国鉄6760形蒸気機関車
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6760形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1915年(大正4年)から製造した、軽旅客列車牽引用の国産テンダー式蒸気機関車である。
[編集] 概要
この時点ですでに制式採用され、量産されていた車軸配置2-6-0(1C)形過熱式テンダー機関車8620形のボイラーおよびシリンダーに、本形式の先行型である4-4-0(2B)形テンダー機関車の6700形、6750形の走行装置を組み合わせたものといえ、機関車設計の標準化を図った最初の例である。総軸数が同一で動軸数が減少しているため、性能的には粘着重量が8620形よりも小さいが、これは運用線区の輸送量の大小によって使い分けるつもりであったようである。
設計は、9600形などを設計した太田吉松で、運転台の形状や歩み板(ランボード)の高さなど、9600形と共通するものが多い。本形式の特徴は、弁装置の返りクランクの位相が、9600形と同様にクランクより90度先行した様式を採用したことである。以降の国鉄標準型蒸機は返りクランクの位相が90度遅れであり、心向棒を押し下げたときに前進となるのであるが、これと全く逆であった。こうした様式は統一する方が望ましいのは当然であるが、鉄道院として標準を決めかねたのか、確認に手抜かりがあったは定かでない。いずれにせよ、過渡的な混乱であったのは間違いない。
本形式は、1915年から1918年(大正7年)にかけて88両が製造された。製造所はすべて川崎造船所である。しかし、その後の輸送量増大により、早々に本来の軽旅客列車牽引用から離れ、入換用機関車として任務を全うしたものが多かった。また、速度が上がると奇妙な振動を生じて乗り心地が悪かったという。
製造年別の両数及び番号は次のとおりである。
- 1914年 - 6760~6781(22両)
- 1916年 - 6782~6811(30両)
- 1917年 - 6812~6827(16両)
- 1918年 - 6828~6847(20両)
[編集] 主要諸元
- 全長:16286mm
- 全高:3734mm
- 最大幅:2553mm
- 軸配置:4-4-0(2B)(アメリカン)
- 動輪直径:1600mm
- 弁装置:ワルシャート式
- シリンダー(直径×行程):470mm×610mm
- ボイラー圧力:12.7kg/cm²
- 火格子面積:1.63m²
- 全伝熱面積:116.0m²
- 過熱伝熱面積:27.6m²
- 全蒸発伝熱面積:88.4m²
- 煙管蒸発伝熱面積:78.3m²
- 火室蒸発伝熱面積:10.1m²
- ボイラー水容量:3.8m³
- 大煙管(直径×長サ×数):127mm×3692mm×18本
- 小煙管(直径×長サ×数):45mm×3692mm×91本
- 機関車重量(運転整備):45.57t
- 機関車重量(空車):41.32t
- 機関車動輪上重量(運転整備):27.77t
- 機関車最大軸重(第2動輪上):13.85t
- 炭水車重量(運転整備):30.52t
- 炭水車重量(空車):14.39t
- 水タンク容量:12.9m³
- 燃料積載量:3.25t
[編集] 経歴
1914年度製の6760~6771の配属は神戸鉄道管理局、6772~6781は東京鉄道管理局であった。1916年度製の6782~6801は中部鉄道管理局、6802~6811は西部鉄道管理局、1917年度製の6812~6820は西部鉄道管理局、6821~6827は九州鉄道管理局、1918年度製の6828~6830は西部鉄道管理局、6834~6838は中部鉄道管理局、6839~6848は東部鉄道管理局に配属されている。使用線区は、横須賀線、東海道本線中部、山陽本線西部、東北本線南部、常磐線、総武本線、房総線、中央本線、日豊本線であったようである。
1923年(大正12年)3月末時点の配置表では、6762,6770,6804~6809,6814,6815,6828が湊町の配置となっており、当時は関西本線西部で使用されていたことが分かる。さらに1930年(昭和5年)12月末には、6772~6792,6842~6847が東京鉄道局から大阪鉄道局に転属している。
1935年(昭和10年)6月末時点の配置表では、東京鉄道管理局に22両(品川2両:6789,6795、新鶴見5両:6793,6794,6797,6801,6839、千葉1両:6767、佐倉1両:6778、銚子1両:6779、新小岩12両:6764~6766,6772~6777,6799,6835,6836)でいずれも入換専用、名古屋鉄道管理局に9両(美濃太田:6760~6763,6798,6800,6834,6837,6738・越美線)、大阪鉄道管理局に32両(和歌山11両:6768~6871,6791,6804,6805,6808~6810,6812・紀勢本線、和歌山線、高松5両:6870,6813~6815,6844・予讃本線、松山12両:6782,6804,6807,6811,6828~6830,6840~6843,6845・予讃本線、明石1両:6871・入換専用、王寺3両:6846,6847,6892・入換え専用(うち第1種休車1両))、門司鉄道管理局25両(広島4両:6822,6831~6833、行橋6両:6785,6786,6816,6825~6827・田川線、若松6両:6783,6784,6787,6788,6790,6796・筑豊本線、早岐3両:6818~6820・大村線、佐世保線、人吉6両:6802,6803,6817,6821,6823,6824・湯前線)であった。
本形式は全車が揃ったまま太平洋戦争後まで使用され、最初の廃車は1948年(昭和23年)11月の6800であった。1955年(昭和30年)時点でも52両が残り、横浜の19両を筆頭として入換用であったが、宇都宮、飯田町、稲沢、和歌山、門司、西唐津、佐々では第1種休車(11両)、小倉、後藤寺、西戸崎、宮地、佐々、下関、広島、鹿児島では運転用外使用車(8両)となっていた。これは入換用中型ディーゼル機関車の開発が遅れたためであったが、1957年(昭和32年)には全車が廃車となった。保存されたもの、民間へ払下げられたものはない。
日本国有鉄道(鉄道院・鉄道省)の制式蒸気機関車 |
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タンク機関車 |
960・1000II・1070・1150・B10・B20/2700II・2900・3500・C10・C11・C12/4100・4110・E10 |
テンダー機関車 |
6700・6750・6760・B50 8620・8700・8800・8850・8900・C50・C51・C52・C53・C54・C55・C56・C57・C58・C59・C60・C61・C62・C63(計画のみ) 9020・9550・9580・9600・9750・9800・9850・D50・D51・D52・D60・D61・D62 |