保守
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保守(ほしゅ)とは、字句どおりの意味では守り保つこと。すなわち正常な状態を維持することを指す。実際の使われ方は大きく以下の二つに分かれる。
- 機械類を正常な状態に維持することを指す。→メンテナンス (maintenance) を参照。
- 原義より転じて、思想としての「保守」(conservative) は、伝統的価値観の肯定とその価値観の現在への反映を主張する。本項ではこの思想としての面を詳述する。
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[編集] 概要
思想としての保守は、基本的には伝統を重視する考え方を指す。保守主義や保守的といった言葉が指すのはこの思想としての保守である。対する概念は分野によって異なるものの革命(Revolution)、進歩主義(progressive)、前衛(Frontier)などと呼ばれる現状変革を求める考え方である。また、こうした変化を求める側からは批判的に守旧派と呼ばれる場合もある。
フランス革命当時の保守主義は原義は「今あるアンシャンレジーム(旧体制)とレッテル貼りされた諸制度は、遠い過去からの取捨選択に耐えてきたものであり、これを維持存続させることが国民の利益になる。」と定義されていた。21世紀の現在でも保守政治家等の言動を観察すると、この言葉を意識するにせよ無意識にせよ、この定義に則った言動でほとんど全てが説明できる。
「維持せんがために改革する」というディズレーリの言葉からも明らかなように、保守主義は漸進的な改革を否定しないし、過去に獲得されてきた市民的諸権利を擁護する。これに対して反動は、フランス革命後のボナールやド・メーストルに明らかなように、伝統の維持が自己目的化し過去の体制を理想とする結果、市民的諸権利までをも否定してしまう場合を指す。マンハイムが述べるように、保守主義はそれ自体として存在するものではなく、何かの変革(たとえば革命)が起こった後、それに対する反応として形成される以上、保守は常に反動に変質する可能性を秘めている。だが、『反動』という言葉は左翼が保守、または単に反対勢力へのレッテルとして用いてきた経緯があるので使用には慎重を要する。
[編集] 自然的保守主義
人間には新しいもの・未知なるものへの恐怖と、現状を積極・消極両面での維持を欲する感情がある。イギリス保守党の理論家であったヒュー・セシルは、これを「自然的保守主義」と呼んでいる。
[編集] 保守主義(政治思想)
[編集] 思想の歴史
政治思想としての『保守主義』は、コモン・ローの法思想を中心として発展してきた。17世紀、イギリスにおいて、エドワード・コークが、中世ゲルマン法を継承したコモン・ローの体系を理論化した。そして、18世紀、コモン・ローの伝統の下に、保守主義がエドマンド・バークによって、『フランス革命の省察』という書物において、大成された。この書は、フランス革命における恐怖政治への批判でもある。
これに対して、アメリカにおいては、コモン・ローの法思想が、ウィリアム・ブラックストンの『イギリス法釈義』を通じて、そのままアメリカの保守主義として、アレクサンダー・ハミルトンらの建国の父達によって継承された。そして、アメリカ合衆国憲法の憲法思想となった。
このように、保守主義とは英米の政治思想であるが、その影響か、フランス、オランダ、スペイン、ドイツ、ロシアにも保守主義の思想家が点在する。
[編集] 思想の特徴
保守主義の基本的な考えは、人間の思考に期待しすぎず、人は過ちを犯すし完全な者ではないという前提に立ち、謙虚な振るまいをし、伝統的価値観(慣習、宗教、美徳、道徳、政治体制など)を尊重することである。なぜなら、先祖達が試行錯誤しながら獲得してきた知恵が、これらの中に凝縮されていると考えるからである。また、国家は祖先からの相続財産で、現在、生きている国民は、相続した国家を大切に維持し、子孫に相続させる義務があると考える。だから、過去・現在・未来の歴史的結びつきを重視するのである。単なる懐古趣味とは全く異なり、未来志向の要素もある。また、未来を着実に進む為には、歴史から学ばなければならないと考える。なぜなら、歴史は、先人たちが試行錯誤して来た失敗の積み重ねの宝庫だからである。
さらに、権利についても、国家と同様に、先祖が獲得した権利を譲り受けた相続財産と考える。つまり、権利の根拠を相続したからと考える。だから、権利が、人間が人間であるということを根拠として発生すると考える人権思想とは全く異なる。
また、西洋の保守派の多くは、自らを騎士道の精神を継承者と自負しているので、祖先から相続した国家の国柄を破壊する急進的思想と、一切の妥協せずに戦うイデオロギーである。単なる現状維持としての守旧とは全く異なる。
政治における保守は主に国内政策に対して使われる。外交政策の考え方を表すハト派、タカ派とは本質的に無関係。
保守の基本的な態度は伝統的価値観(宗教、美徳、道徳、政治体制など)を肯定し、現在と過去との歴史的結びつきを重視するものである。ただし伝統的価値観の内実が様々であるため何処で何時の価値観を保守すると唱えているかで主張が異なる。
自由主義社会においては時代・状況によって主な政策は異なるが、共産主義の否定は多くの場合共通している。
他方、民主主義への懐疑という点も注目すべきである。その理由としては、民衆=議会の暴走→道徳の退廃・自由の軽視への危惧への警戒が挙げられる。全体主義とは対立し、個人主義、極端な場合は専制政治に変化する(そもそも独裁政治とはローマ共和派やジャコバンら左翼が始めたものであるので区別に注意を要する)
それまでの価値観の継承という観点から急激な変化を嫌い、それゆえ既存の国家像を護持する態度は「愛国的」態度に結びつきやすい。更にはそうした態度が排外主義にまで至る場合もある。
保守は伝統的価値観と親和性の高い農業などの第一次産業従事者の多い農村部や、上記の既存の国家像の護持の立場から軍部などを支持母体とすることが多い。また資本主義社会においては資本家も既得権益を持つものとして支持する傾向もある。
ただし、軍隊による反王室クーデターなど例外も多く一概に述べることはできない。イラン革命後のイランのようなイスラム法社会においてはウラマーなどの宗教的指導者の政治を支持する立場を指す。
[編集] 主な保守主義の思想家
- エドワード・コーク
- マシュー・ヘイル
- バーナード・デ・マンデヴィル
- デイヴィッド・ヒューム
- ウィリアム・ブラックストン
- アダム・スミス
- アダム・ファーガソン
- エドマンド・バーク
- ジョン・アダムズ
- ジェームズ・マディソン
- アレクサンダー・ハミルトン
- バンジャマン・コンスタン
- ヴィルヘルム・フォン・フンボルト
- フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン
- フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー
- ジョン・カルフーン
- ベンジャミン・ディズレーリ
- アレクシス・ド・トクヴィル
- ヤーコプ・ブルクハルト
- フョードル・ドストエフスキー
- ヘンリー・メイン
- ウォルター・バジョット
- ジョン・アクトン
- ギュスターヴ・ル・ボン
- ガエタノ・モスカ
- ポール・モア
- アーヴィング・バビット
- ヨハン・ホイジンガ
- ニコライ・ベルジャーエフ
- ギルバート・ケイス・チェスタートン
- ウィンストン・チャーチル
- ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
- ホセ・オルテガ・イ・ガセト
- T・S・エリオット
- ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
- クリストファー・ドーソン
- ピーター・ドラッカー
- フリードリヒ・ハイエク
- マイケル・オークショット
- カール・ポパー
- レイモン・アロン
- ハンナ・アレント
- ロバート・ニスベット
- ラッセル・カーク
- マーガレット・サッチャー
[編集] 日本における保守主義
日本において保守の立場をとる組織・人物として、自由民主党、産経新聞、読売新聞、日本文化チャンネル桜、文藝春秋、新潮社、小学館、日本会議などのメディア。自称保守あるいは新保守主義として新しい歴史教科書をつくる会、日本教育再生機構、自由主義史観研究会などの団体。石原慎太郎、平沼赳夫、西村真悟、安倍晋三、山谷えり子、城内実、稲田朋美らといった政治家や、櫻井よしこ、三宅久之、小林よしのり、長谷川三千子、潮匡人、中川八洋、八木秀次、中西輝政、佐伯啓思、福田和也など、一般に“右派”と評されるジャーナリスト・評論家・学者がいる。
古くは安倍寛(安倍晋三衆議院議員の父方の祖父で戦前の衆議院議員。1942年の所謂、翼賛選挙においては翼賛政治体制協議会の非推薦候補ながら当選。)、近代では石橋湛山や松村謙三から三木武夫、田中秀征らに通じるリベラルな思想の持ち主が「反共産主義・反国粋主義」(即ち反全体主義)の立場をもって「保守」を標榜してきた流れも存在する。彼らと“右派”は同じ「保守」と名乗りながらも多くの面で対立関係にある。彼らは戦後の自由民主主義と日本の伝統的価値観の両者は本来調和するものであると考えて基本的にはこれを支持し、“右派”と共産主義者は共にこの体制に挑戦する「革新勢力」と見做している。
また、保守の対義語は革新であるが、特に“右派”は時にはリベラル保守を含めて「左翼」と呼び、革新の用語を避ける。逆に、自らは左翼の対義語である「右翼」と呼ばれることを嫌い、保守と標榜する傾向が強い。しかし、一方では「保守的」と「保守主義」の区別がついていない(というより保守主義がどんな思想かも知られていない)というのが現実であり、戦後民主主義の中で保守主義の思想家たちの著作も一部を除いてほとんど出されていないというのもまた事実である。
憲法改正論議では、新保守主義者達が現憲法体制の革新に通じる改憲を唱え、進歩主義者達が現憲法体制の保守に通じる護憲を唱えている。これは新保守の言う“改憲”はそのまま大日本帝国的なものの肯定(すなわち反動)、進歩主義者のそれは否定に通じている事に原因している。
伝統擁護、漸進的変革を保守主義者は唱え、革命を否定的に見る。皇国史観は、革命を絶対否定している。なお、戦前の革新右翼は、表面的には民族主義だが、本質的にはマルクス主義という思想なので、革命を肯定し、昭和天皇による、上からの共産主義革命を目指した。
反共産主義を共に唱えていることから、右翼と保守が混同されがちであるが、天皇主義をどう捉えているかの一点で、判然と異なる。また、フランス革命をどう捉えているかという点も、思想の本質を区別するのに役立つ。例えば、平泉澄と上杉慎吉は、民族主義という点で共通しているが、平泉はフランス革命を全否定し、上杉は賞賛する。
参照:尚武のこころ(日本教文社刊及び三島由紀夫全集内)の三島由紀夫と石原慎太郎の対談
[編集] 宗教
とくに頻繁に使用されるのはキリスト教界において、最近のアメリカの宗教右派の台頭にともなってファンダメンタリストなどのプロテスタントの神学的な保守、つまり聖書に基づくとする伝統教義を「遵守」しようとする潮流を保守派と呼ぶ。また、聖書に基づくキリストの十字架による身代わりの贖罪による救いの教理を強調する立場から福音派、福音主義と自称し、そのように呼ばれることもある。
福音派の立場からすると、「道はちがえども全ての宗教は救いにいたらしめるものであるという考え方に近く、思想的哲学的潮流に影響されやすく神学的に聖書を尊重しない傾向のある」自由主義神学の立場は、受け入れがたいものであり、保守派若しくは福音派は、そのような立場を潔しとしないキリスト教徒の群れである。
ただし、神学的に保守であっても、必ずしも政治的に保守であったりタカ派とは限らず、核兵器使用賛成、反共産主義、国粋主義的に片寄りがちなファンダメンタリストに一線を画し、キリストが十字架の死をもって伝えたかったことは何か、聖書の伝えたかった使信とは何かと追求した結果、キリストの十字架のメッセージは、神と人との和解、人と人との和解であり、すなわち平和主義であるとの考えから核兵器使用反対、戦争反対の立場をとる保守派、福音派のキリスト教徒も少なくない。
カトリックの保守派はプロテスタントの上記保守派とは神学的には正反対であり、相容れないが中絶などに関し政治的に一致する場合もある。
イスラム原理主義の原理主義の語源もファンダメンタリストに由来している。イスラム法の厳密な適用等教義の遵守を旨としている。