後光厳天皇
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後光厳天皇(ごこうごんてんのう 延元3年/建武3年3月3日(1336年4月14日) - 文中3年/応安7年1月29日(1374年3月12日); 在位:正平8年/文和元年8月17日(1352年9月25日) - 建徳2年/応安4年 3月23日(1371年4月9日))は、南北朝時代の北朝第4代天皇である。名を弥仁(いやひと)という。明治44年(1911年)に南朝が正統とされたため、歴代天皇からは除外されてしまっている(それまでは一貫して現皇統につながる北朝が正統とされていた)。
目次 |
[編集] 系譜
光厳天皇の第二皇子。母は、正親町公秀の娘、陽禄門院・藤原秀子。
- 宮人:右衛門佐局
- 第一皇子:亮仁入道親王
- 第七皇子:覚増法親王
- 宮人:正親町実継の養女
- 第四皇子:覚叡法親王
- 第八皇子:道円入道親王
- 宮人:橘知繁の娘
- 第十皇子:明承法親王
- 宮人:不明
- 第三皇子:行助入道親王
- 第九皇子:寛守法親王
- 第十一皇子:聖助法親王
- 第十三皇子:寛教入道親王
- 第一皇女:治子内親王
- 第二皇女:見子内親王
[編集] 系図
〔北朝〕 ┬(北1)光厳天皇┬(北3)崇光天皇─(伏見宮)─栄仁親王─貞成親王(後崇光上皇)─(102)後花園天皇─→ ├(北2)光明天皇└(北4)後光厳天皇─(北5)後円融天皇─(北6)(100)後小松天皇─(101)称光天皇 ├長助法親王 └珣子内親王(後醍醐帝中宮、新室町院) 〔南朝〕 ─(96)後醍醐天皇┬尊良親王 ├恒良親王 ├(97)後村上天皇(義良親王)┬(98)長慶天皇 │ ├(99)後亀山天皇─(小倉宮)─良泰親王─空因┬尊秀王 │ └良成親王(鎮西宮) └忠義王 ├護良親王(尊澄法親王)─興良親王 └懐良親王(征西将軍)
[編集] 略歴
幼少時には、後伏見天皇の女御で祖母にあたる広義門院(西園寺寧子)に後見される。
1351年、北朝を擁する足利尊氏が南朝に帰順し、皇統が一時的に南朝へ統一される正平一統が成立する。翌52年には南朝が京を軍事的に制圧して足利義詮を追い、正平一統は破綻。北朝は京都を奪還するものの、南朝方が撤退する際に北朝の光厳上皇(父)、光明上皇(叔父)、崇光上皇(兄)及び皇太子の直仁親王を吉野へ連行する。
三上皇の拉致により、北朝では公事が停止し、院宣を発する治天の君や三種の神器も無い状態であった。弥仁は妙法院への入室が予定されていたが、京都の足利義詮は二条良基と相談の上、北朝再建のために広義門院に要請し、延臣に擁立されて即位した古代の継体天皇の先例も引照して、8月17日に弥仁は践祚され、後光厳天皇として即位。
後光厳の正統性の欠如などで北朝権威は弱体化し、南朝は京を奪還するなど活発に活動、後光厳も京都から近江などへ下向することも何度かあった。
1370年(応安2年8月)には、第一皇子の緒仁親王(後円融天皇)への譲位を幕府に諮問するが、1357年に帰京していた兄の崇光が自らの皇子である栄仁親王への皇統返還を主張する。幕府では3代将軍足利義満のもと、管領の細川頼之が後光厳の意思を尊重するべきであると回答し、翌1371年(応安4年3月23日)に、緒仁へ譲位して院政を敷く。1374年(文中3年/応安7年1月29日)に病を得て崩御。
[編集] 在位中の元号
- 観応 (1351年8月17日) - 1352年9月27日
- 文和 1352年9月27日 - 1356年3月28日
- 延文 1356年3月28日 - 1361年3月29日
- 康安 1361年3月29日 - 1362年9月28日
- 貞治 1362年9月28日 - 1368年2月17日
- 応安 1368年2月17日 - (1371年3月23日)
[編集] 陵墓・霊廟
京都市伏見区深草坊町にある深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)に葬られた。
[編集] 関連事項
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歴代天皇一覧 | ![]() |
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |
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