京急400形電車
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400形電車(400がたでんしゃ)は、京浜急行電鉄が所有した車両形式の一つ。
ただし、戦前期より戦後にかけての製造であるため、その概観には幅が大きい。
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[編集] 概要
3扉ロングシート釣り掛け駆動車を、1965年の形式整理によりデハ400・サハ480の2形式に統合した車両群であり、その製造年次から以下のバリエーションがある。また同車は戦後の京急車両の規格規範となった。同形式とはいえ、出自・形態にあわせて番台区分されており、車番と形態の相関把握は容易である。
いずれのグループも、1970年代初頭に実施された徹底した更新修繕により、特に室内は1000形等、更新当時の新車に遜色無いものとなっていた。また、誘導無線アンテナ設置により、電動車パンタグラフの連結面寄りへの移設と一部の撤去が実施されていた。
更新が実施された70年代初頭までは、快速特急から普通まで種別を問わず重用され、主力の一角をなしていた。長編成での運用も多く、とりわけ朝ラッシュ時には本グループ及び共通運用であった500形を混成した10輌編成の特急が存在したほか、夏季海水浴シーズンには増発特急に駆り出されることもあった。特異な例としては1978年の都営地下鉄ストに際して、車輌需給の都合から
420-420+420-420+460-480-480-460+500-550-550-500→品川
の12連特急が出現した記録がある。(但し後部4輌は金沢文庫→神奈川新町間のみ。)
高加速・高速性能確保や先頭電動車主義など、京急は独自の思想展開で知られるが、その影響は本形式も例外ではなく、登場当初は制御車だった車両も後年電動車もしくは中間付随車への改造が施された。この結果電動車デハ400形が64輌に対し付随車がサハ480形が僅か14輌と、電動車比率が高く、電動車のみの編成であっても使用されている主電動機出力は115kWと大きい。付随車連結の編成では150kWのものを使用していた。このため、実際の運用では後年までカルダン駆動の他形式に伍して最高100km/hの本線高速運用にも充当された。これは1980年代に入って釣り掛け車を多用していた他社のうち、支線区各停用・低速高加速ダイヤの東急は94kWクラスの2M1T、本線優等用・高速低加速ダイヤの名鉄は110kWクラスの1M1Tを標準としていることを考慮すれば特異であり、前述した高加速と高速運転の双方を満たすための、京急ならではの事象といえる。
とはいえ、常にギヤやアクスルメタルへの給油点検を要する釣り掛け駆動装置の保守はもとより、MM'ユニット編成ではないため、主制御器等は電動車各車に搭載され、電気ブレーキを持たないため高速域から停止まで鋳鉄制輪子による空気ブレーキを使用することになるなど、保守上からは歓迎されざる要素が大きい車輌でもある。ただし後年一部の車両は制動力の安定するレジン製制輪子に交換された。また、消費電力が大きいため、10輌編成時には付随車連結の編成を組み込み8M2Tとすることなど、長編成時には組成上の制約が存在した。前述の更新が実施されたにも関わらず、これらの問題からさほど長く運用されないまま営業運転から撤退することとなった。
70年代後半には、主に6連で川崎-逗子海岸間急行(逗子急行)や3連で空港線で運用された。デハ400・440グループは3連組替と同時に空港線専用となった。デハ460・470グループはデハ500形と共に150kW主電動機を装備していたが、これらは付随車を外して電動車比率を上げ、加速力を確保する意味合いもあったといわれる。実際組替後しばらくは3+3の6連で逗子急行に充当された。デハ800形の増備で本線から捻出された車輌が空港線で運用されている一代前のグループを置き換えてゆく、ということを繰り返し、デハ400・420グループの2連やデハ470グループを除き、大半が空港線を最後に旅客運用から離脱した。最後まで使用されたのは460グループで、1986年500形と交替に廃車となった。
[編集] グループ各説
以下、デハ400形・サハ480形として整理後の各グループに分けて解説する。
[編集] デハ400グループ
1942年(昭和17年)に東急デハ5300形として20輌が新製された、車体長17.5m車幅2.7m級の半鋼製車。そもそも発注時は京濱デ201形・湘南デ251形の予定であったが、完成時には両社は大東急に併合されており、この形式は幻に終わった。先に車体が完成したが電気部品が調達できず、しばらく車庫で待機し、電気部品が手に入ったところで営業運転を開始した。京浜急行電鉄成立後はデハ300形を名乗った。また、京急で唯一、18m級の両運転台車両でもあった。後述の更新前に前照灯のシールドビーム化、尾灯の角形化が施された。1965年から1966年にかけて片運転台化、貫通路の設置をした上で400形に改番されたが1979年の空港線を最後に旅客運用から外れ、6両は小改造のうえデワ40形貨車となった。
[編集] クハ480→サハ480グループ
1947年岡山県の三井玉野造船所で、木造車両の改造扱いとして10輌製作された。戦後の分離以前に登場した同仕様の増備車で、大東急分離以前であったため東急デハ5400形として竣工した。このデハ5400形は当時の東京急行電鉄品川支局初の片運転台、1500V単電圧車両であった。(当時は600/1500Vの複電圧車と600Vの単電圧車のみだった)京浜急行電鉄成立後はデハ400形(初代)を名乗った。戦後間もない時代の粗悪材料に加え、鉄道車輌製作に不慣れなメーカーであったせいか早期に状態不良となり、他車に先駆けて1965年から1966年にかけて1000形に準じた車体に載せ変え、サハ480形となった。番号対比は下記のとおり。デハ460グループの中間車として使用されたが、1980年、奇数号の車両が加速性能向上のため廃車され、残った偶数号の車両も1986年までに廃車された。末期には先に廃車となったデハ470グループから台車を転用し、旧デハ400形時代の面影は完全に失われていた。なお、余剰となった三井造船製車体はスクラップ扱いで西武建設が購入、西武所沢工場で再生のうえ、新車扱いで弘前電鉄(現:弘南鉄道大鰐線)、総武流山電鉄、近江鉄道、伊予鉄道に売却された。
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- Mc401~Mc410 → T481~T490
[編集] デハ420グループ
1949年(昭和24年)京浜急行電鉄成立後に製造された、運輸省規格型車体を持つもので、当初はデハ420形を名乗った。15輌と半端な輌数であったことから、デハ436のみこれを埋め合わせる目的で1956年に新製された。後年貫通路が設置された。規格型新製当時の粗悪鋼材によるものか更新修繕はデハ400グループよりも徹底され、原形を残しながらも外板は全面張替えとなり、ノーシル・ノーヘッダ、全金属車体化されたが、中間車化等は行われなかった。末期は主に川崎-逗子急行に充当されたが、1982年全廃された。
[編集] デハ440・デハ470・サハ490グループ
1953年(昭和28年)500形の3扉・ロングシート版として製造された、当初は初代600形(デハ600-クハ650)を名乗った。客室部の窓配置が全体に乗務員室寄りに偏っている前後非対称配置である。このため中間車化されたものは旧乗務員室部には狭幅の窓が新設された。当初は半鋼製であったが、1974年までに612以降と同様の全金製車体に更新された。また、下記の※のものは側窓を1段下降式とし、あわせて自動種別・行先表示器を正面・側面共に採用した。これらは1983年までに全廃されている。
- 以下に改番表を示すが、便宜上デハをMc、Mに分けている
- Mc601-Tc651 → T492※・ T491※
- Mc602-Tc652 → T494※・ T493※
- Mc603-Tc653 → M451・ M450(110kW電動機使用)
- Mc604-Tc654 → Mc471※・Mc472※(150kW電動機使用)
- Mc605-Tc655 → Mc473※・Mc474※(150kW電動機使用)
- Mc606-Tc656 → M443・ M442(110kW電動機使用)
- Mc607-Tc657 → Mc437・Mc438(110kW電動機使用)
- Mc608-Tc658 → Mc441・Mc444(110kW電動機使用)
- Mc609-Tc659 → Mc445・Mc448(110kW電動機使用)
- Mc610-Tc660 → Mc449・Mc452(110kW電動機使用)
- Mc611-Tc661 → M447・ M446(110kW電動機使用)
- ※印は更新時に1段窓に改造・デハ470・サハ490グループに。
[編集] デハ460グループ
1957年(昭和32年)初代700形の3扉・ロングシート版として当初から全金属車体で製造された、600形増備車。側面は1000形に似ているが、客室部の窓配置が全体に乗務員室寄りに偏っている前後非対称配置である。
- 以下に改番表を示す
- Mc612-Tc662 → Mc463・Mc464(150kW電動機使用)
- Mc613-Tc663 → Mc461・Mc462(150kW電動機使用)
- Mc614-Tc664 → Mc465・Mc466(150kW電動機使用)
- Mc615-Tc665 → Mc467・Mc468(150kW電動機使用)
- Mc616-Tc666 → Mc469・Mc470(150kW電動機使用)
[編集] 編成表
[編集] 更新・改番当初の編成
【440形(110kW電動機搭載車)】
- Mc .Mc
- 437-438
- Mc .M .M Mc
- 441-442-443-444
- 445-446-447-448
- 449-450-451-452
【460・470形(150kW電動機搭載車)】
- Mc .T T .Mc
- 461-481-482-462
- 463-483-484-464
- 465-485-486-466
- 467-487-488-468
- 469-489-490-470
- 471-491-492-472
- 473-493-494-474
[編集] 各グループ晩年の編成
【440形(110kW電動機搭載車)】
- Mc .Mc
- 437-438
- Mc .M Mc
- 441-442-444
- 445-447-448
- Mc .M .M M .M Mc
- 449-450-443-446-451-452
【460・470形(150kW電動機搭載車)】
- Mc .T .Mc
- 461-482-462
- 463-484-464
- 465-486-466
- 467-488-468
- 469-490-470
- 471-492-472
- 473-494-474
[編集] 改造車・譲渡車
- 譲渡車
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- 弘前電気鉄道モハ108…両運転台化、前面貫通化された。右側運転台が特徴。弘南鉄道合併後も大鰐線で継続使用。東急7000系入線に伴い廃車。
- 総武流山電鉄モハ1101…外板の全張替えによるノーシル・ノーヘッダ化、前面、側戸袋窓のHゴム支持化等、徹底的な更新が行われ、更に両運転台化された。京急400系列最後の残存車であったが1994年廃車。末期には密着連結器と元京王井の頭線デハ1900形用のKBD107台車を装備し、構内入換車となっていた。
- 近江鉄道モハ135形・クハ1210形…台車を旧型国電用DT10に換装し、車体を2扉・全長14mに短縮改造し、ベンチレータはおわん型に変更された。モハ136は貫通路を塞ぎ、乗務員室用扉をつけて両運転台化した。
- 伊予鉄道モハ120形・クハ420形…総武流山同様、外板の全張替えが行われ、デハ420グループ末期を彷彿とさせる外観となった。こちらは前面窓がアルミサッシとなっている。京王5000系を改造した700系入線に伴い廃車。
- 改造車
これらを含め、京急400系列の現存車は全く存在しない。
[編集] 外部リンク
- 京浜急行電鉄の電車 ■Template ■ノート
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