フォーミュラ2
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フォーミュラ2(Formula 2,F2)は、自動車レースの1カテゴリー。FIAが定義するオープンホイール四輪レースのうち、F1の直下に位置するカテゴリーであった。
[編集] 概要
F2規定自体は1948年に創設。当初は2000cc以下の自然吸気(N/A)エンジン、もしくは500cc以下のスーパーチャージャー付きエンジンを使用することとされていた。1952年と1953年にはF2カテゴリーにグランプリのタイトルがかけられている。その後エンジン規定は1957年から1500cc以下のN/Aエンジン、1964年から1000cc以下のN/Aエンジンと変更された。1966年にはホンダエンジンを搭載したブラバムチームが開幕11連勝を成し遂げている。
1967年からはF2カテゴリーに対し、FIAがヨーロッパ選手権のシリーズタイトルを創設する。エンジン規定は1967年~71年までが1300~1600cc・最大6気筒のN/Aエンジン、1972年以降は2000cc以下・最大6気筒のN/Aエンジンとなっている。また1975年まではエンジンの最低生産台数規定が存在したが、1976年以降は純レーシングエンジンの使用が認められるようになった。
ヨーロッパF2選手権発足当初は、FIAが認めたグレートドライバーに高額スターティングマネーが支払われた事により、現役F1ドライバーが数多く参戦し、若手F2ドライバーがF1ドライバーを破ることにより飛躍のきっかけとするケースが多かった。しかし1970年代中盤よりF1グランプリの開催数が増加したことによりF1ドライバーの参戦も減少した。
ヨーロッパF2選手権は、一時は40台を越える参加台数があったものの、次第に衰退していく。'70年代初頭まではF3→F2→F1というステップアップが一般的だったが、次第にF3の若手有望株がいきなりF1に抜擢される例が増え、F2の存在意義が薄れてしまったことが大きい。F3はF1の前座として開催される例も多いが、F2はF1の前座としては格が高く、それでいてF1ほどの集客力は望めない。ドライバーにとってもレース主催者にとっても、F2というカテゴリーは魅力に欠けるものになってしまっていた。
また1980年にホンダがF2にエンジン供給を再開したのだが、供給の対象はごく少数のチーム(ドライバー)に限定されており、ホンダエンジン搭載車ばかりが勝つという状況が生まれてしまった。1984年には、それまで長年にわたり高性能なF2用エンジンを安定供給していたBMWが、同カテゴリーからの撤退を表明する(BMWはホンダと違い、代金さえ払えばどのチームにもエンジンを供給していた)。
そういった要因が重なり、1984年限りでヨーロッパF2選手権は廃止、翌1985年よりF3000規格の新カテゴリーに移行される。
しかしこのF3000も人気が低迷してきたため、2005年よりGP2の名称で、新たなカテゴリーが発足することがFIAより発表されている。
日本においては1973年に全日本F2000選手権としてF2規定(ただしエンジンの最低生産台数規定は適用されなかった)によるシリーズ戦がスタートし、1978年に全日本F2選手権と改称。ヨーロッパF2にもエンジンを供給していたBMWとホンダの2社にヤマハ(1985年より参戦)を加えた3社による激しい争いが繰り広げられた。1984年にはこのシリーズを舞台にした映画「F2グランプリ」(東宝作品)が製作されて公開されるなどした。1986年まで日本のトップカテゴリーとして開催されてきたが、ヨーロッパの動きに合わせて1987年より全日本F3000選手権に移行した。日本でも限定供給のホンダエンジン搭載車ばかりが勝つ状況になり、観客のレースに対する関心が失われていた時期('80年代半ば)があった。