井川慶
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井川 慶(いがわ けい、1979年7月13日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町生まれのプロ野球選手(投手)。阪神タイガース所属。背番号29。身長186cm、体重91kg。左投げ左打ち。愛称は「ダッペ」「エース井川」。
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[編集] 来歴・人物
- 水戸商業高校時代
3年時、春の県大会竜ケ崎一戦で7回参考記録(コールド勝ちのため)ながら18奪三振で完全試合を達成する。夏は腰痛のためほとんど登板機会がなかった。決勝(水戸市民球場、茨城東)のマウンドに痛み止めの注射をうってあがるも、自らのミスなどで4失点し敗退。甲子園出場は無かったが、東のドクターKとして一部では有名な選手であった。当時川口知哉(元オリックス)、能見篤史(阪神)と並んで「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれた。メジャーからのオファーもあったとラジオで告白。
ドラフト2位で阪神タイガースに入団。阪神以外には日本ハムなどが興味を示したが、先述の腰痛が懸念材料となり、結局は阪神の単独指名だった。プロ入り後は制球難に苦しみ1イニング3暴投、1試合4暴投と当時のウエスタン・リーグ記録を更新するなどした。
野村監督元年、5月2日の広島戦(甲子園)中継ぎでのプロ初登板、3四死球1安打(安打を打ったのは広島時代の金本)で1死も取れずに降板すると「お前はミーティングに出なくていいから、的当てをやっとけ」と指令されたこともあった。野村監督は後に「投手がいなかったから、2軍の岡田に『球が速いのは誰だ』って言って上がってきた。実力で上がったんじゃない」と笑って話している。5月7日の横浜戦(横浜スタジアム)で4回に波留からプロ初奪三振を奪うも、中継ぎで3回4安打2失点で降板。5月19日の広島戦(米子)で初先発し6回4安打5四球2失点、遠山-伊藤-遠山の投手リレー(伊藤が投げた時、遠山を一塁に起用)でプロ初勝利を挙げるも、後半は2軍での生活が続いた。
オールスター明けに1軍へ昇格。8月20日の横浜戦(横浜スタジアム)で緊急のロングリリーフで6回1安打無失点。8月26日の広島戦(甲子園)で先発のチャンスをつかみ8回3失点。9月3日の横浜戦(甲子園)で先発し8回2失点で伊藤-遠山がリリーフしプロ2勝目を上げる。10月4日の横浜戦(横浜スタジアム)で自身の最終戦で敗戦するも7回4安打1失点11三振。シーズン1勝3敗。
野村監督からローテーション投手に抜擢され、4月24日の巨人戦(甲子園))で5安打1失点11奪三振、プロ初完投勝利をあげる。力のあるストレートとチェンジアップのコンビネーションで、江夏以来、久しぶりに真っ向勝負ができる左腕投手が阪神に誕生した。監督推薦により全セ最年少でオールスターの出場を果たし2回を1安打1失点(カブレラの本塁打)3三振。シーズンは9勝13敗、リーグ2位の防御率2.67、奪三振171という好成績を残す。
監督が星野仙一にかわり、入団5年目にして自身初の開幕投手(東京ドーム)をつとめ、巨人打線を相手に三振の山を築いた。9回裏にピンチを迎えたが阿部慎之助を併殺に打ち取り3対1で完投。阪神に12年ぶりの開幕戦勝利をもたらした。ヒーローインタビューからベンチに戻ってきた井川を星野監督が迎え、井川はそのウィニングボールを手渡した。開幕3連勝し「井川が投げれば1点あれば勝てる」といわれる安定感を誇る好投を続ける。5月22日、巨人戦(東京ドーム)、7回まで完璧に抑えるも、翌年メジャーに移籍した4番松井に真っ向勝負、高めストレートを右翼席にホームランを打たれる。シーズン終了後、松井は「一番いい井川から打ったホームラン」と入団以後の自身ベストホームランの一本にあげている。7月31日には11勝目をあげた。しかし、その後、9月25日、中継ぎでの登板まで2ヶ月近く勝ち星をあげることができなかった。シーズンの成績は14勝9敗、防御率2.49。奪三振は206で最多奪三振のタイトルを獲得。
前年の反省から、井川自身、スロースタートで夏場にピークを持って行き、1年間トータルで調子を維持しローテーションを守ることを目標とする。開幕では黒星スタートとなり、春先は昨シーズンの安定感が見られず、「調整の失敗」との報道もされた。しかし、徐々に調子を上げ、6-7月、2ヶ月連続の月間MVPを受賞。7月21日のヤクルト戦(甲子園)で4戦連続完投勝利を、8月2日の中日戦(甲子園)には2安打完封で12連勝(うち中日に6勝)を記録する。結果、セ・リーグでは1999年の上原浩治以来、阪神では1979年の小林繁以来24年ぶりの20勝投手となり、阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた。MVP、沢村賞、最多勝、最優秀防御率、ベストナインと5冠に輝いた。なお、この年は同じく20勝をあげた斉藤和巳(ダイエー)も沢村賞に選ばれ、史上初めてセパ両リーグから沢村賞投手が誕生した。
岡田監督にかわり2連覇を目指し、開幕3連勝するも以後4連敗した。10月4日の広島戦(広島)で史上71人目のノーヒットノーランを記録。小林繁(1979~81年)以来の3年連続投球回数200回以上を達成し、14勝11敗、228奪三振で2年ぶりの最多奪三振を獲得したが、チームは4位に終わった。シーズンオフにポスティング制度でのメジャー移籍を希望するが、球団との交渉が決裂。自費キャンプになり、否定的な報道、一部世論の反発に曝される(Number)。
8月23日の広島戦(広島)で5安打1失点、7回に新井、前田から連続三振を奪い1000投球回数達成。しかし、メジャー移籍がかなわなかった影響か、5年ぶりの2軍落ちがあったり、肝心な試合で勝ち星を落とすことが多くエースとしては不満な内容が目立った。それでも13勝9敗の成績を残し、チームも2年ぶりのリーグ優勝を果たす。
春季キャンプでは体重を落とし、体の線がシャープになり、ストレートに勢いが戻った。4月14日の広島戦(甲子園)5安打10奪三振、完封、ラストバッター梵英心から10個目の三振を奪い史上119人目の通算1000奪三振も達成。1058投球回での到達は松坂の1070回2/3を抜く歴代5位のスピード。8月15日、横浜戦(京セラドーム)で5安打1失点11奪三振、完投にて1983年小林繁以来の5年連続2桁勝利をあげる。9月に入って勝ち星をあげられずにいたが9月27日の広島戦(甲子園)で1失点完投勝利を挙げマウンドで涙を流した。10月16日のヤクルト戦(神宮)で10奪三振(最終回に3奪三振)を奪い完封、川上憲伸と並び3度目の最多奪三振を獲得する。11月10日にポスティングシステムによるメジャー挑戦を表明。11月29日、ニューヨーク・ヤンキースが2600万194ドル(約31億2000万円)で独占交渉権を落札した。ちなみに落札額の端数194は今シーズンの奪三振数である。
打高投低の中、毎年ローテーションを守り、10勝以上あげることのできる投手は、数人しかいない。2001-3年に見せた、チェンジアップ、クロスファイア、マウンドで躍動しバッターへ向かっていく姿は、エースとして阪神を牽引した。その後、他球団から研究され尽くされているのにもかかわらず、「1年間ローテーションを守る、試合を作る、三振を取る」ことを目標に、地道な体のケア、トレーニング、ピッチングの工夫を続け、毎年200イニング前後の登板、上原や松坂ですら未だ達成していない5年連続2桁勝利(すべて13勝以上)をあげた井川は、日本球界を代表する左投手の一人である。
[編集] 略歴
- 1998年 高校卒業後ドラフト2位で阪神タイガースへ入団
- 1999年 5月2日の対広島戦(甲子園)で1軍初登板。5月19日の対広島戦(米子)で初先発しプロ初勝利
- 2001年 1軍ローテーションに定着。9勝13敗、防御率2.67
- 2002年 14勝9敗1S、防2.49。開幕投手。最多奪三振
- 2003年 20勝5敗、防2.80。開幕投手。沢村賞・MVP・最優秀防御率・最多勝・最高勝率・ベストナイン(最優秀投手)沢村賞は福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の斉藤和巳と同時受賞。
- 2004年10月4日 広島戦(広島)で球界史上82回目(71人目)のノーヒットノーランを達成(スコア1-0)
- 2005年8月23日 広島戦(広島)で1000投球回到達。
- 2006年4月14日 広島戦(甲子園)の9回に梵英心から三振を奪い、史上119人目の通算1000奪三振を達成
[編集] タイトル・表彰
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- 1回 2003年
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- 1回 2003年
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- 1回 2003年
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- 1回 2003年
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- 3回 2002年・2004年・2006年
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- 1回 2003年
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合数 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 投球回数 | 奪三振 | 防御率 |
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1998年 | 阪神 | 29 | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― |
1999年 | 阪神 | 29 | 7 | 1 | 1 | 0 | 15.1 | 14 | 6.46 |
2000年 | 阪神 | 29 | 9 | 1 | 3 | 0 | 39.1 | 37 | 4.35 |
2001年 | 阪神 | 29 | 29 | 9 | 13 | 0 | 192.0 | 171 | 2.67 |
2002年 | 阪神 | 29 | 31 | 14 | 9 | 1 | 209.2 | 206 | 2.49 |
2003年 | 阪神 | 29 | 29 | 20 | 5 | 0 | 206.0 | 179 | 2.80 |
2004年 | 阪神 | 29 | 29 | 14 | 11 | 0 | 200.1 | 228 | 3.73 |
2005年 | 阪神 | 29 | 27 | 13 | 9 | 0 | 172.1 | 145 | 3.86 |
2006年 | 阪神 | 29 | 29 | 14 | 9 | 0 | 209 | 194 | 2.97 |
通算 | ― | ― | 190 | 86 | 60 | 1 | 1244 | 1174 | 3.14 |
[編集] エピソード
趣味など
- 大洗野球スポーツ少年団で野球をはじめ、小学生までは右投げ。高校時代も体のバランスをとるために右投げの練習は続けていた。今でも、オフに帰郷するたび、自らの後輩である大洗の小中学生相手に野球教室を開いている(Link)。
- 茨城出身のせいか、「ダッペ」の愛称で親しまれる。地元名産の納豆は苦手にしている。
- プロになるなど夢にも考えていなかった高校(水戸商業)時代、簿記2級の資格を取得している。
- 趣味はTVゲーム、ラジコンヘリ、部屋の掃除、将棋、ダーツなど。「虎風荘」にいた頃、寮へのへブロードバンド回線設置を直訴。
- サッカーも趣味のひとつ。中学生時代サッカー部があれば野球部に入っていなかったかもしれない程昔から好きだったらしい。入団前は井川の実家のある茨城県(鹿嶋市)をホームタウンとする鹿島アントラーズのファンだったが、今はガンバ大阪のファンで2006年新春に宮本恒靖と特別番組で対談。W杯日本代表の1次リーグ敗退には肩を落とした。
- 格闘技の中継があるときには下柳の西宮市のマンションでテレビ観戦。同じ左腕でバトル好き。ときには野球の技術論も話し合うらしい。
- 体のケアやトレーニングの取り組み方は非常にストイックで、体に関する知識も高い。毎試合後はアイシングなど深夜まで入念な体のケアを行う。食事はコンディションを保つため専属の料理人に作ってもらっている。また、アルコール類、コーヒー、炭酸飲料も口にしない。2003年のリーグ優勝の時には、翌日が先発だったため、ビールかけに参加しなかった。入団当初からオフには専属トレーナーとトレーニング。6勤1休の日程で、1日を3部に分けて、午前中に走り込み、午後からはウエイトトレ、夜間メニューとして、2時間程度の水泳を行う。計画的なウエイトトレで筋力アップと下半身強化を見せてきた。
- デーゲームを苦手とするが(サングラスをかけるのはそのため)、地方球場、悪天候時の試合にめっぽう強く、「雨は自分の天気」と自ら語るほど勝率が高い。
新人の頃のエピソード
- 球団選手の寮である「虎風荘」の模範生だった。家賃も安く食事付きだが、一方で厳しい門限がある。門限に遅れる事もあったが、それはあくまでトレーニングや体のケアのためという『野球に関すること』が理由。栄養バランスを考え、外出してもほとんど寮で夕食を食べ、休日には12時間もの睡眠を取るほどの徹底した体調管理をとっていた。試合後にどんなに遅くてもご飯は作ってくれ、トレーニングはいつでも出来る環境は、井川にとって貴重な存在だった。途中からは若手の講師役にも指名された。2003年の暮れに「虎風荘」から「退寮指令」を受け、恩人・梅本寮長の定年を節目に退寮。
- 広沢が現役だった頃。茨城で一緒に自主トレをしていると、いつも決めた時間に遅れてくるので「先輩待たせんな!」と怒ったら「道に迷っちゃいました」との返事。知人の話を聞いてみたら、大洗の何にもない田舎道で井川を先頭に600mの渋滞だったらしい。
- 遠山が現役だった頃。井川が勝ったら寿司をごちそうすることにしていた。勝利投手になった日に、遠山行きつけの寿司屋で合計70-80カン、さらに合間に天ぷら、刺身を食べたらしい。
最近のエピソード
- 和田コーチによると、井川が東京ドームの選手サロン(食堂)で常にしょうゆ+みそのラーメンを注文するため、自称井川ラーメン評論家(?)が独自にスペシャルラーメン「井川スペシャル」を開発しメニュー化した。ただ、登板する日には食べないらしい。他の選手からの評判は微妙だが本人はコクのあるしょうゆ味のラーメンと思っている。
- 連勝中は髪を切らないのがジンクス。しかしそれを差し引いても普段から髪の毛をなかなか切らないことが多い。2003年は連勝が長引いたためか(12連勝、約3ヶ月負けなし)なかなか髪を切らず話題となった。
- 2005年の1000投球回数達成時。7回、井川が連続三振を奪った勢いで矢野捕手が記念ボールをスタンドに投げ込む。ベンチ前にほとんどの選手、コーチが出て、受け取ったファンに頭を下げ、記念ボールを返してもらう。和田コーチによると、ベンチに戻った矢野、笑顔で「ダッペ~!怒ってる(笑)?」。
- 2005年のリーグ優勝時。練習後に球場へ向かうタクシーがなかなか捕まらず、スーツ姿のまま走って球場に向かった。しかし結局間に合わず、歓喜の瞬間に立ち会えなかった。当日ビールかけの時、井川は会場隅にて笑顔でビールを配り隠れるが、仲のいい藤川に見つかりみんなにビールを掛けられ、アルコールでダウンした。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 阪神タイガース公式サイト - 球団公式によるプロフィール
- 井川慶公式サイト
- 野球を科学する。ゼット株式会社 http://prostatus.jp/
阪神タイガース - 2007 |
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