林家木久蔵
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林家 木久蔵(はやしや きくぞう、男性、1937年(昭和12年)10月19日 - )は、落語家。社団法人落語協会理事。北海道ニセコ町観光大使。鯨の食文化を守る会会員。全国ラーメン党会長(党首と書かれることもある)。本名豊田 洋(とよた ひろし)。血液型A型。出囃子は『宮さん宮さん』。人気演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーとして知られる。
実子も落語家。木久蔵門下で、高座名は「林家きくお」。きくおが2007年(平成19年)9月に真打昇進するのと同時に、2代目林家木久蔵を襲名することが決まり、現在の木久蔵自身も改名することになっている(「木久翁(きくおう)」が有力と見られたが、新しい名前は公募によって決定されると発表された)。
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[編集] 略歴
- 1937年(昭和12年)10月19日、東京都日本橋生まれ。
- 1956年(昭和31年)3月、東京都立中野工業高等学校(食品化学工業課程)を卒業。
- 同年4月、「食べ物に苦労しない」という理由で森永乳業に入社。
- 同年8月、森永乳業を退社し、漫画家を目指すため、漫画家清水崑に入門。
- 1960年(昭和35年)8月、清水崑に「面白い喋りをしている」という理由で落語家になるよう薦められる。清水崑の紹介で3代目桂三木助に入門。芸名桂木久男。
- 1961年(昭和36年)1月、三代目三木助が死去。
三木助没後、8代目林家正蔵(後の彦六)門下へ移る。芸名は、三木助の「木」と、正蔵の「蔵」と、長く、久しいと言う意味の「久」をとって、「林家木久蔵」となる。
- 1965年(昭和40年)9月、二つ目に昇進。
- 1969年(昭和44年)11月、日本テレビ「笑点」のレギュラーとなる。現行のメンバーの中で唯一降板を経験していないメンバーである。(第1回からのメンバーである桂歌丸・三遊亭圓楽・林家こん平は初代司会立川談志との対立で一旦降板していて皆勤していない。)
- 1972年(昭和47年)9月、真打昇進。
- 1978年(昭和53年)、シングル「いやん、ばか~ん」をリリースし歌手デビュー。翌年には「飛び出すな!!」をリリース。
- 1982年(昭和57年)1月、師匠8代目正蔵改メ林家彦六が死去。
- 同年2月7日放送の笑点で林家彦六追悼特集に兄弟子橘家文蔵、林家枝二(現春風亭栄枝)、弟弟子林家九蔵(現三遊亭好楽)と共に出演。
- 同年5月、全国ラーメン党を結成。会長に就任。「木久蔵ラーメン」チェーンの展開を始める。
- 1991年(平成3年)、芸暦30周年。
- 1992年(平成4年)、社団法人落語協会理事に就任。
- 1998年(平成10年)、大長編ドラえもん『のび太の南海大冒険』にて、声優に挑戦。
- 2001年(平成13年)、芸暦40周年。
- 2005年(平成17年)、JAROのCMキャラクターになる。
- 2006年(平成18年)、野村證券のCMに出演。
[編集] 出演番組
[編集] 現在
[編集] 過去
- クイズ$ミリオネア(フジテレビ系列、2006年(平成18年)7月20日放送分)
- パネルクイズアタック25(ABC、テレビ朝日系列、2006年(平成18年)9月3日放送分の芸能人大会に三遊亭好楽とともに出場)
- 極上の月夜(日本テレビ系列、2006年(平成18年)11月6日放送分)
[編集] 人物
笑点などで脱力的なキャラクターが認知されているが、彼のエッセーや著書を見ると、実際のところは相当のインテリであることを窺わせる。弟子に稽古を付ける姿は、笑点の大喜利で見せるキャラとは異なり、かなり厳格であるという話もある。現在の司会者で大喜利では解答者時代から木久蔵を一番いじっている歌丸も、「馬鹿を装っているのが一番楽。頭が良い」とインタビューで語っている。また、大喜利の中で木久蔵が自分の落語について自虐的なネタを言うと、圓楽が「木久蔵さんの落語で笑わない奴はいない」とフォローしたこともある(これはネタではなく、本心である)。
楽屋ではあまり他の出演者と話をしていないどころか、目も合わせてくれないらしい。これは決して嫌われているからではなく、変な事業話ばかり持ちかけてくるから。三遊亭楽太郎は東京スポーツからのインタビューで「たまたま目が合ったら、近づいてきて、『いい木材を大量に仕入れたからそれを彫り物にして売ろうよ』と持ちかけられた」と暴露した。また、過去に象を輸入して観光料で儲けようとしたが、ワシントン条約に引っかかって大儲けどころか、象が輸入されずに大損した事もある。ちなみに、この時の象は木久蔵とまで名前をつけていた。とはいえ、若い時分には、師匠連にお茶を出すのは大変だ、ということで二口急須を発明して商品化されるなど、成功した事例もある。
赤塚不二夫やタモリとは長く親交があり、彼らの仕事場や宴会にはよく顔を出している。
先代林家正蔵(後の彦六)に移籍してから二つ目に昇進するまで正蔵の付人をやっていため正蔵の物まねができるようになり現在では「林家彦六伝」という新作落語を作って披露するほど有名となっている。
[編集] 笑点でのキャラクター
第1回からの大喜利メンバーだった歌丸が司会に昇格したため、木久蔵が現在まで最も長く出演している大喜利回答メンバーとなる。座布団の剥奪回数は過去最多ではあるが、実は座布団10枚獲得回数が歴代メンバーで一番多い。ただし2000年(平成12年)以降座布団を10枚獲得しておらず、メンバーの中では好楽に次いで座布団10枚獲得から遠ざかっている。
番組初登場時から馬鹿・アホキャラ(与太郎キャラ)を売りにしており、他のメンバーからもこのキャラをネタにされることも多い。また、自ら「頭が空だ・頭の回転が停止」とか「IQ・偏差値が低い」とか「脳みそが足りない」や「脳細胞が無い」などと答える場合もあり、この場合、座布団を貰えることが多い。「正直だ」「だんだん自分がわかって来た」と司会者からコメントが添えられる事もあるし、「その正直に免じて~」と座布団を貰える事もある。
「~おめでとうございます。ところで○○って何ですかぁ?」(青色発光ダイオード、DVD、先生の名前等、時の話題に合わせた内容)との回答も多いが、ごくまれに政治・社会ネタを言うことがあり、その際には座布団を貰えることが多い。だが、桂歌丸などからは「こんな答えは非常に珍しい」などと言われる。最近では“お先真っ暗”の自虐ネタが増えてきた。
「や~ねぇ~(屋根)」「や(矢)~ねぇ~」「や~に~(タバコのヤニ)」「ごきろうさん(5キロ)」「ありがとう(蟻が10匹)」など、駄洒落を使った答えも多い。その手のネタは、4代目司会の圓楽や5代目司会の歌丸、客席のお客さんなどに答えを先に言われることが大半で、子供の客に答えを言われたことまである。しかし、これを逆手にとって客席に向かって「みなさんご一緒に や~ねぇ~」などと回答したり、「変わら(瓦)ないわね」などと予想を裏切る回答をすることも時々ある。ただ、最近は答えを横取りされるパターンは少なくなっている。 ちなみに「や~ねぇ~(屋根)のネタは屋根の発展に貢献してくれた」として、平成16年に神奈川県瓦屋屋根工業連合会の名誉総裁に就任している。
回答中に言葉が詰まったりかんだりすると「あのねぇ~ぇ?」と言って答えが止まる。大抵は司会者(圓楽、歌丸)に「落ち着きなよ」と言われて言い直すが、そのまま答えが出ず、座布団を取り上げられることも。尚、稀に、他のメンバー(歌丸など)も回答中にかんでしまった時に「あのね」と言ったことがある。
フリップに漢字を書いて回答する問題では往々にしてイラストを描いて答える事がある。この場合には、回答の善し悪しよりも漢字を書けない事が揶揄される。「だからさぁ、木久ちゃん、漢字だって言ったでしょう」(歌丸)。平時にも他のメンバーから、漢字を読めない・書けない・識らないとしていじられる。
時代劇への造詣が深く(『キクゾーのチャンバラ大全』という時代劇本を出版しているほど)、その台詞や役者をネタにした答えも多い。その際に師匠である林家彦六、嵐寛寿郎や片岡千恵蔵(遠山の金さん)浦辺粂子、淡谷のり子、長谷川一夫、大河内傳次郎、東野英治郎ら往年の時代劇スターや大物(故人)のモノマネを延々と演じて座布団を没収されることも。また、前座で時代劇コントのお笑いグループカンカラが出演する場合、コントに参加することもある。
「♪イヤ~ン、バカ~ン、ウフ~ン、そこはオチチ(お乳)なの、アハ~ン」というギャグがよく知られている。いつから始まったのかはいまいちはっきりしていないが、三波伸介が司会を務めていた1978年(昭和53年)には既に披露しているので、これよりも古いことは確かである。このギャグを元に「いやん、ばか~ん」というタイトルの歌を発表し、レコード化したことがある(原曲はジャズナンバーの「セントルイス・ブルース」といわれている)。また、振付師の真島茂樹が考えたこの歌への新しい振り付けを2005年(平成17年)10月22日放送の「BS笑点」で初めて披露した。2006年(平成18年)1月1日放送の「大笑点」では「いやん、ばか~ん、ツー」と紹介された。
周囲をおいてけぼりにして延々と「イヤ~ン、バカ~ン -」を歌い続けることがあり、歌丸から手振りで呼び出しを受けた山田隆夫によって後ろから突き飛ばされ、座布団を持って行かれるのがパターンである。足蹴りされたこともある。最近は察知して自ら前に出て避けることもあるが、座布団はがら空きになるので、結局座布団を持って行かれる。また、「テネシー・ワルツ」や「チャンチキおけさ」「鳩ぽっぽ」などの替え歌で回答することもある。
また、回答の際に「ここで会ったも何かの縁、遊んでいってくんなまし~」(花魁)や、「ガタガタ言うとたたっ斬る」(越後屋)や、「各々方、○○でござる」(赤穂浪士)・「向かいの空き地に囲いができたへ~」と、夜鷹ネタや物真似をしつつ回答する事も多い。司会の歌丸もこれに応じて合いの手を入れる事がある。
圓楽が病気で休養し歌丸が司会になってから「あと一人、倒れりゃ俺が司会者だ」などの、かつては歌丸のネタであった「司会交代ネタ」を引き継いでいるが、ネタを披露する都度、歌丸からは「あんたがやったらこの番組滅茶苦茶になっちゃうよ」「前やった時は自分に関する問題ばかりだったじゃないか」と突っ込まれる。実際2005年(平成17年)11月20日放送分で圓楽の代理司会を務めているが、3問とも自分に関する問題であった。他の回答者も概ね木久蔵の司会には反対する言動を示す。
回答に対してお客の受けが良いと感じた時は座布団を持ってくる様に山田隆夫を手招きしたり、立ち上がって座布団を置いて貰う準備をするが、歌丸が「山田君、(座布団)要らないんだって」と山田隆夫に取り上げさせるのもパターンである。
上記の様に駄洒落や歌を用いた回答が多く、自身でも回答のレベルついて自覚している旨を表明しているが、手を挙げて回答する頻度は多い方である。司会圓楽は「ふと次の回答者を探すとスッと手を挙げる木久蔵さんと目があっちゃう」と半ば恐怖を感じる旨をコメントしており、次の司会歌丸も同意している。木久蔵に対して暫く休む様申し渡したり、次からは当てないと明言することもある。また、次の回答は本当に大丈夫かと念をおし、大丈夫だから当ててくださいと回答権を要求する応対も時折見られる。
大喜利で座布団を10枚獲得した際、新幹線から見える雪原にポツンと立った「もくぞうさんと呼ばないで」と書かれた写真つきの巨大看板を商品として貰ったことがあるが、いまだにTOKIOの長瀬智也が木久蔵を「もくぞう」と読んでいたことがネタにされることがある。
[編集] 得意演目
- 昭和芸能史
- 林家彦六伝
- 鮑のし
[編集] 著書
- バカの中身(うなぎ書房) 2004年(平成16年)6月発刊
- 落語の隠し味(フレーベル館) 2001年(平成13年)12月発刊
- キクゾーのチャンバラ大全(ワイズ) 2001年(平成13年)3月発刊
- 輝けキクゾー交遊録(東京新聞) 2000年(平成12年)9月発刊
- 林家木久蔵の子ども落語(全6巻、フレーベル館) 1998年(平成10年)9月 第一巻発刊
その他、著書多数
[編集] 音楽
- いやんばか~ん(シングル盤) - 1978年(昭和53年)4月 後にアルバム「笑タイム」にも収録される。
- とびだすな!!(シングル盤)- 1979年(昭和54年) 後にアルバム「SMILE」にも収録される。
[編集] 映画
- のび太の南海大冒険(藤子・F・不二雄・藤子プロ原作、岸間信明脚本、芝山努監督、1998年) - ゴンザレス。
- 犬神家の一族(横溝正史原作、市川崑・日高真也・長田紀生脚本、市川崑監督、2006年) - 久平。
[編集] 趣味
- イラスト、錦絵 略歴にあるように、かつて漫画家志望だった。個展を開いたこともあり、NHK教育で放送されている「日本の話芸」のオープニング・イラストは彼の手による物である。
雑誌・書籍・テレビからの挿し絵の依頼も多い。 - 時代劇映画鑑賞 落語の枕によく使っているほか、このジャンルに絞った著書も数冊出版。
- ラーメン食べ歩き 趣味が高じて自分のラーメン店を開業
以上は単なる趣味を越えて、すでにプロといってもいいだろう。
[編集] 木久蔵ラーメン
略歴にもあるとおり、1982年(昭和57年)に全国ラーメン党結成を機に「木久蔵ラーメン」の販売を開始した。かつては30店舗あったが(木久蔵談)、現在は一店舗残っている。コンセプトは「昔懐かしい中華そば」であり、麺は中力粉と強力粉を絶妙にブレンドしたちぢれの細麺、スープは関東で好まれる醤油ベースのあっさり味である。豚骨味もあり、こちらにはストレートの細麺を使う。店舗はJR代々木駅の西口にあり、ラーメンは木久蔵公式HPや通信販売、各種ネットショッピングをはじめ、クロネコヤマトの営業所や、東京駅、福岡空港などで購入できる。種類は以下のとおり。また、スペインなど海外にも店を出している。
- 木久蔵ラーメン
- 木久蔵博多ラーメン
- 木久蔵ラーメン乾麺
- 木久蔵ラーメンお試しセット(上記3種の詰め合わせ)
味の「不味い」はあくまで「笑点」の中でのネタである。笑点の企画で木久蔵ラーメンをフルメンバーで訪れた際には、林家こん平が「旨い物食う時に言葉はいらないよ」と絶賛した。木久蔵ラーメンを食べたことのある一般人が自分のHP等で「木久蔵ラーメン=不味い」としているのは、「中華そばに慣れていないからだ」という見方もある。
また、最初から「旨い」と宣伝するよりも「まずい」と宣伝したほうが木久蔵ラーメンを食べた一般人が「あら、意外と旨いじゃない」と言ってまた食べてくれると木久蔵がラジオ番組で語っている。
木久蔵ラーメンがまずい、というネタが始まったのは林家木久蔵が中華料理人とラーメン作りで対決の際、上手く行かず散々な目にあった(ゆでる麺をこぼすなど)ことが始まりという。したがって本当にまずいのは「林家木久蔵師匠が作ったラーメン」のことらしい。
なお、「行列の出来る法律相談所」に出演した際に、「メンバーが『まずい』と言うのは営業妨害になるのか」と相談したが、お笑いのネタで許容範囲なので営業妨害になる可能性は20%とされた(営業妨害になると判断したのは橋下徹弁護士のみ)。また、過去によみうりテレビ「2時のワイドショー」出演時には自らラーメンを作り、出演者に振る舞ったことがある。
[編集] その他
木久蔵は生前の横山やすしと親しく、やすしを全国ラーメン党の副会長兼大阪支部長に任命したことがある。また、競艇解説者の中道善博は晩年、木久蔵のそっくりサンとして、「木久蔵師匠」とファンから呼ばれていた。