エベレスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
改名:この記事のタイトルに関して議論や投票が行われています。詳細はこの項目のノートを参照してください。 |
|
||||
---|---|---|---|---|
標高 | 8,844.43[要出典] m | |||
位置 | 北緯27度59分16秒東経86度56分40秒 | |||
所在地 | ネパール・中国国境 | |||
山系 | ヒマラヤ山脈 | |||
種類 | -- | |||
初登頂 | エドモンド・ヒラリー、テンジン・ノルゲイ (1953年) |
エベレスト(チベット名チョモランマ、ネパール名サガルマーター)はヒマラヤ山脈にある世界最高峰である。
目次 |
[編集] 概説
標高については諸説あり、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定し、その結果を平均して得られた8848 mが長年一般に認められてきた。1975年には、中国政府が雪面を含む標高を8849.05 m(8848.13 m + 積雪0.92 m)と測定した。1999年、全米地理学協会はGPSによる測定値が8850mであったと発表した。2005年10月9日、中国国家測量局が2005年5月時点での標高は8844.43 m(3.5 mの氷雪は標高に含まず)と発表した。ただし、ネパール政府は現在もこれらの測定結果を認定せず、公式には8848 mとしている。地殻変動、地球温暖化による影響などもあり、標高は年々変動していると考えられる(インドは今も北に1年に数cm進んでいる為、年々高くなっていると考えられる。しかし、地殻変動が起きてもエベレストの標高はこれ以上高くならないという説もある。エベレスト山頂では風化が激しいので、地殻変動によって一時的に8848 mを超えても超えたぶんは侵食されてしまうため)。
英名エベレストはヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局長官であったイギリス人のジョージ・エベレスト (George Everest) にちなむ。なお、近代的車いすの発明者であるエベレストとは別人である。チベット名の「チョモランマ (ཇོ་མོ་གླང་མ, Chomo Langma)」はチベット語で「大地の母」の意味、ネパール名の「サガルマーター (सगरमाथा, Sagarmatha)」はサンスクリット語で「世界の頂上」の意味である。
[編集] 登山
[編集] 登頂史
英国山岳会が1921年に第一次遠征を派遣。エベレスト登山史の幕開けである。この遠征でジョージ・マロリーらがノース・コル(6985m)に到達。1922年のイギリス第二次遠征では、8225m地点まで到達。
1924年6月8日、イギリス第三次遠征で、第二次アタック隊のジョージ・マロリーとアーヴィンがチベット側から頂上に向かった。途中第2ステップと呼ばれる切り立った岩壁の難所を登るところまでは目撃されていたが、その後行方不明となる。第三次アタック隊がマロリーの登頂に懐疑的な立場を取ったため、マロリーらが初登頂を果たしたとは認められなかった。1933年のイギリス第四次遠征では、8570m地点まで到達。この時、アーヴィンのピッケルが発見された。
1934年、英国人、M・ウィルソンが、飛行機を山腹に不時着させ単独登頂をするという計画を立てたが、不許可となる。ウィルソンは徒歩で非合法登山を敢行したが、東ロンブク氷河で凍死した。
1951年イギリス隊(隊長:エリック・シプトン)がネパール側よりアタック。難所アイスフォールを突破し、現在のノーマルルートの南東稜ルートを発見する。
1953年5月29日にイギリス登山隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが登頂に成功した。現時点ではこれが歴史上初のエベレスト登頂成功とされている。
1965年のインド隊(M・コーリ隊長)による登頂成功の後、ネパール政府によって外国人による登山が1969年まで全面禁止となる。
1999年5月1日、アメリカのマロリー&アーヴィン捜索隊が、標高8,160 m付近でジョージ・マロリーの遺体を発見する。マロリー達はコダック社のカメラを持参していた。このカメラが発見されたならばエベレスト登山史上最大の謎が解けることになるが、未だ発見するに至っていない。しかし、登頂に成功した暁に置いてくるつもりだった彼の妻の写真が遺留品に無かった事から、ジョージ・マロリーが登頂に成功していたのではないかという説を唱える人も多い。
[編集] 主な登頂歴
- 1953年5月29日 - (世界初登頂) - エドモンド・ヒラリー(ニュージーランド)、テンジン・ノルゲイ
- 1960年5月24日 - (北東稜、中国側初登頂) - 史占春ら中国隊。ただし、この時は実際には成功していないとの見解が一般的である。
- 1963年5月22日 - (アメリカ人初登頂、世界初縦走 西稜から南東稜) - ディーレンファース
- 1970年5月11日 - (日本人初登頂) - 松浦輝夫・植村直己
- 1975年5月16日 - (女性世界初登頂) - 田部井淳子
- 1978年5月8日 - (無酸素初登頂) - ラインホルト・メスナー・ペーター・ハベラー
- 1982年12月27日 - (厳冬期初登頂) - 加藤保男
- 1988年5月5日 - (世界初山頂衛星生中継)- 日本テレビチョモランマ登山調査隊(同社の開局35周年記念特別番組の取材)
[編集] 登山料
エベレストに登頂するにはネパール政府に登山料を支払わないと登れないシステムになっている。ルートは15種類あり、そのうちの最も安い「ノーマルルート」は1人25000米ドルである。ただし「ノーマルルート」は人数が多くなると割引があり、最大の7人参加の場合70000米ドル(1人あたり10000米ドル)となる。登山料は一度払うと2年間は登る権利があるが、キャンセルした場合は一切返還されない。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
8000メートル峰 |
---|
エベレスト | K2 | カンチェンジュンガ | ローツェ | マカルー | チョ・オユー | ダウラギリ | マナスル | ナンガ・パルバット | アンナプルナ | ガッシャーブルムI峰 | ブロード・ピーク | ガッシャーブルムII峰 | シシャパンマ |
カテゴリ: 改名が提案されている項目 | 出典を必要とする記事 | 8000メートル峰 | 七大陸最高峰 | アジアの山 | ネパールの地形 | 世界地理関連のスタブ項目