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プロトタイプレーシングカー - Wikipedia

プロトタイプレーシングカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プロトタイプレーシングカーは、自動車メーカーやレーシングカーコンストラクターが製造するレース参戦用車両のうち、特に生産台数や市販の義務のない、レース参加を主目的とする2座席車両を指す。スポーツプロトタイプカーとも呼ばれる。同じ純レース用車両で単座席のフォーミュラカーと異なり、4輪ともボディで覆われ、ヘッドライト・テールライトも装着している。主に長距離レース(耐久レース)が目的。

目次

[編集] 概要

プロトタイプレーシングカー自体は古くから存在し、主にル・マン24時間レースなどの耐久レースを舞台に数多くの戦いが繰り広げられた。

1990年代半ばまではコクピットがクローズドになっている車(クローズドプロト)が優勢だったが、近年では、クローズドはオープンよりも馬力は出るが、タイヤ幅が狭いというようなレギュレーションになっているため、コックピットがオープンになっている車(オープンプロト)が有利な状況となっている。近年では、特にアウディ・R8の強さが際立っていた。このクローズドとオープンのレギュレーションでの差がある状況は近年まで続いたが、LMP900・LMGTPからLMP1に移行する際にこの差は無くなった。2006年にはアウディの新車・R10(V12・5リッターディーゼルターボ)が、ディーゼルエンジン搭載車として初めてル・マン24時間レースで優勝した。2007年にはプジョーのディーゼルターボエンジン搭載車・908の登場が予定されている。また、2010年よりLMP1のレギュレーションにおいてクローズドプロトタイプ化が義務化されることとなっている。

現在日本では童夢が童夢S101(またはその後継車両である童夢S101-Hb)でル・マン24時間への参戦を続けている。また東海大学も、林義正教授の研究室(開発コース)において研究開発された車両でル・マン24時間への参戦を目指している。

[編集] 歴史

[編集] ヨーロッパ

[編集] 1950年代

[編集] 1960年代

[編集] 1970年代

[編集] 1980年代

1982年には国際自動車連盟 (FIA) の車両規定の改正が行われ、それまでのグループ6という分類からグループCという分類に変更された。それらの車で争われるレースシリーズは、主にヨーロッパを中心に行われ、世界耐久選手権(WEC、1982年~1985年)や世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC、1986年1990年)といった世界選手権に発展した。当時のレギュレーションは、一レースあたりの燃料総使用量規制がメインで、エンジン形式に関する規制は事実上存在しなかった。そのため、世界中の自動車メーカーが様々なエンジンを用いて各レースの舞台でしのぎを削っていた。特に予選では、ターボエンジン搭載車による過給圧を高めたアタックが行われ、観客を沸かせた。

[編集] 1990年代

1991年にはWSPCがスポーツカー世界選手権 (SWC) に衣替えしたが、SWCにおいてはエンジンの規定が当時のF1と同一の3500ccNAのみとされたことにより、高回転までエンジンを回しても丈夫で24時間走れる高い耐久性を持ち、かつ小排気量から大パワーを出すことのできるエンジンを開発しなければならなくなった。これによって、とても高度な技術と多額の開発資金が必要となり、参戦コストがそれまでに比べて急激に高騰した。そのため、資金の無いプライベーター(特にポルシェのマシンを走らせていたチーム)が次々と撤退したことなどが原因で、SWCは1992年一杯で消滅、グループC規定のレースは1993年ル・マンで終焉を迎えた。

プロトタイプレーシングカーはヨーロッパでは消滅し、1994年からはGTによる耐久レースシリーズとしてBPRが発足する。たが、このBPRとは別に、「GTと言う名のプロト」と呼ばれるマシン、ダウアーポルシェがル・マン24時間レースにGTマシンとして登場する。しかし、そのマシンの中身はプロトタイプレーシングカーとしてそれまでル・マンに参戦していたポルシェ962Cに、欧州の規定にあわせて保安部品をつけたという手法をとったマシンであった。これは、GT1のレギュレーションで、最低1台公道を走行可能な車両を生産すればよいという規定の抜け穴をうまく利用した結果によるものである。なぜ、この手法がとられたかというと、プロトタイプクラスに出場するよりもリストリクターが大きくできて、馬力がより出せるなどの利点があったためといわれている。そしてこのマシンは、かなりの批判を受けながらもこの年のル・マンで優勝してしまうのであった。

次の年に、抜け穴を使ったマシンは登場しなかったが、1996年のル・マンにはGTマシンのクラスの一つであるGT1に事実上のプロトタイプであるポルシェ911GT1(993)が登場し、翌1997年には996のフロントマスクをまとったポルシェ911GT1が再びGTカテゴリーに登場した。また、同年のル・マンには日産・R390が、(BPRシリーズが発展しこの年スタートした)FIA GT選手権にはメルセデス・CLK-GTRが、レギュレーション上はGTマシンであるが事実上のプロトタイプレーシングカーとして姿を現した。1998年には、GT1クラスのトップマシンは事実上のプロトタイプレーシングカーばかりとなり、ポルシェ911GT1(この年からカーボンモノコックに)、トヨタGT-One TS020、メルセデス・CLK-LM、日産・R390などの顔ぶれとなった。

1999年に大幅なレギュレーション改定が行われ、GTクラスに名ばかりのGTマシンが参戦できなくなり、LMGTP(クローズドプロトタイプマシン)とLMP900(オープンプロトタイプマシン)という新たなクラスが開設された。1999年のル・マン24時間のLMGTPクラスには、メルセデス・CLRや前年に参戦したトヨタGT-Oneの改良型が参戦した。

「GT」と言う名のプロトタイプばかりでなく、グループC消滅後の1995年からは、WSC(ワールド・スポーツカー)と呼ばれるオープントッププロトも登場した。後述のとおり、アメリカでは1993年一杯でIMSA-GTPが廃止され、1994年からこのWSCが導入された。ル・マンでもLM-WSCとして導入されるが、IMSAとの違いはターボエンジンの参加を認めたこと。このためポルシェはトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)のシャシーに3リッター・フラット6のターボエンジンを搭載したポルシェWSC95でヨーストレーシングから参加(本来1995年デイトナ24時間レースに参加すべくポルシェワークスが開発したが、ターボの規制の強化で参加を断念、その後ヨーストに放出された)、ワークスの911GT1を破り1996、1997年のル・マンを連覇する。1998年にはBMWがウィリアムズと提携しオープンプロトマシンとしてBMW V12 LMRを開発、1999年にル・マンで優勝を飾っているほか、日産も日産・R391を開発し1999年のル・マンに参戦した。

IMSAでWSC規定が導入された1994年以降、アメリカではプライベーターに販売されたフェラーリ・333SPやR&Sがチャンピオン争いをしていた。これらオープントッププロトのシリーズを欧州でも行いたいプライベーターが中心となり1997年、「インターナショナル・スポーツカー・レーシング・シリーズ」(ISRS)がスタートする。しかしアマチュアプライベーター中心で、決して興行的に魅力あるものではなかった。

1999年、もはや「GT」と呼べないGT1をFIA-GT選手権から切り離し、FIAはこれら屋根つきプロト(メルセデス、トヨタ)とプライベーターのオープントッププロトを対象にした新選手権「国際スポーツプロトタイプカー選手権」(IPC)を企画する。シリーズの半分はGT選手権との混走の耐久レース、残り半分はプロトタイプのみによるスプリントレースと、実現すれば中々面白そうな企画だったが、メルセデス・トヨタの参加が実現せず結局キャンセルされた。IPC構想が実現していれば1992年以来のプロトタイプカーの世界選手権復活だったのだが。FIA-GT選手権は本来の「GT」カーのみで継続された。IPCを断念したFIAはISRSにFIAカップを与え「スポーツカー・レーシング・ワールド・カップ」(SRWC)と改称するが、依然として興行に値するレースではなかった。

[編集] 2000年代

アメリカにおけるスポーツカー耐久レースは1999年、ル・マン24時間レースと同じレギュレーションのアメリカン・ル・マンシリーズ(ALMS)がスタートした。翌2000年は北米大陸を飛び出し、シルバーストンニュルブルクリンクアデレードでも開催され、アウディ、BMW、GMの3ワークスが参戦する事実上の世界選手権に成長した。しかし翌2001年には北米大陸のみのシリーズに戻り、欧州では別個に欧州ル・マンシリーズ(ELMS)がスタートするも、参加台数が集まらずわずか1年で終了した。一方SRWCは2001年、FIAスポーツカー選手権と改称し、FIA直轄となった。「世界」の文字は入らないが、1992年のSWC崩壊以来のFIA選手権の復活である。このレースには日本の童夢・S101も参戦した。しかし同シリーズはSRWC時代からと同様、プライベーター中心のレースで興行的魅力は相変らず薄かった(マシンの販売価格も決められていた)。大した盛りあがりもないままわずか3年で終了することに。

FIA-SCCは終了したが、2004年にはニュルブルクリンク、スパ・フランコルシャンモンツァ、シルバーストンで伝統の1000km耐久レースを復活させた「ル・マン耐久シリーズ」(2006年から「ル・マンシリーズ=LMS」)がスタートした。その名のとおりル・マンと同じレギュレーションで行われる耐久シリーズで、上位チームにはル・マン参加権がシードされる。毎戦40台以上もエントリーを集める盛況な状況で、このシリーズを基にスポーツカー耐久レースの世界選手権が復活することが期待されている。

[編集] アメリカ

[編集] 1950年代

[編集] 1960年代

[編集] 1970年代

[編集] 1980年代

[編集] 1990年代

[編集] 2000年代

この節は執筆の途中です この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 日本

日本のモータースポーツはフォーミュラカーよりスポーツプロトタイプで発展したきた感が強い。1960年代の日本グランプリ、1970年代の富士グランドチャンピオンレース(GC)、1980年代の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)と、いずれも日本のレース界をリードしてきた。そしてその結晶がマツダル・マン24時間レース制覇、日産のデイトナ24時間レース制覇と言えるだろう。しかし1990年代以降はスポーツカーの耐久シリーズは消滅してしまい、唯一残ったのが鈴鹿1000kmだった。2006年、全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)がスタートした。再びスポーツカーレースが隆盛を迎えるか注目される。

[編集] 1960年代

日本で初めて登場したプロトタイプレーシングカーは、1965年プリンス自動車が開発したR380である。前年の第2回日本グランプリにおいて、スカイラインGT(S54A-I型)でポルシェ904に破れたプリンス技術陣が、「打倒ポルシェ」を合言葉に生み出したマシンである。ブラバムBT8を購入し、徹底的に研究し完成させた。2リッター直列6気筒24バルブエンジンGR8型をミッドシップに搭載する。1965年は日本グランプリが中止になったため実戦デビューは翌年に持ち越しとなった。1966年に開催された第3回日本グランプリでプリンスR380は砂子義一の手により、ポルシェ906を破り総合優勝を果たす。翌年の第4回日本グランプリには、プリンスと日産が合併したため日産R380として参加するも、元プリンス・ワークスの生沢徹が駆るポルシェ906にの前に破れた。

1968年の第5回日本グランプリでは大排気量マシンの参加も可能となり、日産はシボレー製の5.5リッターエンジンを積む「怪鳥」R381、前年参加するタマがなく欠場したトヨタは3リッターV型8気筒エンジンを積むトヨタ・7でエントリー。この他日本初の本格的プライベートレーシングチーム「タキ・レーシング」がローラT70、ポルシェカレラ10を持ちこみ、「TNT」対決と話題になった。結果は北野元が駆る日産R381の優勝。観衆は主催者発表で11万人、NET(現テレビ朝日)による生中継の視聴率は19%にも達した。

翌1969年にはグランプリは更に加熱し、ディフェンディングチャンピオンの日産は自社製6リッターV型12気筒GR-Xエンジンを搭載するR382、トヨタはエンジン排気量を5リッターに拡大した2代目トヨタ7をそれぞれエントリー。タキ・レーシングはワークス・ポルシェ917を、ワークスのスタッフ・ドライバーごとそのまま招聘してしまった。この他ダイハツいすゞ日野もワークス参戦。そして12万人の観衆を集めた決勝レースを制したのは黒澤元治駆る日産R382であった。プロトタイプで行われたこの年の日本グランプリは、日本モータースポーツ界の一つの頂点であったと言えた。

[編集] 1970年代

1970年の日本グランプリは、5リッターV型8気筒ターボエンジンを搭載するニュー・トヨタ7と、日産・R383の激突が予想され、さらに白熱したレースが期待されていた。ところが、6月の「富士300マイル」で日産・R382が1-2フィニッシュを遂げた直後、日産自動車は突如1970年日本グランプリの参戦中止を発表する。表向きの理由は公害対策に専念するため、当初の目的を達成した大排気量プロトタイプマシンの開発を中止すると言うもの。この後相手をなくしたトヨタも日産を追うように欠場を表明し、同年の日本グランプリは主催者の日本自動車連盟(JAF)より中止が発表されることになる。

戦う相手をなくしたトヨタは、海外に目を向け、当時北米で最高の人気を誇ったCanAMへ、トヨタ・7ターボで挑戦することを決意する。しかしそのことが役員会で正式決定した8月26日、鈴鹿サーキットで7ターボをテスト中の川合稔が事故死する。トヨタはこれを受けCanAm挑戦と7ターボの開発を中止、トヨタ・日産のビッグマシン対決を中心としたプロトタイプレースの時代は突如、完全に終焉を迎えることになったのである。トヨタ・日産のプロトタイプマシンがサーキットに戻ってくるのはこれから10年以上後のことである。

本来日本グランプリの前哨戦となるはずだった9月の「富士インター200マイル」には、イタリアから最新型フェラーリ・512Sが招聘され、優勝を遂げる。興行的にもまずまずの成功を収めた。これが伏線となり、翌1971年、富士スピードウェイでは日本グランプリに代わる看板レースとして、スポーツカーレースによるシリーズ戦を開始する。富士グランドチャンピオンレース(通称GC、グラチャン)である。メーカー同士の激突から、プライベートレーシングチームがスポンサーを募り、マシンを購入し、ドライバーと契約し、賞金を得ると言う、今日では当たり前のレーシングビジネスがこの時スタートしたのである。シリーズは全5戦が組まれ、当初は7リッターシボレーエンジンを搭載するマクラーレンM12から3リッターポルシェ・908、GTクラスの日産・フェアレディZまでが混走するレースであった。初年度はマクラーレンの酒井正がチャンピオンになったが、雨の第2戦「富士グラン300マイル」ではGTクラスのフェアレディZが優勝する波乱もあった。

翌1972年は若干規則が変更される。マクラーレンM12や、ポルシェ908のような大排気量車も参加は可能だが、チャンピオンシップは2リッター以下のスポーツカーのみに与えられることになったのである。シェブロンB21P、ローラT290、GRD-S72と個性的なスポーツカーが競い合う激戦の中、元トヨタワークスの鮒子田寛(シェブロンB21P/フォード)がチャンピオンに輝いた。1973年からは2リッターまでとエンジン規定は統一されたが、それでも毎レースエントリーは30台を超え、また観客も1レース平均5万人を超えるなど、完全に日本の看板レースに成長していた。フォーミュラカーによる全日本F2000選手権(GCは全日本タイトルはかかってない)もこの年スタートしてはいたが、日本のレースの中心はフォーミュラでなく依然スポーツカーだったのである。しかし隆盛を極めた富士GCも、1973年末のオイルショック、そして1974年6月の「富士グラン300キロ」での多重クラッシュに伴う鈴木誠一と風戸裕の死亡事故で、その勢いは急速に衰えていくことになる。

日本のモータースポーツの元気がなくなった1970年代後半だが、紫電、ノバと言う、日本のコンストラクター製のスポーツカーも登場した。エンジンもBMWと共にマツダのロータリーエンジンが活躍した。1977年からは富士1000km、500マイル、500キロの3戦からなる耐久シリーズ「富士ロングディスタンスシリーズ」(富士LD)がスタートし、GCマシンがGTクラスのマシンと混走した。またアルピーヌ・ルノーA441なども登場し優勝している。

しかし1979年、CanAmに範をとりGCはシングルシーター化する。実際には本家CanAmと交流もないまま、富士GCはF2の亜流と化し個性をなくし、10年後の1989年にはシリーズが終焉を迎えることとなる。

1970年代のスポーツカーシーンのもう一つの特徴が、シグマオートモーティブ(後のサード)、童夢と言ったプライベート・コンストラクターによるル・マン24時間レース参戦である。1971年に鈴木板金(後ベルコ)がエントリーするも参戦できず、1973年、元トヨタ第7技術部の加藤眞率いるシグマオートモーティブが自製マシン、シグマ・MC73/マツダで日本チーム初のル・マン参戦を果たす。シグマの挑戦は3年続くが完走は果たせなかった。1979年は林ミノル率いる京都の童夢が、童夢・零RL/フォード2台で参戦。シグマ、童夢、そして当初はプロトタイプでなくマツダ・RX-7の改造車で参加したマツダオート東京(後のマツダスピード)のル・マン挑戦が、1980年代グループCによるメーカーワークスの挑戦へとつながっていくことになる。

[編集] 1980年代

1976年世界メーカー選手権に導入された市販車大改造のグループ5規定・シルエットフォーミュラによるレースが、日本でも1979年より富士GCの前座「富士スーパーシルエット」(SS)として行われるようになった。トヨタはドイツで活躍していたシュニッツァーチューンのA20セリカ・ターボを逆輸入したり、童夢製作のA40セリカを投入。日産は当初710型やA10型のバイオレット・ターボが参戦。後にS110シルビアガゼール、910ブルーバード、R30スカイラインを投入し、その迫力あるスタイル・走りからレース自体もおおいに人気を集めた。このころになると、トヨタ・日産も徐々にモータースポーツ活動を再開するようになってきた。

1982年国際自動車連盟(FIA)はグループ5およびグループ6(オープントップ・プロトタイプ)の後継カテゴリーとしてクローズドボディのプロトタイプ・グループC規定を導入する。このグループCによって争われる世界耐久選手権(WEC)が1982年から日本でも開催されるようになった。このWEC日本大会に、日本初のグループCカートムス童夢・セリカCが参戦し、5位に入賞する。

1983年、日本でもグループC規定によるシリーズ「全日本耐久選手権」がスタートする。以下「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権」(JSPC)の項参照のこと。

[編集] 1990年代

1990年にはようやくJSPCで国産マシン(日産・R90CP)がチャンピオン獲得する。この頃のJSPCは絶大な人気を誇り、(シリーズ最大人気の)WEC-JAPANが消滅したにも関わらず1レース平均5万人(主催者発表)を超える動員を記録していた。しかし一方でワークス対決が激化したことにより国産メーカーは台数を絞り、1986年当時は12台参加したトヨタ・日産のグループCカーは1990年には6台に半減していた。とはいえポルシェ962Cが多数市場に出回り、またバブル景気の影響で多くの企業がスポンサーに付いたたため、ポルシェの台数は最大時8台にまで増加したたため、Cカーの総参加台数は減少しなかった。しかしCカー自体が速く進化しすぎたため、耐久レースに欠かせないGTクラスのマシンやRS(単座の小型スポーツカー)は1990年頃には淘汰されてしまい、1000kmレースでもエントリーが20台を切るような状況になっていた。

1991年もJSPCはトヨタ・日産の対決に沸くが、ポルシェ962Cの戦闘力がなくなり、また景気後退もあり撤退するチームも出てきた。参加台数も平均15台にまで減ってしまう。1992年にはポルシェを使うプライベーターは完全に消滅し、1レース平均出走台数は10台にまで激減してしまう。最終戦MINE500kmには、トヨタ(TS010)、日産(NP35)、マツダ(MXR-01)の新世代Cカー「カテゴリー1」(F1と同規定の3.5リッター自然吸気エンジン搭載車)が出揃うが、皮肉にもそれが最初で最後になってしまった。JSPCはこの年で事実上終焉を迎えることとなる(マツダはこの年限りでレースから撤退)。

翌年以降もJSPCを継続させるべく、日本自動車連盟(JAF)は、新たに始まるN3規定の全日本GT選手権と混走させる耐久シリーズ「インター・サーキット・リーグ」(ICL)構想を発表する。しかし意に反しエントリーは集まらず、結局開催された耐久レースは鈴鹿1000km1戦のみ。日産2台と、スパイス・アキュラの計3台で事実上日本最後のCカーレースとなった(他GTクラスやRSが多数)。翌1994年、ル・マンで2位になったサードのトヨタ・94C-V(Cカーを大幅に改造したLMP1規定)が鈴鹿1000kmに参戦。ル・マン優勝のダウアー962LM・ポルシェ(クラスはGT1だが事実上のプロト)が来日し、ル・マンの対決の再現になるはずだったが、直前に来日がキャンセル。サードの94C-Vはライバル不在のレースに出走するが、トラブルでリタイヤ。このレースをもって日本からプロトタイプカーのレースが暫く中断することになる。

SWC崩壊(ヨーロッパの項参照)後、鈴鹿1000kmもシリーズの1戦に加わっていたGTのグローバル耐久レース「BPR」が、1997年より「FIA GT選手権」に昇格し、鈴鹿もその1戦に加わった。この選手権にはセミプロトタイプとも言えるGT1マシン、メルセデスCLK-GTR、ポルシェ911GT1、マクラーレンF1-GTR LMがワークス体制で参戦し、鈴鹿1000kmにも来日した。翌1998年も発展型メルセデスCLK-LMが来日。この時のGT1は、Cカー時代と遜色ないタイムで1000kmを走破している。この時期ル・マンに参戦していたトヨタ・日産は、それぞれトヨタ・GT-One TS020、日産・R390と言うGT1マシン(ル・マンのACO規定とFIA規定は微妙に異なるのだが)を保有していたが、諸般の事情でこの母国ラウンドには参戦できなかった。JSPCで見慣れたマシンがル・マンに参戦したCカー時代と異なり、この時期の国産ル・マンチャレンジャーを日本のファンは目の当たりにできなかったのである。

1999年には鈴鹿1000kmはFIA-GTから外れるが、富士スピードウェイで開設35周年と銘打つ「ル・マン富士1000km」が開催される。その名のとおりル・マン規定で行われる耐久レースである。富士では1992年以来となるプロトタイプの耐久レースでもある。当初アウディBMWのワークス・プロトの参戦も期待されたが、同日にアメリカン・ル・マンシリーズ(ALMS)が開催されたため実現しなかった。しかしトヨタのTS020、日産・R391が参戦。日本のファンはこのレースで初めてこのル・マン参戦車を見ることができたのである。この7年ぶりのTN対決は日産に軍配が上がる。そしてこのレース以降、トヨタ・日産ともプロトタイプのレース活動は現在まで休止している。

[編集] 2000年代

2000年代に入ると、GTカーによって争われる全日本GT選手権(2005年よりSUPER GT)が大きな盛り上がりを見せる一方、プロトタイプカーが出場したレースは、ル・マンに参戦したチーム郷アウディ・R8がエントリーした2002年の鈴鹿1000kmのみであった(リタイヤに終わる)。その鈴鹿1000kmが2006年よりSUPER GTのシリーズ戦に組み込まれることになり、一時は日本におけるプロトタイプカーが出場可能のレースは完全消滅してしまう可能性も生まれた。

しかし2006年より、ル・マン24時間レースの主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)の公認を受けるシリーズとして全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)が発足。現在のところプロトタイプカーの参戦は一ツ山レーシングが走らせるザイテック、M-TECが走らせるクラージュなどごく少数にとどまっているが、2008年以降は同シリーズのシリーズチャンピオンに翌年のル・マンの参戦枠が無条件で与えられることになっているため、今後参戦するチームの増加が期待される。

[編集] 代表的なプロトタイプレーシングカー

※レギュレーション上「GT」「スポーツ」でも、事実上のプロトタイプは含む

[編集] 外国車

[編集] 日本車

[編集] 関連項目

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