ウゴ・チャベス
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ベネズエラ 第53代大統領 | |
任期: | 1999年2月2日 – 現職 |
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副大統領: | ホセ・ビセンテ・ランヘル |
出生日: | 1954年7月28日 |
生地: | バリナス州 サバネタ |
配偶者: | なし (離婚) |
政党: | 第五共和国運動 |
ウゴ・ラファエル・チャベス・フリアス(Hugo Rafael Chávez Frías, 1954年7月28日 - )はベネズエラの大統領。
元落下傘部隊中佐で、敬虔なカトリック信者である。1989年2月17日、カラカスでの貧困層の人民蜂起に陸軍が出動したことに衝撃をうけ、1992年にクーデターを試みたが、失敗し投獄された。しかし、1980年代以降推進された新自由主義経済改革と、民主行動党とキリスト教社会党の二大政党制、富裕層や労働組合幹部に独占されていた医療や福祉に不満をもつ貧困層の圧倒的支持を受け1999年に大統領に選ばれる。
大の野球好き。
[編集] 大統領就任後
大統領就任後、チャベス政権はボリーバル憲法と呼ばれる新憲法を制定し、国名をベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバル共和国に変更、大統領権限の強化、一院制への移行などを行った。貧困層のための無料診療制度をととのえ、キューバから2万人の医師・歯科医師の派遣を受けたり、農場主の土地を収用して農民に分配するなどの農地改革や、為替管理や統制価格の導入、石油公団 (PDVSA) への統制強化など、反米・社会民主主義路線を明確にした。これをチャベスはシモン・ボリバルにちなんで「ボリーバル革命」と呼ぶ。今日、チャベスは典型的なポピュリズム指導者(ポピュリスト)の一人と見なす意見もある。
チャベス政権の経済政策への不満、富裕層が支配するマスメディアの反チャベス報道によって、中産階級や富裕層を基盤とする民主行動党とキリスト教社会党勢力や、チャベス当選時には与党連合の一角を占めていたかつての左翼政党「社会主義運動党(MAS)」、市民団体、労働組合のCTVなどの間で不満が高まっていった。その結果2001年ごろから反政府運動が激化、国内各地でストライキや石油公団におけるサボタージュや施設の破壊行為が発生するようになった。チャベスはサボタージュに関与した者の罷免でこれに対抗した。2002年4月11日にはCIAの支援を受けて軍部によるクーデターが発生し、チャベスは軍に監禁され、代わりに元経済団体議長のペドロ・カルモナが暫定大統領に就任した。最初クーデターは成功したかに思われたが、大統領の支持基盤である貧困層のデモが激化。情勢を見た軍や大統領警備隊が寝返り、カルモナは逃亡。クーデターはわずか2日間で失敗に終わった。
その後も反チャベス派の激しい運動とストライキ・サボタージュが続き、社会主義運動党の一部や副大統領ルイス・ミキレナの離反があったが、2004年8月の大統領信任投票では58%の信任を獲得し、反チャベス派は後退した。更に2005年12月の議会選挙では、反チャベス派が選挙ボイコット戦術を採って候補者を立てなかったため、ほとんどの議席をチャベス派が独占している。また、クーデター後は関係者の処罰や改革の促進に力を入れている。外交では反米路線を明確にしておりアメリカと距離を置くロシア・ベラルーシ・中国・イランを訪問している。2006年7月に北朝鮮訪問も予定していたが、北朝鮮がミサイル発射実験を行う直前に訪問を中止し、同年10月の北朝鮮の核実験の際は非難声明を発した。
また、2005年7月24日には、中南米統合を目指し、中南米からの視点での報道機関としてTeleSURを、キューバやアルゼンチンなどの政府と共同でカラカスに開設している。しかし2006年のペルー大統領選で、当初優勢が伝えられたオジャンタ・ウマラ候補を支持するコメントをチャベスが発表すると、チャベスへの警戒感からウマラの支持率が低下し、中道左派ではあるがチャベスを「他国に干渉する軍事主義者」と批判するアラン・ガルシア元大統領の当選を許すなど、彼の影響力を嫌う動きも見られる。しかし、国内での支持は貧困層を中心に根強く2006年12月3日の大統領選で対立候補をダブルスコアに近い大差で3選を果たす。なお本人は大統領就任から貧困の撲滅を掲げているが、ベネズエラの貧困層の割合はチャベスが就任して以来減少していないという見方もある。
2005年8月22日、アメリカのプロテスタント保守派の有力指導者パット・ロバートソンが、自らが運営する「クリスチャン放送網」 (CBN) の番組で、チャベスを暗殺すべきだと主張し、物議をかもした。
[編集] 外交政策
アメリカ合衆国に対してはきわめて敵対的な態度で9・11テロ後に「テロとの戦いは支援するがあらゆる方法が容認されるものではない」としてアメリカのアフガニスタン侵攻を非難した。さらにベネズエラに石油利権を持つアメリカとしてはチャベスが石油を武器にして反米外交を展開する政策は到底容認できるものではなかった。これらは以前からの反米路線とあいまってブッシュ政権との確執を深めた。
2006年9月20日、国連総会にて行われた一般演説において、アメリカ批判論者のノーム・チョムスキーの著書を読むよう勧めた上で、ブッシュ大統領を「悪魔」と呼んで、アメリカを批判した。これに対しボルトン米国連大使は「我々にはほかに仕事がある。コメントする問題ではない」との反応を示したが、会場においてはチャベスの演説に対して拍手喝采が起こったことも事実である[1]。
その一方で、世界各国の首脳と外交関係を深めている。キューバのフィデル・カストロ議長とは師弟関係さながらの関係を築いているほか、ブラジルをはじめとしたラテンアメリカ諸国とも積極的に関係を進めており、2006年にはベネズエラのメルコスール入りも果たした。また、最近はイランや中国、ベラルーシとの外交も強化している。ロシアとのあいだでは、スホーイ30戦闘機24機の購入契約を結んでいる。
- Video
[編集] 参考
- ベネズエラ大統領
- 1999年 -
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- 先代:
- ラファエル・カルデラ・ロドリゲス
- 次代:
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カテゴリ: ベネズエラの政治家 | 社会主義 | グローバリゼーション | 1954年生