ムーンライトえちご
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ムーンライトえちごは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が新宿駅~新潟駅間を高崎線・上越線・信越本線経由で運転している夜行快速列車。
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[編集] 運行概要
首都圏と新潟都市圏を結ぶ夜行列車である。
下りは新宿を23時9分に発車し、池袋・大宮と主要ターミナルに停車した後、高崎で急行「能登」の待避を行う。高崎~長岡間はノンストップ(運転停車を除く)。早朝4時台に主要駅に停車した後、5時前に新潟に到着する。新潟では白新・羽越線方面の快速村上行、越後線方面の普通吉田行のそれぞれ始発列車に接続。村上では更に普通酒田行の始発列車に接続している。
上りは羽越・白新線方面からの村上発最終の普通列車の接続を受けて(この列車は村上で、酒田発の村上行最終列車の接続を受ける)、新潟を23時30分過ぎに発車。次の新津で寝台特急「日本海2号」の待避を兼ねて時間調整した後、加茂、東三条、見附に停車後、1時過ぎに長岡を発車。高崎では在来線の始発列車という、もうひとつの役割を受け持ち、新幹線など首都圏各ターミナルの始発列車の利用者や、羽田空港・成田空港へ向かう利用者も数多く乗車する。新宿には5時過ぎに到着する。
[編集] 使用車両
- 新潟車両センターの485系6両編成(K編成:国鉄特急色、らくらくトレイン村上と共通運用)。
- 通常はK1編成とK2編成が使用されるが、どちらかの編成が検査等で走れない場合は新潟車両センターのT18編成(新潟色)或いはR20番台編成(リニューアル車の3000番台)が代わりに使用される。
- 1号車の東京寄りは半室グリーン席(禁煙)。その他は普通車で、全席座席指定席(3・5号車以外は禁煙)となっている。
- 普通車のうち6号車(禁煙)はレディースカー(女性専用指定席)となっている。K編成の場合、6号車のみ内装が1~5号車と異なり、デッキ部がピンク色で座席モケットは赤(エンジ色)である。「らくらくトレイン村上」と「ムーンライトえちご」ではレディースカーになるが、「ムーンライトえちご」の折り返しで運転される「快速フェアーウェイ」では、この6号車も一般開放されている。
- 首都圏のホーム高さにあわせるために、ドアステップは埋められている。
[編集] 停車駅
- 新宿駅 - 池袋駅 - 大宮駅 - 高崎駅 - 長岡駅 - 見附駅 - 東三条駅 - 加茂駅 - 新津駅 - 新潟駅
- 以前は赤羽駅にも停車していた時期もあったが、現在は通過している。この為、上野駅や常磐線方面、東京駅からの総武線、京葉線方面からの乗降にはやや不便になっている。赤羽~大宮間は東北貨物線(湘南新宿ライン)の線路を通る為、浦和駅、さいたま新都心駅は必然的に通過となる。
[編集] 担当車掌区
[編集] 沿革
高崎線・上越線経由で東京と新潟を結ぶ夜行列車の歴史は古い。1931年(昭和6年)9月の上越線全線開業時には既に、上野~新潟・秋田間に二等寝台車も連結した夜行列車が走り始めていた(下りは上野22時5分発、新潟7時37分着)。戦時中も、寝台車こそ連結されなかったものの途切れることなく運転を続けていた。
そして上越新幹線開業以前には、東京と新潟とを結ぶ夜行列車が多数、高崎線・上越線経由で運転されていた。上野~新潟間の電車急行列車「佐渡」、上野~新潟~秋田間の寝台急行列車「天の川」などがそれにあたる。しかし新幹線開業に際して、これらの夜行列車は順次廃止となった。まず1982年(昭和57年)11月、新幹線開通に伴うダイヤ改正によって「佐渡」の夜行が廃止。更に1985年(昭和60年)3月実施のダイヤ改正では「天の川」が臨時列車(水原経由)に格下げとなるなどしたため、東京~新潟間には暫くの間、夜行列車は運転されなくなった(詳しくは、あけぼの (列車)・とき (列車)を参照)。
この間、関越自動車道の全通と共に、1985年(昭和60年)12月から西武バス・新潟交通・越後交通の3社が高速バス路線を開設、東京・池袋駅東口(のちサンシャインシティプリンスホテルに延伸)~新潟(新潟駅・万代シテイバスセンター)間を昼夜行各1往復(徐々に増便し2006年現在で16往復。夜行は2往復、そのうち1往復は女性専用車両)するダイヤで運転を開始した。また、新幹線開通当初から、上越新幹線の最終下り列車の発車時刻をもっと遅くして欲しいという利用者の要望が数多く寄せられていた。
これらの背景を鑑みて、1986年(昭和61年)、旧国鉄新潟鉄道管理局が「ムーンライト」という愛称で団体専用の快速列車として企画し、EF64形機関車と14系客車(座席車)3両で試験的に運転を開始した。この団体列車はそもそも、夜行列車としての需要を調査することが主目的で、現在JR東海ツアーズが販売している「ぷらっとこだま」プランのように団体枠をバラ売りし、団体並みの値引き運賃で一般客を呼び込んでいた。運賃も高速バスの料金を意識して設定されていたため、急行ではなく快速として設定され、JR北海道の「ミッドナイト」と同じようなコンセプトで誕生した。この試験運行の結果、定期列車としても充分な利用需要が見込めると判断され、翌1987年(昭和62年)より定期列車に昇格、新宿駅~新潟駅~村上駅間で運転を開始した。これに際し、165系改造の専用編成が用意された。この車両は座席を特急車両のグリーン車に使用されていたものに取替え、自動販売機と2人掛けのミニロビーを備えた3両編成(この編成はその後、急行「赤倉」などでも運用された)。座席は新宿~新潟間が全車普通車指定席、新潟~村上間が全車自由席とされた。その後、輸送力増強のため3両+3両の6両編成となった。なお、多客期には9両(新宿~村上全区間)、12両(新宿~新潟間、新潟で3両解結)で運行された例もある。
なお、臨時列車として運行していた当初は高崎駅は通過していたが、新宿駅発1987年12月4日の列車から、村上駅発1987年12月3日の列車から高崎駅に停車する様になった。
1991年(平成3年)から、臨時設定で長岡駅で解結し、直江津駅経由で新井駅発着とする編成が運行された。1995年(平成7年)まで運行された。
その後、JRグループ内では「ムーンライト九州」・、「ムーンライト山陽」など、夜行快速列車に“ムーンライト”の愛称が使われはじめた。1996年(平成8年)に「大垣夜行」の通称があった東海道本線夜行快速列車「375M」・「372M」の車両の置き換えに際して、座席指定席を設定することとし、快速「ムーンライトながら」の愛称がつけられた事を機に、混同を避けるため、現在の「ムーンライトえちご」に改称した。
2002年(平成14年)12月1日のダイヤ改正で、下りは新潟止まりとなった(上りは引き続き村上始発)。代替として、新潟で始発の快速村上行に接続するダイヤが組まれ、同一ホームで乗換えできる措置が執られている。新潟での接続時間は2分だったが、翌2003年(平成15年)12月1日より6分に拡大されている。
2003年(平成15年)3月30日村上発、3月31日新宿発をもって、165系が老朽化のため廃車されることになり、使用車両を485系6両編成に変更。半室グリーン車を備える編成が投入された一方で普通車の座席は、3000番台と同様の座席になったが座席間隔が狭くなった。また多客期、通常期を問わず1年を通じて6両での運転となった。
2004年(平成16年)3月13日のダイヤ改正で、上りも新潟発となった。快速「らくらくトレイン村上」運転開始に伴い、村上駅のホーム容量に余裕がなくなったのが要因。代替として、村上発最終の新潟行き普通列車が接続列車となっている。
2004年(平成16年)10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で、同日より2005年(平成17年)3月25日(始発駅基準)に上越線・越後川口~越後滝谷間の下り線が復旧し、上越線全線が複線運転を再開するまで運休となっていた。
[編集] 車両の間合い運用
「ムーンライトえちご」編成は、新宿口・新潟口双方で間合い運用が行われている。
- 新宿到着後の間合い運用として、新宿~黒磯間の快速「フェアーウェイ」が、土曜日・休日を中心に運転されている。
- 新潟出発前の間合い運用として、新潟→村上間の快速「らくらくトレイン村上」と、折り返しの快速列車が毎日運転されている。
[編集] 関連項目
夜行快速「ムーンライト」 |
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定期列車 |
ムーンライトながら ムーンライトえちご |
臨時列車 |
ムーンライト信州 ムーンライト九州 |