ゼネラルモーターズ
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ゼネラルモーターズ (General Motors Corporation,NYSE:GM) はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本社を置く世界最大の自動車メーカーで、アメリカのビッグスリーの一角。略称は「GM」。
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[編集] 概要
1900年代に、ウィリアム・デュラントによって組織され、1914年に最初の投資を受けて以降1950年代までデュポン社の出資を受けていた。1920年代ににアルフレッド・スローンによって現在に繋がる経営基盤が確立され、政争に揺れたフォードを抜いて世界最大のメーカーとなった。商品方針は「どんな予算でも、どんな目的でも」。このために複数のブランドを所有し、北米では最下段にシボレー(1990年からサターンがシボレーとは別にベーシックブランドとして登場した。また、ジオというブランドが最下層として存在した時期があった)、最上段にキャディラックを位置付け、巧妙なマーケティングと、それに直結したスタイリング戦略で衆目を引き続け、業界シェアナンバー1であり続けた。
また初期のフォードは1つの車種を世界中で生産したが、GMは初期から各々の地域毎に多種多様な車種を供給し、そのために南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど世界中に生産拠点を設けた。1925年(大正14年)のアジアを視野に入れたフォード社日本進出に続き、1927年(昭和2年)から1941年(昭和16年)まで、大阪に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立。シボレー車のアジア向けノックダウン生産および、販売サービスをおこなった。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独壇場だった。
1970年代以降、石油ショックによって小型車の需要が高まると、それまでアメリカ国内で開発して来た小型車(コーヴェア、ヴェガ等)をオペル、いすゞ等の開発協力を得たモデル(『Tカー』、『Jカー』等)に代替し、また、1984年にはトヨタ自動車との合弁会社『NUMMI』で小型車を生産するなどして、国際化を推進して行った。一方、1990年代前半は、アメリカの好景気を受けてフルサイズSUV・ピックアップトラックなどの販売が好調だったため、高い業績を維持していた。
しかし、近年では原油価格の高騰によるガソリンの値上げなどの影響で収益源の大型車を消費者が敬遠し燃費の良い小型車やハイブリッドカーにシフトする傾向にあり、またGM自体に小型車開発のノウハウが蓄積されてなく(例えば北米市場でのサブコンパクトカーの開発および生産は、かつてはスズキに、現在はGM大宇に行わせている)、この分野で日本車に水をあけられてしまい、そのため販売面で苦戦が続いている。また、過去の従業員の退職年金や医療費負担なども財務を圧迫し、格付け会社からは社債を「投資不適格」にランク付けされてしまった。この影響で、2005年10月中旬には系列の大手部品メーカーデルファイが経営破綻してしまった。このため、自動車ローンの金利優遇や、社員向け販売の価格での一般販売などで在庫処理を図っているのが現状である。
2005年10月になって、資本提携していた富士重工業の株式をトヨタへ売却した。2006年3月には、スズキの株式の大半を売却、いすゞ自動車の株式の売却などにより、資本の集中による経営改善を試みている。2006年7月には大株主投資会社トラシンダからルノー=日産アライアンスとの提携を推奨され協議に入った。これはトラシンダを率いる米投資家カーク・カーコリアンの意向といわれている。しかし、当初よりリチャード・ワゴナー会長以下GM首脳部にはその意思はなく、同年10月に交渉は終了した。売却資産は特別利益になっており、今後、急激な販売減による損失を相殺できた時点より反騰、経営は改善の方向に向かうと考えられる。ただし、今のところ肝心な販売高は回復しておらず、その建て直しが急務となっている。
[編集] 主なブランド
[編集] 北米地区
[編集] 北米地区でのかつてのブランド
[編集] カナダでのかつてのブランド
[編集] 欧州
[編集] アジア・オセアニア
[編集] 主なプラットフォーム
[編集] デルタ・プラットフォーム使用車
[編集] イプシロン・プラットフォーム使用車
- オペル・ベクトラ
- サーブ9-3
- シボレー・マリブ
- サターン・オーラ
- ポンティアックG6
- キャディラック・BLS
[編集] シータ・プラットフォーム使用車
- シボレー・エキノックス
- ポンティアック・トレント
- サターン・ヴュー
- シボレー・キャプティバ/デーウ・ウィンストーム
- スズキ・XL7
[編集] ラムダ・プラットフォーム使用車
- ビュイック・エンクレイヴ
- サターン・アウトルック
- GMCアカディア
[編集] カッパ・プラットフォーム使用車
- ポンティアック・ソルスティス
- サターン・スカイ/オペルGT/デーウ・G2X
[編集] 日本での販売と日本法人
1915年(大正4年)創業の梁瀬自動車が、輸入代理店として、GMのビュイック、キャディラックの販売を開始。ビュイックはビウイク号、キャディラックはカデラツク号だった。のち、シボレー号も販売開始。シボレーは当初よりシボレー(名訳である)。
1925年(大正14年)のフォード社日本進出を受け、1927年(昭和2年)に大阪に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立し、組立工場でのシボレー車のノックダウン生産と販売をおこなう。1941年(昭和16年)まで創業。フォード同様、日本だけでなく中国などアジア全体を視野にいれた進出だった。日本における影響は大きく、全国に渡る自動車販売サービス網を構築し、以後の自動車販売業界はここから発展したものである。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独壇場だった。
1936年の自動車製造事業法施行により、国産メーカーのみに大量生産が許され、発展の余地がなくなり、1941年太平洋戦争開戦の年に日本から撤退。
第二次世界大戦後、再びヤナセが日本市場の販売代理店を長期間つとめる。
現在、日本法人は日本ゼネラルモーターズ (GMJ) とゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン (GMAPJ) の2社がある。2006年より、恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区恵比寿)から品川シーサイド(東京都品川区)へ本社を移転した。
[編集] 関連企業
- 2006年に持ち株比率は20%から3%へ大幅に引き下げたが、合弁企業CAMIオートモーティブ (カナダ) での生産や、スズキのGM大宇への出資は引き続き行われる。一方でスズキが行っていたシボレー・クルーズの生産やシボレー車の輸入については打ち切りが決定している。
[編集] かつての関連企業
[編集] 提携関係
- トヨタ自動車 - カリフォルニア州での合弁事業(NUMMI)、燃料電池車の開発など。
- BMW、ダイムラークライスラー - ハイブリッドシステム「2モードハイブリッド」の3社共同開発。
- アフトヴァズ(ロシア) - ロシアでの合弁事業(GM-AVTOVAZ)。
- ボスホス - オートバイメーカー。自社製のV型8気筒エンジンを供給。
- カノン - 同上。フォード・モーターとともに自社製エンジンを供給。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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