旧制中学校
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旧制中学校(きゅうせいちゅうがっこう)とは、かつての日本で、男子に対して中等教育を行っていた学校の一つである。旧制中学(きゅうせいちゅうがく)と略されることも多い(旧制中等学校との違いに注意)。旧制とは、現在の学校教育法に基づく制度が実施される前の制度のことであり、当時は単に「中学校」と呼称した。ただし、明治時代には、尋常中学校(じんじょうちゅうがっこう)と呼称した時期もある。
旧制中学校は、日本において、明治時代から昭和時代前期にかけて学校教育法に基づく現代の中学校や高等学校に代わられるまで存在し、高等普通教育(現在の高等学校、中等教育学校の後期課程などで行われている教育に相当)を行っていた。入学資格は、尋常小学校(後に国民学校に移行)を卒業していることであり、修業年限は、元々5年であったが、後に1941年(昭和16年)に制定された中等学校令(昭和18年勅令第36号)によって4年に改められた。1948年4月に現在の高等学校制度が発足すると、旧制中学2年生以下の生徒は暫定的に後身高校の附属(新制)中学校の生徒となり、3年生は後身の高等学校へ進級し、旧制中学卒業者のうち希望者は後身高校へ編入した。
旧制中学校を経ると旧制高等学校、大学予科、大学専門部、高等師範学校や旧制専門学校に進学することが可能であった。また、旧制中学校2年生を修了すると師範学校への進学が可能であった。旧制中学校と類似の学校には、女子に対して中等教育を行った高等女学校、小学校卒業者に職業教育を行った実業学校がある。(ただし、高等女学校や実業学校からさらに上級学校に進学するには、旧制中学校より制限があった。)
[編集] 学制改革と旧制中学前身の高校
旧制中学校は、太平洋戦争終戦後に連合軍総司令部の占領統治下における民主化政策に従って定められた学校教育法の元で、新制の高等学校へ転換されたが、その際公立校の多くは共学化された。しかし一部(埼玉県など)では共学化は必ずしも徹底されたわけではなく、また私学においてはその大半は、男子のみ行う高等学校に転換が図られている。また、山口県などでは、新制高等学校へ転換時に、隣接する旧制中学校と統合して転換し現在までいたるところや、大阪府では、単独で転換されるも、隣接する旧制高等女学校と生徒・教員の相互交流(入れ替え)を行ったところなどがある。 1947年の学制改革後、旧制中学校の後身となった高等学校は現在も地域の中核校・伝統校として難関・進学校であるとされている場合が多い。しかし、入試改革によって伝統を否定されるような総合選抜制度や学校群制度が導入された地域の多くの伝統校は殆ど例外なく著しく衰退し、私立高校や近隣の新設校の進学実績が著しく伸びたりした場合にみられるように(例えば京都府、広島県、高知県、など)、旧制中学前身の高校が全ての実績面においても躍進しているということではない。
前身が旧制中学の新制高校一覧と旧制中学校の一覧については、旧制中等教育学校を参照の事。