埼玉銀行
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埼玉銀行(さいたまぎんこう Saitama Bank)は、かつて存在した都市銀行(発足当初は地方銀行)。現在の埼玉りそな銀行の源流である。本店は埼玉りそな銀行さいたま営業部と同一の、埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)常盤に置かれていた。
埼玉県および県内の大半の市町村の指定金融機関であり、通称「サイギン」の名で県民に親しまれていた。
金融機関コードは、発足当初は0132、都市銀行転換後は0032。
ちなみに、地方銀行時代の本店や前身の武州銀行浦和支店跡地は、旧中山道に面した現在の埼玉りそな銀行浦和中央支店(浦和区高砂)であり、現在、浦和中央支店の正面入口前の広場には時計塔とモニュメントが設置されている。
[編集] 沿革
- 1943年(昭和18年)7月 - 戦時統合の一環で川越市に本店を構える旧国立銀行の八十五銀行と、渋沢栄一が設立に深く関与した民営の武州銀行、行田に本店を構える忍商業銀行と飯能銀行(本店:飯能)が合併し、埼玉銀行となる。埼玉県に本店を置く普通銀行と貯蓄銀行を統合した。
- 1944年(昭和19年)5月 - 当局の勧奨により安田銀行(後の富士銀行)より、東京都下における大半の店舗を譲り受ける(戦後とりわけ高度成長期以後、富士銀行は埼玉銀行へ譲渡した地域へ多数の自主出店を行い、拠点を復活させた)。
- 1969年(昭和44年)12月 - 地方銀行から都市銀行へ転換。埼玉銀行は県内の店舗網が充実していた上に、上記の事情から都下にも多数の店舗を持っていた。これによって戦後の多摩地区と埼玉県の発展を受けて規模が拡大することになり、近県の有力地銀である横浜銀行や千葉銀行とは異なる道を歩むことになった。店舗網は東京都区部・千葉県・神奈川県のほか、大阪・札幌などに拡大し、欧州やニューヨーク、さらにはサンパウロ市に支店や駐在員事務所を持つなど、下位ながら都市銀行としての業容を整えていった。
- 1991年(平成3年)4月 - 協和銀行と埼玉銀行が合併し、協和埼玉銀行(翌1992年に行章・シンボルマークはそのままであさひ銀行に改称)となる。
- なお、かつての埼玉銀行の店舗は、埼玉県内のものは埼玉りそな銀行、多摩地区のものはりそな銀行となっているが、多摩地区以外の埼玉県外店舗は多くが整理され、かつての東京営業部であるりそな銀行東京中央支店など、数店舗を残すのみである。
[編集] 関連項目
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