聖武天皇
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聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年) - 天平勝宝8歳(756年)5月2日、在位:724年2月4日 - 749年7月2日)は、奈良時代の第45代天皇。即位前の名は首皇子(おびとのみこ)。 尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)、勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)、勝満(しょうまん)とも言う。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。 皇后は藤原不比等の娘・光明皇后(母・宮子の異母妹)。子には、光明皇后との間に孝謙天皇(阿倍内親王)のほか夭折した基皇太子が、夫人県犬養広刀自との間には安積親王、井上内親王(光仁天皇皇后)、不破内親王がある。
[編集] 概要
元明天皇の714年に皇太子になるが、元明天皇が退位したときはまだ14歳と若いと言う理由で即位は見送られ、代わりに叔母の元正天皇が即位した。一説には不比等が天皇の外祖父として権勢を振るう事によって危惧される朝廷内部の確執の深刻化を避けたためだとも言われている。724年に、元正天皇より譲位を受け即位。727年9月29日には妃の藤原光明子が基王を出産した。基王は同年11月に皇太子に立てられたものの、生まれつき虚弱で、結局728年9月13日に基皇太子は亡くなった。この時の天皇・妃の悲痛は甚大なものだったといわれている。
聖武天皇の治世の初期は皇親勢力を代表する長屋王が政権を担当していた。この当時、藤原氏は自家出身の光明子の立后を願っていた。しかしながら、皇后は夫の天皇亡き後に中継ぎの天皇として即位する可能性があるため皇族しか立后されないのが当時の慣習であったことから、長屋王は光明子の立后に反対していた。ところが729年に長屋王の変が起き長屋王は自殺、反対勢力がなくなったため光明子は非皇族として初めて立后された。長屋王の変は長屋王を取り除き光明子を皇后にするために不比等の息子で光明子の兄弟である藤原四兄弟が仕組んだものといわれている。
しかし、737年に疫病が流行して藤原四兄弟をはじめとして政府高官の殆どが死亡するという惨事に見舞われて、急遽長屋王の実弟である鈴鹿王を知太政官事に任じて辛うじて政府の体裁を整える。更に740年には藤原広嗣の乱が起こっている。
天平年間は、災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、741年には国分寺建立の詔を、743年10月には、東大寺大仏の建立の詔を出している。また、度々遷都を行って災いから脱却しようとしたものの官民の反発が強く、最終的には平城京に復帰した。また、藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は橘諸兄(光明皇后とは異父兄弟にあたる)が取り仕切った。
743年には、耕されない荒れ地が多いため新たに墾田永年私財法を制定した。これにより、律令制の根幹の一部が崩れた。744年1月13日には安積親王が脚気のため急死した。これは藤原仲麻呂による毒殺だという説がある。
749年7月2日 娘の阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位(一説には天皇が独断で出家してしまい、それを受けた朝廷が慌てて退位の手続を取ったともいわれる)。初の男性の太上天皇となる。
[編集] 在位中の元号
[編集] 関連項目
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