シュトルムティーガー
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Sturmtiger |
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シュトルムティーガー | |
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性能諸元 | |
全長 | 6.28 m |
車体長 | m |
全幅 | 3.57 m |
全高 | 2.85 m |
重量 | 68 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 | 40 km/h(整地) |
24 km/h(不整地) | |
行動距離 | 120 km |
主砲 | 38cm RW61 L/5.4 ロケット推進臼砲 |
副武装 | 90mm NbK39 擲弾筒 MG34機関銃 |
装甲 | 最大150 mm |
エンジン | Maybach HL 210 P45 600 馬力 |
乗員 | 5 名 (車長、操縦手、砲手3名) |
シュトルムティーガー (独:Sturmtiger) は、第二次世界大戦期にドイツが開発した自走砲である。戦闘で損傷を受けたティーガーI戦車の車台を改修し、元々海軍用に開発された38cm臼砲を搭載し、125kg弾頭のロケット弾を発射できるようにしたもの。18門のみが製造された。正式名称は38cm突撃(戦車)臼砲ティーガー (38cm RW61 auf Sturm(panzer)mörser Tiger) 。別称に Tiger-Mörser, Sturmmörser Tiger, Sturmpanzer VI がある。
目次 |
[編集] 歴史と概要
1942年のスターリングラードにおける戦いによる戦訓から、ドイツ軍は歩兵に対する強力な支援射撃、すなわち強固に防御された建造物や要塞化された地域を一撃で破砕する兵器のアイデアが導き出された。このとき、ドイツ国防軍は 15cm 突撃歩兵砲33(en)しか使用できなかった。これらのうち12門がスターリングラードで喪失した。
IV号突撃戦車ブルムベアが1943年4月から製造されたが、ドイツ国防軍はさらに似たような、しかしより重装甲で重武装な支援車輌を要求していた。この要求を満たすため、ティーガー戦車をベースとした、新しい21cm自走榴弾砲が計画された。しかし、この砲はその時点で利用できないことが判明した。そこで、海軍が使用していた爆雷投射器を改造した38cm臼砲を利用することとなった。
最初の試作車輌は1943年10月に用意され、ヒトラーに提示された。生産は1944年4月に承認され、その後広範な試験を受けた。同年8月から12月の間に、18門のシュトルムティーガーが完成した。製造は部分的に遅延したが、これは新規生産ではなく、ティーガーI が1輌損傷を受けるか、行動不能になるごとに、それを流用して1門製造したためである。
[編集] 設計
シュトルムティーガーは、ティーガーIの後期型をベースとして、車台とサスペンションを流用した。ティーガーの前部構造は撤去され、新たに臼砲・ロケットランチャーを収めるための戦闘コンパートメントが造られた。これは車輌の前面に直接位置したため、外観は四角いものとなった。
この車輌は全長が短く、通常のティーガーI戦車が8.45mあるところ、シュトルムティーガーは6.28mであるが、これは砲身の長さの差によるものである。車高も、ティーガーIが2.93mであるところ、シュトルムティーガーは2.85mであった。
[編集] 装甲
この車輌は市街戦を目的に開発されたため、近接戦闘が想定された。そこで生存性を向上させるため、重装甲が要求された。前面の装甲は150mmある上に傾斜しており、側面の装甲も80mmある。この重装甲は重量に影響し、通常のティーガーIが57tであるところ、この車輌は68tと、大幅に増加した。
[編集] 武装
主武装は380mm61式ロケット砲 (38cm Raketenwerfer 61 L/5.4) で、砲尾装填式である。強固に防御された建築物に対処するため、125kgの高性能炸薬を弾頭とした長さ約1.5mのロケット弾を発射し、最高で2.5m厚の鉄筋コンクリートを貫通することができた。最大射程距離は5,650m。ロケット弾の全備重量は1発345-351kg。最初に添加する推進薬による初速は45m/sで、40kgのロケット推進薬により250m/sまでブーストされた。
ロケットランチャーの設計には若干の問題があった。熱いロケット弾の発射煙を戦闘コンパートメントに排出することはできないが、ガスが排出されないのであれば臼砲は圧力に耐えることができない。従って、環状の換気シャフトを砲身の外側に取り付け、砲身の回りに胡椒入れ形の排気管を配置し、排気煙が車体前方に出るようにした。
弾薬が大きくかさばるため、ロケット弾は14発しか搭載できなかった。うち一発は装填済みで、もう一発は装填用トレイに置いた状態、残りは後部の弾薬棚に搭載した。ロケット弾を車体に搭載するために、後部に積載ハッチを取り付け、後部構造の上部と装填トレイにクレーンが取り付けられた。それでもロケット弾の装填には、5名の乗員全員が手伝わなければならなかった。
後部の積載ハッチには 90mm NbK39 Nahverteidigungswaffe (近接防御武器)が取り付けられた。これは、車輌や敵兵に対する防御用の武装で、基本的には360度全方位に発射できる擲弾筒であった。
また前部には、対歩兵用に7.92mm MG34機関銃が取り付けられた。
[編集] 戦歴
シュトルムティーガーの最初の役割は、重歩兵支援車輌として、要塞化・重防御構築物を攻撃することであった。しかし、最初のシュトルムティーガーが運用できるようになった時には、すでに戦局が悪化しており、ドイツ国防軍も攻撃より防御用の武器として使用した。
シュトルムティーガーを運用するために、第1000・1001・1002突撃臼砲中隊 (PzStuMrKp = Panzer Sturmmörser Kompanien) の3つの新しい中隊が編成された。これら中隊は、当初14門の車輌を配備する予定であったが、後に各4門となり、さらに2個小隊ずつに分けられた。
第1000突撃臼砲中隊は、ワルシャワ蜂起の最中、1944年8月13日に2門で編成され、プロトタイプがこれらとは別行動をとっている。これが、シュトルムティーガーの最初の実戦投入と考えられている。続いて、第1001・1002突撃臼砲中隊が9月と10月に編成された。この2個中隊はバルジの戦いに投入され、合計7門のシュトルムティーガーが運用された。
この攻勢の後、シュトルムティーガー各中隊は、西部戦線だけでなく、ドイツ本土の防御にも使用され、その過程で優れた防御用兵器であることが判明した。空爆または重砲撃でないと破壊できないためである。従って、敵の作戦行動によるシュトルムティーガーの損耗はほとんどなく、機械的故障や燃料切れを原因とする車輌の放棄に伴う、乗員自身による破壊が損耗の原因となった。
2門のシュトルムティーガーが第二次世界大戦を生き延び、1門はドイツのムンスター戦車博物館 (de)、もう1門はロシアのクビンカ戦車博物館 (en) に展示されている。
[編集] 外部へのリンク
(すべて英語)
- Information about the Panzersturmmörser (also known as Sturmtiger) at Panzerworld
- Achtung Panzer! - Sturmtiger
- OnWar
- WWII Vehicles
第二次世界大戦のドイツの装甲戦闘車両 | |||
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