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メルセデス・ベンツ - Wikipedia

メルセデス・ベンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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メルセデス・ベンツ (Mercedes-Benz) は、ドイツ自動車製造者 ダイムラー・クライスラー(DaimlerChrysler AG) の乗用車商用車ブランドの一つである。

Mercedes Benz S600
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Mercedes Benz S600
Mercedes Benz Conecto
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Mercedes Benz Conecto

目次

[編集] 概要

乗用車部門と商用車部門を展開している。同社の車に対する考え方の根幹を示すものは、「安全」であり、「ABS」、「AirBag」、「特殊な形状のシフトパターン」等を開発したのは、ダイムラーベンツ社である。

[編集] 乗用車

乗用車としては高い安全性と先進性を兼ねそえた高級車として知られ、アジア諸国やロシアアメリカをはじめとする世界各国で社会的地位、成功のシンボルとして知られる。

ただし欧米のメディアマスコミにおいては、武器商人やビバリーヒルズ歯医者セレブリティの所有車といった成金的なイメージとして表象されることも多い。なお、同じく日本でも暴力団や芸能、テレビ関係者、スポーツ選手等が好む車の代名詞として知られている。また、外交官向け販売を行っていることより、冷戦時代においては東側諸国の外交官の利用者も多く、その為「ペルソナ・ノン・グラータ向けの車」と揶揄されることも多い。

日本で販売されている車種の価格は、約250万(Aクラス) ~ 5,700万円台(SLRマクラーレン)まであり、すべてのクラスにおいて、日本車で同じ排気量を持つ車種よりもかなり高額である。なお、日本における販売の中心としては、800万円程度(Eクラス)を中心として、400万円(Cクラスなど)から1200万円(Sクラス)などがもっとも売れている。

[編集] 商用車

商用車も高い安全性と先進性、さらに実用性を兼ねそえた事で知られており、そのことが世界中で高い評価を受け、世界最大の商用車メーカーとなっている。特にヨーロッパ中東中南米諸国においては非常にポピュラーな存在で、トラックバスなどの商用車のラインナップも充実している。 

[編集] 来歴

[編集] 成り立ち

1886年にドイツの技術者、カール・ベンツによって創設された世界最古の自動車メーカーの一つ。1920年代より、当時ヨーロッパで盛んになっていたモータースポーツに積極的に参戦し、数々の好成績を収めその名声を確固たるものにした。ゴットリープ・ダイムラーが、ベンツと殆ど同時期に創設したダイムラー社と合併したのは1926年である。

[編集] ナチスへの協力

ナチスの創設者でドイツの独裁者であったアドルフ・ヒトラーは、政権獲得後の1933年2月11日、国際ベルリンモーターショーにおける開会宣言で新時代の交通機関である自動車と自動車道路の建設に注目し、モータリゼーションの速度を速めることが国家の防衛力を高めることになると説いた。これ以降政府は自動車税の撤廃、アウトバーン建設、国有鉄道にトラック輸送部門の新設等の政策を打ち出した。

ナチス党は、党内に国家社会主義自動車隊(NSKK)を設け、運転技能者育成を始める。ベンツは運転教官の派遣、教習車の無償提供、国家社会主義ドイツ労働者党機関への役員の派遣等で積極的に対応して、国家社会主義ドイツ労働者党の強力なバックアップによりグランプリ・レース、ル・マン24時間レースミッレミリアなどのレースで同じくバックアップを受けるアウトウニオンなどとともに活躍した。

また、1935年ドイツ再軍備宣言以降のドイツの軍備拡張を支える企業として、戦闘機エンジンや軍用車両などの生産を行う。1939年9月に勃発した第二次世界大戦中は軍需生産に集中して、連合軍の爆撃の標的になるなどしてドイツの敗戦までの約6年間に壊滅的な損害を受ける。また、大戦中にユダヤ人や連合軍の捕虜を大量に強制労働者として使用した事から戦後多額の賠償を行うことになった。

[編集] 名車

その後、1950年代以降のドイツ経済の回復に合わせるように、ミッレ・ミリアル・マン24時間レースで大活躍した300SLRや、石原裕次郎の愛車として有名な300SLなどの数々の名車を送り出す。

その後も1960年代後半に発売されたミディアム・クラス(現在のEクラス)や、R107SL、「サッコプレート」で有名なブルーノ・サッコの手による、W124(このときからコンパクトクラスが「E」クラスと呼ばれる)、また、ドイツのヘルムート・コール首相の専用車であったW126(当時はクーペの「SEC」も「W126」)、そしてアメリカのCAFE対策で生まれたW201(現行W203Cクラスにつながる)、など数々のヒット作を市場に送り出し、世界の高級車市場で圧倒的な存在感を持ち続けている。

[編集] コストダウンの弊害

かつては「Das Besten oder Nicht(最善か、無か)」の企業スローガンの元、「全ての形に理由がある」と言われるほど質実剛健であり良い意味で過剰性能・品質であったのだが、1990年代中盤以降の利益率向上を目指したコストダウンによって、市場に迎合し単なる高額ブランド商品的な製品が多く見られるようになってきた。

特に1997年に発売されたメルセデス・ベンツとして初のアメリカ工場(アラバマ州)で生産されたMLクラスは、その品質の低さと完成度の低さで「アラバマ・メルセデス」と酷評され、全世界におけるブランドイメージを大きく落とすことに一役買う結果になってしまった。また、先代Sクラス(W220)及び先代Eクラス(W210)が登場した際、古くからのメルセデス・ユーザーが代替した直後乗り味や質感の違いに先々代の新車(Sクラス:W140、Eクラス:W124)(W124のE500はポルシェによる生産)への交換を要求、返品の山になったのは有名な話である。

これらのことにより、「Das Besten oder Nicht(最善か、無か)」時代に発売された車種が一時的に中古車市場にて高値で取引され、程度によっては後に発売された後継車よりも高値をつけるなど、ある意味異常な状態が起こった。

一方で、2000年代に以降にデビューしたEクラスやSLクラス、SLKクラスなどはこれらの反省から品質管理に重点を置き、その結果、1990年代中版以降と比べ品質は大幅に戻り、また、以前と比べて補器類やゴム部品などの交換耐用年数も大幅に伸びて、低年式になるとメンテナンスに手間と金額が掛かる車ではなくなった。

[編集] リコール

1997年に登場したAクラスが、北欧の自動車雑誌による“エルクテスト”と呼ばれる危険回避の運転操作の際に横転し、「メルセデス・ベンツにあるまじき失態」と世界中で報じられることになった。その後メルセデス・ベンツは発売した全てのAクラスをリコールしESPを装着するなどの改修を実施したものの、この事件は世界中に報道されたばかりでなく、多くの報道記事において、同時期に発売されその品質の低さと完成度の低さで酷評されたMLクラスの失態と並んで報じられたこともあり、大きく評価を下げることになってしまった。

また、2004年から2005年にかけて発生した、SBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)の2度に渡るリコールは、メルセデス・ベンツの主力車種であるEクラスで発生(看板車種のSLクラスでも)したこともあり、大きな問題となり、メルセデス・ベンツ経営を極度に悪化させる原因となった。技術的に時期尚早であったと判断したのか、イメージ的な判断であったのか、マイナーチェンジ後はこの装備がなくなっている。

[編集] メルセデス

「メルセデス(スペイン語で『慈悲深い人』という意味)」という名前は、命名された1899年当時、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア・ハンガリー帝国領事、エミール・イェネリックの娘の名前である。「ダイムラー・ベンツ」という硬い響きを持つブランドネームを避け、当時流行していたスペイン風の響きを持つ名前をあえて選んだと言われている。なお、ヨーロッパでは一般に「メルセデス」と呼ばれるのに対して、日本では「ベンツ」と呼ばれることが多い。

なお、ドイツ語の原音に近い読み方では「メルツェデス」となる。自動車評論家の徳大寺有恒は著書や自動車雑誌の中でこの表記を用いることが殆んどである。また、五木寛之も著書の中ではこの表現を固持して使っている。

[編集] エンブレム

メルセデス・ベンツの車体に輝くエンブレムは、合併前のダイムラー社が使用していたスリーポインテッド・スターとベンツ社の円形月桂冠とを併せデザインされたもので、3点にはそれぞれ「陸・海・空」の各分野でダイムラーベンツ社の繁栄が込められている。

[編集] 主な現行モデル

[編集] かつての車種

[編集] 第二次世界大戦前・大戦中の車種

  • S/SS/SSK/SSKL 通称Sシリーズ。1927年、前身のKシリーズをいっそうスポーティにしたモデル「S」(SはSport(シュポルト)の略)が登場。設計はフェルディナント・ポルシェである。前身のKシリーズのフレームにキックダウンをつけることで低重心化し、エンジン位置も調整したもので、市販車であるがそのままレース出場すら可能な、文字通りのスーパースポーツカーである。Sシリーズはエンジン排気量・ホイールベースの改良により、SS/SSKへと進化。SSKに至っては、1920年代の市販車でありながら、最高速は時速192kmを出すことが可能であったという。日本では、SSKがルパン三世の愛車としても知られている(但し、エンジンはフェラーリ12気筒に変更されているという設定)。究極的には、エンジンを当時としては例のない300馬力まで強化し、大幅にストリップダウンされて軽量化したSSKLとなり、最高速は時速235kmに達したが、これはレース専用であり、僅か数台が製造されただけであるとされる。SSKLは、1931年には、伝統のミッレ・ミリアを制したことでも名高い。Sシリーズは、名手ルドルフ・カラツィオラの活躍や、その生産台数の少なさもあり、現在まで伝説のマシーンとして記憶されている。
  • 170H
  • 540K ホルヒ853と互角に競った、最高のパーソナルカーである。当時、どの自動車会社もスペシャリティモデルはすべてコーチワークをコーチビルダーに任せていたが先代の500K同様、自社でコーチワークを行っている。だがその完成度はコーチビルダーに勝るとも劣らない程であった。又、映画サウンド・オブ・ミュージックでもこれのカブリオレBが使用されている。
  • 260D 世界で初めてディーゼルエンジンを搭載・市販された乗用車である。
  • 770(770K)、 通称「グローサー・メルセデス」と呼ばれている直列8気筒のこのモデルはダイムラー・ベンツのフラッグシップモデルである。主な顧客は世界の王侯貴族や富豪層、そしてヒトラーを始めとする国家社会主義ドイツ労働者党の高官達である。モデルは初代と2代目がある。国家社会主義ドイツ労働者党では戦勝地でのパレードで国力を見せつけるために使用された、まさにグローサーの名に恥じない偉大なモデルである。このグローサーの初代モデルはかつて大日本帝國の皇室昭和天皇御料車として15年以上使用された(ドイツ、Stuttgartのメルツェデスベンツミュージアムで展示)。同じ770でもヒトラー国家社会主義ドイツ労働者党の高官達のものは、当時のダイムラーベンツ社の技術部長であったフェルディナント・ポルシェ開発によるスーパーチャージャー(Kompressor)を追加したものであり、特にヒトラーのものはレーサーのルドルフ・カラツィオラ (Rudolf Caracciola)により納車された。

[編集] 大戦後

  • 190E(W201) 長らく小型車を持たなかったメルセデスが1982年に発表、業界を驚かせた。アメリカのCAFE対策で生まれた車。名称も本来メルセデスは排気量を示す「190」がそのまま車名になってしまい、2.3リットルモデルは、190E2.3等とCクラス出現までは変則的な名称となってしまった。社内デザイナーのブルーノ・サッコの手による。ブレーメン工場で初めて生産された。小型化するために世界初のマルチリンクを搭載車(マルチリンクについては、ポルシェ928のバイザッハアクスルが先とする説もあるが)。本来の目的はラリー参戦とも、アメリカ合衆国で販売する際のメーカーの総排気量規制の結果とも言われる(ラリー参戦については実現しなかったがツーリングカーレースには参戦)。コスワースが開発に協力した高性能版『2.3-16』後の『2.5-16』は特に有名で4ドアセダンの高性能モデルの魁となった。オリジナルの2リットル版の他に2.3/2.6リットルの直6や2.5リットルのディーゼルを搭載した車両もあったが、ボディタイプは上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)と異なり4ドアセダンのみだった。バブル経済時代の日本では5ナンバーサイズに収まることから「小ベンツ」と呼ばれもっとも街中で見かけるメルセデスと言うことで揶揄された。しかしサスペンション等は上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)との共通部品が多いことや、所謂ダイムラーベンツとクライスラーの合併以前の「Das Besten order Nicht(最善か、無か)」時代に設計されていることなどから、後のCクラス(W202)などと単純に同列には扱えない部分が多い。

[編集] 日本における販売

[編集] 乗用車

正規輸入ディーラーとしてメルセデス・ベンツ を長年取り扱ってきたヤナセと、1990年代以降に取り扱いをスタートしたシュテルン(現メルセデス・ベンツ店)での取り扱いが行われている。

バブル景気末期の1980年代後半から1990年代前半にかけて、一部の三菱ギャラン店で販売されていた事があった。現在も三菱系ディーラーがメルセデス・ベンツ店を運営する場合もある。またシュテルン店の母体の一部にはトヨタ日産などの国産車ディーラーの子会社が運営しているところもある。このほか、並行輸入がいくつかの輸入業者によって行われており、正規輸入ディーラーでは取り扱っていない車種やオプションの組み合わせを購入することができる。

[編集] 商用車

正規輸入ディーラーとしてコマツ、シュテルン及びその他ディーラーでの取り扱いが行われている。

[編集] モータースポーツ

メルセデス
参戦年度 1954 - 1955
出走回数 12
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 2 (1954 , 1955)
優勝回数 9
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 17
ポールポジション 8
ファステストラップ 8
F1デビュー戦 1954年フランスGP
初勝利 1954年フランスGP
最終勝利 1955年イタリアGP
最終戦 1955年イタリアGP
[編集]

メルセデス・ベンツの車両は第二次世界大戦前からモータースポーツに盛んに登場していた。

1934年から1939年の第二次世界戦勃発まで、メルセデス・ベンツとアウト・ウニオンのドイツ勢は、ヨーロッパのモータースポーツ界を完全に席巻した。

メルセデス・ベンツチームは偉大なレース監督アルフレート・ノイバウア (Alfred Neubauer)(サインボードの発明者である)により、まさに軍隊的規律の元でレースに臨み、結果を出しつづけたのである。

戦前のグランプリ・レース用主要マシンはW25(1934年~1936年)、W125(1937年)、W154(1938年・1939年)、W165(1939年)で、いずれもフロントエンジンながら、時代の最先端を行く性能を有していた。当時の主要ドライバーは、ルドルフ・カラツィオラ (Rudolf Caracciola)(1935年、1937年、1938年ヨーロッパチャンピオン)、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ (Manfred von Brauchitsch)、ヘルマン・ラング (Hermann Lang)(1939年ヨーロッパチャンピオン)、ディック・シーマン (Dick Seaman)。シーマンのみ、英国出身で、他は皆ドイツ人である。

1937年に登場したマシンW125に到っては、600馬力を超えるエンジンを持ち、最高速度は現代のF1と遜色ない時速340Km以上に達していた。

そのため、W125はターボ・マシン登場以前の1970年代後半になるまで、史上最強・最速のレーシング・カーであるとの伝説を保ち続けていた。

同年のアーヴス・レンネン(アーヴスレース;フリー・フォーミュラ=制限なしで行われた)では、ヘルマン・ラングが特製された流線型ボディのマシンに乗り、時速260.7kmという現代でも驚かされるような平均速度で優勝しているが、この記録は実に21年間も破られることはなかった。メルセデスとアウトウニオンは、アーヴス・レンネンの直線では、実に時速380kmを出していたと言われている。

1939年のトリポリグランプリ(イタリア領リビアで開催)は、レース開催の8ヶ月前になって、強すぎるドイツ勢を締め出すべく、当時の国際フォーミュラである3リッター・マシンではなく、イタリア国内ルールである1.5リッター・マシンで実施されることとなった。イタリア側としては、短期間での新型メルセデス、新型アウトウニオンの製造は不可能と考えたためであるが、メルセデス・ベンツチームはその当時の3リッターマシン、W154のミニチュアともいうべきW165を短期間で完成させ、同グランプリにおいても、1-2フィニッシュ(ラング、カラツィオラ)を飾ることとなる。なお、W165の実戦はこの年のトリポリグランプリのみであった。

また、ルドルフ・カラツィオラはモータースポーツのみならず、速度記録にも挑戦し、メルセデス・ベンツのレーシングカーを改造したレコードブレーカーに乗り、数々の速度記録を打ち立てている。1938年には、フランクフルト:ダルムシュタット間のアウトバーンにおいて、フライング・キロメーターで時速432.7kmを記録している。

大戦後、1952年ル・マン24時間レース、1954年にF1世界選手権に参戦し、偉大なドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオスターリング・モスの活躍により、それぞれ大きな成果を挙げた。特にF1では出走した12レースで9勝(ファンジオ8勝、モス1勝)という圧倒的な成績で、両年ともにファンジオがワールドチャンピオンを獲得するという「旋風」を巻き起こした。

しかし、1955年のル・マン24時間レースで、ピエール・ルヴェーの運転するメルセデス300SLRがクラッシュし、分解したマシーンのエンジンとサスペンションが時速200㎞を超える速度のまま観客席に飛び込む事故を起こし、200名以上の観客を死傷させる大惨事となった。このレースでメルセデスチームは、ファンジオ・モス組がトップを走行していたにもかかわらず、すべての車両を途中でリタイアさせている(レースはホーソーンジャガー)が優勝)。また同年末で一切のモータースポーツ活動から撤退した。

1980年代後半には、ザウバーと共同でWSPC(世界プロトタイプカー選手権)に出場するなど、徐々にモータースポーツとの関係を取り戻し始めた。またこの頃、ミハエル・シューマッハをはじめとする若手ドイツ人ドライバーの育成プログラムを開始し、本格的なレースへの復帰を模索し始めた。この頃にル・マンに復帰し、1989年に総合優勝を遂げるが、1999年のレースでまたしても宙を飛ぶ事故を起こし、犠牲者は出なかったが、やはりこのときも直後に全車をリタイアさせている。その後のル・マンには参戦していない。

1990年代序盤にはフォーミュラカー用エンジンビルダーであるイルモアに資本参加し、インディカーおよびF1においてメルセデス・ブランドでのエンジン供給を開始。現在はF1のマクラーレンに対してエンジンを独占供給する形で参戦しているが、マクラーレンを完全買収してメルセデス・ベンツ単独でのF1参加を画策しているという噂は根強い。

[編集] シルバー・アロー

1934年1937年のグラン・エプルーブ、グランプリ・レース(現在のF1世界選手権に相当)は、後に「750kgフォーミュラ」と呼ばれることとなる、車重を750kg以下とするレギュレーションで実施された。

1934年のニュルブルクリンクにおけるアイフェル・レンネン(アイフェルレース)前夜、車両重量規定をわずか1キログラムオーバーしてしまったメルセデス・チーム(監督は有名なアルフレート・ノイバウア)は、苦肉の策としてボディーの純白の塗装をはがすことを決断する。

一晩かかって塗装を落としたアルミむき出しの銀色のボディーに、直接ゼッケンを貼り付けてレースに参戦、そしてこの車を駆るマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが優勝する。それ以降メルセデスのレーシングカーは銀色がトレードマークとなり、「シルバー・アロー」の愛称で呼ばれた。これ以降ドイツのナショナルカラーも、それまでの白色から銀色とされた。

同時期に活躍した、アウトウニオンも同様に銀の塗装で「シルバー・フィッシュ」と呼ばれ、第二次世界大戦の勃発する1939年まで、シルバー・アローとシルバー・フィッシュのドイツ勢が、グランプリを席巻するのである。

[編集] 各年代の市販乗用車

[編集] 1920年代以前

[編集] 1930年代

[編集] 1940年代

[編集] 1950年代

[編集] 1960年代

[編集] 1970年代

[編集] 1980年代

[編集] 1990年代

[編集] 2000年代

[編集] 文献

  • 五木寛之(著)、770K グロッサー・メルセデスを題材にした小説、『メルセデスの伝説』、講談社、1985年
  • Alfred Neubauer (著)、橋本茂春(訳)、『メルセデス・ベンツ;Racing History 1923-1955』、三樹書房、1991年、ISBN 4-89522-148-2
  • 西牟田祐二(著)、『ナチズムとドイツ自動車工業』、有斐閣、1999年、ISBN 4-641-16074-0


<- Previous メルセデス・ベンツ ロードカー・タイムライン, 1980年以降 [編集] [en.wikipedia.orgより抜粋]
Type Class 1980年代 1990年代 2000年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
Supermini A W168 W169
Compact C W201 (190E) W202 W203 W204
Mid-size E W123 W124 W210 W211 W212
CLS W219
Full-size S W126 W140 W220 W221
マイバッハ W240
Roadster SLK R170 R171
SL R107 R129 R230
Coupé CLK W208 W209
CL W126 C140 W215 C216
Supercar SLR C199
SUV G W460/W461 W463
Crossover SUV GLK GLK
M W163 W164
GL X164
MPVs B W245
R W251
Vaneo Vaneo
Sprinter Sprinter


[編集] 関連項目

Mercedes-Benz」(邦題:ベンツが欲しい) という曲がある。

[編集] 外部リンク

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