トヨタ自動車工業サッカー部
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トヨタ自動車工業サッカー部(とよたじどうしゃこうぎょうさっかーぶ)はトヨタ自動車工業のサッカー部。創部は1939年。その後トヨタ自動車工業がトヨタ自動車販売と合併しトヨタ自動車になったため、「トヨタ自動車サッカー部」に改称。呼称はトヨタ。なお「豊田」を名乗るチームとして1965年の日本サッカーリーグ開幕時から豊田自動織機製作所サッカー部があった。トヨタ自動車も豊田自動織機も同じトヨタグループであるが、この2つのチームは全く関係のない独立したチームである。
他の自動車メーカー系チームである東洋工業、三菱、日産、ホンダと比べても2部在籍期間がかなり長く、日本サッカーリーグにおいてチーム強化が成功したとは言い難い。この状態はJリーグがスタートしてからもしばらくの間続くことになる。
1993年からスタートしたJリーグにおいては、名古屋グランパスエイトの前身となった。
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[編集] 略歴と主なタイトル
- 1939年 創部
- 1943年 戦況の悪化に伴い一時休部
- 1946年 活動再開
- 1972年 JSL2部昇格
- 1973年 JSL1部昇格
- 1978年 JSL2部降格
- 1983年 トヨタ自動車サッカー部に改称
- 1987年 JSL1部昇格
- 1988年 JSL2部降格
- 1990年 JSL1部昇格
[編集] コニカカップ
[編集] トヨタ自動車工業サッカー部に所属した主な選手
- 佐藤辰男
- ジョルジ・アントニオ・プチナッチ
- 沢入重雄
- 浅野哲也
- 小川誠一
- クリシューマ
- 江川重光
- 平沢政輝
- 東泰
[編集] トヨタ自動車工業サッカー部と名古屋グランパスエイトで大きく異なる点
Jリーグに移行する前は静岡県裾野市の東富士研究所を拠点としていたが、1992年にプロ契約選手はトヨタをメインスポンサーとしたJリーグの名古屋グランパスエイトに、プロ契約をしないで社業に残る選手については当時東海社会人リーグ所属(1993年に旧JFL・J2昇格もトヨタの方針もあり1年で撤退)のトヨタ自動車東富士FCに振分けた。
創設時のグランパスに所属した選手は前所属チームに「トヨタ」と表記されているため、チーム本体を移管したのではなく所属選手を新チーム名古屋グランパスエイトへ移籍という形式をとったとみられる。また、Jリーグ出版物でもトヨタ時代の沿革は記されていない。