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ウラジーミル・レーニン - Wikipedia

ウラジーミル・レーニン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウラジーミル・レーニン
Владимир Ленин
ウラジーミル・レーニン

ソビエト連邦 初代最高指導者
任期: 1917年11月8日1924年1月21日
出生日: 1870年4月22日
生地: シンビルスク
死亡日: 1924年1月21日
没地:
配偶者: ナデジダ・クルプスカヤ
政党: ソビエト連邦共産党

ウラジーミル・イリイチ・レーニンВладимир Ильич Ленин, 1870年4月22日ユリウス暦では4月10日) - 1924年1月21日)は、史上初めての社会主義革命であったロシア革命を成功させたロシアの政治家、ソビエト連邦の建国者。ロシアの共産主義政党であるロシア社会民主労働党ボリシェヴィキの指導者。本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフВладимир Ильич Ульянов)。「レーニン」は「レナ川の人」を意味するペンネーム(偽名)で、著作や論文にはニコライ・レーニン(Николай Ленин, Н. Ленин)の名で署名していた。

レーニンの名を用いるまで、地下活動の間に約150もの偽名を用いていた(カルポフ、ヤーコプ・リヒテル、フレイ、バシルなど)。

目次

[編集] 生い立ち

1887年のレーニン
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1887年のレーニン

レーニンはヴォルガ河畔のシンビルスク(現ウリヤノフスク)で、ロシア人の父イリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤノフ(1831年 - 1886年)とドイツ=スウェーデンユダヤ人の母マリア・アレクサンドロヴナ・ブランク(1835年 - 1916年)の間に生まれる。母方の祖母は生粋のモンゴルカルムイク人オイラト)で、同じく祖父はユダヤ教からロシア正教に改宗していた。なお、父イリヤは著名な教育者であるが、世襲貴族でもあり、レーニン自身も後に逮捕されたときに「世襲貴族 ウラジーミル・ウリヤノフ」と署名している。

神童の誉れが高く、九歳でシムビルスク古典中高等学校に入り、卒業の際は全学科全学年を通じて首席だった為、金メダルを授与された。彼は後述する兄の騒動により、父イリヤの母校であるカザン大学(学長はアレクサンドル・ケレンスキーの父フョードル・ケレンスキー)でラテン語ギリシャ語を学んだ。1887年5月に彼の兄アレクサンドル・ウリヤノフは、ロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺計画参加のために絞首刑にされた。兄の死によりレーニンは学生活動に参加するようになり、同年末に逮捕されカザン大学を退学するが、兄アレクサンドルの母校サンクトペテルブルク大学の難関国家検定試験で断トツの成績だった秀才ぶりと試験官の強い推薦で政治事情を免除され、第一級の学士を取得。その後はチェス仲間の知人が経営する法律事務所で弁護士補として働くが、担当した仕事は2件のみであった。

[編集] ロシア革命

1895年のレーニン
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1895年のレーニン

マルクス主義運動家として活動しはじめたレーニンは、1895年に労働者階級解放闘争ペテルブルク同盟を結成するが、12月7日に逮捕・投獄され、1897年シベリア流刑、シュシェンスコエ村に追放された。

1898年7月、彼は社会主義活動家ナデジダ・クルプスカヤと結婚した。1899年4月に『ロシアにおける資本主義の発達』を出版。1900年に刑期が終了し7月に亡命。12月にドイツミュンヘンで「イスクラ」(火花)を発刊する。1901年に「ザリャー」(天映)において初めて「レーニン」の名前を使用する。 彼は1898年3月14日ミンスクでの「労働者階級解放闘争同盟」全ロシア大会で、ゲオルギー・プレハーノフらと共に後のロシア社会民主労働党 (Росси́йская Социа́л-Демократи́ческая Рабо́чая Па́ртия = РСДРП, RSDRP) の基礎を作り上げるが、1903年の同党の第二回大会でメンシェヴィキボリシェヴィキが分裂、ボリシェヴィキを率いて活動することとなる。1906年にロシア社会民主労働党の最高会議幹部会で選任される。翌年に身の安全のためフィンランドへ出国、彼はヨーロッパ各地で多くの社会主義活動に参加した。

ロシア皇帝ニコライ2世の退位後、1917年4月16日に彼はドイツの手引きにより、封印列車でペトログラードに戻り『四月テーゼ』を公表、ボリシェヴィキ活動の指導的な役割となった。7月の武装蜂起が失敗した後レーニンはフィンランドへ逃れたが、10月に帰国しスローガン「すべての権力をソヴィエトへ」の下に武装革命を指導した。アレクサンドル・ケレンスキーの率いる臨時政府に対する彼の考えは、著書『国家と革命』あるいはソヴィエトの中で表現された。

ロシア革命による帝政ロシアの弱体化-日露戦争の勝利を狙った日本陸軍の明石元二郎大佐から支援の申し出を受けたが、断ったという。

[編集] ソヴィエト連邦指導者

バレンティン・セローフ「ソビエト政権発足を宣言するレーニン」
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バレンティン・セローフ「ソビエト政権発足を宣言するレーニン」

1917年11月8日、レーニンはソヴィエト議会において初代人民委員会議議長に選ばれた。そしてこの日のうちにブルジョア新聞の閉鎖を強行し、内務人民委員部(NKVD)を設立した。12月20日には秘密警察として反革命・投機・サボタージュ取締り非常委員会(全露非常委員会・БЧК チェーカー)を創設し、反体制分子の弾圧を開始する。翌年1月19日には憲法制定会議を武力解散し、1月23日から開かれた第3回全ロシア・ソヴィエト会議で正式国名を「ロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国」とした。 

ドイツの侵略の兆しに直面したロシアにおいて、レーニンは和平条約の調印を主張した。ニコライ・ブハーリンのような強硬派のボリシェヴィキ指導者はドイツで革命を誘発する手段として戦争の継続を主張した。和平交渉を担当したレフ・トロツキーは中間の立場であった。和平交渉の決裂後ドイツはロシア国内に侵入を始め、国土の西部地域の多くを失った。結果レーニンの和平条約調印の主張は多くの支持を得、最終的に不利な条件で1918年3月にブレスト・リトフスク条約に署名することとなった。しかしこの結果、当時ボリシェヴィキと連立政権を組んでいた社会革命党左派(左翼エスエル)は政権から離脱し、同年7月6日、駐露ドイツ大使ヴィルヘルム・ミルバッハ伯爵暗殺を皮切りに反ボリシェヴィキ蜂起を起こす。

戦争から手を引いたソヴィエト政権は首都をモスクワに遷都、ボリシェヴィキはその名をロシア共産党と改め、7月に開催した第5回全ロシア・ソヴィエト会議においてソヴィエト憲法を制定。左翼エスエル蜂起を受け共産党以外の政党を禁止した。

[編集] 暗殺未遂事件

1918年8月30日、レーニンが会合での演説を終え自動車に乗ろうとしたとき、3発の銃声と共にレーニンは倒れた。そのうちの二発が彼の肩と肺に命中した。レーニンは自分のアパートへ運ばれ、他の暗殺者の存在を恐れ病院への搬送を拒絶した。医者が呼び出されたが銃弾の摘出は危険すぎたので手術は行われなかった。レーニンの容態はどうにか回復したものの、その健康状態はこのときから傾き始めた模様で、この暗殺未遂による負傷が、死因となった脳梗塞に大きく影響したと考えられている。

なお、この時現場にいたエスエル党員ファーニャ・カプランが逮捕され、即決裁判の後処刑されたが、彼女は既に失明同然だったことなどから、犯人は別人だった可能性が高い。いずれにしても、この事件はミルバッハ暗殺と合わせて左翼エスエルを弾圧する口実ともなった。

[編集] 正教会弾圧

レーニンは、ロシア正教会を反革命の温床と決め付け、資産を強引に供出させたりしていたが、1922年3月にイヴァノヴォ州シューヤで教会財産接収に反対するデモが暴徒化し、死者が出たことに激怒。3月29日ロシア正教会の弾圧を指示し、多数の司教たちを殺害すると共におびただしい財宝などを没収させた。

これ以降グラスノスチまでイコンを所持する事などは禁止された。同様の弾圧はイスラム教のモスクなどでも起こり、チェーカーによる聖職者の殺害、教会資産の没収が強行された。

[編集] 日本との関係

日本との関係に於いては、明石元二郎らが日露戦争勝利のための工作としてロシア革命を支援し、レーニンにとっても大きな後押しとなった。また実現には至らなかったが、レーニンは北樺太の日本への譲渡を考えていたというが真偽は定かではない。日本ではさほど有名でなかった時期のレーニンには「礼仁」の字があてられたことがあったが、ほどなくして社会主義を嫌った日本政府はレーニンの名前に『冷人(れーにん)』という字をあてて宣伝し、社会主義思想の浸透を弾圧にかかった。 革命のさなか、毎日新聞朝日新聞の二人の日本人記者がレーニンにインタヴューを申し込み、レーニンが日本の家庭教育に感激を受けたという逸話は有名である(アルハンゲリスキー著『レーニンと会った日本人』より)

[編集] 死去

生前最後に撮られた写真
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生前最後に撮られた写真

レーニンの健康は暗殺の試み、戦争と革命の激務によって害されていた。1922年5月に彼は最初の発作を起こす。彼の右半身は麻痺し、政権内における影響力は縮小した。12月の二度目の発作の後、急速に病状が悪化し発狂の疑いもあるとして、政治局は彼の静養を命じた。1923年3月に三度目の発作が起きるとレーニンはもはや話すことも出来ず、ほとんど廃人状態となった。彼は1924年1月21日に四度目の発作を起こし死去した。

レーニンの死因は公式には大脳動脈硬化症、あるいは脳梗塞とされている。しかし、彼を診察した27人の内科医のうち検死報告書に署名をしたのは8人だった。この事は梅毒罹患説の根拠となったが、実際は署名をしなかった医師は単に他の死因を主張しただけであって、結局、この種の説を唱えた医師は一名のみだった(動脈硬化がアテローム性だという事を除いては)。実際、レーニンの父、姉、弟はいずれも脳出血により死去している。

ペトログラードは彼にちなんでレニングラードと改名された。また、生地のシンビルスクも彼の本名にちなんでウリヤノフスクと改名された。レニングラードは1991年のソ連崩壊時に元(第一次世界大戦前)の名、サンクトペテルブルクに戻された。但し、同市のある州の名前はレニングラード州のままである。

レーニンとスターリン(1922年)
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レーニンとスターリン(1922年)

死の直前にレーニンは、自分のための記念物を作らないで欲しいと希望したが、彼の死後、スターリンをはじめとする多くの政治家が自らのレーニンとのつながりを誇示するために続々と記念物を作り出した。レーニンの人物像は彼にちなむ多くの記念碑が建造されると共に、ソ連崩壊に至るまでの架空のステータスとなった。

レーニンの遺体は、死後ほどなく保存処理され、モスクワのレーニン廟に現在も永久展示されている。その遺体保存手段については長らく不明のままで、「剥製である」という説や「蝋人形ではないか」という説も語られていた。ソ連崩壊後、1930年代から1950年代にレーニンの遺体管理に携わった経験のある科学者イリヤ・ズバルスキーが自身の著作で公表したところによれば、実際には臓器等を摘出の上、ホルムアルデヒド溶液を主成分とする「バルサム液」なる防腐剤を浸透させたもので、1年半に1回の割で遺体をバルサム液漬けにするメンテナンスで現在まで遺体を保存しているという。

なお政府はエリツィンのころより、遺体を埋葬しようと何度も計画しているが、そのつど国内の猛反対にあい撤回されている。

レーニンの死のエピソードとして語られている逸話に、レーニンがスターリンを呼び出し、「声がでなくなってまで生きたくないから毒をもってくるように」と頼んだというものがある。この話はのちにトロツキーが1923年3月のこととして著述しているが、レーニンの秘書の回想では1922年のことで、レーニンの妹が反対したともいう。いずれにしても真偽は不明である。

[編集] 死後

レーニン廟に保存されている遺体
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レーニン廟に保存されている遺体

レーニンは革命後の進歩的政策や晩年ヨシフ・スターリンの手法に批判的であったことなどにより、一般的に批判はスターリンに対するものより少ない。

しかし、レーニンが残した膨大な政治命令書が、ソ連末期のグラスノスチと共に徐々に公開され、その活動の研究が文書にもとづいて批判的に行うことが可能となった。それによると彼は政敵や、政策に抵抗する人々への粛清を行った事などが判明してきており、レーニンの行動そのものがスターリニズムの生まれた要因の重要な核であるという批判がなされている。

また、彼自身を含めてボリシェヴィキ幹部の別荘建設や特別列車の敷設といった共産党員の赤色貴族化の発端はレーニン自身の行動にあるのではないかという研究もある。

[編集] レーニンの言葉

  • 「われわれは、共産主義は資本主義のなかから成長してくること、共産主義は資本主義の遺物で建設する他はないこと、それはたしかにこのましからざる遺物ではあるが、しかし、それ以外のものはないことを知っている」
  • 「利口なロシア人は大抵がいつもユダヤ人か、それともユダヤ人の血の混じった人だ。」
  • 「自分の過ちを認めることを恐れるな。幾度となく修正を繰り返すことを恐れるな。」
  • 「真の革命家にとっての最大の危険は、革命性を誇張することである。」
  • 「マルクス主義は労働者階級から自然発生することはありえず、外から注ぎ込まなければならない。」
  • 「もし諸君があまり従順でないすべての知識人を追いだし、従順な大ばか者だけをのこすならば、諸君はかならずや党を滅ぼすであろう。」
  • 「我々は党を縮小しなければならない。大きくは無いが、強固な、そして仲のよい党を作るべきだ。党員数はほどほどでよい。ただし彼らは、しっかりした教育を受け、国の要職に就き、国をリードしていく能力のある人間でなければならない。」
  • 「偉大なブルジョア革命家に、最も深い尊敬の念をよせないようでは、マルクス主義者ではありえない。これらの革命家はブルジョア的祖国の名において語る歴史的権利をもっており、かれらは封建制に対する闘争のなかで、何千万という新興民族を文明生活にたち上がらせたのである。」

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


ソビエト連邦最高指導者
1917 - 1924
先代:
-
次代:
ヨシフ・スターリン
人民委員会議議長(首相)
1917 - 1924
先代:
-
次代:
アレクセイ・ルイコフ
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