塚原俊平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
塚原 俊平(つかはら しゅんぺい、1947年3月12日 - 1997年12月19日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。茨城県水戸市出身。元衆議院議員・塚原俊郎の長男。
[編集] 来歴・人物
東京教育大学附属高等学校、成蹊大学政治経済学部を卒業し、電通に入社。1975年、父・俊郎の急死に伴い、電通を退社。翌年の第34回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選。以来、連続8回当選を果たす。福田赳夫-安倍晋太郎-三塚博派(清和会)に属し、父・俊郎が保利茂系であったことから、保利に可愛がられた。
大蔵・労働の各政務次官を務め、1990年に第2次海部内閣で労働大臣として初入閣。三塚派では亀井静香グループに属し、1995年の自民党総裁選では、三塚ら派閥幹部が河野洋平支持に動く中、亀井や平沼赳夫らと橋本龍太郎支持に奔走。1996年に成立した第1次橋本内閣では通商産業大臣に就任した。
大学時代は落語研究会に所属。そのため、陽気でユーモアに富んだ、ざっくばらんでひょうきんな語り口で、自民党の名物議員として国民にも知られ、その太めの風貌もあって「俊平ちゃん」と広く呼び親しまれた。テレビ出演も多く、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』などのバラエティ番組にも出演した。
1997年12月、議員会館事務所で突然意識不明に陥り、入院。そのまま意識が戻ることなく、12月19日に心筋梗塞のため、急死した。享年50。追悼演説は、中選挙区制時代に同じ選挙区で塚原としのぎを削った梶山静六が行った。