近藤真彦
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近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 - )は、ジャニーズ事務所所属の歌手・俳優、レーシングドライバー。ニックネームはマッチ。神奈川県大和市出身。明治大学付属中野高等学校夜間部卒業。同級生には野々村真、野村義男。
レーシングチーム「KONDOレーシング」を運営する株式会社エムケイカンパニーの代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持つ。
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[編集] プロフィール
[編集] タレント活動
TBSのドラマ、3年B組金八先生の生徒役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともにたのきんトリオとして活躍。その後ソロ歌手デビューし、1980年代を代表する男性トップアイドルとして君臨し、ザ・ベストテンやザ・トップテンなどの歌謡番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得した。
一説によると、デビュー当時に歌番組で、美空ひばりの歌を舞台袖で聴き、それが誰かも知らず、「おばさん、歌うまいね。」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせるが、当の美空ひばりは「ありがとう」と笑顔で答え、それ以来美空には可愛がられた。
2005年末にデビュー 25 周年を迎え、ソロとしては 7 年 7 ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリースし、芸能界への復帰を宣言。復帰の第一弾として 25 周年記念ディナーショーを開催し、歌手としては約 7 年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。同年のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。ジャニーズ事務所内では一番の年長者でボス的な存在とはいえ、ジャニーズのファン層がもはやマッチが第一線で活躍した時代を知らない人が多数になりつつあることもあり、2005年の年越しライブに参加して歌を歌い、改めて年長者としてのケジメをつけている。さらに2006年2月14日に日本武道館で行われた25周年記念コンサートでは、前売りチケットが発売開始後5分で完売。当日のステージでも、約7年のブランクがあったことを感じさせない熱唱を披露し、'80年代以来のファンを大いに魅了した。
マッチ自身からの「感謝の意を込めて」ということで武道館コンサートは2007年2月14日にも再演が決定し、現在Johnnys-netに於いてチケットが先行販売中(一般でのチケット販売は行わない可能性がある)の他、2006年6月から全国ツアーも決定。さらに、2006年9月1日放送の「金曜エンタテイメント『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ〜倉敷殺人事件〜』(フジテレビ系)で「ドンウォリー!」以来のドラマ主演を務めた。
ジャニーズの後輩達に関しては、本来は同じ芸能界で活動するライバルなので、厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で、歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまうと発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉、草彅剛、堂本光一と雑誌で語った。
[編集] レース活動
[編集] レーシングドライバー
1984年に富士フレッシュマンレース(現在の富士チャンピオンシップレース)に参戦したのを皮切りに、「日本一速い男」の愛称を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦。1994年には全日本GT選手権にポルシェ962CのGTカー仕様で参戦し、第3戦(富士スピードウェイ)で1992年度全日本F3選手権チャンピオンのイギリス人ドライバー、アンソニー・レイドとともに初優勝を飾る。
その後は、ル・マン24時間レースやフォーミュラ・ニッポンなどを中心に、レーシングドライバー兼チーム監督として活躍。現在はチームオーナー兼監督業がメインだが、ドライバーとしてもミッレミリアやスーパー耐久へ参戦するなど活動は継続している。
ただ、1995年から2000年まで参戦した、旧全日本F3000選手権→フォーミュラ・ニッポンと続く国内トップフォーミュラでは、荒天で大荒れのレースとなった1996年の最終戦に6位入賞したのが唯一のポイント獲得であり、またフジテレビF1中継にゲスト解説として出演した当初は時折的外れなコメントを発するなど、レーシングドライバーとしての能力については残念ながらトップクラスとは言えなかった。
[編集] チーム監督
しかし、20年以上に渡り日本の4輪モータースポーツに関わり続け、バブル景気崩壊後に大口スポンサーの撤退が相次ぎ国内トップフォーミュラの参戦台数が減少する中で、一監督として地道に独自スポンサーを獲得してレース活動を継続することは決して容易なことではなく、またレースの采配でうならせる場面もありチームオーナー兼監督として改めて能力を評価されている。そして、自らの知名度もあったにせよ、常にレース界の前面に立ち一般大衆からのモータースポーツへの関心の一端を担いつづけており、これを近藤のモータースポーツへの功績として認めている者も多い。
そして、2006年からは念願であったコンドーレーシングによるSUPER GT(旧全日本GT選手権)への参戦を開始した(日産フェアレディZを使用)。モータースポーツに対する姿勢と情熱はもはや一芸能人の趣味や道楽のレベルを大きく超えて、プロのレース人としてなんら遜色ないものを見せており、今やレース活動の方が本業と言えるほどである。
[編集] 参加ユニット
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
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- タイアップはこちらを参照
- 「スニーカーぶる~す」(1980年12月12日) (作詞: 松本隆、作曲: 筒美京平。当初の所属レコード会社は「RVC(現BMG JAPAN)」)
- 「ヨコハマ・チーク」(1981年3月12日)(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)
- 「ブルージーンズメモリー」(1981年6月12日) (作詞:松本隆、作曲:筒美京平)
- 「ギンギラギンにさりげなく」(1981年9月30日) (作詞: 伊達歩、作曲: 筒美京平)
- 「情熱☆熱風せれなーで」(1982年1月7日)(作詞:伊達歩、作曲:筒美京平)
- 「ふられてBANZAI」(1982年3月31日)
- 「ハイティーン・ブギ」(1982年6月30日)(作詞:松本隆、作曲:山下達郎)
- 「ホレたぜ!乾杯」(1982年9月30日)
- 「ミッドナイト・ステーション」(1983年1月20日)
- 「真夏の一秒」(1983年4月27日)
- 「ためいきロ・カ・ビ・リー」(1983年7月15日)
- 「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」 (1983年11月1日)
- 「一番野郎」(1984年3月1日)
- 「ケジメなさい」(1984年6月6日)(作詞:売野雅勇、作曲:馬飼野康二)
- 「永遠に秘密さ」(1984年9月13日)
- 「ヨイショッ!」(1985年2月13日) (CBSソニーへの移籍後第1弾)
- 「夢絆」(1985年6月5日)
- 「大将」(1985年10月21日)
- 「純情物語」(1986年2月26日)
- 「青春」(1986年7月4日)
- 「Baby Rose」(1986年9月10日)(織田哲郎の曲をカヴァーした作品)
- 「愚か者」(1987年1月1日)(作詞:伊達歩、作曲:井上尭之 日本レコード大賞受賞曲)
- 「さすらい」(1987年6月11日)
- 「泣いてみりゃいいじゃん」(1987年9月18日)
- 「Made in Japan」(1988年4月8日)
- 「ああ、グっと」(1988年9月14日)(作詞:康珍化、作曲:吉田拓郎)
- 「夕焼けの歌」(1989年2月3日)(作詞:大津あきら、作曲:馬飼野康二)
- 「Just For You」(1989年6月1日)
- 「いいかげん」(1989年7月5日)
- 「アンダルシアに憧れて」(1989年11月10日)(作詞、作曲:真島昌利)
- 「気ままにWALKIN’」(1990年4月8日)
- 「Ho Ho Ho・・・」(1990年7月12日)
- 「好き」(1990年10月24日)
- 「デスペラード-ならず者-」(1991年7月19日)
- 「無頼派」(1991年12月12日)
- 「少年のこころ」(1992年5月21日)
- 「北街角」(1993年11月21日)(作詞: 原真弓、作曲: 馬飼野康二)
- 「最後のラブ・ソング」(1995年7月21日)
- 「ミッドナイトシャッフル」(1996年2月21日)(作詞: 沢ちひろ、作曲: Joe Rinoie)
- 「愛はひとつ」(1997年2月21日)(作詞: 山崎民士、作曲: Joe Rinoie)
- 「KING and QUEEN」(1998年5月20日)(作詞・作曲:CANNA)
- 「挑戦者」(2005年12月14日)
- 「情熱ナミダ」(2007年1月24日)
[編集] アルバム
- 「Thank 愛 You」(1981年3月5日)
- 「17バ-スデー」(1981年7月19日)
- 「ブルージーンズメモリー」(1981年9月5日)
- 「ギンギラギンにさりげなく」(1981年12月16日)
- 「BANZAI」(1982年7月18日)
- 「RISING」(1983年4月1日)
- 「嵐を呼ぶ男」(1983年8月4日)
- 「WINNING」(1984年1月1日)
- 「Shining」(1984年8月1日)
- 「THE MATCHY best song for you」(1985年4月4日)
- 「SUMMER IN TEARS」(1985年8月1日)
- 「夢絆 12"」(1985年12月1日)
- 「名場面」(1986年4月10日)
- 「DREAM」(1986年12月12日)
- 「近藤真彦 THE BEST」(1987年6月4日)
- 「FOR YOU 抱擁」(1987年11月25日)
- 「1987 LIVE SINGLES」(1988年12月9日)
- 「SUMMER COLLECTION」(1988年7月1日)
- 「JAPAN」(1988年11月2日)
- 「夏のエアメール」(1989年7月19日)
- 「KICKS」(1989年12月12日)
- 「LIVE10th Anniversary' 90」(1990年7月19日)
- 「うそのない言葉 -THE TRUTH-」(1990年11月10日)
- 「By Your Request」(1990年12月12日)
- 「無頼派」(1991年12月21日)
- 「綺麗 KI・RE・I」(1992年12月12日)
- 「北街角」(1993年12月12日)
- 「THE ROCK BEST」(1996年11月21日)
- 「GET BACK」(1997年7月1日)
- 「MATCHY BEST」(2006年2月8日)
- 「MATCHY★BEST 2」(2007年2月7日)
[編集] MATCHY with O.A.I
- 「ヨイショ!'02 ~日本の皆さんホメていきまショー~」(2002年5月22日)(「ヨイショッ!」 のセルフカヴァー。稲垣吾郎・浅野ゆう子・小林稔侍・矢田亜希子・市川染五郎・畑野浩子とともに "MATCHY with O.A.I" として歌唱
[編集] トリビュート・アルバム
- MATCHY TRIBUTE 25th anniversary(2006年1月1日)
- ケジメなさい -
- 情熱☆熱風せれなーで - Low-Cuts feat. Lori Fine (COLDFEET) and GAKU-MC (from EASTEND)
- 夕焼けの歌 - SOPHIA松岡充
- ブルージーンズメモリー - 玉置成実
- アンダルシアに憧れて - アンダルシアユニット ~東山紀之・赤坂晃・堂本光一・今井翼~
- ミッドナイトシャッフル - 高橋瞳
- スニーカーぶる~す - スクービードゥー
- 愚か者 - ヘビメタサンダーズ ~マーティ・フリードマン + ROLLY + 鮎貝健~
- ハイティーン・ブギ - 吉村由美(PUFFY) *PUFFY, 2002
- ギンギラギンにさりげなく - グループ魂
[編集] 出演
[編集] 映画
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第1弾「青春グラフィティ スニーカーぶる~す」(1981年)
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾「ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY」(1981年)
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第4弾「ハイティーン・ブギ」(1982年)
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第6弾「嵐を呼ぶ男」(1983年)
- 「愛・旅立ち」(1985年 東宝)
- 「この愛の物語」(1987年 松竹)
- 「首領になった男」(1991年 東映)
- 「極東黒社会」(1993年 東映)
[編集] CM
[編集] テレビドラマ
- 3年B組金八先生(1979年-1980年)
- ただいま放課後(1980年)
- ニッポン親不孝物語(1985年)
- 野望の国(1989年)
- なんだらまんだら(1991年)
- 世にも奇妙な物語『急患』(1991年)
- 夏の嵐(1992年)
- 三匹が斬る!(1994年)
- 大江戸風雲伝(1994年)
- ドンウォリー!(1998年)
- エンジン(2005年)主演 木村拓哉(SMAP)スタッフ(スーパーバイザー)
[編集] ラジオ
- マッチとデート(1980年 - 1984年)
- 近藤真彦 くるまっち(2002年 - 2006年3月)
- 近藤真彦 くるくるマッチ箱(2006年4月 - )
[編集] 主なレース活動
[編集] 小学生男児救出
2004年8月4日の午前和歌山県白浜町の白良浜沖で溺れていた当時小学2年生の男児を救助した。男児がゴムボートから転落しているところに近藤が水上バイクで近づいて「大丈夫だ、お兄ちゃんが助けてやる」と海に飛び込み救助した。近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してもらった人物が近藤だったことを知った。なお,この事故の朝日新聞の見出しは「人命救助さりげなく」であった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- MK net circuit
- 「johnny's Web」(ジャニーズ事務所の公式携帯サイト)携帯のみ
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