藤圭子
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藤圭子(ふじ けいこ、本名:宇多田純子(旧姓阿部) 1952年7月5日 - )は岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ちの演歌歌手。1951年生まれ説もあり。『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌で、1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡した演歌歌手である。夫は音楽プロデューサーの宇多田照實で、娘はシンガーソングライターの宇多田ヒカル。また、前夫は演歌歌手の前川清。
幼いころから浪曲歌手の父、三味線瞽女の母の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌った。17才の時にさっぽろ雪まつりのステージで歌う姿が、レコード会社の関係者の目に留まり上京し、歌手デビューする事になる。 作詞家石坂まさをと組んで、ヒット曲を連発した。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈をもしのぐドスの聞いた声は衝撃的であった。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間をおかず続くセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位。計37週連続1位という空前絶後の記録を作る。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。
1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてのドスの聞いた声は失われてしまい、人気も低下。
今は歌手を引退して、夫が代表取締役を務めるU3MUSICの役員を務めている。
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[編集] 略歴
- 1969年 9月25日 『新宿の女』でデビュー。
- 1970年 『圭子の夢は夜ひらく』が40週連続1位を獲得76万枚売上げる大ヒット。日本レコード大賞大衆賞を受賞。NHK『紅白歌合戦』に初出場。
- 1971年 前川清と結婚。
- 1972年 離婚。
- 1979年 突然引退を表明し、アメリカ合衆国に渡る。
- 1981年 藤圭似子の名で再デビュー。
- 1982年 宇多田照實と結婚(再婚)。
- 1983年 長女、光(宇多田ヒカル、本名:岩下光)を出産。
- 1984年 芸名を藤圭子に戻す。
- 1995年 夫照實と娘光(宇多田ヒカル)の3人で「U3」のユニット名でインディーズでレコードを発売。
- 2006年3月にアメリカ・ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される。
[編集] 多額の現金没収
- 概要: 2006年3月3日、ニューヨークのJFK国際空港にて米国司法省麻薬取締局により多額の現金を没収された事件。
- 内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000カナダドル、5000オーストラリアドル。(計約4900万円)
- 藤のパスポートには、モナコ、フランス、オランダ、オーストラリア、イギリス、カナダ、香港、及び日本への渡航歴が記されていた。
- 藤は当初、現金はギャンブルで得た金であり、過去2年間貸し倉庫に保管していた。
- 米国司法省麻薬取締局は、現金が麻薬取引のために既に使われたか、あるいは使われる意図があったと結論、全額を没収した。
- 2006年9月現在、現金の返却を巡り当局と係争中である。
[編集] 主なシングル
- 新宿の女(1969.9.25) 最高位9位、作詞 みずの稔/作曲 石坂まさを
- 女のブルース(1970.2.5) 最高位1位、作詞 石坂まさを/作曲 森川 登
- 圭子の夢は夜ひらく(1970.4.25) 最高位1位、作詞 石坂まさを/作曲 曽根幸明、園まりの「夢は夜ひらく」のカバーであった。
- 命預けます(1970.7.25) 最高位3位、作詞 石坂まさを/作曲 石坂まさを
- 女は恋に生きていく(1970.10.25) 最高位7位、作詞 石坂まさを/作曲 石坂まさを
- さいはての女(1971.2.5) 最高位8位、作詞 石坂まさを/作曲 彩木雅夫
- 京都から博多まで(1972.1.25) 最高位20位、作詞 阿久悠/作曲 猪俣公章
- 別れの旅(1972.5.25) 最高位14位、作詞 阿久悠/作曲 猪俣公章
- 花は流れて(1972.9.25) 最高位19位、作詞 石坂まさを/作曲 鈴木邦彦
[編集] 主なアルバム
- 新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて(1970.3.5) 最高位1位
- 女のブルース(1970.7.5) 最高位1位
- 演歌を歌う(1970.12.5) 最高位2位
- さいはての女(1971.3.5) 最高位3位
- 別れの旅(1972.6.25) 最高位18位
- オリジナル・ゴールデン・ヒット集(1972.8.5) 最高位20位
[編集] 主な出演映画
- 盛り場流し唄 新宿の女(1970年)日活
- ずべ公番長 夢は夜ひらく(1970年)東映
- 涙の流し唄 命預けます(1970年)松竹
- 女子学園 やばい卒業(1970年)日活
- 藤圭子 わが歌のある限り(1971年)松竹