太政大臣
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太政大臣(だいじょうだいじん、だじょうだいじん、おおまつりごとのまえつぎみ)は律令制において、左大臣・右大臣の上に位置する、太政官における最高位の官職である。唐名は相国(しょうこく)、大丞相(だいじょうしょう)、太師。特に職掌はなく、天子の師たりうる者が任ぜられたので、常設はされず、適任者がいる時のみ叙任された。そのため、「則闕(そっけつ)の官」と呼ばれた(「闕」は「欠」の意)。正従一位相当官。
天智朝の大友皇子(671年)を最初とし、明治時代の三条実美(1871年 - 1885年在任)を最後に廃止される。
律令制初期においては軽々しく任命する事の出来ない役職であるとして、代わりに皇族のみが任じられる同格の「知太政官事(ちだじょうかんじ)」が設置されていたが、やがて臣下の者が太政大臣に任命されるようになった。藤原北家の勢力が伸びるにつれて、藤原良房(857年 - 872年在任)以降、源雅実(1122年 - 1124年在任)まで250年の間、藤原氏に独占され続けた。
平安末期以後、原則的に五摂家・九清華の者のみが務める資格を持ったが、江戸期には摂関経験者だけが太政大臣に任じられたようである。
武家出身の太政大臣は、平清盛・足利義満・豊臣秀吉・徳川家康・同秀忠・同家斉ら六例を数える。
生前の叙任が少ない太政大臣は、死後の贈官として、摂関、天皇の外祖父、江戸時代の将軍などに贈られることがある。
また織田信長のように事実上の執権者が叙任を受けずに死亡したことを鑑みて、後世(大正時代)に追贈された例もある。