葛城ユキ
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葛城ユキ(かつらぎ ゆき、1952年5月25日 - )は歌手。岡山県高梁市出身。
1980年にメジャーデビュー、1983年代表曲『ボヘミアン』が大ヒット。それ以降も含む代表曲でもある。
声量のあるハスキーボイスがもっとも顕著な特徴として上げられ、代表曲『ボヘミアン』は「声が枯れたから歌ってみよう」という意味合いでも歌われる曲となっている。
現在は日本、中国で歌手活動を続ける一方、葛城ユキ・プロフェッショナル・ヴォーカル・アカデミーを開講している。
平成15年7月にテレビ収録時に、大ケガをしてしまい、一時は歌手活動を休止していたが、見事なる復帰で、現在も歌い続けている。
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[編集] 葛城ユキ負傷事故
「ボヘミアン」などのヒット曲で有名な歌手の葛城(かつらぎ)ユキさん(51)が二日夜、フジテレビのバラエティー番組収録中に胸椎(きょうつい)骨折で全治三カ月の重傷を負う事故が起き、常識はずれの番組づくりとの批判が強まっています。同テレビではダイエー王監督侮辱事件などの不祥事が相次いでおり、局の体質が問われています。
[編集] 葛城さん「人間大砲」事故
葛城さんの事故は、二日夜七時すぎ、東京都港区台場のフジテレビスタジオ内で、バラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」収録中に起きた。
[編集] 4時間の手術
事故が起きたのは「人間大砲」というゲーム。八〇年代に活躍した歌手五人が次々に“発射”され、ウレタンを敷いたプールに着地するというしかけでした。歌手らはカタパルトのような台に乗せられ、ゴム動力で急激に動く台から押し出され、慣性で七、八メートル飛ばされます。
フジテレビ広報によると、葛城さんは、歌手の田中星児さん(56)、布川敏和さん(38)、松村和子さん(41)ら四人に続いて最後に飛びました。
ほかの四人が放物線を描いて二十度ぐらいの角度で着地したのに対し、葛城さんだけが鋭角に着地してしまい、背中などを強打しました。
葛城さんは、救急車で病院に運ばれましたが、第七胸椎骨折の重傷。所属事務所によれば、約四時間の手術をうけ、現在、手足のしびれやまひはないといいますが、元通りステージに立つには三カ月以上かかる見とおしです。
また、「二週間後の検査結果いかんでは胸椎の前側にも自骨を移植する補強手術を再度おこなう必要があるかもしれないという事で…暗雲を拭(ぬぐ)い切れずに居ります」(ホームページ)といい、再手術の可能性もある状態です。
[編集] ぶっつけ本番
フジテレビは「数回のリハーサルを行い万全を期した」としています。しかし、リハーサルは本人ではなく、スタッフが代わりに飛んでおり、本人はぶっつけ本番でした。年齢五十歳前後の訓練をつんでいない人がいきなり七、八メートルも飛ばされるのは非常に危険なことは明らかで、「企画自体が無謀」という批判が出ています。警視庁も業務上過失傷害の疑いで、番組の関係者を事情聴取しています。
フジテレビは、八月十三日にバラエティー番組「水10!ワンナイR&R」でダイエーの王監督を便器に見たてた「王シュレット」を放送。王監督や球団、世論の厳しい批判をうけて謝罪しましたが、その直後の同二十日にも妊婦にふんした女優に粉ミルクをかけ、またまた抗議を受けて謝罪したばかりです。
元ワイドショープロデューサーの仲築間卓蔵さんは「最近のバラエティー番組は企画が貧困で、面白ければ何でもありの姿勢だ。失敗するほど面白いという発想で、つねにこうした事故を生む危険をはらんでいる。放送局はタレント事務所側の『弱い立場』につけこんで危険と背中合わせのことをやらせようとする」と指摘しています。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 1980年 哀しみのオーシャン、キャリーオン
- 1981年 風の彼方に
- 1982年 GOOD-BYE、SEA、沖縄Aサインブルース
- 1983年 ボヘミアン
- 1984年 みどりの薔薇、ヒーロー、哀愁夜
- 1984年 抱きしめたいCity
- 1985年 心からイエスタデイ、ハートブレイカー、ヤングハート
- 1986年 BABY、夢に吹かれて
- 1988年 JAPAN、CHILDREN'S
- 1991年 好きやねん
- 1991年 涙の崖から~TEARS
- 1992年 千年彷徨人
- 1995年 どじ・・・
- 1996年 哀しみは花びらにのせて、ジョーカー
- 1998年 悪女
- 2000年 輝くために
- 2004年 Pride~for、MANHATTAN
- 2005年 生命のバトン