁で鳩山邸を請負うことになった。)
- 北代禮一郎 (53回)- 建築家
- 桐敷真次郎 (53回)- 建築家
- 穂積信夫 (53回)- 建築家
- 岡田新一 (54回)- 建築家 夫人は日立製作所創業者小平浪平の孫
- 鈴木成文 (54回)- 建築家
- 林昌二 (55回)- 建築家
- 渡辺武信 (64回)- 建築家
- 橋本文隆 (66回)- 建築家
- 川村純一 (75回)- 建築家
[編集] 関連校
- 筑波大学
- 筑波大学附属小学校
- 坂戸高等学校
- 駒場中学校・高等学校(筑駒)
- 筑波大学附属盲学校
- 筑波大学附属聾学校
- 筑波大学附属桐が丘養護学校(肢体不自由)
- 筑波大学附属大塚養護学校(知的障害)