駆逐戦車
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駆逐戦車(くちくせんしゃ)とは、英語の Tank destroyer の訳語である。戦車を破壊する戦車を意味する。自走対戦車砲とも訳される。駆逐戦車は一般的に防御戦に投入されることが多く、柔軟性を生かして攻撃的に運用する戦車とは異なる。
多くは既に制式化された戦車の車体部分を流用して無旋廻砲塔に変更しているもので、備砲もより強力な貫徹力を持つ対戦車砲に換装している。無砲塔構造は砲塔旋廻リングの荷重制限を受けない事などから戦車より大口径の火砲が搭載できる反面、射線を変えるために車輌自体を旋回させねばならず状況に即応した行動をとることが難しかったため、攻勢よりも防御戦闘においてその能力を発揮した。
また通常、駆逐戦車が装備する備砲は貫徹力で優る対戦車砲であるが、中には大口径野砲を改造したものを装備しているものもある。これは榴弾により敵戦車の装甲を貫徹できなくとも、その衝撃により敵戦車の装甲を引き裂き、装甲を引き裂くことができなくても衝撃によって装甲内壁を剥離させ吹き飛んだ破片により搭乗員を死傷させるもので、これは現代のHESH(HEP)弾と同じ効果を持っている。
1950年代終わりから1960年代初頭にかけて対戦車ミサイルが開発され、軽快な装甲車や偵察車にも搭載され始めると、明確な兵器区分としての駆逐戦車は消えていった。
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[編集] 第二次世界大戦時の駆逐戦車
[編集] ドイツ
第一次世界大戦における苦い経験から早くから対戦車部隊の必要性が論じられていた。1935年にベルサイユ条約軍備制限条項を廃棄した後、 Panzerjägertruppe (戦車猟兵科)を独立兵科として設け、対戦車砲部隊 (Panzerabwehrkanonen-Einheiten)、戦車猟兵部隊 (Panzerjäger-Einheiten)、戦車駆逐部隊 (Panzerzerstörer-Einheiten) とその名称は変遷した。戦車猟兵部隊の戦闘車両は逐語訳で「戦車を狩する戦車」を意味する Panzerjäger、あるいは後に Jagdpanzer と呼ばれようになった。
- 砲兵科に類似した形態を有する車両があるが、これは突撃砲と呼ばれるものである。これは歩兵に対する火力支援を本来の任務とした車両だったが、ソ連軍の強力な戦車に対抗するために備砲を長砲身化して対戦車戦闘を行うようになっていった。駆逐戦車と突撃砲の区別については多分に兵科間の縄張り争いの一面を持ち、実態としては両者の相違は曖昧なものであった。事実、フェルディナントは当初は重突撃砲に分類されていた。ドイツ軍は慢性的な戦車不足だったため、しばしば駆逐戦車・突撃砲とも戦車の代用として部隊に配属された。
- 軽駆逐戦車ヘッツァー
- IV号駆逐戦車
- ヤークトパンター
- ティーガー(P)駆逐戦車(フェルディナント・エレファント)
- ヤークトティーガー
[編集] アメリカ
アメリカ軍において Tank destroyer は正式には Gun motor carriage と呼ばれ、歩兵部隊を敵戦車の攻撃から守る対戦車部隊に配属された。部隊からの要請により、視界に優れたオープントップの全周旋回砲塔を持つことが特徴である。なお、1930年代のアメリカ軍の機甲部隊の使い方は、「戦車は歩兵支援任務。駆逐戦車は対戦車任務」という歩兵直協思想の延長線上にあり、第二次大戦半ばを過ぎてもそれは変らなかった。この過ちは後期のドイツ重戦車との戦いで証明され、しかもより強力な戦車を求める現地部隊からの度重なる要求はほとんど無視されていた。機動性と視界を優先した駆逐戦車も、待ち伏せにおいては有効に働いたものの、装甲が薄いため戦車代わりに歩兵の直接支援に出た場合、損害を出しやすかった。
[編集] イギリス
イギリス軍においては Self-propelled gun と呼ばれ、通常の自走砲扱いで、アメリカ軍からの供与車両及びその改修型に限られる。砲兵科に所属する対戦車部隊に配属された。
[編集] ソビエト連邦
ソ連軍においては駆逐戦車に相当する分類はなく、“旋回する砲塔を持たない戦闘車輌”は、主任務が対戦車戦闘であれ、歩兵近接支援であれ単に自走砲と呼ばれ(BA-10などの装甲車を除く)、自走砲部隊に配属された。ドイツ軍の突撃砲に影響を受けており、戦車の車台を利用して一回り大口径の砲を搭載した点などドイツ軍の突撃砲と同様である。
[編集] 第二次世界大戦後の駆逐戦車
第二次世界大戦においては、アメリカ軍のオープントップの駆逐戦車が一撃離脱を狙ったのに対し、ドイツ軍やソビエト軍の駆逐戦車はそこそこの装甲を持ち、待ち伏せ攻撃を行う設計になっていた。戦後、前者の発展系として最初に登場したのは無反動砲や有線誘導の対戦車ミサイルであった。しかしこれらは装甲防御力を欠いたため、装甲車に対戦車ミサイルを搭載した自走対戦車ミサイルが開発された。また、対戦車ヘリコプター、多連装ロケットシステムなども登場した。一方、後者の系統は充分な能力を持つ主力戦車が充分な数揃えられたため、存在価値を失ってしまった。とりわけ空対地ミサイルの信頼性が向上すると、地上部隊による対戦車攻撃の意義は薄らいだ。しかし高価な航空兵器に頼れない状況やスウェーデンなど独自の軍事構想を持つ国では、依然として駆逐戦車に類する車両が有用な場合もある。
[編集] ドイツ
ドイツは戦後も駆逐戦車を重視しており、当初は第二次世界大戦型の大口径対戦車砲を搭載したヤークトパンツァー・カノーネを開発した。やがて対戦車ミサイルの性能が向上すると、自走対戦車ミサイルのヤークトパンツァー・ラケーテへと改造されていった。このほか、最初からミサイル駆逐戦車として開発されたヤークトパンツァー・ヤグアルシリーズが有名である。
[編集] アメリカ
アメリカは戦後も軽量の駆逐戦車を作り続け、空挺部隊用の自走砲・スコーピオンや海兵隊の自走無反動砲・オントスなどをベトナム戦争などに投入した。それらが旧式化すると、多連装ロケットシステムや歩兵戦闘車、対戦車ミサイルを搭載したM901 ITVなどが同様の役割を担うようになった。
[編集] ソビエト連邦
ソビエトはドイツ同様、当初は第二次世界大戦型の駆逐戦車を試作し比較的少数の生産を行っているが、次第に自走対戦車ミサイルや自走ロケット砲などへ切り替えられていった。
[編集] 日本
陸上自衛隊は近接対戦車戦闘を想定し、106ミリ無反動砲を2門搭載した60式自走無反動砲を開発したが、主力戦車の発達とともに重要性も低下していった。現在では対戦車ミサイルの96式多目的誘導弾システムなどが対戦車戦闘の主役になっている。
[編集] スウェーデン
駆逐戦車ではなく主力戦車に分類されているが、低車高の高速戦車としてStrv 103(Sタンク)がある。地形を生かした防御戦闘に特化し、無砲塔で完全固定式の主砲を備えている。Strv 103は外形、性能、運用の全てにおいて第二次世界大戦中の駆逐戦車を後継しているといえる。