フェルディナント・ポルシェ
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フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche, 1875年 9月3日 - 1951年1月30日)は、ボヘミア出身のエンジニアであり、ポルシェ社の前身であるポルシェ設計事務所の創業者。おもな活動の拠点はドイツであり、フォルクスワーゲン・ビートルの設計者として有名。また、第二次世界大戦中は戦車や軍用車両の設計にもあたった。
ポルシェという苗字は、スラヴ系のボリソフ(ボリスの子孫)に由来するという説がある。現在のVWグループ会長フェルディナント・ピエヒは、彼の孫にあたる。
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[編集] 略歴
1900年、車輪のハブにモーターをつけた電気自動車を設計し、パリ万博に出展した。この発想は、現代の電気自動車や一部のハイブリッドカーに用いられるインホイールモーターの仕組みによく似ている。
1909年にはアウストロ・ダイムラー社の技術者として、初めて国際レースに参加。この年の成績はふるわなかったが、翌1910年には勝利を収める。
彼はヨシフ・スターリンと面会し、スターリンはソ連で働くことを提案した。本人は相当苦しんだと述懐しているが、「ロシア語の壁は、56歳の自分にはとても乗り越えられない」として遠慮した。
1933年にアドルフ・ヒトラーから国民車(ドイツ語でフォルクスワーゲン、つまり、後のビートル)の設計を依頼され、3年後の1936年には試作車を製作、1938年に量産化に着手している。
第二次大戦中には、フォルクスワーゲンをベースとした軍用車両(キューベルワーゲン、シュビムワーゲン)やティーガー戦車等の戦闘車両の設計に携わる。特に戦争末期は電気式を採用したVK4501(P)戦車や超重量級戦車マウスなどかなりトンデモな兵器の設計を行っているが、当時絶望的な戦局を逆転させる超兵器への願望が強かったヒトラーにはいたく好評で、お気に入りだったと言われている。
なお、彼はナチ党員だが、制服を着たことは一切ない。にも関わらず、戦後にはフランスで刑務所に収監されることになる。
1946年、収監中にルノーからの求めで小型車4CVの設計に助言。
1947年8月、100万フランの保釈金を支払い、解放される。
1948年、現代のポルシェ車の源流ともいうべきポルシェ 356を設計、製作。
[編集] 文献
- 齋藤憐(著)、『ポルシェ、自動車を愛し過ぎた男』、ブロンズ新社、1987年