MINEサーキット
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MINEサーキット(みね-)は山口県美祢市にかつて存在していた自動車レース場(サーキット)。山口県の西部に位置する。1972年開業と現存する日本のサーキットでは4番目に古いサーキットであったのだが、2006年2月28日をもって、サーキットとしての歴史を閉じた。
以前は名称を西日本サーキット(にしにほん- )といい、全長2815mの小さなサーキットだったが、1991年に大規模改修を行い全長3330mである現在のMINEサーキットのレイアウトが確立された。
MINEサーキットはフォーミュラ・ニッポン、全日本ロードレース選手権、全日本F3選手権、スーパー耐久など全日本クラスのレース興行も行われていたため、九州・中国地方のモータースポーツの中心地であり、またサーキット初心者や中級者を対象にした走行会(「水チャレ」と呼ばれている)やジムカーナ練習会を開き、一般の車好きの人々にも手軽に参加できるイベントとして親しまれていた。
また、大きなレースが開催される際は、山陽本線小月駅から臨時バスが運行されていた。
しかし、2002年8月5日に運営会社だったセントラルパーク山口が他のグループ会社2社共々民事再生手続きへ入り、2003年10月6日に再生手続きの一環として、MINEサーキット自体の経営権がタカラの子会社であるチョロキューモーターズ (CQ Motors)へと譲渡された。
更に2006年1月13日、タカラが3月に同業種であるトミーとの合併のため、不採算部門の整理を理由にMINEサーキットを2006年2月28日を持って閉鎖すると発表。経営を引き継ぐ企業を探す道を辿る事になる。
同年1月17日、マツダが同サーキットの用地及び施設を取得。経営権の委譲の後にスタンドやピット等を撤去し、主にマツダ開発車のためのテストコースとして運用していく事を公表。つまり自動車レースを開催する機能が完全に失われる事になり、2月28日をもってサーキットとしての歴史を閉じた。
サーキット閉鎖の発表は突然行われたため、2006年に同地で開催予定だったフォーミュラ・ニッポン、スーパー耐久などのレースイベントについては開催場所の変更、もしくは開催中止を余儀なくされたものが多い。また西日本におけるモータースポーツの中心地であったこと、INGINGなど有力なレーシングチームの本拠地が近いことなどから、モータースポーツ関係者の間からは現在もサーキットとしての営業の復活を望む声が根強く上がっている。
[編集] 美祢自動車試験場
2006年2月28日をもってサーキットとしての歴史を閉じたMINEサーキットにて、同年5月18日にマツダの2つ目のテストコースである美祢自動車試験場としての開所式が行なわれた。この試験場はマツダの新型車開発のテストコースとして使われる以外に、住民向けの運転教室やコース見学などにも開放される。
保有設備(マツダの投資家向けニュースリリース(2006年5月18日付)より)
- 既存設備
- 総床面積 6,128.91m²(事務所他、地上工作物一切)
- 試験路 周回路(3.3km)、コントロールタワー、汎用試験路等
- 増設設備(予定)
- 大型旋回場 車両旋回性能評価
- 高速平坦路 スラローム性能評価
- 中速ハンドリング路 欧州ハンドリング性能評価
[編集] 出典
- 「姫路セントラルパーク運営会社に再生法適用申請/神戸地裁尼崎支部」 読売新聞 2002年8月6日付 大阪本社版朝刊
- Motorsports.nifty サーキット ニュース「CP MINEサーキット倒産!サーキット営業は当面継続」ニフティ 2002年8月6日付
- 「MINEサーキット タカラに経営譲渡へ 2億3000万円で」中国新聞 2003年9月7日付 朝刊(社会面・防長)
- 「美祢に試験コース開所 マツダ」中国新聞 2006年5月19日付 朝刊
[編集] 外部リンク
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