オレたちひょうきん族
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オレたちひょうきん族(おれたちひょうきんぞく)は1981年5月16日~1989年10月14日までフジテレビで放送されたバラエティ番組。土曜日20:00から1時間番組として放送。通称「ひょうきん族」。原案はビートたけし。
[編集] 概要
開始当時フジテレビが、視聴率ノルマを廃し、製作者が作りたいものを作る路線に転じ、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにし始めた頃、俄然燃え始めた製作者たちの勢いがそのまま現われたバラエティ番組である。開始当時の裏番組には、お笑い番組の頂点に君臨していた『8時だョ!全員集合』が放送されていたが、後に視聴率で上回り、結果『全員集合』を放送終了に追い込むまでの勢いを誇り、1980年代バラエティのリーダー格番組にまでなった。また、同じく初期には番組中CMジングルとして『全員集合』にチャンネルを変えないように、CM前に「チャンネルはそのまま」と歌っていた。ネタが受けた時には大勢が爆笑する声が聞こえるものの、観客はゼロだった(笑い屋=シチュエーション・コメディのシットコムと同じ要領による、いわゆる声のエキストラのようなもので、一般市民やスタッフの笑い声を合成してあたかも会場に観客がいるように見せる演出=を使用)。始めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、「笑っていいとも!」と同様、つまらないとみるやすぐ企画をやめ新企画を練っていた。
番組後期の裏番組である『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の放送期間中にメインである加藤茶と志村けんが裏番組で張り合っているにも関わらず「ひょうきん族」の収録現場に顔出したことがあるのはちょっとした裏話。なお、この土曜夜8時の時間帯は過去から現在にかけて番組戦争が続いている。詳しくは視聴率#土曜8時戦争の欄を参照。
土曜日に読売ジャイアンツが、横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)、中日ドラゴンズ、ヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)の本拠地での試合をする時は『ひょうきん族』の枠でナイター中継が組まれ、しばしば番組が返上された。『全員集合』の枠でのナイター中継は当時ほとんど組まれる事はなかった(現在は土曜日でも年に数回TBSの野球ナイター中継の放送がある)。
また、末期の1989年1月7日に放送予定だった「新春ひょうきんスペシャル'89」が昭和天皇崩御に伴う報道特別番組となり、悲しみに包まれる中、フジテレビに苦情が殺到し、スペシャルはその翌週に放送されたことがある。また、同年の3月にも、エンディングの途中で放送事故を起こしたことがあった(地方のネット局は環境映像などで対応。フジテレビのみ黒画面のまま)。
オープニングに流れる曲はロッシーニの『ウィリアム・テル 序曲』第4節の「スイス独立軍の行進のテーマ」。これは『スネークマンショー』のオープニングをパロディにしたことによるもので、放送当初は『スネークマンショー』と同じ伊武雅刀がナレーションを行っていた。初期は単純な合成映像が使われたが、1984年頃から使われたオープニングではCGを使用しており、特に1986年秋から使われた新しいバージョンのオープニングは、CG全盛の現代に見ても全く遜色ないほどの出来栄えである。
エンディングはEPOの『DOWN TOWN』(作曲は山下達郎だが、元々は山下がリーダーを務めていたsugar babeの曲でEPOがカヴァーしていた)以外は後述参照。
番組のBGMにはよくうる星やつらのサントラが用いられていた。
2003~2004年には計5巻のDVD-BOX(それぞれ3枚組)が発売された。『8時だョ!全員集合』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など名作お笑い番組が相次いでDVD化されブームとなっていた時期である。
[編集] 出演者
[編集] 初期から末期までの出演者
- ビートたけし(北野武、ツービート)(ビートきよしが出演から外され、たけしのみになった後は「ツービート」表記は無くなった)
- 明石家さんま
- 島田紳助(紳助・竜介)
- 片岡鶴太郎
- 山田邦子
- 西川のりお(のりお・よしお)
- ぼんちおさむ(ザ・ぼんち)(一時、裏番組日本テレビの「ダントツ笑撃隊!!」に出演して番組を離れるも1982年に復帰)
- 太平サブロー・シロー(当時)
- コント赤信号(同様に裏番組の「ダントツ笑撃隊!!」に出演して番組を離れるも1982年に復帰)
- ヒップアップ
- ブッチー武者(アッパー8、懺悔の神様役)
[編集] スタート以降の出演者
[編集] 番組前期
- ビートきよし(ツービート)
- 松本竜介(紳助・竜介)
- 伊丹幸雄
- 春やすこ・けいこ
- 九十九一
- 安岡力也(ホタテマン)
- 坂本あきら
- 山本リンダ(ごっくん娘)
- 日吉ミミ(ごっくん娘)
- 若人あきら(現・我修院達也)
- 榎本美枝子(ロッキード事件に絡み、「蜂の一刺し」の名言で有名になった)
- 牛の吉田君(ホルスタインの雌牛)
- 吉田君のお父さん(単に吉田君の世話係の一般男性)
- 高田純次
- 松金よね子(よめきんトリオ、本来は女優)
- 渡辺めぐみ(よめきんトリオ、本来はアイドル歌手)
- KINYA(よめきんトリオ)
- 上方よしお(のりお・よしお)
- B&B
- 里見まさと(ザ・ぼんち)
- オール阪神・巨人
- 今いくよ・くるよ
- 井手らっきょ(たけし軍団に加入する前に「井手ひろし」として出演)
- 松尾伴内(同じく「松尾憲造」として出演)
- クルミ・ミルク
- 石井愃一
- 小山茉美
- 角替和枝
- ビジーフォー
- ウガンダ・トラ
- でんでん
- ベンガル
- 佐渡稔
- プリティ長嶋・ドン川上
- 斉藤清六
※この顔ぶれから見てもMANZAIブームの影響が強く芸歴が同じものが中心でツービート、紳助・竜介、のりお・よしお、B&BらMANZAIブームで人気を得た若手芸人による合同コント番組という要素が強かった。
[編集] 番組絶頂期
- たけし軍団
- 岡本麗
- キャメロット
- 可愛かずみ
- 石井めぐみ
- あめくみちこ(当時は天久美智子)
- 月亭八方
- 間寛平
- がってん娘
- 轟二郎
- 天地真理
- デーブ・スペクター(声:富山敬)
- 松本明子
- 野沢直子
- 何人トリオ(旧名・難民トリオ)
- 春風亭小朝
- ロス・プリモス(ラブ・ユー貧乏)
- 八神康子
- 石井光三
- 塩沢とき
- 劇団7曜日
- ペコちゃん
- 木野花
- 迫文代
- 松村花子(アダモステ(仇申亭“北”(ペイ))の横で合いの手を入れていたおばちゃん)
- 浅川奈月(子役)
- 神谷明
- 園まり
- 坂田利夫
- 水島びん(アッパー8)
[編集] 番組末期
など
[編集] ひょうきんアナ
- 固定アナ
- 不定期(準レギュラー)
- 井上佳子(後に本間淳子・1983年~1984年頃「朗読の部屋」コーナー進行)
- 牧原俊幸(1984年ごろから不定期出演)
- 山中秀樹(1985年ごろから不定期出演)
- 露木茂(1986年4月ごろから「ひょうきん私の秘密」コーナー進行)
- 有賀さつき(1989年ごろから不定期出演)
- 逸見政孝(「ひょうきんスペシャル」にて数回ゲスト出演)
[編集] オープニング等のナレーションを担当した出演者
[編集] 番組に出演したゲスト
※順不動で記述。
[編集] お笑い・バラエティタレント
[編集] アイドル・アーティスト
[編集] 俳優・女優
[編集] 作家・スポーツ選手・文化人他
[編集] CSでの再放送時にNGとなるケース
2006年現在フジテレビ721で再放送がされているが、権利上や諸事情を理由にその出演者の出た回は再放送されず(とんねるず、内藤やす子等)、そのためにひょうきんベストテンの10位から4位の発表時に画面にボカシが入る。それ以外に再放送がカットされてしまうケースの現在のところ目視により確認できる点は以下の通り。
- 1981年5月~9月の単発枠時代に放送した回
- 1982年9月4日のTBSドラマ「ピンキーパンチ大逆転」との連動企画を行った回
- オフコースの出演した回
- シブがき隊、少年隊などのジャニーズ事務所所属(過去に在籍していたのも含む)タレントの出演した回
- キヨちゃんマン(タケちゃんマンの脇役キャラ)の登場する回
- 田代まさしが度々登場するシーンの回(CSでは当時、そのタレントが所属していた事務所が放送局に放送の許可を出す権利を持っているためであり、田代個人としての問題ではない。その証拠にラッツ&スターとして固まって登場する際は普通に放送したり、田代が出演した番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」等はファミリー劇場で放送されている。)
- 1985年3月30日放送分の山村美智子が番組を卒業した回
- ナンデスカマンロボの登場する回
- ビートたけしが収録をサボタージュした回
- ※ひょうきんスペシャルの回はレギュラーと分けて放送。1982年12月25日のブラックデビル最終回もこの類に入る。2002年の秋までスペシャルを放送。2003年の元日にスペシャルのみを集中放送した。しかし2006年から1985年12月放送以降のスペシャル版も通常の枠と一括され放送されるようになった。
- ちなみに内藤やす子の出演した回はDVDには収録されている。
[編集] 主なコーナー
[編集] タケちゃんマン
ビートたけし扮するタケちゃんマンと明石家さんま(初期は高田純次)扮するブラックデビル等の敵キャラによるドラマ仕立てのコント。人気ドラマや映画のパロディが多かった。アミダババアの唄はサザンオールスターズの桑田佳祐がプロデュースを行った。詳細はタケちゃんマンの項目を。
[編集] ひょうきんベストテン
司会は明石家さんまと黒柳徹子の声色を使う栗山順子(当時、福岡の銀行勤務。レギュラー化の際、本人は続投に乗り気だったが横澤プロデューサーの「将来を捨ててまでやることではない」という理由で降板)の両者(初期)から島田紳助と当時フジテレビアナウンサーの山村美智子(現山村美智)。その後、寺田理恵子、長野智子(いずれも当時フジテレビのアナウンサー)が司会を務めた。
当時のアナウンサーはニュースを読むのが普通でバラエティー番組に出ることはなかった。しかし、このコーナーにアナウンサーが出演したことで、その後の「女子アナブーム」のきっかけとなった。寺田理恵子はこれが縁でレコードデビューも果たしている。
また、島田紳助も後に歌のトップテンで本物の歌謡ベストテンの司会者となっている。
スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、スクールメイツの代わりに東京花柳社中を使うなどの忠実なパロディであったが、途中から本物の歌手のゲストの他にレギュラーによる歌真似が披露された(片岡鶴太郎による近藤真彦、山田邦子による松任谷由実、松尾伴内による五輪真弓など)。なお、ひょうきんベストテンのテーマ曲はザ・ベストテンとも全然違い、「WITH THE FORCE OF NATURE」(高橋達也と東京ユニオン)が使われた。
セットや鏡張りの回転扉、1位になった歌手に対する紙吹雪での祝福も再現されていた。が、スタジオ上から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量の紙吹雪を舞い散らせた。因みに本家のザ・ベストテンでは、スタジオに1位の歌手が出演した場合にはスタジオ上部から吊るされたくす玉を本人が割って祝福するものだった。が、このコーナーではくす玉が使われる事は無かった。
主にベスト3やスポットライト(基本的に女性アイドルなどのゲスト初期はレギュラーが出していた歌が中心)に選ばれた人が歌っていた。しかし、ランキングの基準はリクエストはがきのみだったが、歌う人数も少なかった。なおかつ、点数の表示が3桁しかなく(「○○票」という数え方をしていた)、ザ・ベストテンや歌のトップテンにもランクインしない曲(それも、大半がこのコーナーのみのオリジナル曲)が1位になったり、スポットライトに登場した歌手の曲が次週に必ずランクインするなど、番組スタッフ・出演者の好き勝手にやっていた。
また、初期の頃は夜のヒットスタジオでかつてあった「歌謡ドラマ」のパロディも行われていた。歌謡ドラマをやめた後は「西川のりおとフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメットに革靴、海パン一丁)「ピヨコ隊」(アヒル型衣装を身につける)などが登場し、ゲストが歌っている最中に驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。笑っていいとも!等の収録後のスタジオアルタを日本武道館等として中継もしている。
この番組から生まれたオリジナル曲から一般の音楽界に名を知らしめた曲も少ないながら実は存在する。安岡力也がタケちゃんマンに一時期出演していた頃に演じていたキャラクター「ホタテマン」に扮して歌った、内田裕也のプロデュース曲「ホタテのロックン・ロール」がその代表例。あまりの好評ぶりからシングルが発売され、32万枚のセールスを記録した。他には山田邦子の「邦子のかわい子ブリッ子」等がある。
また、点数表示が3桁しかない事に目を付けた松戸競輪は「ベストテン等は無理だけどひょうきんベストテンなら800票あればランクインできます!」と組織票を呼びかけた。結果、松戸競輪のテーマ「走れ!自転車」は念願のランクインを果たした(1983年)。
[編集] ネタ一覧
ごく一部である。
-
- 片岡鶴太郎:近藤真彦・小林旭・浦辺粂子・井上陽水・芦屋雁之助・千昌夫・渡哲也・萩原健一・殿様キングス・小田和正・ピヨコ隊隊長
- 山田邦子:松任谷由実・中森明菜・美空ひばり・浅丘ルリ子・石井明美・都はるみ・中島みゆき・水前寺清子・いしだあゆみ・葛城ユキ・小柳ルミ子・「魔法使いサリー」の花村よし子(よっちゃん)・欧陽菲菲・中原めいこ・薬師丸ひろ子・原田知世・島倉千代子・研ナオコ・鈴木聖美
- 太平サブロー:浜村淳・笑福亭鶴瓶・桂三枝・松方弘樹
- 太平シロー:中村雅俊・マドンナ・テレサテン・古手川祐子・本田美奈子・山本リンダ・デーモン小暮・藤圭子
- 西川のりお:沢田研二・瀬川瑛子・狩人(ぼんちおさむと)
- ぼんちおさむ:玉置浩二・村田英雄・細川たかし・狩人(西川のりおと)・森田健作・矢沢永吉
- コント赤信号:シブがき隊・シャネルズ・一世風靡セピア(ヒップアップと)
- ヒップアップ:イモ欽トリオ・一世風靡セピア(赤信号やたけし軍団と)・中山美穂(島崎)
- ウガンダ・トラ:マイケルジャクソン・岩崎宏美
- 松尾伴内:吉川晃司・五輪真弓・武田鉄矢・財津和夫・荻野目洋子
- 坂田利夫:田原俊彦・さだまさし
- 松本明子:中森明菜
- あめくみちこ(天久美智子):薬師丸ひろ子
- 可愛かずみ:中森明菜
- 若井小づえ:松田聖子
- 明石家さんま:松本伊代・幸田シャーミン・大原麗子・上田正樹・サザンオールスターズ・山下達郎
- 松金よね子:松田聖子
- ビートたけし:趙容弼(チョー・ヨンピル。何故か韓国語で歌っている)
- これ以外にも、レギュラー陣が歌を発表した際はこのコーナーで披露された(ビートたけし『抱いた腰がCHACHACHA』、明石家さんま・島田紳助『い・け・な・い・お化粧マジック』、片岡鶴太郎『IEKI吐くまで』など)。なかでもビートたけしの『いたいけな夏』のVTRはレギュラー陣に「一番面白い」と評されるなど、伝説になっている。また、ビートきよし、松本竜介、島田洋八の3人で結成された「うなずきトリオ」が歌った『うなずきマーチ』(大滝詠一プロデュース)などは特に有名である。
- 後期になるとろくに歌も歌わずコントになる場合も多い。
[編集] ひょうきん歌謡大賞
FNS歌謡祭と日本歌謡大賞を足して2で割ったようなパロディ。
[編集] 漫才コーナー
番組開始から半年後は、まだMANZAIブームの引きずりにより、何回か漫才を組ましている。放送されたものは、
- 元アイドル漫才(伊丹幸雄・あいざき進也)
- カップル漫才(横山たかし・春やすこ、横山ひろし・春けいこ)
- ご本人と漫才(ものまねとそのご本人との漫才、太平サブローと浜村淳(本人)、明石家さんまと上田正樹等)
- 同級生漫才(九十九一・里見まさと)
- 夫婦漫才(ビートたけし・北野幹子)
[編集] ひょうきん絵描き歌
山田邦子がピアノ伴奏、コーラスに合わせて絵描きをするコーナーで、このコーナーをきっかけにブレイクした。序盤までは普通に絵描き歌となるのだが最終的には下ネタになったり他の「ひょうきん族」でおなじみのネタにちなんだ物まで出てくる。 1982年10月〜1984年の秋頃まで続いた。因みに絵描き歌の元の曲は、ポーランド民謡「森へ行きましょう」のサビパートである。
[編集] ひょうきんプロレス
初期は「アントニオ紳助VS.シャープ兄弟」等芸人がプロレスラーに扮しプロレスの忠実なパロディ(解説はビートたけし扮する「ジャマモト小鉄」)をしていたが、古舘伊知郎が覆面アナウンサー「宮田テルアビブ」として登場後、方向が大きく変わり、景山民夫がフルハム三浦(当時盛んに騒がれたロス疑惑の三浦和義氏がモデル)のリングネームで出場し、大根で殴られ骨折したり、オール阪神が股裂きにあい、股を切るなど出演者が本当に体をはって演じた。当初の実況は女子プロレス実況の志生野温夫がやっていた(志生野は現在でもめちゃめちゃイケてる!の1コーナー「めちゃ日本女子プロレス」の実況を担当している)。
[編集] ヒップアップのひょうきんな青春
初期のコーナー。当時一番若手だったヒップアップのネタ見せ。途中からは視聴者からお題の募集をした。
[編集] 今週のひょうきんハイライト
オープニングで今週の見所を紹介するコーナーだが、司会の牧原俊幸アナが一言も笑わず、きっちりと台本どおりプロの仕事をするのを、隣の山田邦子が業を煮やし、レギュラー陣を乱入、一発芸をさせたり、素人時代に笑ってる場合ですよ!に参加していた時の映像をドッキリで流したりしてどうにかして牧原アナにNGを出させるコーナーに変わっていった。
[編集] うなずきトリオ
うなずきトリオ(ビートきよし、松本竜介、島田洋八)がコントや架空のラジオ番組(オールナイトひょうきん)を展開する。後に彼らによる「うなずきマーチ」なる曲が発表され、#ひょうきんベストテンなどで歌われていた。
[編集] ひょうきんCM
- 初期
カメラのひょうきん、ひょうきんゴルフ、サウナひょうきん等のローカル風CMをやっていた。出演はひょうきんディレクターズ他スタッフによるもの。
- 中期以降
1983年後半~1986年初頭は当時の人気CMのパロディとなった。こちらも担当ディレクターが多数出演しているものも多い。
[編集] モデル企業・商品・団体
他、順不同
このような番組タイトルを含んだCMパロディは、後に「とんねるずのみなさんのおかげです」、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」、「広告大賞」等でも同じ手法で行っていた。
[編集] ひょうきんニュース
- 初代キャスターは島田紳助(本名:長谷川公彦)と今くるよ(本名:酒井スエ子)
- 二代目は明石家さんま(本名:杉本高文名義でこのコーナーは出演)と山田邦子(たまにたけしなどが乱入する事もあった)
- 三代目はヒップアップの小林進と山田
- このネタの担当をしたのは高田文夫であり、高田いわくひょうきん族で最初に作られたコーナーである。
[編集] ひょうきんお茶の間ショッピング
当時よく放送されていたテレビショッピング、「二光(当時は二光通販)お茶の間ショッピング」のパロディで進行は九十九一と春けいこ。番組収録で使われたセットの一部が商品として出された。商品によっては「20億円」とか、「凄すぎて価格が付けられません」といったモノまで登場した。もちろん発注先の電話番号はデタラメだったが、それでもフジテレビ宛に購入希望の電話がかかってくる事が多かった。その為、その後は「いずれもタダ」という触れ込みで番組の宛先を表示する視聴者プレゼントの形になった。この趣向はのちの「とんねるずのみなさんのおかげです」でも同様のコーナーが生まれている。
[編集] のりおのまかせなさい!
西川のりおのギャグ「まかせなさい!」から生まれたコーナーでのりおと帯同ディレクターがいろんな所へ行って便利屋仕事をするという(風呂掃除や老人の話相手等)もの。あまりに地味でほんの数回しかなかった。(そのうち一回はボツと本人は愚痴っていた)
[編集] かまへんライダー
番組末期の代表的なコーナー。「仮面ライダーシリーズ」と「秘密戦隊ゴレンジャー」のパロディ。明石家さんまが村上ショージらを連れた計5人で街中ロケ。各人スーパー戦隊シリーズのように色分けされていた。レッドは明石家さんま、ブルーはラサール石井、イエローは村上ショージ、グリーンは前田政二、ピンクはMr.オクレ。5人乗りのタンデム自転車に乗って現れるが、きついカーブを曲がれないので、一度降りて自転車を持ち上げなければならないところが滑稽だった。素人相手に仕事の手伝いなどをし、礼を言われると「カマヘン、カマヘン」と返していた。 同じ頃の『とんねるずのみなさんのおかげです』の一コーナー、「仮面ノリダー」を意識しているところもあったが、現場勝負でストーリー性がないこともあり、人気でいうと負けていた。 しかし、「草津よいとこ、一度はおいで、ジョイナ、ジョイナー」と街へ出動する時にうたっていた事もあり、草津温泉から感謝状を贈られて草津温泉に招待された。
また、このコーナーで、さんまが大江千里の歌い方(曲目 リアル)についてコメントしたことがきっかけとなり、大江千里がこのコーナーにゲスト出演したことがある。
仮面ノリダーと違い、本家「仮面ライダーシリーズ」と「ゴレンジャー」の原作者石ノ森章太郎と放送局(毎日放送・テレビ朝日)・東映にパロディ化の許可をもらっていた為か、番組がDVDソフト化された時に収録された。
[編集] ひょうきんスター誕生
『お笑いスター誕生!!』のパロディで、司会が神谷明と園まりと、本家の声優・三人娘の組み合わせを踏襲している。 ひょうきんスター誕生の項目を参照。
[編集] 在庫一掃コーナー
1984年ごろに設けられたコーナー。司会の島田紳助とウイリー沖山・トニー黒岩などビートたけし扮するコメンテーター(但し姿は全く変わらない)が漫才ブーム~番組初期の頃にかつて活躍していたお笑い芸人が出していたレコードを紹介し、時にはそれに加えポスターも送付して視聴者プレゼントにしていた。
[編集] よく見りゃ有名人?!
週代わりの司会者二人が自分の知り合い、友達(一般応募は無し)で有名人に似ている人を連れてきて(限りなく微妙な所)審査員がどっちが似ているかを審査をする。最後に「よく見りゃ賞」という一番似ていた人を決め、年末特番のグランドチャンピオン大会に出場した。初代グランプリは現在構成作家として活動を続けてる藤沢めぐみが柳家金語楼に似ている人として選ばれた。第2弾として「よく見りゃ動物?!」を開催したが、わずか1週で打ち切られた。
[編集] ひょうきん史上最大のクイズ
「~は何と言ったでしょうか?」という形式の問題を出し、視聴者に答えを考えてもらうという現在で言うところの大喜利形式の先駆け。司会のさんまと紳助が、後ろで秒数を数えているタイムキーパーの女性に体を触る、嫌がってるにも拘らず前を向かせようとするなど、現在だったら二人は間違いなくセクハラで干されそうな行動をしており、当時を偲ばせる。
[編集] 今週の思いつき小細工
用意されたセットでレギュラー達の笑いのセンスを競う一発勝負。嗜好を凝らす者もいれば、やっつけ仕事で叫ぶだけ(おさむ)、人間打楽器(渡辺。下半身丸出しで股間のものを左右に振って音に出す)、セットを破壊(ビートたけし)と様々。
[編集] 源さんの日記~ある老人の一言より~
- 片岡鶴太郎扮する「源さん」(本名:片岡源右衛門)と言う名の老人が街中に飛び出し、源さんが不快に思うことを「思わずこう言いそうになった」のナレーションの後にテロップが表示され、最後に源さんがリアクションを取り、直後に「でも、言わなくて良かった。なぜなら、それが源さんなのだから…」というナレーションで締めくくるミニコントドラマ。基本的に他のレギュラー陣の参加は無し。
- ナレーションは矢島正明が担当。
- サブタイトル(ある老人の一言より以外に)も何度か変貌があった。
[編集] ひょうきん私の秘密
- 1986年4月から始まったコーナー。露木茂アナウンサー(当時)進行による番組レギュラー陣の自慢・秘密話を持ち込んでクイズにする内容。
- 解答者にはレギュラー陣が「ひょうきんベストテン」「ひょうきんスター誕生」等で扮していたものまねキャラが携わっていた。
[編集] 8つの顔を持つ男
番組最末期の「タケちゃんマン」終了後に後を継いだドラマ仕立てのコントコーナー。ビートたけし扮する怪盗・8つの顔を持つ男が現在・過去・未来の行き来しその名の通り「牛田モー(美容研究家メイ牛田のもじり)」など様々な名前や顔を持ち盗みを働く。コーナーの流れはタケちゃんマンと同じだが前者が一応正義のヒーローだったのに対し、こちらは悪人という設定。 一方明石家さんまは「トン・ティン・タン教祖(トン・ティン・タンカッパ)」の固定キャラを持っていた。ここで使われた効果音には「ゲゲゲの鬼太郎」(第3シリーズ)と同じ物が使用された。番組末期の中では人気が高かったコーナーだったがわずか4ヶ月弱で終了(変装の種類が8つしかなく、8つ全て出し尽くしたからおしまいという結末と思われる)、このコーナー終了後から番組自体の終了までは「ひょうきんビデオ」と言う名前のパロディ。オープニングはどう見ても店舗に見えないところ(交番等)で、レンタルビデオ店を経営する店長のたけしがバナナ滑りに拘るコントをする。
[編集] メロドラマ
東海テレビの昼の30分ドラマをパロディにしたドラマコーナー。さんまがメインで、ギャグは殆ど言っていいほど入ってはいなかった。重厚なストーリーを重視しての作風で8話2週完結の体裁で冒頭と番組の前半と番組の後半とエンディングで放送された。字幕も「2分後につづく」(オープニング・提供・CMの後)「番組の後半につづく」「CMの後につづく」「次週につづく」最終回では「終」と表記をしていた。この手法は、後に「とんねるずのみなさんのおかげです」の「仮面ノリダー」で1話2週完結・CMを挟んだストーリーに多大な影響を与えたと思われる。 ただし、東海テレビと各作品の著作権を持つ制作会社(泉放送制作・アオイスタジオ・東宝等に)に許可無く無断でパロディ化した為か、番組がDVDソフト化された際に、このコーナーは入っていない。
[編集] ひょうきんスペシャル
春・秋の番組改編時と年末年始に行われる拡大版。タイトルには「春の~」「秋の~」「年忘れ~」「新春~」と付けられる。こちらも「8時だョ!全員集合」を意識した作りで、通常7時台はスペシャル企画(主にさんまとたけしのトーク、公開懺悔)で8時に通常プログラムをパワーアップさせた内容でベストテンを名曲プログラムやひょうきん歌謡大賞、タケちゃんマンにミュージカル要素を加えたプログラムになっており、基本プログラムをあまり崩さなかった。「全員集合」の終了後は公開懺悔に加え、これまで放送したタケちゃんマンの名シーンを電リクで視聴者から形だけ受け付ける形(実際、受付電話番号が出ないので直接フジテレビに掛けてもつながらない)を取っていた。 なお通常の「ひょうきん族」とは別番組扱いとなっている。
[編集] ひょうきん懺悔室
- ブッチー武者が神様役、番組プロデューサーの横澤彪(2代目は三宅恵介)が神父役を務めた番組の最後の名物コーナー。
ひょうきん懺悔室の項目を参照。
[編集] その他テレビ番組のパロディ
- ひょうきんPM(11PM:日本テレビ)
- 遠くへ行きたくない(遠くへ行きたい:よみうりテレビ)
- オールナイトひょうきん(オールナイトフジ:フジテレビ)
- ひょうきんトゥナイト(トゥナイト:テレビ朝日)
- BOU-ブー(YOU:NHK)
- ひょうきん発20時(中村敦夫の地球発22時:毎日放送)
他
[編集] 登場キャラクター
※(括弧)内は演じたタレント名である。
- タケちゃんマン、タケちゃんマンロボ、タケちゃん7(全てビートたけし)
- ブラックデビル、ブラックデビルジュニア(高田純次→明石家さんま)
- アミダばばあ(明石家さんま)
- サラリーマン(明石家さんま)
- サラリーマンライダー
- 知っとるケ(明石家さんま)
- なんですかマン(明石家さんま)※有名な「世界の国からこんにちは」の曲のパロディー
- パーデンネン(明石家さんま)
- バイキンガーZ(明石家さんま)
- お待ち娘(明石家さんま)
- カスタネットマン(ビートたけし、明石家さんま)
- ホタテマン(力也)
- ハチの美枝子 (榎本美枝子)
- コウモリ星人(島田紳助)
- アダモステ(島崎俊郎)
- うなずきトリオ(ビートきよし、松本竜助、島田洋八)
- 冗談じゃないよ親父→鬼瓦権造(ビートたけし)
- 牛の吉田君
- 吉田君のお父さん
- フラワーダンシングチーム(西川のりお、ヒップアップ、コント赤信号)
- すもうダンサーズ
- 西川のりおとひょうきんバレエ団
- 西川のりおとちょうちんブルマーズ(ここから、ウガンダ(現:ウガンダ・トラ)が新しく加入)
- ジジババダンサーズ
- 懺悔の神様
- カマヘンライダー(明石家さんま、ラサール石井、村上ショージ、前田政二、Mr.オクレ)
- ピヨコ隊
- おとぼけブラザーズ(ビートたけし、明石家さんま)
- トン・ティン・タン・カッパ
- ツッタカ坊や(西川のりお)
- タネまきトカゲ(太平シロー)
- ひょうきんディレクターズ
- スキップ野郎(ビートたけし、明石家さんま)
- いーてふ(ぬいぐるみ、初回は関口宏)
- きよちゃんマン
- がってん娘(研ナオコの付き人二人)
- おっとっと隊
- タコくん
- マイじーさん(片岡鶴太郎)
- ドゥーン男
- アミとりおばさん(明石家さんま)
- 砲丸の美少年(明石家さんま)
- キューちゃん(片岡鶴太郎)
- お花畑で恋をして(ビートたけし、明石家さんま)
- 山田教授(太平シロー)
- 兼子博士(ビートきよし)
- 奈良の春日野 ※吉永小百合のレコードから
- 洗濯女(島田紳助)
- レトロ何やそれ(明石家さんま)
- 源さん(片岡鶴太郎)
- 雁之助はん(太平シロー)
など
[編集] スタッフ
スタッフの姓と名の間に、なぜかニックネームがつけられた時期があった。これはスタッフの中に大滝詠一ファンがいて、彼のアルバムの奥付にはスタッフの姓と名の間にニックネームを挟んで記されており、これを真似したためと言われる。さらに、それもあってエンディングにシュガーベイブの「DOWN TOWN」が採用されている。
- 構成
- 高田ギョロメ文夫、内村イトコ宏幸、大岩ナリキン賞介、高橋ニセモノ秀樹、高平アクサイ哲郎、廣岡サモア豊、鶴間ゴカボウ政行、伊藤ダイサン正宏、岩立ブラボー良作、詩村マルユウ博史、永井ウタマロ準、益子ニクマン強、大倉ヨイショ利晴
- プロデューサー
- 横澤オジン彪(初回~1987年8月)、三宅デタガリ恵介(1987年9月~最終回)
- ディレクター
- 佐藤ゲーハー義和、永峰アンノン明、萩野ビビンバ繁、三宅デタガリ恵介、山懸ベースケ慎司
[編集] 放送局
- 同時ネット
- フジテレビ系列各局
- ただし、福島テレビ(1983年9月まで)、テレビ山口(1987年10月にTBS系にネットチェンジ。ただし、ニュースネットは開局以来JNNのみ)、テレビ大分、鹿児島テレビ(現在・過去にNNSに、さらに過去にはANNにも加盟)は除く
- 時差ネット
- 再放送・20年前のものを放送
[編集] 備考
- 同番組が放送された土曜日午後8時の放送枠(通称「土8枠」)は、1989年に番組が終了した後も人気バラエティ番組を次々生み出している。この枠で現在放送されている『めちゃ×2イケてるッ!』は、ひょうきん族にADとして参加していた片岡飛鳥が総監督を務める番組である。
- 2003年正月に放送された『さんまのまんま』(関西テレビ)にゲスト出演したビートたけしは、番組の中で「俺が60歳になったらもう1度(ひょうきん族)やってもいいかな」と語っていた。また、この番組の中で二人はお互いを「そんなに笑いが取れて羨ましい」(たけし)と「世界の北野と呼ばれていいわ。俺も何か残るもんが欲しい」(さんま)と嫉妬にも似た感情をもっており今でもお互いが刺激しあう関係であることが暴露された。
- 後にこの番組で使われ『懺悔室』が『NG大賞』。アミトリおばさん、砲丸の美少年が『いたずらウォッチング!!』(後に同時間帯で『ザ・ウォッチング!!』と言うタイトルでレギュラー昇格)、初期に見られた出演者を東西問わず若手グループ、コメディアンで作られた番組と言う手法は後の『夢で逢えたら』『とぶくすり』『はねるのトびら』等と後のフジテレビの人気バラエティ番組に多大な影響を及ぼした。また『懺悔室』は後にキャイ~ン司会の『100%キャイ~ン!』の『チクリ忍者』のコーナーとしてこれのリメイク版が放送された。
- 番組が終了してしばらく経過しているが、リアルタイムで見てきたナインティナイン、ココリコ、くりぃむしちゅーらの『ひょうきん族』世代のお笑い芸人らのトークではごくまれにネタにされることもある。また、ヒロシは『ひょうきん族』のVHS版を全部持っていて部屋に置いていたことから番組のファンだったことがわかる。
- この番組で一躍有名となった片岡鶴太郎はビートたけしと番組スタート当初はとてもよい関係だったが、ある日クラブで2人酒を飲んでいたら、「自分の積み重ねた努力で自分はここまで来れた」と言うと、「自分が散々いじめてやったからここまで来た」というたけしと大喧嘩をし、その2人を和解させようとした山田邦子までも巻き込むこととなった。
- この番組のレギュラーとしての後枠は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に対抗するコントのバラエティ番組ではなく刑事ドラマ『あいつがトラブル』であった(実際、10月・11月は特番編成でつないだ)。なお、『ひょうきん族』のスタッフは山田邦子をメインにしたコントのバラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』を制作していくこととなる。
- 遅れネットの青森テレビでは、一時期土曜14時から放送していた為に同じ遅れネットの土曜ワイドスペシャル(12時30分~)に続き視聴できた。
- 同じく遅れネットのテレビ山口では、上記から分かるように、放送開始から終了まで、なんとライバル『全員集合』→『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』と同じ曜日に、しかも同一チャンネルで放送していた。末期は土曜19時から放送されていたが、皮肉なことに、その『ごきげんテレビ』の前座的扱いだった。
- 映画監督の森田芳光は1985年に雑誌のインタビューで「今はコメディー映画を撮らない方がいい。いくら撮ってもひょうきん族を超えることはできない」と発言している。
- 番組放送後期のコントには、中京テレビのローカルバラエティ番組『BBS放送局』で使用されたコントを手直しして、『ひょうきん族』で使うことがあった。2つの番組ともに出演していたコント赤信号のラサール石井は「コントのパイロット版として、自分たちで試しに『BBS放送局』でやってみて、受けたものを『ひょうきん族』に使った」と話している。また、ひょうきんベストテンでコント赤信号の扮したアイドルグループが中継で出演するという設定を、中京テレビ社屋前で収録して放送しているが、中京テレビはフジテレビ系列ではない。
[編集] 提供スポンサー
(順不同)
[編集] エンディング・テーマ曲
- シュガーベイブ『DOWNTOWN』1981年5月~9月
- EPO『DOWNTOWN』1981年10月~1982年9月
- EPO『土曜の夜はパラダイス』1982年10月~1983年2月
- 山下達郎『パレード』1983年4月~1983年11月
- EPO『涙のクラウン』1983年12月~1984年9月
- EPO『DOWNTOWN』(ニューレコーディングバージョン)1984年10月~1985年9月
- 山下達郎『土曜日の恋人』1985年10月~1987年3月
- 松任谷由実『土曜日は大キライ』1987年04月~1988年3月
- 松任谷由実『SATURDAY NIGHT ZOMBIES』1988年04月~1988年9月
- 松任谷由実『恋はNo-return』1988年10月~1989年9月
放送日が土曜日と言うこともあり、曲名や歌詞に土曜、土曜日、Saturdayの単語が含まれている(但し『パレード』と『恋はNo-return』は除く)。 これによって土曜と言えば、ひょうきん族というイメージを定着させた。
[編集] 関連項目
[編集] 後継番組(その後のフジ土曜8時のバラエティ番組)
- ウッチャンナンチャンのやるならやらねば(1990年~1993年、メインはウッチャンナンチャン)
- BANG! BANG! BANG!(1996年、メインは所ジョージ)
- めちゃ×2イケてるッ!(1996年~、メインはナインティナイン)
[編集] 外部リンク
- 超級バラエティ研究所 - タケちゃんマンに登場するキャラクターのデータベース
フジテレビ系 土曜20:00台 | ||
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