赤狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤狩り(あかがり、英Red Scare)は、国家権力が国内の共産党員およびそのシンパ(sympathyser―同調者)をその職などから追放すること。主に第二次世界大戦後の冷戦下の西側諸国で行われた。この場合の「赤」は共産党およびその支持者を指す。
目次 |
[編集] マッカーシズム
マッカーシズムは、第二次世界大戦後の1948年頃より1950年代前半にかけて行われたアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除の動き。1953年より上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務め、下院の非米活動委員会とともに率先して「赤狩り」を進めた共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員の名を取って名づけられた。
マッカーシーらに共産主義者、もしくはその同調者だと糾弾されたのはアメリカの政府関係者やアメリカ陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家。さらにはカナダ人やイギリス人などの外国人にまで及び、赤狩りの影響は西側諸国全体に行き渡ることになる。
しかし、共産主義者の追放という大義名分を傘に着たマッカーシー議員や、その右腕となった若手弁護士のロイ・コーンなどによる、偽の「共産主義者リスト」の提出に代表される様な、様々な偽証や事実の歪曲や、自白や協力者の告発、密告の強要までを取り入れた強引な手法がマスコミ・民主党から大きな反感を買うことになる。
マスコミをはじめ政府、軍部内にマッカーシーに対する批判が広がる中、1954年3月9日には、ジャーナリストのエドワード・R・マローにより、マローがホストを勤めるCBSのドキュメンタリー番組「See it Now」の特別番組内で、違法な手法で赤狩りを進めるマッカーシーに対する批判キャンペーンを行ったことを皮切りに、国民の間にも広くマッカーシーに対する批判が広がった。
その後も政府、軍部内にもマッカーシーに対する批判が広がり、同年の12月2日に、上院は65対22でマッカーシーに対して「上院に不名誉と不評判をもたらすよう指揮した」として事実上の不信任を突きつけ、ここに「マッカーシズム=アメリカにおける赤狩り」は終焉を迎えることになる。
[編集] 告発・密告者
[編集] 容疑者
- ロバート・オッペンハイマー
- オーエン・ラティモア
- ヴィクター・バーガー
- アーヴィング・ペレス
- ハリウッドの十人
- チャーリー・チャップリン
- ジュリアス・ローゼンバーグ
- エセル・ローゼンバーグ
- ウィリアム・レミントン
- エドガートン・ハーバート・ノーマン
- ジョン・ガーフィールド
- ダシール・ハメット
[編集] レッドパージ
レッドパージ(red purge)は、第二次世界大戦後の1950年当時、アメリカ軍占領下の日本においてマッカーサーGHQ総司令官の指令により、共産党員とシンパ(同調者)が公職や企業から次々に追放された動き。1万を越える人々が職を失った。なお、アメリカ本国での共産主義者追放を指す場合には「レッド・パージ」とは言わない。
[編集] 考えられる原因
- GHQの民主化政策により
- 共産党が勢力を伸ばしたこと
- 労働運動が激化したこと
- “ソビエト連邦のスパイが敗戦時の混乱に乗じて多数入国した”とされること
- 朝鮮半島で戦争の危険性が高まったこと
- 1949年の下山事件、三鷹事件、松川事件の影響
[編集] 赤狩りを取り上げた作品
- 映画『赤狩り・マッカーシーの右腕と呼ばれた男』
- 映画『真実の瞬間(とき)』
- 映画『グッドナイト&グッドラック』
- 映画『マジェスティック』
[編集] 関連項目
[編集] 人物
[編集] その他
- パーマー狩り Palmer Raids
- レッドパージ
- FBI
- フォーリン・アフェアーズ
カテゴリ: アメリカ合衆国の歴史 (1918-1945) | アメリカ合衆国の歴史 (1945-1989) | 映画史 | 差別 | 冷戦 | 反共主義