新井貴浩
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新井 貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日 - )は、広島東洋カープ所属で平成期(2000年代 - )の日本のプロ野球選手(内野手)。広島市中区江波(えば)出身。
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[編集] 来歴
広島工業では3年夏の県大会でベスト16、その後駒澤大に入学し、大学4年時は日米大学野球で打率5割。秋はリーグ打点王とベストナインを獲得。大学時の通算本塁打が2本だった新井を広島がドラフトで指名したのは、野村謙二郎(大学の先輩)の強い推薦があったからと言われる。また大学の一年先輩である読売ジャイアンツの高橋尚成は、大学時代の新井を「打てない、守れないが、意外と足はそこそこ早く、素直で先輩の受けはとても良かった」と話している。
入団後は「将来の4番候補」として期待され、自身もその意気込みを「空に向かって打つ」と宣言する。2002年は本塁打28本を放ち、この年のオフ阪神タイガースに移籍した金本知憲のあとを継ぐ4番に座るが、地元出身のスラッガーとの期待の大きさと、やはり精神的主柱でもあった金本不在は大きく2003年には開幕から4番に座るも不振で前半戦のみに留まる。
2004年も極度の打撃不振に陥る。構えた時のグリップの位置が低く、更に上下するという悪フォームで結果を恐れるあまり、ボールを待ちすぎ、追い込まれて打ち取られるパターンを繰り返す。前年まで打撃コーチだった松原誠からも新井はダメと言われる始末で、ファンからもこのままでは、と思われていた。
しかし2005年シーズン、内田順三コーチとともに、グリップを高くし足を上げる、また積極的に打ちに行く打撃スタイルへの改造が成功し43本塁打で本塁打王を獲得。6月28日の対阪神戦ではランスに並ぶ球団タイ記録の6試合連続本塁打を放つなど自身最高の成績を残す。しかし、新井は阪神戦を打率.241と大の苦手にしており、翌日は無安打に封じ込まれてしまった。このため、惜しくもランディ・バース(阪神)と王貞治(巨人)が持つ日本記録(7試合)には届かなかった。また、山本浩二の持つ球団年間本塁打記録(44本)を破るのではないかと期待されたが、惜しくも届かなかった。
2006年1月、これまで金本や佐々岡真司らと共に行っていた鹿児島・最福寺での護摩行合宿を単独で3泊4日かけて行った。摂氏400度の炎に耐え、真の四番、真のスラッガーになるべく荒行に挑んだ。2003年シーズンで四番として失敗している事もあり、2006年シーズンこそ正念場と位置付ける。 また、昨年のタイトル獲得が評価され、WBC日本代表にも選ばれる。(黒田博樹はケガで辞退のためチームからは新井のみ出場)しかし、出場機会はごくわずかであった。
守備はフットワークがまずく、普通のサードゴロがレフト前ヒットになると言われることさえある。また、グラブ裁きにも難があり、失策も多い。しかしどういう訳か、難しい打球はファインプレーで度々アウトにする。 また、一塁手として出場することもあるが、こちらの守備も三塁守備ほどではないが不安が残る。
これまでは打撃能力は評価されているものの、チャンスでは滅法弱く、本塁打数の割に打点が少ないというのが彼の欠点であった。このため、近年急成長を遂げている若手の栗原健太を4番に据えたほうがいいのではないかという声も多々上がっていた。 しかしブラウン監督が掲げているケースバッティングを心がけていたのが実を結んだのか、ホームランは減少したものの、得点圏打率は3割5分前後に上昇し、目標とする自己初の100打点を達成。ホームランはソロが多いが、これはランナーがいるときはケース打撃、ランナーがいない時はホームラン狙いの打撃を心がけていると言うことであろう。後は四球数を増やして、三振数を減らす事である。特に四球は他球団の四番打者に比べて非常に少なく、選球眼も悪い(新井の2006年三振数117、四球数32)。そこを改善出来れば新井の成績はさらに向上すると思われる。
順調に行けば、来季にFA権を取得することになるが、黒田博樹の残留を受け新井自身も「生涯広島」を宣言した。
[編集] 人物
- 大学時の通算本塁打が2本で守備もヘタだった新井のドラフト(6位)指名は東都大学の他の選手が耳を疑い、他の球団のスカウトからは嘲笑が漏れたという。しかし、コーチと本人の二人三脚の努力で一流の打者に成長し、球団の慧眼が証明された。
- 元広島で現阪神の金本知憲を兄貴分として慕い、今も交流は続いている。金本の広島在籍時の2人のやり取りは阪神での金本と藤本敦士のやり取り同様名物化していた。阪神ファンの間で定着している「アニキ」という愛称で最初に金本を呼んだのは新井だと言われている。ただ、新井自身は現在は金本のことを「アニキ」とは呼んでおらず「会長」と呼んでいる。(金本談)
- 打撃やプレーの粗さから「粗いさん」や「粗ゐ」などと一部のファンから呼ばれている。山本浩二も監督時代、「新井は守備が名前と同じで『あらい』(荒い)」と駄洒落でねたにしていた。また、黒田博樹にバッグの中に消火器を入れられながら、ホテルに帰るまでその事に気付かなかったというエピソードもある。
- 2002年、オールスター初出場を決めた新井を、広島の当時オーナーだった松田耕平が見送った後に他界したという話は、ファンの間で有名な話である。そのオールスターでは見事にホームランを放っている。
- 長兄は新井と同じ広島工業出身で高津臣吾と同期の4番打者。また2006年プロ入りした中日ドラゴンズ・新井良太(広陵高校出)は実弟という野球一家。
- 妻は乙女塾6期生出身の元アイドルであり(芸名:大橋 裕美子)、また「もし男に生まれていたらまじめに野球をやる」と普段から語っていたほどの野球ファンで知られた人物。妻とは2004年12月に披露宴をあげたが、この席で山本浩二に叱咤激励されたことに発奮、翌2005年、本塁打王を獲得してブレイクした。なお、結婚するまで金本と同様に、選手名鑑の好きなタイプ女性の欄にチームメートであった西山秀二(現・読売ジャイアンツ2軍バッテリーコーチ)の夫人の名を書いていた。
- 2006年11月23日のファン感謝デーで行われたベース投げコンテストで13m60cmを記録し見事優勝。「彼は一年間このコンテストの事ばかり考えていたのだろう」とはコンテストの生みの親であるブラウン監督の弁。
- 2007年から選手会長に就任。
[編集] 略歴
- 身長・体重:189cm 95kg
- 投打:右投右打
- 出身地:広島市中区江波
- 血液型:B型
- 球歴・入団経緯:広島工高 - 駒大 - 広島(1999年 - )
- FA取得:なし
- プロ入り年度・ドラフト順位:1998年(6位)
- 英語表記:ARAI
- 推定年俸:8800万(2006年)
- 守備位置:三塁、一塁
[編集] 所属球団
- 広島東洋カープ(1999年 - )
[編集] 背番号
- 25 (1999年 - )
[編集] タイトル
[編集] 経歴
[編集] 年度別成績(一軍)
年度 | チーム | 試合数 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
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1999年 | 広 島 | 53 | .221 | 21 | 7 | 14 | 1 |
2000年 | 広 島 | 92 | .245 | 51 | 16 | 35 | 3 |
2001年 | 広 島 | 124 | .284 | 89 | 18 | 56 | 2 |
2002年 | 広 島 | 140 | .287 | 147 | 28 | 75 | 1 |
2003年 | 広 島 | 137 | .236 | 115 | 19 | 62 | 2 |
2004年 | 広 島 | 103 | .263 | 69 | 10 | 36 | 3 |
2005年 | 広 島 | 142 | .305 | 165 | 43 | 94 | 3 |
2006年 | 広 島 | 146 | .299 | 169 | 25 | 100 | 1 |
通算 | 広 島 | 937 | .277 | 826 | 166 | 472 | 16 |
[編集] 関連項目
- 広島東洋カープの選手一覧
- 広島県出身の有名人一覧
- 山本浩二
- マーティ・レオ・ブラウン
- 内田順三
- 野村謙二郎
- 黒田博樹
- 金本知憲
- 新井良太(実弟)
- 嶋重宣(同級生)
- 森笠繁(同級生)
- 小山田保裕(同級生)
- 横山竜士(同級生)
- 福井敬治(同級生・「内野手5人の奇策」に参加した一人)
- 栗原健太(「内野手5人の奇策」に参加した一人)
- 東出輝裕(「内野手5人の奇策」に参加した一人)
- 山崎浩司(2006年4月22日の「内野手5人の奇策」に参加した一人)
- 梵英心(2006年7月14日の試合で「内野手5人の奇策」に参加した一人)
- 井生崇光(「内野手5人の奇策」に参加した一人)
[編集] 外部リンク
広島東洋カープ - 2007 | |
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00 山崎浩司 | 0 井生崇光 | 1 前田智徳 | 2 東出輝裕 | 4 尾形佳紀 | 5 栗原健太 | 6 梵英心 | 9 緒方孝市 | 10 比嘉寿光 | 11 小山田保裕 | 12 白濱裕太 | 13 佐竹健太 | 14 梅原伸亮 | 15 黒田博樹 | 16 森跳二 | 17 大竹寛 | 18 佐々岡真司 | 19 田中敬人 | 20 永川勝浩 | 21 ショーン・ダグラス | 22 高橋建 | 23 横山竜士 | 24 河内貴哉 | 25 新井貴浩 | 26 廣瀬純 | 27 木村一喜 | 28 広池浩司 | 29 佐藤剛士 | 31 石原慶幸 | 33 鞘師智也 | 34 仁部智 | 36 青木勇人 | 37 岡上和功 | 39 梅津智弘 | 40 倉義和 | 41 森笠繁 | 42 長谷川昌幸 | 44 山田真介 | 45 松本高明 | 46 大島崇行 | 47 吉田圭 | 48 ジャレッド・フェルナンデス | 50 鈴木将光 | 51 末永真史| 52 大須賀允 | 53 林昌樹 | 55 嶋重宣 | 57 甲斐雅人 | 58 小島紳二郎 | 59 山本芳彦 | 60 齊藤悠葵 | 61 山本翔 | 62 今井啓介 | 65 相澤寿聡 | 66 上村和裕 | 67 丸木唯 | 68 金城宰之左 | 69 天谷宗一郎 | 93 ビクトル・マルテ | 121(育成選手) 飯田宏行 | 128(育成選手) 中谷翼 |未定 前田健太 | 未定 会沢翼 | 未定 宮崎充登 | 未定 上野弘文 | 未定 青木高広 | 未定 中東直己 | 未定 山中達也 | |
71 監督 ブラウン | 75 リブジー | 88 小早川毅彦 | 73 小林幹英 | 87 澤崎俊和 | 77 高信二 | 85 永田利則 | 78 熊沢秀浩 | 76 二軍監督 山崎立翔 | 82 浅井樹 | 80 山内泰幸 | 86 阿部慶二 | 74 岡義朗 | 81 道原裕幸 | 83 朝山東洋 |
|
球団 | |
2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 |
---|
1 岩村明憲 | 2 小笠原道大 | 3 松中信彦 | 5 和田一浩 | 6 多村仁 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 9 金城龍彦 | 10 宮本慎也 | 11 清水直行 | 12 藤田宗一 | 15 久保田智之 | 17 福留孝介 | 18 松坂大輔 | 19 上原浩治 | 20 薮田安彦 | 21 和田毅 | 22 里崎智也 | 23 青木宣親 | 24 藤川球児 | 25 新井貴浩 | 27 谷繁元信 | 31 渡辺俊介 | 40 大塚晶則 | 41 小林宏之 | 47 杉内俊哉 | 51 イチロー | 52 川﨑宗則 | 59 相川亮二 | 61 石井弘寿/馬原孝浩 |
89 監督 王貞治 | 84 武田一浩 | 85 辻発彦 | 86 鹿取義隆 | 87 大島康徳 | 88 弘田澄男 | 項 | |
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