化学兵器
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大量破壊兵器 | |
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種類 | |
生物兵器 | |
化学兵器 | |
核兵器 | |
放射能兵器 | |
国別 | |
アメリカ | アルジェリア |
アルゼンチン | イギリス |
イスラエル | イタリア |
イラク | イラン |
インド | オーストラリア |
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中国 | 日本 |
南アフリカ |
化学兵器(かがくへいき)とは、毒ガスなどの毒性化学物質を使い人や動物に対して被害を与えるために使われる兵器のこと。化学兵器禁止条約では、毒性化学物質の前駆物質や、それを放出する弾薬・装置も含むものとしている。
目次 |
[編集] 概要
これらの兵器では、一般に良く知られている物ではサリンやVXガス・マスタードガスまたはイペリットなどが挙げられる(種類に関しては毒ガスの項を参照されたし)。初期の物では主に反応性の強い薬品から発生するガスであるが、後に生物の代謝機能に悪影響を与える物質などが利用されるようになった。これは揮発によるものだけではなく、液体が噴霧された霧状の状態を含み、今日の毒ガス兵器と呼ばれる物は、常温下に於いて液体(粘度の高いものを含む)の物が多い。
古くは有害で人体を蝕む化学反応を起こす物が利用されたが、近年ではサリンなどに代表される神経性の毒物(少量でも呼吸や心拍の機能を含む運動機能や感覚機能に甚大な影響を与える)が使用され、特に神経性の毒物では、神経系を信号伝達を不可能にして破壊する事から、予後が悪く後遺症が残りやすいとされる。また人体の代謝機能を破壊し、徐々に人体を蝕む薬品もあり、即効性は無いものの致死性のこれら兵器では、予後は極めて悪い。
主に反応性の強い薬品では、太陽光に含まれる紫外線などの働きにより、短期間で無害な物質に分解するとされるが、中には長期間の汚染を発生させ、核兵器程ではないにせよ周辺環境を悪化させる物もある。無毒化処理には強酸性や強アルカリ性の薬品と反応させたり、強力な紫外線照射や電流といったエネルギーを与え、分解又は化合を促す事で無毒化させる。または大量注水して安全濃度にまで薄めるなどの方法も取られるが、単純に薄めた場合は有害な汚水が大量に発生する事もあり、広域土壌の除染には向かない。ただしサリンは加水分解によって無毒化するため、水の散布が有効である。
[編集] 歴史的経緯
化学兵器はその定義により分類が異なるが、第一次世界大戦よりも以前から様々な戦争・紛争に於いて使用され、近代以降になってからその被害の大きさなどから使用が問題視されている。
[編集] 初期
古くは唐辛子を燃した煙を利用するものが明代の書物にも登場していたことから、広く定義するならばその歴史は古い。近代に入ると科学技術の発達や化合物の発見などからより効果的なものが開発され、クリミア戦争においてイギリス軍が実験的に使用したという記録もあるくらいだが、その威力のほどを広く知らしめたのが第一次世界大戦だった。この時代、戦闘は塹壕戦により膠着状態(両軍共に塹壕を掘ってお互いに回り込もうとするが、兵力が拮抗している場合に、補給線が続く限り何ヶ月もにらみ合い状態に陥るケースも見られた)に陥り易かったが、塩素ガスを用いて相手陣地側の兵力を削ぐ目的で使用された。後にホスゲンが開発され、同様に利用された。
これらのガスを吸引した兵士は、高濃度のガスに晒されれば勿論全身の組織を塩素による化学反応で破壊されて死亡した訳だが、低濃度でも呼吸器官に甚大な被害を受け、喀血して死亡しないまでも、呼吸困難に陥って長い間症状に苦しむ事から、非人道的な兵器として恐れられた。なおこの時代の毒ガス兵器は、風向きを考慮に入れ、相手陣地の風上から燻すような方法が取られた。なお同時代にあっては、相手戦力の士気を落とす目的で、無毒な煤煙で燻す戦術も行れたという。
[編集] 中期
後にガスマスクが広く利用されるようになると、吸引によって作用するだけではなく、直接皮膚に損傷を与える化学兵器の開発が進められた。第二次世界大戦においては「毒ガスが使用される」という風評被害により軍隊内の士気が低下する問題が指摘された他、毒ガスを航空機や投下する爆弾や弾道ミサイルにより散布する技術の発達により、非戦闘地域にいる民間人にまで化学兵器に対する恐怖心が蔓延し、社会問題となった。
[編集] 後期
第二次大戦中から冷戦の時代に掛けて、神経性の物や糜爛性(皮膚をただれさせる)の物が開発された。この時代において化学兵器は「貧者の核兵器」と形容され恐れられた。特に冷戦時代の赤狩り(民主主義圏におけるヒステリックな共産勢力の糾弾が行われた)が横行した頃には、化学兵器による侵略やゲリラ的な活動が懸念され、大きな社会不安となってあらわれた。
一方、米国はベトナム戦争当時、平野での戦闘に慣れていた米軍が、森林での戦闘に長けていた(ろくな兵装も無い)ベトナムゲリラに苦戦していた事から、森林を平地化するため、焼夷弾による焼き討ちと平行して、大規模な枯葉剤の散布を実行、広範囲にダイオキシン汚染を引き起こした。この物質は、催奇性が極めて高く、また非常に安定しているため、この汚染により長い期間、ベトナム全土で異常出産の問題が発生している。
またイラクでは紛争地域で神経性の化学兵器が使用され、紛争地域に含まれていた村落で住民が多数死亡する等の事件も発生しており、また他の国も紛争地域における化学兵器の使用を行う事例が見られた。これの時代を通じ、化学兵器による環境汚染や後遺症の問題が明らかとなり、また世界に知れ渡った事から、化学兵器禁止条約(CWC)が締結され、国際社会では「化学兵器は使用してはならない」という共通認識が生まれ、過去に製造された化学兵器の無毒化処理や廃棄が進められている。
[編集] 現在
これら化学兵器は、核兵器と比較して製造が容易ながらも、使用方法如何では核兵器並に陰惨な被害を発生させ得る事から、国際社会から非難されやすい。このため国家規模ではこれら兵器を使用する事は勿論、製造する事も忌み嫌われているが、現在ではテロリストに使用されることが危惧されている。
核兵器に比べ入手や製造が比較的簡単で甚大な被害をあたえられることから生物兵器とあわせて「貧者の核兵器」と呼ばれ、また旧東側諸国では国家の解体により管理が等閑となった化学兵器の流出が危惧されているほか、過去に遺棄された化学兵器が周辺土壌を汚染している等の問題も発生、現在では「如何に安全に処理するか」の研究が進められている。
かつて世界では一度もテロに使用されたことのなかった化学兵器だが、1994年世界で初めてオウム真理教がサリンを使用した、松本サリン事件を起こし、7名の死者・660人の負傷者を出した。しかし当初は近所に住む市民の仕業と思われ、冤罪事件となった。同事件の成功(教団が関与したとは、当時考えられていなかった)により同教団は1995年東京都地下鉄内で大規模な毒ガステロ(通称地下鉄サリン事件)を実行、死者12名・3794名が負傷する惨事となった。
この事件を受け、自衛隊では従来の災害救助任務の範疇に、毒ガス汚染に対応する事を決定した他、他の国でも年々悪化するテロリストの問題に、化学兵器に対する備えを始める所も出てきた。
[編集] 関連項目
- 旧日本軍は、同島で毒ガスの研究開発を行っていた。現在では野生化したウサギの居る保養地として親しまれている。
[編集] 外部リンク