シュガーベイブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シュガーベイブ(Sugar Babe)は、1973年に山下達郎が中心となって結成されたバンド。1976年4月に解散した。シュガーベイブという名前は、ヤングブラッズ(The Youngbloods)というロック・グループの楽曲タイトル『Sugar Babe』から取られている。当時のロックシーンとしては珍しく、major 7th や分数コードなどを多用するポップスタイプの曲を好んで演奏していた。山下達郎と大貫妙子がそれぞれリードヴォーカルと主要な曲作りを担当していた。バンドとしての作品はシングルとアルバムがそれぞれ1枚のみである。
[編集] メンバー
結成時のメンバーは、次の5人。
- 山下達郎(やました たつろう) - ヴォーカル・ギター・キーボード
- 大貫妙子(おおぬき たえこ) - ヴォーカル・キーボード
- 村松邦男(むらまつ くにお) - ギター・ヴォーカル
- 鰐川己久雄(わにかわきくお) - ベース
- 野口明彦(のぐち あきひこ) - ドラムス
1975年春頃に野口が脱退し、アルバム『Songs』発表後に鰐川が学業に専念するため脱退。同年3月にメンバーチェンジを行う。
- 寺尾次郎(てらお じろう) - ベース
- 上原裕(うえはら ゆたか)- ドラムス
- 伊藤銀次(いとう ぎんじ)- ギター、コーラス
伊藤の加入は山下の「ヴォーカルに専念したい」との意向によるものだったが、伊藤は6月に脱退、以後は解散までメンバーチェンジはなかった。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] ヒストリー
結成のまでの経緯
かつて、四谷にあったロック喫茶「ディスクチャート」にアレンジャーの矢野誠に連れられて訪れていた大貫妙子(後に一人で訪れる事もあった。)が現在はテレビプロデューサーである日野原幼紀のアイディアで「ディスクチャート」の閉店後デモテープ録音していたのを山下達郎が見に来ていたのが始まりであった。
様々な理由から大貫のソロデビューは暗礁に乗り上げた。その後、シュガーベイブに参加する事となる。
メンバーの村松邦男、鰐川己久男は山下達郎の自主製作盤を作った仲間で、野口明彦は、大貫妙子と同じグループにいた。
それらの声を掛けて結成したのがシュガーベイブである。
参考資料:「SNOGS」シュガーベイブ1994年盤歌詞カード内の解説
結成後
1973年5月からプロとしてライブ活動を開始する。同年夏に、伊藤銀次が大瀧詠一に山下の自主製作盤『Add Some Music to Your Day』を聴かせたことがきっかけとなり、伊藤の仲介で山下と大瀧が出会い意気投合、シュガーベイブは1973年9月21日に文京公会堂で行われたはっぴいえんど解散ライブに大瀧詠一のバックコーラスとして出演する。この後に大瀧詠一の主宰するナイアガラレーベルと契約し、レコーディングとライブを本格的に行うようになる。このころからシュガーベイブ、特にその中核をなす山下、大貫、村松が他のミュージシャンのレコーディングにコーラスとして参加するようにもなる。彼らの仕事として最も有名なのは荒井由実のアルバムへの参加であろう。
1975年4月に、ナイアガラレーベルの第一弾としてシングル『DOWN TOWN/いつも通り』/アルバム『Songs』でエレックレコードからレコードデビューする。しかしブルースロックやハードロックを指向する当時のシーンに、シュガーベイブの指向するポップスタイプの楽曲はほとんど受け入れられなかった。さらに同年11月にはナイアガラレーベルが所属していたエレックレコードが倒産する。ナイアガラとの録音契約は7月に終了していたとはいえ、彼らの音を伝えるメディアであるレコードを手に取ってもらえない状況は大きな痛手となった。周囲に受け入れられない状況・経済的な問題から、1976年2月に解散を宣言。同年3月31日・4月1日の荻窪ロフトでの解散ライブをもって、約3年の活動に終止符を打つ。
短命に終わったバンドであったが、山下達郎/大貫妙子/大瀧詠一がメジャー・シーンで活躍するとともに再評価が進む。1980年3月に、EPO のデビューシングルとして『DOWN TOWN』がカバーされ、更にこの曲が「オレたちひょうきん族」のエンディングに使われたことから、『DOWN TOWN』のシングルがカップリングを『パレード』(ナイアガラ・トライアングルVol.1での山下の曲)に変更しCBSソニー(当時)からリリースされた。その後、ナイアガラレーベルの音源リイシューに伴い『Songs』が1986年に吉田保のリミックスでCBSソニー(当時)からCDとして再リリースされ、1994年にはオリジナルの笛吹銅次ミックス『Songs』が山下の監修のもと原田光晴によりデジタル・リマスタリングされてナイアガラ/Moon Records/イーストウエスト/ワーナーミュージック・ジャパンから再発売され、その記念に、山下がゲストに大貫を交え「Sings Sugar Babe」と題したライブを行った。その後2005年には30周年記念として山下の監修によりオリジナル・エンジニアの笛吹銅次(大瀧の変名)によるリマスターで「30th Anniversary Edition」としてナイアガラ/ソニー・ミュージックレコーズからリリースされた。
山下達郎と大貫妙子はシュガーベイブについて、演奏技術・楽曲ともに稚拙で未熟だったと述懐している。しかしその音楽はいまだに新しいリスナーを獲得し続けており、多くの、特にポップスを指向するミュージシャンに影響を及ぼしている。