三宅久之
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三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年(昭和5年)1月10日 - )は、日本の政治評論家である。
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[編集] 来歴
東京に生まれる。東京都立国立高校を経て、早稲田大学第一文学部を卒業した後の1953年(昭和28年)、毎日新聞社へ入社。政治部記者から始まり、政治部副部長、静岡支局長、特別報道部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退社してからフリーの政治評論家となる。
1978年(昭和53年)10月から1985年(昭和60年)3月までに、テレビ朝日『ANNニュースレーダー』の木曜日から土曜日まで(当初は金曜日と土曜日)のキャスターを務める。その後、同局の『やじうまワイド』や、『新・アフタヌーンショー』等にコメンテーターとして出演。歯に衣着せぬ辛口評論で茶の間の人気を集め、テレビでも活躍する様になった。
現在、テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』や、読売テレビの『たかじんのそこまで言って委員会』等の討論系バラエティ番組にレギュラー出演中。番組中では保守派の代表的論客。
[編集] 人物
座右の銘は「愛妻・納税・墓参り」。愛妻家であり、夫婦旅行のため番組を休む事がある。2006年には金婚式を迎えた。
読売新聞社会長の渡邉恒雄とは記者時代からの友人。その縁からか「やじうまワイド」で巨人の話題になると渡邊会長からの手紙(通称「ナベツネ通信」)を読むことが恒例だった(現在は、たまに「たかじんのそこまで言って委員会」で披露されることがある)。中曽根康弘元総理をはじめ、政界関係者と深いパイプを持つことで知られている。
2005年の解散総選挙を異論が多い中、「たかじんのそこまで言って委員会」で早くから言い当てるなど、予測や見識には定評がある。
激高しやすい所があり(桂ざこばとおなじ「瞬間湯沸し器」)、かつて『ウェークアップ!ぷらす』において朝鮮半島についての話題が上った際、井筒和幸と一触即発になったことがある。(ウィキペディアの井筒の項目では「口論した」事になっているが、実際には井筒は殆ど反論せず、後にスポーツ誌のコラムで三宅に対する罵詈雑言を書き殴っていた。)
また放送禁止用語を連発することでも知られ、「きちがい」との発言をアナウンサーが「差別的な発言があったことをお詫びします」とフォローされた時は、「差別的な意味で『きちがい』といったわけではない」と再び禁止用語を交えて激昂したというエピソードがある。
「たかじんのそこまで言って委員会」では田嶋陽子と毎回のように口論になる。一度「ハゲ」と言われた際には「私は一度もブスとかいったことはあるか?人の特徴を示して馬鹿にするな」と激昂している(他のパネラーが「脱毛」の話題を取り上げても不機嫌になることがある)。ちなみにその後、田嶋と交流があった細川護熙を「ゲテモノ好み」と発言し、田嶋が「私もデスノートが欲しいわ」と発言するオチがあった。三宅自身は本番前は「今日も一段とお美しいですな」と褒めたりして人としてはいい関係である。ちなみに「田嶋さんがいないとテンションが上がらない」と言って寂しがっている。
[編集] 出演番組
[編集] 現在
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日):準レギュラー
- たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ = 主に西日本と東日本の一部):レギュラー
- 報道2001(フジテレビ):不定期
- サンデープロジェクト(テレビ朝日):不定期
- 情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ):不定期
[編集] 過去
- ANNニュースレーダー(テレビ朝日):金土 - 1978.10~1979.03 → 木金土 - 1979.04~1985.03
- やじうまワイド(テレビ朝日):コメンテーター
- 新・アフタヌーンショー(テレビ朝日):コメンテーター
- 朝まで生テレビ!(テレビ朝日)
[編集] 著書
- 宰相を争う男たち(時事通信社、1982年)
- 三宅久之のやじうま政治学・政治ジャーナリスト四十余年の臨床診断(ぴいぷる社、1995年)
- 闘争―渡辺恒雄の経営術(ぺんぎん書房、2005年)
- 日本の問題点をずばり読み解く・この国をダメにするもの良くするもの(青春出版社、2005年)