村田英雄
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村田 英雄(むらた ひでお、1929年1月17日 - 2002年6月13日)は、歌手、俳優。 佐賀県東松浦郡相知町(現唐津市)出身。本名、梶山 勇。
元は九州の大物酒井雲門下の浪曲師。このため同じ浪曲出身の三波春夫とは良きライバルであり歌番組の序列で揉めるのは恒例であった。ドスのきいた重々しい低音で男の世界を歌いあげた。長年三橋美智也、春日八郎らと演歌をリードしてきた。60年代後半は東映任侠映画の主演スターとしても活躍した。1996年、糖尿病悪化のため右足切断、2000年、左太もも切断・再婚。2002年6月13日、肺炎のため死去。享年73。
歌手として大御所だった'80年代、ビートたけしが村田のとんちんかんな言動をネタにして笑いをとり、村田の全盛時を知らない若年層にも人気が出た。「村田さんに乗っている車の名を聞いたら『デラックスだ!』と答えた」、あるいは「海外旅行の際、必要書類の“sex”(性別)の欄に“週3回”と書いた」といった内容。村田はビートたけしと共演した際にも怒ったりせず、ただ豪快に笑っているだけだった。村田はビートたけしが出演していたラジオ深夜放送「オールナイトニッポン」に出演し、村田を題材にしたコント劇(?)で本人役を演じたことがある。またビートたけしとテレビCMで共演したこともある。ビートたけしが村田の挨拶「オレが村田だぁ」を一般にも広め、ちょっとした流行語にもなり、89年には[ああ万次郎]のB面として[俺が村田だ]という曲が発売された。有名であった三波春夫との不仲説は、世論が作り出した偏見である。村田は、三波を良きライバルとして先輩歌手として慕っていた。91年以降は、糖尿病悪化に伴い、活動を停止した時期もあったが、晩年は頭を丸め、車椅子になりながらも、作務衣姿で舞台に立ち続けた。
愛称はムッチー。三橋美智也のミッチーを意識したもので、ムッチーの名付け親はビートたけしである。
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[編集] 代表作
[編集] 歌
- 無法松の一生 1958年 作詞:吉野夫二郎 作曲:古賀政男 デビュー曲。
- 度胸千両 1958年 作詞:吉野夫二郎 作曲:古賀政男
- 人生劇場 1959年 作詩:佐藤惣之助 作曲:古賀政男
- 王将 1961年 作詞:西條八十 作曲:船村徹 戦後初のミリオンセラー。
- 柔道一代 1963年 作詞:星野哲郎 作曲:山路進一
- 男の土俵 1963年 作詞:二階堂伸(=村田英雄) 作曲:北くすお(=村田英雄)
- 花と竜 1964年 作詞:二階堂伸(=村田英雄) 作曲:北くすお(=村田英雄)
- 姿三四郎 1964年 作詞:関沢新一 作曲:安藤実親
- 皆の衆 1964年 作詞:関沢新一 作曲:市川昭介
- 柔道水滸伝 1965年 作詞:関沢新一 作曲:安藤実親
- 祝い節 1966年 作詞:大矢弘子 作曲:和田香苗 「NHK今日の歌」用。
- 夫婦春秋 1967年(79年頃、有線でヒット) 作詞:関沢新一 作曲:市川昭介
- 闘魂 1970年 作詞:川内康範 作曲:猪俣公章
- 人生峠 1979年 作詞:宮原哲夫 作曲:小松原てるを 低迷からの復活曲。
- 夫婦酒 1980年 作詞:はぞのなな 作曲:岡千秋
- なみだ坂 1981年 作詞:松本礼児 作曲:むらさき幸
- 空手一代 1983年 作詞:鈴木かずみ 作曲:鈴木かずみ
- 男の一生 1984年 作詞:賀川幸生 作曲:賀川幸生
- 男侠(おとこぎ) 1985年 作詞:松山千春 作曲:松山千春
- 男吉良常 1986年 作詞:二階堂伸(=村田英雄) 作曲:市川昭介
- 男の花吹雪 1987年 作詞:吉秋雅規 作曲:北くすお(=村田英雄)
- あゝ万次郎 1989年 作詞:賀川幸星 作曲:賀川幸星
- 俺が村田だ 1989年 作詞:田中祭鬼 作曲:奈和成悟
- 嫁ぐ日よ 1987年 作詞:二階堂伸(=村田英雄) 作曲:市川昭介
- 男の祈り 1993年 作詞:松本礼児 作曲:山田太郎
- 人生二万七千五百日 2002年 作詞:麻こよみ 作曲:岡千秋 追悼作品。
[編集] 出演映画
- 旗本退屈男 謎の七色御殿 1961年
- 王将 1962年
- 人生劇場 飛車角 1963年
- 関東流れ者 1965年