京急1000形電車 (初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1000形電車(1000がたでんしゃ)は京浜急行電鉄の通勤形電車。
地下鉄乗り入れ運用を目的として、1959年(昭和34年)に製造が開始された。
2002年(平成14年)4月15日に2代目の1000形(新1000形)の運用を開始してからは、同車両と区別するために旧1000形と呼ばれることが多い。
本稿では、京急車両工業(→京急ファインテック)を通してリースされた京成1000形電車、ならびに千葉急行電鉄1000形電車についても記述する。
目次 |
[編集] 概要
1978年(昭和53年)までの19年間に356両が製造され、1968年(昭和43年)から東京都交通局(都営地下鉄)浅草線との乗り入れを開始、2006年現在も京急の各路線および乗り入れ先の都営浅草線・京成線・北総鉄道北総線の各線にわたり広く運用されている。
長期にわたって京急を代表する通勤車両として利用客や鉄道ファンから親しまれてきたが、経年による老朽化の進行に伴い、新1000形などによる置き換えが進んでいる。後述の「白幕車」は既に全車が廃車済みで、現在は「黒幕車」のみ残存する。内装は当時製造中だった旧・日本国有鉄道101系などで使用されたオリーブグリーンである。
制御方式は出力75kWまたは90kWのモーターを電動カム軸制御装置で駆動する抵抗制御方式で、発電ブレーキを備えた電磁直通ブレーキを採用した。座席はロングシート。客用ドアは相互乗り入れを行う都営地下鉄浅草線および京成電鉄の車両と位置をあわせるため片側3箇所となり、高速で開閉する片開きドアとなった。
設計最高速度は120km/hであるが、非常増圧ブレーキを装備していないため営業運転上は110km/hに留まる。起動加速度は3.5km/h/s、常用減速度は4.0km/h/sと比較的高い加減速性能を有する。弱め界磁制御を広範囲で使用し、歯車比も4.63と都営地下鉄や京成の車両に比べて高速向きのセッティングであるため、高速性能も他社局車両よりも優れている(同時期に登場した京成旧3000形が6.0。都営地下鉄5000形が6.35)。
[編集] 製造年式及びその差違
[編集] Aグループ
1958年に1000形の試作車として800形の車両形式を用いて4両を製造した。編成構成は浦賀寄りにデハ800形、品川寄りにデハ850形を連結した2両固定編成でデハ800形の運転台側にパンタグラフを搭載した。製造当初は前面が初代700形のように非貫通・2枚窓のいわゆる湘南電車スタイル(初代600形全金車と同形の車体)で、性能も初代700形とほぼ同様であり、扉配置が前後非対称であった。また、車体幅が後の増備車に比べ80mm狭い。この4両は1965年に1000形(1095~1098)に改番し、その翌年(1966年)にはモーターを交換し、1001以降に性能を揃えた。その後、1968年には前照灯のシールドビーム化と正面に行先・種別表示器、側面に種別表示器を設置、さらに1973年には都営浅草線への乗り入れに備えるために前面に貫通扉を設置し、車体幅が狭いため扉の蹴り込みにステップを取り付けた。このとき、パンタグラフの位置も1000形量産車と同じ位置に統一された。冷房改造されずに1988年に廃車となり、1095と1096の機器はデト11・12形へ、1097と1098の機器はデチ15・16形へそれぞれ転用された。
[編集] Bグループ
1959年~1960年に製造された増備車は車体幅が80mm拡大されて2,798mmとなり、扉配置が前後対称になった。また製造当初より前照灯はシールドビームである。1017編成は台車の枕ばねに空気バネを試験採用していた。前述のAグループと同様に非貫通・2枚窓で製造されたが、1969年~1972年に貫通扉を設置、これによって都営地下鉄に乗り入れが可能になり、行先・種別表示器は貫通扉設置後に装備した。その後1979年~1984年に全車が集約分散式冷房装置を搭載した。1988年から廃車が始まったが、一部は高松琴平電気鉄道(12両)と北総開発鉄道(1962年製の12両を含む16両)に譲渡したが、北総譲渡車は既に廃車となった。また、京成電鉄にも8両がリースされ、その後4両が千葉急行電鉄(現・京成千原線)へも再リースしたがこれも既に廃車となった。
[編集] Cグループ
1961年~1962年に製造された車両は落成当初から前面に貫通扉を設けている。ただし当初の前面のスタイルは、次項のDグループで確立されたものとは異なっていた。1078までは製造当初、行先・種別表示器がなかった。この年度の増備車まで空気圧縮機がA-2形(1017編成は除く)であった。後に1966年~1967年に正面窓内側上部に行先・種別表示器、側面に種別表示器を追加設置した。
1101以降(C2グループ)は2両単位で組み替えできるように制御装置が浦賀寄りの車両に集約され、製造当初から正面窓内に明朝体フォントの行先・種別表示器、側面には明朝体種別表示器を設けた。なお、このとき京急で初めて6両固定編成が誕生している。このうち1101~1130の側面の種別表示器は当初はネオン管式であったが、視認性が悪く故障が多かったことから、後にゴシック体幕式に改造された。1974年~1976年に行われた更新工事の際に前面の行先・種別表示器を正面窓内から独立させ、あわせて側面にゴシック体行先・種別表示器を設置した。
このグループは1982年~1986年に集約分散式冷房装置を搭載したが、1049~1052の4両は最後まで冷房改造されずに1986年に1000形として初の廃車となった。したがって電気連結器付き密着連結器および電気式警笛を装備せずに廃車となったのはこの1049編成と1095~1098号車であった。2005年3月末まで京急で最も使用年数の長い車両となっていた1071~1072はこのグループに属していた。
[編集] Dグループ
1964年~1966年に製造された車両からは、前面の行先・種別表示器が窓内から独立して、現在の1000形の前面スタイルが確立した。同時に連結面と屋根の丸みが最小限に抑えられてほぼ折妻となり、低コスト化が図られた。また、空気バネ台車を装着する準備として空気圧縮機はロータリー式のAR-2形に変更した。ロータリー式空気圧縮機は近年でこそレシプロ式に代わり一般化しつつあるが、1960年代中盤に本方式を本格採用したのは異例で、その駆動音も高音かつ音量もかなり大きい、特異な連続音を発する。
空気バネ台車は1143・1155・1173編成で採用されたが(1976年に換装)、初期車の川崎台車-東洋製主電動機組み合わせ編成の台車を東急台車に交換する分しか用意できなかったことや、コストの関係から、本グループの全車および次に述べるEグループには行き渡らなかった。
なお東急車輛製造で1964年に製造された分のみ、先頭車前面の行先・種別表示器部分の造型が他車とは僅かに異なる。
[編集] Eグループ
1968年に製造された1207~1242の6両編成6本(新造当初の組成)は、地下鉄乗り入れに備えて当初から連結器が密着自動式で、ATS、列車無線、中間貫通扉を装備した。運転台の機器は、当初から乗り入れ仕様に合致して配置されている。また屋根構造が簡略化されている。
Eグループまでの1000形は、車体更新工事の施工後も廃車されるまで表示幕が白地(現在の英文字併記のものとは別物で、種別・運行番号表示器も白地)であったため「白幕車」と呼ばれていた。また、この「白幕車」は廃車時までB-55装置(後述)付きであった(Fグループも当初装備)。冷房改造は、Dグループと並行して1976年~1982年に行われ、集約分散式を搭載した。
このグループで最後まで残った1219-1220-1223-1224が、先述のCグループ・1071~1072ともども2005年3月をもって運用を離脱した。これにより「白幕車」は過去のものとなった。
[編集] Fグループ
1971年に製造された車両からは集中式の冷房装置を搭載して落成し、京急初の新造冷房車となった。冷房搭載により車体の自重が増加した関係で、モーターの熱容量を向上し、また台車は川崎重工業設計の空気バネ式(東急車輛製造でも製造)に統一された。また、モーターは東洋電機製造、制御装置、補助電源装置は三菱電機製で統一された。その他も改良点として、車内は乗務員室と客室の仕切り扉がステンレス製から軽合金製となり、連結面も完全にフラット化された。1251~1290まではモーター出力75kWで落成しているが、1079~1080(2代目、現・1381~1382)、1243~1250、1291~1298、1300番台車は90kWに出力増強されている。また増備の過程で上記以外の細部にも変遷が見られる。
当初は都営浅草線内は6両編成が基準となっていたため、8連化のための保安対策や京成押上線の荒川駅(現・八広駅)~四ツ木駅間の荒川橋梁の強度向上工事が未施工で、1974年までに製造された68両は軸重が過剰していたこともあり他社線には入線できなかったが、後に軽量化車輪への交換によって入線できるようになった。製造当時の表示幕は白地であったが、更新工事により黒地に変更されたため「黒幕車」と呼ばれている。製造から30年前後を経て、2004年度から1283編成が優先席付近への吊り革のオレンジ色への交換をせずに廃車されたのをはじめとして、2005年度は1251・1301編成が廃車されている。このうち1251編成は廃車前に一旦4連化された。したがって浅草線の新保安装置であるC-ATSを装備せずに廃車となったのは前述の3編成である。
[編集] 更新工事
本項では、Fグループの車両のみを対象に、1980年代後半から行われた更新工事について記述する。1970年代に非冷房車を対象に行った工事とは全く別の工事である。主な内容は以下の通りである。
- 屋上通風器の撤去
- 屋根の補修
- 連結器部分の小改造
- 行先表示器制御をSPC方式への改造と白色幕から黒色幕への変更。
- 一部車両について抵抗器の配列変更(中央扉直下に発熱量が少ない部分を再配置)。
- 戸閉灯器をLED表示灯に交換。その後LEDの故障などで1309~1312は電球2灯にされた。
- 一部の編成に戸閉選択装置を取り付け。
- ブレーキシュー変更に伴いB-55装置の撤去(※)、および台車ブレーキテコ比変更。
1251・1259・1309編成は分散冷房車と同様に1990年代初頭の連結器交換前に更新されたので品川寄りにジャンパ栓の跡が残る。なお、内装は変更されていない。
- ※「B-55装置」とは速度が10km/h以下になるとブレーキシリンダの圧力が半分になる装置。停止寸前に減速度が急に大きくなる鋳鉄シューを使う時に有効である。Eグループまでは廃車時まで装備、減速度が概ね均等となる新レジンシューでは不要なため、Fグループでは更新時に撤去した。
[編集] 運用
- 8両編成は朝・夕方・夜の優等列車を中心に運用し、都営浅草線・京成線・北総線へも乗り入れる。以前は日中の快特にも頻繁に運用していたが、2001年9月15日のダイヤ改正で日中の都営浅草線直通の快特を最高速度120km/hで運転することとなり、増圧ブレーキを装備していないこと、電磁直通式ブレーキのため700形以外の他形式との併結ができないことから日中の快特運用から撤退した。2006年現在は3編成が在籍しているが、日中は定期旅客営業運転はなく、平日朝夕限定運用となっている。朝・夕方・夜は青砥・高砂系統の快特、印西牧の原・印旛日本医大系統の特急を中心に運用している。貫通幌を設置したままで先頭車として使用することはなくなった。
- 6両編成は800形とともに普通列車を中心に運用しているが、朝・夕方・夜には羽田空港へ乗り入れる運用もある。この運用には快特・特急もあり、終夜運転時は京成線高砂まで乗り入れる。これは8両編成運用から撤退後も数年は存続する予定である。かつては1225編成など三菱電機製の電気機器を搭載した川崎車輛(→川崎重工業)製の車両も存在したが、2002年に全廃されている。ホーム有効長が4両分しかない梅屋敷駅で編成中2両のドアを自動的に締め切ることができるADL(自動ドアロック)装置を全編成が搭載している。2006年現在は10本が在籍している。
- 4両編成は本線の普通や朝・夕方・夜の優等列車および大師線を中心に運用する。同線は1980年から1990年代かけて700形が運用に入っていたが、廃車の進行により2000年から1000形についても運用するようになった。当初は朝のみ運用だったが、その後1500形とともに終日同線の運用に就いている。2006年現在7本が在籍している。
- 2両編成は単独での運用はない。朝夕は本形式の8両編成に2本繋げて12連で、昼間時は2両編成同士を2本繋げた4連で運用されることが多い。ごく稀に4両編成と連結して6連(また6両編成と連結して8連)として京急川崎以南の普通に使用されることもある。2006年現在は2本が在籍。
[編集] 改造・譲渡先など
廃車した車両の一部は以下の会社に譲渡、あるいは貸し出されたり、事業用車への改造が行われた。
[編集] 譲渡
-
- 1005~1008・1107~1118の16両(→7151~7158・7161~7168)が譲渡された。
- 7151~7158は当初は4+4の8両編成、7161~7168は8両貫通編成であった。
- 7151~7158は1992年の新京成電鉄との直通運転廃止にともない新鎌ヶ谷~千葉ニュータウン中央間の区間列車用として7151~7154と7155~7158の4連2本に分割し、原則北総・公団線内の区間運用に使用された。
- 7161~7168は1995年9月に、7151~7158は1998年2月にそれぞれ廃車された。このうち7151~7158はは後に京急久里浜工場で検査を実施、その際にカラードアを試験採用した。ただしカラードアは、変更に伴うコストが増大したことから他車においては使用されなかった。
- これらの16両は久里浜工場ではなく、AE形等と同様に京成の宗吾車両基地で解体された。
[編集] リース(既に廃車)
- 京成電鉄→千葉急行電鉄(京成1000形→千葉急行電鉄1000形)
-
- 1029~1032・1037~1040の8両がリースされた。なお前者のみ後に京成から千葉急行へも再リースされた。
- これは当時、京成電鉄が大手私鉄の中で冷房化率が低いままであったことから、早急な冷房化が急務であった中、改造や新車投入のつなぎとして廃車した冷房改造済の1000形を京急の子会社である京急車両を通じてリースしたもので、1988年から4両編成2本が用いられた。車両そのものは京急時代とほとんど変わりなく塗装は赤い車体に白帯のままで、方向幕・種別・社名表示を京成のものとした程度であった。また貸し出し時に、現在も京成3500形等で見られる種別板差しが先頭車前面の貫通扉下部に設置された。これは後に同部分に窓を設置して種別板差しを室内側に移設し、室内側から種別板が差し替えられるように改造している。常に8連固定で使用されたが、後に1編成(1037~1040)を返却して除籍し、残る1編成(1029~1032)は塗装を青に白帯に、社名表示も「千葉急行」に変更の上千葉急行電鉄へ貸し出し、同社唯一の保有車として京成の4連普通運用と共通で使用された後、京成3050形と交替して1994年をもって返却除籍となり、久里浜工場にて解体された。
[編集] 事業用車への部品供出
- デト11・12形((801・851→)1095・1096の部品再利用)
- デト15・16形((802・852→)1097・1098の部品再利用)
- デト17・18形(1017・1018の部品再利用)
- クト1形(1021の部品再利用)
- クト2形(1022の部品再利用)
- ※京急の新性能貨車は、部品は再利用しているが車体は新製している。改造と表現している趣味誌などがあるがこれは誤りである。
[編集] その他
- 2005年4月25日の福知山線(JR宝塚線)脱線事故を受け、6月下旬に京急ファインテック久里浜事業所内で行われた脱線車両からの負傷者救出訓練で実際に脱線させるため、黒幕車で初の廃車となった1283編成(集中冷房車)の1283が使用され、後に全車解体された。骨組みを太くするなど、この結果は今後の新車に反映された。
- 1976年頃からの一時期に700形のサハ770形を中間に挟んだ編成も組成された。しかし、混結編成では編成重量の増加により加速度が大幅に低下することや、他社局線への乗り入れができないことなどから、一部を除きサハ770形は編成から外され、久里浜工場(→京急ファインテック久里浜事業所)で1980年頃までしばらく休車扱いとされていた。
- これとは別に、朝夕ラッシュ時に700形4両編成を増結して12両編成とする運用も存在した。
- 集約分散式冷房装備車はワイパーが手動式だったが、集中式冷房装備車は空気式に交換されている。
- 1998年廃車の1201と1206は初代1079・1080号車である。これは1965年に増備した52両を6連8本と中間車4両とし、中間車の1202~1205を1079と1080の間に挟んで運用を開始したためである。その後1079と1080は1968年に1201と1206に改番された。
- 車両番号は、必ずしも製造順ではなく1978年に登場した2代目1079・1080は後に1381と1382へ改番され、車内銘板はステッカー式である。また、最終製造車両は1243~1250である。
- 初の冷房改造車である1179編成は、改造当初冷房装置のキセ(カバー)がイボ付ビニールでコートされた鋼製の黒いタイプであり、その外観から一部で「装甲冷房車」と呼ばれていたが、1982年頃に他編成と同じFRP製の白いキセに取り替えられた。
- 1125には架線観測装置が取り付けられていた。その後1500形の1601を経て、2006年現在は600形の605-1に設置している。
- 1251~1274は当初6連で落成したが、後に8連化されて1243~1298(8連×7本)に揃えた。
- 1173と1178は1998年から車体はそのままだが貨車扱いされていた(2002年廃車)。
- 1052と1185は前面部分のみ切断され、ともに栃木県内で静態保存されている。
- 1993年度に600形を製造するために一部の車両を使用してクロスシート試験を行った。しかしこの状態による営業運転はなかった。
- 琴電1100形は京王帝都電鉄(現・京王電鉄)5000系の譲渡車であるが、同形式は1,372mm軌間(馬車軌)の京王線用であったため、標準軌の琴電と軌間が異なることから、下回りに旧1000形の廃車発生品を使用している。その理由は、琴電が京急に引き続きBグループの譲渡を打診して来たが、その時京急ではBグループは全車解体済みで台車のみ残っていたためで、琴電の方で調査したところ、京王5000系の車体寸法が京急1000形とほとんど同じであることが分かったためである。改造は京王重機整備で行われた。
[編集] 鉄道模型
Nゲージではグリーンマックスからエコノミー組立てキットと塗装済組立てキットの2種類が、マイクロエースから完成品が、赤い電車からは金属製キットが製品化されている。 HOゲージではカツミが完成品を発売。
- 京浜急行電鉄の電車 ■Template ■ノート
カテゴリ: 京浜急行電鉄 | 鉄道車両 | 鉄道関連のスタブ項目