笑福亭鶴瓶
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笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、本名:駿河 学(するが まなぶ)、あだ名は「まーちゃん」1951年12月23日 - )は、大阪府中河内郡瓜破村(その後、合併で大阪市東住吉区に編入され、現在は分区して平野区)出身の落語家。お笑いタレントでもある。松竹芸能所属。血液型はО型、趣味は家庭。上方落語協会会員。身長は公称173cmである。
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[編集] 人物
浪速高等学校 卒業、京都産業大学経営学部2年中退。京都産業大学では京都産業大学落語長屋という落語研究クラブに所属しており、童亭 無学(どうてい むがく)を名乗る。一時期はここでの芸名を本名である「スルガ・マナブ」と名乗ったこともある。
しばしば、鶴瓶を「つるべぇ」「つるべぃ」と誤読されるが、正しくは出典が「釣瓶」なので「つるべ」である。鶴瓶本人は関西においては「鶴瓶はな、『つるべえ』やあらへん、『つるべ』や」と六代目松鶴のまねで説明することが多い。また、関東と関西では「つる」のアクセントが全く逆になるため、「つるべ」の関東読みに違和感を覚える関西人も少なくない。
名前から兄弟子の笑福亭鶴光、眼鏡をかけた外見から桂文珍と間違えられることが多い。宝塚の某女優から「笑福亭仁鶴瓶」宛てへの手紙が送られたこともある。
[編集] 学生時代のエピソード
1961年頃、学校へ行く途中で近所のおじさんに連れられ、競馬場(すでに大阪市内の長居競馬場は廃止されていたため、岸和田市の春木競馬場と思われる)に行き、万馬券を的中させる。払戻金はおじさんから そのまま、学少年の手に渡るも母親にバレてしまい、実家の建て増し資金になってしまった。この話をテレビ朝日の「徹子の部屋」で話したところ、母親にこっぴどく叱られたという。
1969年、頭のいい人間に対抗心を持っていた学少年は、受験していない京都大学や、大阪大学の入試の合格発表に行き、落ちてそうな生徒の隣で「あった!」と合格したフリをして、胴上げされるという悪戯をする。この時、大阪大学でNHKの取材を受け、模様が夕方のニュース番組で流れたため、両親に恥をかかせてしまう。
清水國明、原田伸郎、後に結婚する玲子夫人とともに、あのねのねのメンバーでもあった。
[編集] 入門・弟子入り
在学中に6代目笑福亭松鶴の楽屋に通いつめ入門を乞う。何度も断られるがようやく1972年2月14日に入門を許され弟子入り(7番弟子)。
父は芸人になることに反対していたが、『親父さんを連れてこい』との師匠の意向もあり、騙して師匠の家に連れてきた。気づいた父は怒っていたが大人の対応をしたものの、父の不穏な空気に気づいていた学本人は『今日から(住み込みで)お願いします...』と切り出したが、『弟子になったら、親子ではなくなってしまう、今日のところはゆっくり水入らずで過ごしてきなさい』と師匠から強く言われてしまったため、父子で帰宅せざるを得なくなってしまった。松鶴宅の門を出たとたん、近くにあったゴミ箱のふた(木製)を振りかざして追い掛け回され、そのままボコボコにされたという。
弟子入り当時のエピソードとしては、入門を許されて4日目のこと、鶴瓶は当時人気を博していたと言われる島之内寄席の下足番(靴を預かる役)を任された。いつも青田(タダの意)で横柄に入場(入って当然のような態度)する新聞記者をとがめたところ、襟首をつかまれて松鶴のもとに連れて行かれてしまった。「おまえ誰や」と聞かれたが、まだ名前がもらえておらず「駿河です」と答えると、「笑福亭駿河?お前、辞めさせたるわ」と脅されるなど、緊迫したシーンもあったらしい。松鶴の居所に入ると、しばらくの間新聞記者は松鶴に愛想を振りまいていたが、下足番の任務のためその場所にいてはいけない鶴瓶がそばにいたため松鶴がたしなめると、鶴瓶は意を決していきさつを話した。通常、入門直後の弟子が上客と問題を起こせば一喝される(もしくは破門等の処分)ものと思われるが、松鶴は逆に新聞記者を「あほ。」「いね(帰れ)、カス。」と罵倒し、「この子は将来、あんさんらが取材で世話になる子や!それに対して何をさらす(何をする)!」と言い放った。メディア方面の上客を罵倒してでも弟子を大事にする松鶴の男気に、鶴瓶はたまらなく感動したという(パペポTVでの本人談)。
[編集] 入門後
兄弟弟子の中では、鶴瓶は付き人として、師匠・松鶴と最も行動を共にしており非常に可愛がられた。「突然ガバチョ!」に限らずテレビ番組での共演は多い。
しかし、松鶴からは決して落語の稽古を付けられることはなかった。この理由として、内弟子当時に松鶴の愛犬チャッピーの首を吊って「犬の死刑」を執り行っているところを隣人に見られたり、松鶴が近鉄百貨店から買ってきた九官鳥の「ピーコ」の鼻に爪楊枝を詰めたり、卑猥な言葉を覚えさせて松鶴に恥をかかせたり、極めつけは足を植木鉢に入れてコンクリートで固めたりした(クイズダービーの問題にもなった。ちなみに全員正解)などと悪戯が過ぎたと言う説があり、また落語の型にはめると大成しないと松鶴が判断したためと言う説もあるが、定かではない。鶴瓶自身は、ある日の朝、松鶴からコーヒーを、松鶴夫人(「あーちゃん」と呼ばれていた)からミルクティーを求められた際、松鶴夫人に出すミルクティーをかき混ぜずに渡した(本人は父親から聞いていた粋な計らいのつもりだった)ため、松鶴夫人が牛乳と勘違いし、これを悪ふざけと感じた松鶴から強くとがめられたのが原因ではないかとしている(『鶴瓶上岡パペポTV』、及び『六世笑福亭松鶴はなし』での五代目桂文枝へのインタビュー中の本人談)。とはいえ松鶴ほどの人物がいつまでもそのことを評価基準にするとは考えにくい。
そんな松鶴によって、ある年、高島屋大阪店ホールで行われた落語コンクールにエントリーされてしまった折は、過去のレコードを引っ張り出して「いらちの愛宕参り」を覚え、その江戸版である「堀之内」(十代目桂文治の伸治時代のもの)の断片を交えつつ、古典落語なのにオートバイに乗った人物を登場させるなど適当にアレンジを加えて演じた。なかなかにウケたのだが、審査員だった松鶴に「時代錯誤も甚だしい。こいつのは落語やありまへん。落語(の稽古)をつけたこともありまへん」と酷評されてしまった(高田文夫編『ありがとう笑名人 第一集』より。この話には続きがあり、松鶴は楽屋裏では一転して「お前のが一番よかった」と鶴瓶を褒めている)。そのほかにも、高座にラジカセを持ち込み、笑いが欲しいシーンでスイッチを入れて笑い声を出し、客の笑いをあおるなど、当時としては斬新なアイデアを披露したりしたが、これも松鶴に楽屋でこっぴどく叱られてしまった(とはいえ、その松鶴も若手時代に高座でバレリーナに扮して(三代目桂米朝によれば、三代目桂米之助作の新作落語「白鳥の死」の口演のため)、先代から怒られたらしく、同類ともいえる。この話は、直後にベテランのお茶くみさんから教えてもらったといい、それでかなり気が楽になったようだ)。
入門当時には、小学六年生の兄弟子・笑福亭手遊(おもちゃ)がおり、入門順が序列となる落語界のしきたりに従い、彼に対しては「兄さん(にいさん)」と呼んでいた(なお、その兄弟子は既に落語家を引退)。その頃は子供がお笑いの世界でデビューする例が他にも見られ、そのような背景もあってか手遊もあまり気を遣うことなく鶴瓶に「兄弟子」として振る舞うことがあったという。しばらく鶴瓶は我慢していたが、機嫌の悪かった時に叱りつけると、手遊は泣き出してしまった。あまりに泣きじゃくるので仕方なく「これ食べなはれ兄さん」とアイスクリームを渡したら泣き止んだらしい。当時の苦労がしのばれる話である。
一時期、笠置シヅ子の隠し子、と振れ込んでいたことがある。当時すでに笠置は晩年で闘病生活に入っており、二人が会うことはなかったが、後にその病院の看護婦「だった女性から、「笑福亭鶴瓶って子がおるやろ、あの子、私の隠し子なんよ」と言っていた、と教えられ、驚いたという。この女性は鶴瓶に「私、鶴瓶さんのお母さんを看病したんです!」と切り出し、当時(時期にはズレあり)実母も病院を転々としていたのでその時のことかと思いきや、東京の病院での話だったので鶴瓶が否定すると、女性が確認に奔走して経緯が判明した。鶴瓶としては顔が似ている(気性等もあるかもしれないが)ことからネタのつもりで話していたのだが、まさか当の笠置シヅ子もそのように考えていたとは知らず、感激していたようである。
また、ユリ・ゲラーをはじめとする超能力・エスパーブームの時期でもあり、『超能力がある』と言ってスプーン曲げをしていたこともある。しゃれのつもりで、スプーン曲げも力任せにやっていただけだが、上岡龍太郎の嫌悪をかってしまった。鶴瓶は正直に事情を話し、上岡も笑って誤解を解いたが、相席していた新野新は相変わらず『この子のはほんまよ!』と力説していたと言う。鶴瓶と上岡はこれが縁で互いの楽屋を訪れるようになり、その鶴瓶の楽屋話が面白い、ということで『激突夜話』『パペポTV』へとつながっていった。
一時「東の萩本欽一、西の笑福亭鶴瓶」と言われた程、プロデューサー感覚に溢れた自作自演ぶりを発揮した事もあり、お笑いタレントとしての評価は高い。松鶴もその才能を見抜いて落語をさせずにTVやラジオに出演させていたものと思われる。
[編集] 兄弟子
同門の兄弟子には笑福亭仁鶴や笑福亭鶴光、笑福亭福笑、笑福亭松喬がいる。
[編集] タレント活動
初のレギュラー番組は東海ラジオの深夜番組「ミッドナイト東海」で、以降、関西・中京地区でラジオ・テレビを中心に活躍。そのキャラクターゆえ、関西芸能界の先輩からも所属事務所を問わず可愛がられ、松竹芸能所属であるにもかかわらず桂三枝がメイン司会の吉本興業系列の番組に出演するなど、当時としては異例の存在であった(当時吉本と松竹は過去の遺恨が理由で強い対立関係にあった)。2001年にコカコーラとのタイアップで、日本テレビと吉本興業が組んで制作されたドラマ「明日があるさ」にも、鶴瓶が松竹芸能からただ一人ゲスト出演するなど(第11話)、所属事務所の垣根という面においては別格の存在であることは現在においても変わりが無い。ちなみに現在も所属事務所や若手、ベテランに関係なく芸能人同士の交友が深い。その後東京へも進出を図る。
現在のヘアースタイルは短髪(前頭部の生え際がやや後退しM字型)だが、若い頃はアフロヘアー(本人の弁によれば、入門前から)だった。また、若手時代はアフロヘアーと並んでオーバーオール姿がトレードマークとなっていた。
1975年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の番組生放送中に、局部を露出(詳細は下記を参照)。この結果、同局から無期限の出入り禁止とされたため、東京進出は失敗に終わる(ちなみに、当時同番組のADであったスタッフが、現在のテレビ東京の社長となっている)。
1986年に東京へ再進出。だが、出演番組が早々と打ち切られることも多く(※)、当時の週刊誌にも「再び東京進出失敗か」と叩かれた。しかし、ビートたけしは「この男を大阪に帰らせてはいけない」と鶴瓶を東京に留まらせたという。後にテレビ番組「鶴瓶・上岡パペポTV」が全国放送化されて以降は、トークの面白さが見直され、全国区の人気を得るようになった。ちなみに、パペポTVでは局部は出さなかったが、臀部は出したことがある。また、モザイク入りではあるが、2人が下半身を露出した番組ポスターも局が作成している。このときのコピーは「見てるお前も同罪じゃ」。とかくテレビでは裸や露出にまつわる放送事故の多い人物でもある。
(※テレビ朝日「歌謡びんびんハウス」については8年間放送されており、すべてが早々に打ち切られたわけではない。また、当時の歌謡びんびんハウスのスタッフによって「鶴瓶噺」や「朝まで生つるべ」、「朝まで歌つるべ」が企画・制作されている。)
長く芸能界で活躍し、笑福亭笑瓶、笑福亭晃瓶を始めとした、多くの弟子も抱える大御所であるにもかかわらず、テレビなどでは積極的に若手の芸人達と共演し続けている。深夜番組も精力的にこなし、仕事を選ばないその低姿勢な芸風は、芸能界において貴重な存在である。
また時折テレビドラマにも出演し、普段のキャラクターとは違った独特の渋味と重厚感のある演技も見せる。
人情味のある雰囲気と容赦ない笑いの追及を両者あわせもち、トークの話術と天然っぷりという両面性をもつ稀有な芸人で、そのせいか保守的な大御所からも急進的な若手からも認められ慕われている。政治家から素人にいたるまで幅広く交流がある。人の懐に入る術に長けているのである。
ある年、明石家さんまから届いた年賀状に銀はがしがかけられており、剥がしてみたところ、「鶴瓶兄さんから1,000円もらえる」と書かれていた。その後、あらゆる人物(先輩・後輩、共演・非共演問わず)から、「1,000円ちょうだい」と殺到されて困ったという。
あのねのねの当初のメンバーであった事や、ラジオのパーソナリティを長くやっていたことから、 フォークソングに対する造詣も深く、「鶴瓶噺」や「朝まで生つるべ」「朝まで歌つるべ」(テレビ朝日)などで、フォークソングを絡めている。
家族は、玲子夫人、長女(章子)、長男(太郎)、ペットでは犬(アップル)がいる。鶴瓶上岡パペポTVでは上岡龍太郎から家族をイジられることが多かった。 長女の「しょうこ」さんのことを某宗教法人の教祖(当時)扱いして「しょうこー」と言ったり、長男の「たろう」さんのことに至ってはペットの犬扱いで「(口笛を吹いたら)寄ってくる」的に表現したため、鶴瓶本人は「ボクのことはナンボ言うてもエエけど、家族とかそういうことに傷をつけないで下さい」と、控えめに反論したが、そこには芸人特有のウケていることへの複雑な感情が込められていた。 ペットの「アップル」ちゃんには同時に生まれた兄弟がいて、長男と長女が「アップル」「イップル」「チップル」と名付けたが、その頭文字をつなげると「ア・イ・チ」になることから、「愛知県と何か関係があるの?」と上岡龍太郎にツッ込まれた。 なお、この「アップル」ちゃんの親は「コタロー」といい、鶴瓶が近所にいた2匹の野良犬を飼い始め、名前を近くの薬局の「小太郎の漢方薬」の看板にちなんで「コタロー」「カンポウ」と名づけた。 この話をパペポTVでしたところ、小太郎漢方から薬局経由で菓子折りが届いたらしい。 本人は鯖アレルギー(正確には鯖の寄生虫であるアニサキスアレルギー)。
芸人同士での愛称は「鶴瓶師匠」、「鶴瓶兄さん」(明石家さんまや島田紳助など鶴瓶よりも後輩の落語家またはタレントが使用する。)、「べー師匠」もしくは「べーさん」(ココリコなどが使用する。)、鶴瓶(角淳一などの悪友)などなど多岐にわたる。また親交が深いさだまさしは、わざと「つるべえ」と呼ぶこともある。所ジョージは以前、「しょうふくていつるびんさん」と、親しみを込め、冗談混じりで呼んでいた事がある。 さんまの携帯電話の電話帳には鶴瓶は「悪べぇ」と登録されている。たまに、レギュラー番組などで批判と称し使っている。(※ナインティナインも使用しているが、彼らは「まなぶくん」とも言っていたりする)
ナイナイ岡村曰く、上記の「悪べぇ」の由来は「めちゃ²イケてるッ!」と鶴瓶が出演していた番組の収録スタジオが隣同士であり、そこへ鶴瓶が訪れ、めちゃイケ出演者用のカレーライスを食べてしまい、金で解決しようとしたところから当時の岡村は「この人はものすごく悪い人や」と思ったことからであり、「ナインティナインのオールナイトニッポン」の人気コーナー「悪い人の夢」はこの出来事がきっかけで作られたコーナーである。
笑っていいとも!木曜日に1987年から出演し、木曜いいともの顔的存在となっている(曜日異動なし)。「辞めたい」と言ったこともあるが、タモリに慰留され現在に至っている。辞めたいとした理由は、「おもろい若手が沢山出てきて、自分のような古株はいらんと思うようになったから」であり、タモリに原因があるわけではない。むしろ、タモリの笑いに対する意識の高さを人一倍知っており、彼を「テレビの師匠」と仰ぎ、尊敬している。「いいともを辞めたい」と言ったとき、タモリに「こういう場に出続けてるってことは、あんたにとって大事なんだよ」と言われ、当初は意味が分からず「(年末恒例の)特大号にだけは出演しない」という交換条件付きでしぶしぶ残留したが、近年になって、定期的にタモリのような特殊な(?)芸人と会うことや、若手などと生放送の場で絡むことの意義を感じ、「その意味がようやく分かった」と自身のラジオ番組内で語っている。これに関してタモリに対し、「あんた、何で(あの時に)そんなこと(=鶴瓶にとってそれが大事だということ)分かったの?」と感謝の意ともとれる疑問を投げかけている。また、その答えは、長年の生バラエティの司会で培われた、タモリにしかできない予見であったとしている。
外来語や横文字の言葉に弱く、ブルース・ウィリスを「ブゥルース・ウィルス」、ロシアを「ロシヤ」、チャンピオンを「チャンピョン」と書いたこともある。カタカナの言葉を喋らせると噛んでしまうことも多い。また、「派出所」を「はつしゅしょ」または「はしゅしゅしょ」、「違和感」を「ゆわかん」としか言うことができないなど、滑舌の面でやや怪しい部分もある。
パペポTVの直接の後番組で、番組をリードする立場になった最後の晩餐時代は鶴瓶を困らそうとするキダ・タローとしょっちゅう言い争いをし、(これは内弟子時代に、キダ・タローから嫌われていた=朝日放送のビルの上から植木鉢を落とされた、から由来する)(*植木鉢・・・かつて鶴瓶上岡パペポTVでは、「植木鉢ちゃう、牛乳瓶や」と鶴瓶が言っていたことがある) また中島らもの番組内での行動や言動に非常に危険なものが多かったため、いつもらもを注意したり引っ張ったりし、(他に浜村淳、松竹芸能の若手枠)アクの強い先輩タレントをなんとかコントロールしていた。
このように、現在の鶴瓶の立場から複数のタレントをコントロールする番組を持たされることが増えているものの、生来の人の良さから、先輩やアクの強いタレントを相手にしたときは鶴瓶の意思を越えて引っ掻き回されてしまうことが多い。ただし、型どおりを嫌う性格から彼自身もそれを許容している。実際は、少人数によるフリートークのときが最も彼が安定し、面白さが引き出されるスタイルである。
[編集] 落語への回帰
2002年9月、江戸落語の春風亭小朝との二人会で「子は鎹」を演じた事を機に、落語への回帰を強めている。2003年には小朝、林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)らと落語の「六人の会」を結成。また同年5月に「上方落語協会」理事に就任している(現在は同協会の広報委員長を務める)。
現時点での「落語家・鶴瓶」に対する評価は賛否相反するといったところであろう。前述の通り、師・6代目松鶴から落語の噺の稽古をつけてもらえなかったこともあり、古典についてはせいぜい並で、創作の「長屋の傘」「青木先生」(南原清隆はこれを「私落語(わたくしらくご)」と命名)についても「鶴瓶噺を落語化した程度」などといわれるなど、批判的な意見がある(逆説として、口に新しいと書く噺家としての力量を認めていたから、古典にこだわる必要がない、と判断されたから、との説もある)。
しかし多忙なタレント活動の合間を縫って「鶴瓶噺」「笑福亭鶴瓶落語会」などの独演会を展開する他、六人の会が主催する「東西落語研鑚会」にも参加。大阪・帝塚山の6代目松鶴旧宅で行われる演芸イベント「帝塚山・無学の会」を主宰するなど、精力的に落語に取り組んでいる。古典落語にも「東西落語研鑚会」で「鴻池の犬」「らくだ」などに挑戦している。特に2004年の東西落語研鑚会で口演し、好評を得た「らくだ」は松鶴の十八番(おはこ)であり、松鶴門下では直々に稽古を付けられていた6代目笑福亭松喬しか、舞台での披露を許されていなかった題目である。
鶴瓶の最近の落語への取り組みは、弟子(筆頭弟子の笑瓶はもちろんのこと、ほとんどが落語をしない頃の鶴瓶に弟子入りを志願していたことで、落語家に弟子入りした感覚がない)に対する影響が少なくない様である。
良くも悪くも上方落語の噺家のクセが抜け切れず、それが鶴瓶の魅力ともなっている。喋りの無類の面白さや、独特の飄々とした存在感で、広く親しまれている。自身の身の回りで起こった日常の話題を面白おかしく話すスタイルは「鶴瓶噺」(つるべばなし)と呼ばれ、独自のジャンルを構築し(年1回5日間、青山円形劇場にて「鶴瓶噺」を開催している)、2000年には上方お笑い大賞を受賞した。もともと、三題噺などは得意としている。
テレビドラマタイガー&ドラゴンでは元上方落語の天才だったヤクザの組長という役を演じ、少しだけ落語を演じている。鶴瓶はこのドラマを最初単発ドラマだからと言われ引き受けたものの、連続ドラマになりこのような役柄になってしまったことに驚いていたことを告白した。
2004年より年に1回、桂南光と桂文珍との落語会「夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板」を開催。落語会としては異例の6,000円を超える料金も話題となる。チケットは、過去3回共完売。
[編集] 帝塚山・無学
「帝塚山・無学」は笑福亭松鶴の旧自邸を鶴瓶が改築した純和風ホール。月1回「無学の会」を開催し、一般にも公開している。今までのゲストにタモリ、明石家さんま、木梨憲武、イッセー尾形、 桂米朝、桂春団治ら豪華な顔ぶれを迎えている。
[編集] 演目
古典落語
子は鎹 鴻池の犬 らくだ 愛宕山 たち切れ線香 厩火事 堪忍袋 宮戸川 二人癖 粗忽長屋 所帯念仏 へっつい幽霊 化物使い 打飼盗人 いらちの愛宕参り
新作落語
長屋の傘 青木先生
[編集] 逸話
[編集] 裸の逸話
とかく裸にまつわるエピソードの多い人物である。以下代表的な事例を挙げる。
- 初期の「ヤングタウン」担当時、鶴瓶はスタジオに現れると、全裸になってからハガキの選定作業に入るのが常だった。また中森明菜をゲストに迎えるにあたり、鶴瓶自身の提案で、鶴瓶はおろかディレクターなどスタッフ全員が全裸で中森の入りを待ったことがある。なお先に入ったマネージャーたちの反応で悟ったのか、中森は全員がパンツをはくまでスタジオに入ろうとしなかったらしい。
- 1975年 12チャンネル局部露出事件
- 1988年 居眠り事件
- FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'88の『日本の夜明け』コーナー時、『笑っていいとも!特別版』のテレフォンショッキング中でVTR中に居眠り。
- 1988年 お尻丸出し事件
- 1993年 再び居眠り事件
- どちら様も!!笑ってヨロシクの収録中に居眠りをしたことがある。このことが原因で鶴瓶は一時降板の処分となり、番組が1時間枠に拡大するまでの約1年間、出演が許されなかった。
- 1997年 夏 尻焼かれ事件
- 「疾風怒涛!FNSスーパースペシャルXI 真夏の27時間ぶっ通しカーニバル」でのこと。女子アナスペシャルで松本人志との対決に敗れ尻を焼かれてしまう
- 1997年 秋 自棄酒暴走事件
- 2002年 自棄酒事件
- フジテレビ27時間テレビの「さんま・中居の今夜も眠れない」で放送された飛島中継にて、深夜の中継に泥酔状態で登場。最初は尻を出して寝ていたが、起こされた鶴瓶は、さんまの昔の彼女の名前を実名で暴露し、黒歴史でもある「さんま駆け落ち破門事件」を語り出した。鼻水を垂らしながら笑うなど見るに耐えない映像が茶の間に流れてしまい、翌日昼の中継でさんまに謝罪したが、中継が終わったと思い、疲れで気の抜けた顔(いわゆる「死んだ目」)をしてしまった。これをさんまに突っ込まれ、「プロ失格や」とさんまにこきおろされたが、「プロ失格わかっとる。」と逆ギレ。
- 2003年 フジテレビ局部露出事件
- 6月28日・29日に放送されたフジテレビの27時間テレビの飛島中継で、当初は「酒を飲まない」と公言していたものの、午後10時過ぎに局が用意していた酒を飲み「居酒屋つるべ」を開店。既に出来上がってしまい、高齢の女性の乳を揉んだり、放送禁止用語を叫ぶなど、その後の中継が懸念されたが、午後11時過ぎのドラム缶風呂に入る中継でも局部が露出しかけるなど、その後の大事件の予兆を作っていた。前年同様深夜の「今夜も眠れない」で再び飛島に中継を繋いだが、鶴瓶は布団に包まって寝ていた。現場にいたココリコや東京のスタジオのさんま・中居正広が必死に起こそうとするが、パンツ1枚で仰向けに寝ていたため、起きた途端にそのパンツが脱げ局部が露出してしまい(鶴瓶自らパンツを下ろしたようにも見える)、現場にいた遠藤章造が座布団で隠そうとしたものの、時既に遅し。高島彩アナが謝罪。後日鶴瓶は公式に謝罪。フジテレビ側は特にペナルティを課さなかった。(みのもんたが作ろうとしていた感動路線に抵抗していた、との説もある)
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- 翌2004年の27時間テレビにも出演したが、今回は露出しないように、敢えてナインティナインの岡村隆史がデザインしフジ側が製作した『鉄のパンツ』を装着され、鶴瓶が脱がないように鍵も付いてあり、その開閉する鍵は、「鶴瓶のことを一番良く知っている」と言う理由でウッチャンナンチャンの南原清隆が所持していた(※岡村曰く、鶴瓶が出演していたコーナーが終了するまで、トイレには行かせなかったらしい。)。翌年の2005年の同番組でも装着していた。
- 2005年6月11日に、テレビ朝日で放送されたくりぃむ・ロンブー・雨上がりと共演の「ゆく年くる年への道SP」の番組中で、寝ぼけながらも明石家さんまの声が聞こえたため、笑わそうとして、分別が付かず、脱いでしまったと明らかにした。
- この事件以降、好きなお笑いタレントランキングにランクインするようになった。
- 同年12月18日には「ナインティナインのオールナイトニッポン」にゲスト出演をしたが、ナイナイ曰く、生放送中に全裸になり、スタジオ内で放尿をしたらしい。
- この過去3年の活躍が評価されたのか、2005年の27時間テレビで、ついに初めてメーンでの総合司会を務めることとなった(過去にも司会を務めたことはあったが、今まではタモリ、ビートたけし、明石家さんまの「BIG3」につぐサブ司会者だった。就任に際しての記者会見では、鶴瓶は過去の経緯から『放送中に寝ない・酒を飲まない・服を脱がない』という事を誓うことになる。これに対し、「当たり前のことで、わざわざ誓うことではないのでは?」と、青木さやかに突っ込まれていた。が、放送では、大嫌いな鯖寿司を食べさせられそうになった途端に逃亡し、ココリコの2人を「真夜中の大かま騒ぎ」や「笑っていいとも!」に出さずに逃げ続け加藤浩次や山中秀樹アナを巻き込んだり、パンツ一丁でTBS「アッコにおまかせ!」の生放送に乱入し、大捕物劇となる。その後、確保され、次には全身を金箔に塗り鉄のパンツを穿いて、25時間テレビ(2005年の放送は、裏番組(日本テレビ「世界!超マネー研究所」)との兼ね合いから25時間放送となり、午後7時57分から始まった)景品である鶴瓶のトロフィーと同じ格好で登場した。(勿論フジテレビの台本通り)
- 2006年10月9日の「鶴瓶の家族に乾杯」で、西川きよしにそそのかされて、琵琶湖で泳がされる。このとき「僕はテレビの前で裸になることは本当にやめようと心に誓ったんですよ!」と言っていたが、最終的にはパンツ1枚になって水に入る。同じく裸で琵琶湖に飛び込んだ西川きよしが着替える際には、先輩芸人に逆らうわけにもいかず仕方なく西川きよしの前に立たされ、「芸能生活の中でモザイク(役を)やったん初めてです」と嘆いた。またこの放送では、地元の人と西川きよしの勧めを断れず、においの強いことで有名な鮒寿司を無理矢理口にした。本人は「(意外と味が)おかしくない」と話したが、二度目以降は口にしなかった。もともとかなりの「えづき症(おえっとなりやすい)」であると公言しており、以前には川魚の生臭さは耐えられないとの発言もあったほどで、鯖寿司嫌いとは別の意味で相当な忍耐を強いられたものと思われる。
[編集] その他逸話
- 極貧の頃、やしきたかじんと空腹に耐えかね飲食店が外に出していた残飯に手を出した。かなり臭いがキツく日にちがたっているようだったが、躊躇してると浮浪者が取り上げ「素人さんはやめとけ」と言われた。
- あのねのねと3人で京都の街中を全裸で走り回ったことがあり、日本で最初のストリーキングは自分たちだと、あるテレビ番組で語っていた(ただし、どこまで本当の話かは謎である)。
- 芸人同士の飲み会でそそのかされ、全裸で店外に出た途端鍵を閉められ、約1時間半もの間全裸のまま屋外へ放り出されたことがある。また、局部に蛍光塗料を塗って暗闇の中を走り回ったり、全裸に脱ぎかけのワイシャツ1枚で袖の部分だけ引っかかっている状態で踊る、陰部をガムテープで張ったりはがしたりする、など、宴会においても露出狂じみた芸を披露していることを本人自身が語っていた。
- 桂南光(当時・桂べかこ)と二人で交番の壁に向かって立ちションをしているところを警官に見つかり、取調べを受けたことがある。その際に二人とも本名ではなく芸名を名乗ったため、警官からさらに目玉を食らう羽目になった。
- 体は大きいが眼鏡を掛けているので、けんかが弱いと思われよく吹っかけられたが、ボコボコにしてやった。学生の頃は相当やんちゃであったことは鶴瓶噺でも伺える。
- とある番組の生放送で、ナインティナインの岡村がタモリに(悪意はなかったものの)喧嘩を売るように聞こえるツッコミを入れ本気で怒らせてしまった時、一触即発の空気をいち早く察した鶴瓶は、突如「わぁ~!」と奇声を上げ両手を振り回しながら二人の間に割り込み、その場を収めた。
- 6代目笑福亭松鶴が死後、鶴瓶の次の襲名に笑福亭梅香(ばいか)が用意されていた。初代桂文枝の前名、二代目曽呂利新左衛門の前座名という由緒名であるが、名前が自分に似合っていないという事から辞退している。
[編集] 出演番組
出演番組には即興のものが多く、即興落語・即興ドラマ・即興コント・即興漫才など多岐にわたる。本人曰く、企画書を書かないので即興企画が多いであるということである。
[編集] 全国ネット
- きらきらアフロ(テレビ大阪)
- ザ!世界仰天ニュース(日本テレビ)
- 笑っていいとも!※木曜レギュラー、99年以降年末の特大号には出演しない(フジテレビ)
- 笑っていいとも!増刊号(フジテレビ)
- 鶴瓶の家族に乾杯(NHK総合)
- 特番
- 「朝まで生つるべ」(テレビ朝日)年末放送
- 「朝まで歌つるべ」(テレビ朝日)不定期
- 「志村&鶴瓶のあぶない交遊録」(テレビ朝日)年始に放送
- 「FNSの日」(88、89、92~):88、95、96、2005年は総合司会。他は笑っていいとも!増刊号スペシャルなどに出演。
- 初詣!爆笑ヒットパレード(フジテレビ)
- ラジオ・チャリティー・ミュージックソン(ニッポン放送、2004年)
[編集] 地方ローカル
[編集] ドラマ
出演したドラマもすべて関西弁で演じている。
- 金曜ドラマ 僕が彼女に、借金をした理由。(TBSテレビ)
- 金曜ドラマ 硝子のかけらたち(TBSテレビ)
- 必殺仕事人V・激闘編(1985年-1986年 朝日放送テレビ 必殺シリーズ)
- 必殺まっしぐら!(1986年 朝日放送テレビ 必殺シリーズ)
- 翔んでる!平賀源内(1989年 TBSテレビ)
- 天国に一番近い男 MONOカンパニー編第1話(TBSテレビ)
- 世にも奇妙な物語「着せ替え人形」(1991年 フジテレビ)
- 藤山寛美物語(1991年 MBS制作・TBS系 藤山寛美)
- 世にも奇妙な物語「おやじ」(1992年 フジテレビ)
- 眠れない夜を数えて(1992年 TBSテレビ・栄中央警察署刑事課捜査一係秋葉警部補)
- 警部補 古畑任三郎「殺しのファックス」(1994年 フジテレビ 犯人・幡隋院大)
- ブラックジャックによろしく(TBSテレビ)
- ブラックジャックによろしく 涙のガン病棟編(TBSテレビ)
- タイガー&ドラゴン(TBSテレビ)
- ぶどうの木(フジテレビ)
- FNS25時間テレビ内「THE WAVE!」(2005年、フジテレビ)
- 生きててもいい…? ~ひまわりの咲く家~(2006年、フジテレビ)
- Happy!(2006年、TBSテレビ)
- 小泉純一郎の正体(2006年、フジテレビ)
- 華麗なる一族(2006年、TBS) - 大同銀行綿貫専務役
[編集] ライブトーク
[編集] 終了したテレビ・ラジオ番組
- ミッドナイト東海(東海ラジオ)
- サンデー・フレッシュわいのわいの90!!(毎日放送ラジオ)
- MBSヤングタウン(土曜日)(毎日放送ラジオ)
- バンザイ!!歌謡曲(ラジオ大阪)
- 鶴瓶・新野のぬかるみの世界(ラジオ大阪)
- YOU(NHK大阪放送局制作 教育テレビ)
- 土曜倶楽部(NHK大阪放送局制作 教育テレビ)
- 独占!男の時間(東京12チャンネル)
- THE ビッグ!(朝日放送テレビ)
- 鶴瓶と花の女子大生(関西テレビ)
- 鶴瓶の音楽に乾杯(東海テレビ)
- 世界No.1クイズ(TBSテレビ)
- 投稿!特ホウ王国(日本テレビ)
- シェフにおまかせ!(毎日放送テレビ)
- 鶴瓶のグルグルぐるめ(毎日放送テレビ)
- かんさい珍版・瓦版(毎日放送テレビ)
- ザ・パーティー鶴瓶です(毎日放送テレビ)
- あっ・鶴瓶のあの日に帰り道(毎日放送テレビ)
- 突然ガバチョ!(毎日放送テレビ)
- 鶴瓶上岡パペポTV(よみうりテレビ)
- LIVE PAPEPO 鶴+龍(よみうりテレビ)
- 歌謡びんびんハウス(テレビ朝日)
- あなたに逢いたい(テレビ朝日)
- いろもん(日本テレビ)
- どちら様も!!笑ってヨロシク(日本テレビ)(1993年頃は出演していなかった)
- 平成日本のよふけ(フジテレビ)
- クイズテレビずき(TBSテレビ)
- 女と男 聞けば聞くほど…(TBSテレビ)
- 鶴瓶・新野のnukarumi.com(ネットラジオ)
- 最後の晩餐(よみうりテレビ)
- つるべがおかず(朝日放送ラジオ)
- ねごとの穴(朝日放送テレビ)
- つるまげどん!(毎日放送テレビ)
- 今夜はちょっと気晴亭(朝日放送テレビ)
- 鶴瓶・草なぎの夢中宣言“がんばります。”(テレビ朝日)
- チチパパ親父!娘をたのむで!(関西テレビ)
- 鶴瓶&なるみのほんまか(関西テレビ)
- ざこば・鶴瓶らくごのご(朝日放送テレビ)
- 謹賀 鶴瓶x鶴太郎 スペシャル(テレビ朝日、2001年)
- これでいいのダ!日本列島あかるいニュース(フジテレビ)
- BAN!BOO!ぱいん!!(よみうりテレビ)
- ラジオ・チャリティー・ミュージックソン(ニッポン放送、2004年12月24日-12月25日)
- ん!? 上沼鶴瓶あがってまーす(よみうりテレビ)
- 億万のココロ・愛しのマネー$伝説(日本テレビ)
- 9年9組つるべ学級(朝日放送テレビ)
- 鶴瓶の1/10女子マラソン(関西テレビ)
- 世界!超マネー研究所(日本テレビ、2005年4月~9月)
- 鶴の間 TSURUNOMA(日本テレビ、2005年4月~2006年3月)
- 乾・鶴瓶の電話でドン!(朝日放送テレビ)
- 大笑福亭鶴びん(TBSテレビ)
- 週刊!特ダ~ネ家族!!(日本テレビ)
[編集] 出演映画
- 「トラック野郎 天下御免」(1976年 東映)
- 「必殺!ブラウン館の怪物たち」(1985年 必殺シリーズ)
- 「必殺!III 裏か表か」(1986年 必殺シリーズ)
- 「アイコ十六歳」(富田靖子主演、アミューズ・シネマ・シティ/中部日本放送提携作品)
警官役で登場。鶴瓶警官と一緒にいた警官は、当時のマネージャー。
- 「べっぴんの町」(原隆仁 監督、柴田恭兵主演・1989年)
- 「東京上空いらっしゃいませ」(相米慎二監督、牧瀬里穂主演・1990年)
死神の「コオロギ」役。
- 「13階段」(三上純一 監督、反町隆史主演・2003年)
[編集] CM
- 伊藤園 天然ミネラルむぎ茶
- LION M
- ユニチャーム ソフィ
- カモ井加工紙 カモ井のリボンハイトリ(1975年ごろ)
- 中外製薬 乳清ミルフル
- メルシャン 三楽焼酎ホワイトパック
- アース製薬 「ノーマット」
- JR西日本 山陽新幹線
- 旭松 生みそずい、なっとういち
- 民芸肉料理「はや」
[編集] 関連人物
- 河島英五
- 鶴瓶と公私にわたって親交が深かった。
- やしきたかじん
- 鶴瓶が若かった頃特に親交が深く、よく一緒に女性を追いかけたり遊んだりしていたらしい。その親交の深さはたかじんのコンサートツアーのパンフレットの鶴瓶からのメッセージからよくわかる。
- 坂崎幸之助
- さだまさし(まっさん)
- 公私ともに大変に親しく、コンサートの飛び入りゲストとして鶴瓶が登場したこともあるほか、お互いに自らのラジオ番組のゲストとして呼んだこともある。また、この2人の親交が縁でNHK鶴瓶の家族に乾杯という名番組が生まれたことも見逃せない。
- 糸井重里
- ゆず
- ファンであり、自身のラジオ番組にもゲストとして呼んだことがある。
- 波田陽区
- 鶴瓶がメガネを外したときの顔に似ていると指摘されており、鶴瓶自身も番組などで面白がってネタにすることが多い。