KONDOレーシング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
改名:この記事のタイトルを、「KONDO Racing」に変更することが提案されています。詳しくはこの項目のノートをご覧ください。 |
KONDOレーシング(こんどー- )は、近藤真彦がオーナー兼監督を務めるレーシングチーム。2000年3月に発足。
目次 |
[編集] 参戦暦
[編集] フォーミュラ・ニッポン
[編集] 2000年度
- 近藤真彦 0pt
- 土屋武士 0pt ※第9戦のみ参戦
当初はオリンピックをスポンサーに、近藤自身がステアリングを握りフォーミュラ・ニッポンに参戦した。
[編集] 2001年度
- 立川祐路 30pts(3位)
- 金石勝智 4pts(12位)
2001年には近藤が監督業に専念し、ドライバーを金石勝智と立川祐路にスイッチ。
[編集] 2002年度
- 荒聖治 3pts(11位)
- 金石勝智 0pt
[編集] 2003年度
- 立川祐路 0pt
- ドミニク・シュワガー 0pt
2003年は立川が2年ぶりにチームに復帰し、ドミニク・シュワガーとの2台体制となったが、チームの成績はその間ずっと低迷し続けた。
[編集] 2004年度
- 道上龍 7pts(10位)
- 立川祐路 3pts(14位)
2004年はフォーミュラ・ニッポンのメインスポンサーがイエローハットに交代、ドライバーはトヨタのエース格である立川に加え、ホンダのエース格・道上龍と非常に気合の入った体制となったが、残念ながら結果は伴わなかった。
[編集] 2005年度
- 山本左近 9pts(10位)
- ヤレック・ヤニス 0pts ※第3戦まで参戦
- ロニー・クインタレッリ 12pts(9位) ※第4戦より参戦
2005年はフォーミュラ・ニッポンのドライバーを山本左近とヤレック・ヤニスに一新。シーズン途中からはヤニスの代役として、前年の全日本F3チャンピオンであるロニー・クインタレリが加入し、チームの調子も上向きとなった。
[編集] 2006年度
- 山本左近 3.5pts※第3戦まで参戦
- 柳田真孝
- 荒聖治 ※第4戦から参戦
第3戦までは山本左近と柳田真孝がドライブ。第4戦からは山本左近のF1参戦により荒聖治が3号車をドライブすることとなった。
[編集] Super GT
[編集] 2006年度
初年度より、元F1ドライバーのコマスと日産の成長株である柳田の強力ラインアップと好調な06年型のZを投入したことで、非常に気合が入っていたものの、横浜タイヤは日産・Zとのデータはなく、まずはタイヤの開発戦争が課題である。第5戦からコマスが腰痛が原因で一時離脱し変わって荒聖治を起用。コマスはいったん第6戦で復帰するもののなかなか調子が戻らず結局今シーズンいっぱい離脱を余儀なくされ荒が最終戦まで柳田とコンビを組むことに。最終戦ではマシン救済もあって2位争いをした上で3位に入り念願の初表彰台を獲得した。
[編集] ル・マン24時間耐久
[編集] 2002年度
- ドライバー:近藤真彦/Francois MIGAULT/Ian McKellar Jur.
- マシン:童夢S101
- 結果:予選/23位(予選1日目時点),決勝/リタイア