夢で逢えたら (テレビ番組)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
夢で逢えたら(ゆめであえたら)は、1989年4月-1991年11月にフジテレビ系で放送されていたバラエティ番組。放送時間は土曜23:30-24:00。また、フジテレビのみ(関東ローカル)で、全国ネット番組に昇格される半年前の1988年10月-1989年3月まで、木曜26:00-26:30で放送されていた。
1988年10月-1989年3月の期間では深夜2時過ぎの放送だったためか初回以後数回の視聴率は1%を切る事もあったが、徐々に人気が高まり、やがて5%を超えるようになった。土曜日に移ってからは手前の番組で絶頂期を迎えたねるとん紅鯨団の視聴者を巻き込んで人気を確立し、深夜番組としては異例の20%という高視聴率を記録した。
目次 |
[編集] 番組概要
後にお笑い界のトップに君臨する事になるダウンタウン・ウッチャンナンチャンが出演していた、ファンの間では伝説的な番組。現在でも見られる若手芸人による合同コント番組形式はこの番組が始まりだとも言われている。
番組構成は主にコント中心で、1、2分単位のショートコントと連続ドラマ仕立ての長めのコントから成る。「伊集院みどり」「サービス」「タキシーズ」「ポチ&卍丸」など多数の人気キャラクターが生まれた。初期と後期ではコントの方向性が異なっていて、初期は道具も少なく地味な物が多い。なお、後期のスタイルは後にダウンタウンの冠番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれる。
特に当時のメンバー間のチームワークの良さは素晴らしく、後に笑福亭鶴瓶が「こんなに息の合った番組はそうそう無い」と番組を絶賛している。また、当時は彼らもまだスケジュールに余裕があり、出演者6人がプライベートで花見に行くというエピソードもある。このとき、野沢、清水、南原が騒ぎ、浜田、松本、内村がその騒ぎを見守るという立ち位置がしっかりできていたという。
また、「バッハスタジオII」のコーナーでは当時起こっていたバンドブームの波に乗り、清水以外音楽経験のないレギュラー陣がバンドを結成し数々の課題曲に挑戦。講師としてユニコーンやTHE BOOMら売り出し中の若手人気バンドが数多く登場した。ちなみに、現在バラエティータレントとして活躍するYOUも当時組んでいた「FAIR CHILD」のボーカルとして出演したことがあり、彼女ののちの方向性を決めるきっかけになった番組と言える。
この後に、野沢は1991年3月23日放送分をもって番組を降板し、以降最終回まで5人でのメンバー構成となるも、野沢の抜けた穴は大きく、マンネリ化した状態のなか、ウッチャンナンチャンは1990年4月にゴールデンで「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」が決まり、メンバーを出し抜いた形となり不協和音がみられ、(また、スケジュールを合わせるのも難しくなり、)これ以上の番組継続が困難となり、1991年11月23日、11月30日のドラマ企画「Forever friends」をもって終了した。(ちなみに最終回のドラマ企画はステレオ音声での放送であった。)
1993年3月には、ニューヨークへ旅立った野沢直子を探す企画として2時間のスペシャルを放送。浜田・内村・南原・清水の4人がニューヨークへ旅立ち、当時「チンパンジーズ」というバンドを組んでいた野沢と感動の対面を果たす(サルの気ぐるみ姿でパンクロックをシャウトする彼女に一同唖然)。そこで野沢は結婚・妊娠の発表をし、4人を呆れさせた。一方、松本だけは東京に残り、芸人として野沢との対面よりも番組収録を選択、1人コントを撮った。これ以降、この番組の放送はないが、清水は未だに「みどりー!」とファンから叫ばれると即興で伊集院みどりを演じてくれたり、メンバー同士が競演すると、息の合ったツーカーなやりとりが見られるなど全員のチームワークは未だ健在である。
スタッフと番組形態はこののち「ダウンタウンのごっつええ感じ」に引き継がれていく。
[編集] 出演者
※野沢は1991年3月23日放送分をもって番組を降板。以降最終回まで5人でのメンバー構成となる。
[編集] スタッフ
[編集] 主題歌
- 「女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)」(サザンオールスターズ)
- 「フリフリ'65」(サザンオールスターズ)
- オープニングに楽曲と共にサザンのメンバーも出演している。前作の「女神達への情歌(報道されないY形の彼方へ)」の時はPVの流用であったが、本作は完全に番組オリジナルの映像で、番組のメンバーとの共演シーンも見られた。また、ごく僅かなシーンではあるが、番組のメンバーとサザンのメンバーがスタジオに集い立食パーティーを始め、乾杯と同時にいきなりワインを掛け合いケーキをぶつけ合うというシーンもあり、サザンにも同番組のノリにもピッタリの内容であった。
- 「働く男」(ユニコーン)
- 「スターな男」(ユニコーン)
- 「BELIEVE IN LOVE」(LINDBERG)
- フリフリ'65の時と同様にLINDBERGとメンバーが談笑するシーンもあった。
[編集] 番組の主な流れとコーナー
[編集] オープニング
木曜時代はセットにピアノが置かれ、清水の伴奏に合わせ歌を歌う。 土曜日は、30分から1分30秒間CMが入る。土曜時代はオープニングVTRが流れる。バブル期でもあったため、深夜番組にも拘らず香港等の海外で大規模なロケを敢行したこともあった。コンビ名はクレジットに乗っていない。
[編集] ショートコント
基本的にテーマが決まっており、そのテーマに沿ったコントを放送する。その中で 主なキャラクターとして
- タキシーズ(松本、浜田、内村、南原)夢之丞、ジュン、ケンジ、二郎の4人漫才
- 伊集院みどり(清水)とその彼氏のみつお(タキシーズ・ケンジ)(内村)とみどりの妹の伊集院きみどり(野沢)
- ナニワの浴衣兄弟(松本、浜田)
- 大工と親方(松本、南原)
- 監督と俳優と大道具(松本、内村、南原)
- ザ・スナフキンズ(南原、松本)
- 後ろの百太郎(浜田)、後ろの千太郎(内村)、後ろの万太郎(南原)後ろの億太郎(松本)松本君の恋人(野沢)
- 江戸っ子親父とその息子(浜田、内村)
- 乳くり(兄)マンボ(妹)(松本、野沢)
- THE・DOBUNEZUMI(ザ・ドブネズミ)(ポチ・卍丸)(内村、南原)その事務所のマネージャー(浜田)
- 犬のサービスとその飼い主(松本、南原)
- 松本君(全員)
- 猿(松本、内村、南原)と坊主(浜田)
- 学(内村)
がある。
[編集] 音楽コーナー
「ヤマタノオロチ合唱団」
指揮者のスサノオ(浜田)が従え、ツチノコのような着ぐるみのドロチ(松本)、レロチ(野沢)、ミロチ(南原)、ファロチ(清水)、ソロチ(内村)が合唱をする。
「バッハスタジオ」「バッハスタジオ・バッハスタジオⅡ」
ヘルベルト・フォン・デモヤン(デーモン小暮、名前はヘルベルト・フォン・カラヤンに由来)から歌唱を教わるという形式のコント(?)
Ⅱになると、ゲストを呼び、一週間で練習をし、レギュラーがバンド演奏を行う。途中でメンバーがバンドイベントを行い、オリジナル曲「for ever freinds」「甘茶でかっぽれ」(松本の作詞処女作)を作った。担当楽器は松本がヴォーカル・トロンボーン・サックス・リコーダー、浜田がベース、内村がドラム、南原と野沢がギター、清水がキーボード・コーラスだった。
[編集] インターミッション
30秒間、タキシード姿の6人がラインダンスをするのだが、全員「笑いにダンスは必要ない!」と全くヤル気がなかったため、振り付けを全く覚えない、時間に収まらない等で収録に時間がかかり、本人達も一番大変だったと語る。
[編集] シチュエーションコント
一つの作られたセットによる密室劇。
[編集] バックステージの人々
音楽番組の楽屋もの 木曜時代
- 主なキャラ
- 松本幸太郎(演歌の大御所) …松本/齢80だったが、翌週には一気に108と言って浜田と野沢にキレられた。
- 小島京子(新人アイドル歌手)…野沢
- 浜さん(小島のマネージャー)…浜田
- 内村くん(ADからD) …内村
- 南原(松本の内弟子) …南原
- くすたにえりこetc …清水
[編集] 熱血記者・南原一郎事件ファイル
記者ものわずか7回で終了。(木曜)ここで、内村初期の名キャラクター、「いまどき下町物語」まで登場する、村三吉が誕生した。彼の声質やトーンは後の笑う犬の小須田部長やポケットビスケッツの内村テル等のキャラクターの原点となる。
- 主なキャラ
- 南原一郎(南原)
- 村三吉(内村)
- ディスク(松本)
- 野沢(お茶汲み)(野沢)
- 局長 (浜田)
- つくりのおみつ (清水)
[編集] 南原二郎トラブルファイル
コーヒー宅配店“BY THE WAY”を舞台に熱血漢の宅配人南原二郎が起こすコメディー。村さんの息子としてボブ(松本)が初登場。
- 主なキャラ
- 南原二郎(南原)
- 野沢直子(野沢)
- 清水店長(清水)
- 浜田社長(浜田)
- 村三吉(内村)/自称南原の父親。
- ボブ(松本)
注)宅配先が舞台の回もあったため、南原以外は違う役の場合もある。また、テーマソングに「仮面ライダーBLACK RX」のカラオケバージョンが流れた。
[編集] いまどき下町物語
浅草根津の老舗扇屋店の扇屋を舞台にしたお茶の間コント。毎週ゲストを迎えメンバーは扇屋の家族と周囲のキャラに扮しコントを繰り広げる。思いつきで松本が拳銃を発砲したことから、それまではコントのオチの儀礼的なものだった「おしおき」が、コント中に壊れたスタイリー等で体を張った物になり現在のシチュエーションコントの原型を作った。全100回。
- 主なキャラ
- 畑野プチトマト(浜田)/親父 婿養子で元ヤクザ(黒ドスのプチ)。職人ではなく経理や営業などの事務担当。職人募集ポスターを作るなど店の守り立てに努力している。「パンパンパン」(後背位の性交渉)という下ネタが好き。
- 畑野イネ(清水)/母親 肝っ玉母さん。ごぼう左衛門の娘。苗字は「はたけの」と読む。
- 畑野もも子(野沢)/長女 OL。ムギ太郎・ネギ太郎兄弟と二股をかけている。
- 畑野いも助(南原)/長男 もも子の弟 浪人生。自分の名前が嫌いで「いも助」と呼ばれると怒る。当初は普通の服装だったが、後にスピードスケートの選手のコスチュームのような全身タイツ姿になるが、最終回でその格好が村さんに呪いをかけられたからだと判明する。
- 畑野ごぼう左衛門(松本)/祖父 扇職人。「てやんでぇべらぼうめぇ!このスットコドッコイのイカレポンポンチキのおどるポンポコリンがぁっ!」などのメチャクチャな江戸弁(べらんめぇ言葉)を使う。扇の真随を究めると称して旅に出た。
- ムギ太郎(内村)/自称東大卒のもも子の彼氏。「おしおき」(「ちょうちょ」、「文明堂」、ピストル発砲など)オチは「ムギ太郎いぢめ」と呼ばれる。
- ネギ太郎(宮川一郎太)ムギ太郎の弟。後にもも子の彼氏。内村に顔が似ているということで宮川が採用された。
- 村三吉(内村)/コーヒー店BY THE WAYから扇屋で働くことになったお爺さん 愛称は村さん。
- ガララニョロロ(松本)/「~ニョロヨ」が口癖の蛇人間の警官 敬虔なクリスチャン、自称:小悪魔。一人称は「本官」。見境無く発砲する危険人物でもある。その人気は局内の枠を超えガキの使いの罰ゲーム「ガララニョロロでズームイン!」はあまりにも有名。最終回では村さんに呪いをかけられたごぼう左衛門だったことが発覚する。
- ハブ子(野沢)/ガララの恋人。語尾に「ハブ~」が付く。
- 村美奈(伊藤美奈子)/村三吉の孫娘 いも助に「夜のオカズちゃん」と呼ばれ、惚れられている。
- 料亭よしこの女将のよしこ(雑賀みか)/村三吉の愛人、通称「おもしろマドンナ」
- ボブ(松本)(本名:フェルナルドセン・メンフェルメルナルド 職業:豆運び)/留学生として1回だけ登場。最終回でガララが呪いでごぼう左衛門だったことが発覚したがそのまた正体はボブだった。よく名前を間違われるのか「トムじゃないで~す、ボーブで~す!」が口癖。
- レポーター(毒蝮三太夫)(ゲスト出演)/お花見レポーターとして登場。プチトマトに「アラシ隊員~」と突っ込まれる。
- 整体士(関根勤)(ゲスト出演)/ギックリ腰になったプチトマトを治療する為に登場。このコントにスタイリーを持ち込んだ張本人。
- ヒロミ(ゲスト出演)/オープニングで相方二人が殺された仕返しに扇屋へ乗り込んできたという設定。その後畑野プチトマトから渡された毒まんじゅうを食べて、フレーム外で断末魔を上げて死亡するだけの役。
- 八名信夫(ゲスト出演)/プチトマトの入っていた組の組長の役
- その他、ゲストとして森口博子、山田康雄などが登場した。
[編集] ひと夏の湘南物語
ペンションもの 全10回。
- 主なキャラ
- 社長(浜田)
- 霊子(松本)/社長の娘。
- ちか子(野沢)/ウエイトレス。「だわさ~」が口癖。
- お静さん(清水)
- ピエール内村(内村)/フランスでフランス料理を修業したシェフかと思いきや、中華料理のコック。
- 錠さん(南原)/年寄りのペンション従業員。
- 白黒つけ太郎(松本)/ホテルのペンションの料理などをチェックするチェックマン。味覚オンチだということが発覚する。
- 温子(内村)/このペンションに宿泊している女子学生。
- ゆう子(清水)/温子の友人で同じくペンションに宿泊している女子学生。
[編集] はぐれ教師熱血派
学校の職員室もの 最終回が野沢降板の回だったので「野沢が学校を卒業する」という形で終了。
- 主なキャラ
- 南原先生(南原)/新任の体育教師
- 浜田教頭・犬山牙二(浜田)
- 千千月先生(中国人)(松本)
- 内村先生(教頭の太鼓持ち)(内村)
- 野沢(南原のクラスの女子生徒)(野沢)/出っ歯。「ダジョ~」が口癖。
- 清水先生(清水)
- 女子生徒(伊藤美奈子)
- 南原の母(内海好江)
[編集] 花盛り!ハナマン柏独身寮
社員寮もの 5人体制で唯一のシチューエーション。松本が西城英機、内村が野口五郎という名前だったが、途中でヒデヒデキ、野田五郎に変えさせた。
- 主なキャラ
- 浜田課長(浜田)
- 寮母(会長秘書)(清水)
- 南原(会長)(南原)
- ヒデヒデキ(松本)
- 野田五郎(別名「流れ星ひかる」)(内村)
[編集] エンディング
木曜は清水司会の反省や感想を言うフリートーク。土曜は葉書によるトークで自然と浜田によって仕切られていく。締めは松本の一言で締めくくられた。
[編集] 備考
- 当時、同番組の放送枠は松下電器産業の一社提供で「Panasonic枠」と呼ばれ、これはその元祖にあたる。その関係でバンドのコーナーでは清水ミチコがテクニトーンを弾いていた。(それまではニュースの時間帯だったが、同番組スタートで30分繰り下げになった。)
- 後番組にはSMAPの現在の人気の基礎を作った「夢がMORIMORI」や、デビューして間もない頃のナインティナインらを擁した「めちゃ²モテたいッ!」、まだCDデビュー前のKinKi Kidsが司会を務めた音楽トークバラエティー「LOVE LOVEあいしてる」などがあり、「若手バラエティータレントの登竜門」とも言われた。
フジテレビ系 土曜23時台後半枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 夢で逢えたら (本番組からPanasonic枠) |
次番組 |
ニュース最終版 〈→30分繰り下げ〉 |
夢の中から |