責任
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責任(せきにん)(英:responsibility)は、義務、あるいは義務に違反した罰または不利益を意味する。
責任は、社会に於ける自由に伴って発生する負担である。自由な行為・選択に伴い、結果に応じた責任が発生する。現代社会において保障された自由を行使する際には、その行為に応じた責任を負うことになるが、それと同時に、その行為に応じた責任以外を負う必要はない。何が「行為に応じた責任」にあたるかは道義的なレベルにおいては不明確であり、しばしば争いの原因となる。
日本においては、何らかの悪い結果が発生した場合、責任者が辞任などによって責任をとることがある。場合によっては、責任者が自殺によって責任をとることもある。これは歴史的に切腹が責任を取る方法として行われてきたことに由来する。責任を無理矢理とらせることを「詰め腹を切らす」というのはその名残である。
尚、由来するラテン語にrespondere(to answer)がある。
目次 |
[編集] 責任の歴史
責任は、英語では responsibility というが、今道友信(1956)によれば、これに相当するギリシャ語単語は無く、responsibilitasなる古典ラテン語も中世ラテン語も無い。英語で言えば、responsibility の文献初出は1780年代である。
そして、マッキーオンによれば、ジョン・スチュアート・ミルの書物にあり、しかしミルの造語でないという。
ミルにおける「責任」は、ほとんどpunishabilityによって表現されている。また、ドイツ語のVerantwortung、Verantwortlichkeitは、19世紀に造語されたのであり、その語義はZurechnungにすぎなかった。
[編集] 社会的な責任
[編集] 結果責任
結果責任(けっかせきにん)とは、ある行為によって発生する結果に対する責任のことである。原則として全ての行為において結果責任が発生するが、ある行為を行った者と責任を負担する者が常に一致するわけではない。
例えば、選挙において投票した行為、棄権した行為、それぞれの選択行為によって発生した結果に対する責任が発生し、あとは各人に責任をどのように分配するかの問題となる。法的な責任においては過失責任主義が原則であるので、結果責任はしばしば道義的責任にとどまることも多いが、無過失責任のように法的に規定される場合もある。
[編集] 自己責任
自己責任(じこせきにん)という言葉は現在多義的な言葉となっている。
第一に、「証券取引による損失は、たとえ予期できないものであっても全て投資者が負担する」という意味がある。証券取引はもともとリスクの高いものであるから、たとえ予期できない事情により損害が発生したとしても、投資者が損失を負担しなければならないということである。
第二に、「個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う」という意味がある。個人は他人の行為に対して責任を負うことは無く、自己の行為についてのみ責任を負うという近代法の原則のことである。
第三に、「個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う」という意味がある。何らかの理由により人が判断能力を失っていたり、行為を強制されている場合は、本人の選択とは断定できないため、この限りではない。
例えば、保証されていないWikipediaに各自の判断で参加することによって生じた損害は、全て自己責任に帰される、というように用いられる。この言葉には英語のOwn riskの直訳的な意味が含まれており、契約などにおける免責事項の根拠として広く用いられている。ただ、例えば窓に施錠し忘れて邸内の所持品が窃盗にあったケースにおいては、「窃盗犯によって所持品が滅失・毀損・消費され、取り戻し不能になる危険が発生すること」が自己責任の内容であり、自己責任を理由にして、警官の職務怠慢が正当化されたり、捜査費用を被害者に負担させられるわけではなく、また窃盗犯の刑罰が軽減されたり、所有権が国家により没収されるわけではない。
また司法手続によらない自力救済(英:self-help)は、司法手続の確立した現在の社会においては急迫の場合を除いて原則として禁止される。
[編集] 近年の日本における「自己責任論」
「自己責任」は本来、責任転嫁をいましめる言葉であるが、責任を負うべき者の責任回避に利用される危険性があり、義務違反に対する制裁が困難になるとの指摘がある。
また逆説的に、「自己責任である限りは何をしても良い」という意味に繋がり、規範や社会通念を重視する日本における伝統的価値観が薄れてきた一端であるとする言説もある。
2004年4月7日のイラク日本人人質事件の際、事件の経緯から自己責任の在り方について議論が沸き起こり、海外メディアに紹介されるまでに至った。この時は「自己責任」という言葉が「不本意な結果が発生するリスクを認識した上で行動した以上、その不本意な結果については当人が一切の責任を負うべきであり、国家が保護する必要はない」という意味で使われ、論議の対象となった。
2005年12月に発覚したマンションの耐震偽装問題については、国が補償するという方針を打ち出したことについて「安いマンションを買った住民の自己責任」との批判が国土交通省によせられた。ここでいう自己責任はもはや「リスクを認識しえた以上、結果についても当人が全責任を負うべき」あるいは「リスクを認識しえなくても、個人の取引行為によって生じた損害を国家が救済するべきではない」という意味にまで拡大している。
なお、JR福知山線脱線事故で、列車が衝突したマンションに住民に対しても自己責任を唱える人もいる(マンションは線路のカーブから近接した場所にあり、最悪の事態も想定できたであろうとする)。ここでいう自己責任論は、国家が私人を救済すべきかという意味で問題となっていた自己責任論とは本質的に異なる。これは、私人間での不法行為に基づく損害賠償債務について「事故の発生確率が類型的に高い場所では、結果発生について過失がなくても、発生した損害の一部は被害者が負担すべき(法的には、被害者に過失がなければ過失相殺はされない)」という意味で使われている。
漫画家の小林よしのりは、『新ゴーマニズム宣言』の中で、「自己責任という言葉は、本来なら存在しない言葉である。責任と言う単語には自己の意味が含まれている。それにもかかわらず、無理に強調して作った造語であり、これでは頭痛を頭部頭痛と言い換える様な物だ。」と、「自己責任」という語句の存在自体を否定した。さらに、小林はアメリカが他国への侵略戦争の責任回避のために、「自己責任」という単語を作った、とした。但し、連帯責任との対比から、あくまで個人に帰結する責任という意味で自己責任という言葉が存在すると主張する者もいる。
経済学では、外部性の問題がある。たとえば企業が大気を汚染することを負の外部性(責任の転嫁)と呼ぶ。これに対し、たとえば浄化設備を設置した政府が大気を汚染した企業から税を取った場合、これを内部化(自己責任化)という。
[編集] 法的な責任
[編集] 刑事責任
日本の刑法 |
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刑法 |
刑法学 · 犯罪 · 刑罰 罪刑法定主義 |
犯罪論 |
構成要件 · 実行行為 · 不作為犯 間接正犯 · 未遂 · 既遂 · 中止犯 不能犯 · 相当因果関係 違法性 · 違法性阻却事由 正当行為 · 正当防衛 · 緊急避難 責任 · 責任主義 責任能力 · 心神喪失 · 心神耗弱 故意 · 故意犯 · 過失 · 過失犯 期待可能性 誤想防衛 · 過剰防衛 共犯 · 正犯 · 共同正犯 共謀共同正犯 · 教唆犯 · 幇助犯 |
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刑罰論 |
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刑事訴訟法 · 刑事政策 |
犯罪に対する刑罰を意味する刑法上での責任。責任能力が必要であり、基本的には自分の行為に基づく責任であるが、他人を利用したケースにおいても刑事責任が発生するケースがある(共犯、教唆犯、幇助犯、共謀共同正犯、間接正犯)。刑事責任を負っている者には刑法等の規定に応じて刑罰が課せられ、懲役罰金に処せらる。
[編集] 民事責任
契約違反、不当利得、不法行為、事務管理によって生ずる民法上の債務。
現在の日本においては金銭で賠償することが原則であるが、謝罪広告などの要求を受けることもある。また、一定の場合、他人の行為に対する責任を負う。その一例である使用者責任の発生の根拠は、実質上の指揮監督関係に求められる。
[編集] 訴訟上の責任
自分にとって有利な法的効果の発生を主張又は立証できなかった当事者が受ける不利益のことを証明責任または挙証責任という。不利益を被った側は、自分が望む法的効果の発生という利益を受けることができない。証明責任を負うか負わないかによって、事実が真偽不明の状態にとどまった場合のリスクに天と地との差が存在するので、証明責任の分配方法が法学において問題になり、また民事訴訟においては各種の証拠収集手続が整備され、証明手段に乏しい当事者の救済が図られている。
[編集] 行政責任
公務員は無答責であり、国家が賠償する責任を負う。 国家賠償法参照。
[編集] 政治責任
社会に於ける政治の責任は、最終的には主権者が負うものとされている。これは、主権者の信任によって政治の行為者が選出されている為であり、直接統治・間接統治いずれにしても主権者が選択した行為に基づくからである。又、信任できないのであれば、手順に従って罷免することができる。 重大な政治的過誤があった場合、為政者が辞任するなどの形で責任をとることもある(内閣総辞職、議会の解散など)。政治責任と法的責任は別物であるが、収賄など犯罪行為があった場合には刑事責任も負うことは勿論である。戦争責任については、当該項目を参照。
[編集] 様々な責任
- 中間的責任
- 危険責任
[編集] 関連項目
[編集] 関連書籍
- 小浜逸郎『「責任」はだれにあるのか』 PHP研究所 ISBN 4-569-64627-1
- 大庭健『「責任」ってなに?』 講談社現代新書 講談社 ISBN 4061498215