日本の市町村の廃置分合
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日本の市町村の廃置分合(にほんのしちょうそんのはいちぶんごう)とは、日本における市町村の廃止・設置・分割・合併をいう。地方自治法第7条の「市町村の廃置分合又は市町村の境界変更」の一形態に当たる。
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[編集] 概要
日本では、過去「明治の大合併」(1889年の市町村制施行に伴い基礎自治体の数が1888年の71314から15859に減少)と「昭和の大合併」(1953年の町村合併法施行から新市町村建設促進法1956年を経て1961年までに9868の基礎自治体が3472に減少)の大規模な市町村合併があった。現在は「平成の大合併」が進行中である。
日本では、明治以降、一貫して市町村数は減少する傾向にあり、合併の例が分割の例に比べて圧倒的に多い。又、合併や分割の協議の決裂により、飛地が発生する場合もある。
尚、市町村の所属都道府県の変更については、地方自治法第6条に規定されている(→都道府県#廃置分合)。
[編集] 地方自治法第七条
第七条
- 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、直ちにその旨を総務大臣に届け出なければならない。
- 前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ総務大臣に協議し、その同意を得なければならない。
- 都道府県の境界にわたる市町村の境界の変更(越境合併)は、関係のある普通地方公共団体の申請に基き、総務大臣がこれを定める。
- 第一項及び前項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
- 第一項、第三項及び前項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
- 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第三項の規定による処分をしたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
- 第一項又は第三項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
第七条の二
- 法律で別に定めるものを除く外、従来地方公共団体の区域に属しなかつた地域を都道府県又は市町村の区域に編入する必要があると認めるときは、内閣がこれを定める。この場合において、利害関係があると認められる都道府県又は市町村があるときは、予めその意見を聴かなければならない。
- 前項の意見については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
- 第一項の規定による処分があつたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。前条第七項の規定は、この場合にこれを準用する。
[編集] 市町村合併の歴史
[編集] 明治の大合併
明治維新後も江戸時代からの自然発生的な地縁共同体としての町村が存在し、生活の基本となっていた。当初、明治政府はこれと無関係に大区小区制を敷いたが住民の反発が大きかったことから、1878年(明治11年)郡区町村編制法を制定し、町村を基本単位として認め、郡制及び5町村程度を管轄する戸長役場を置いた。しかし、府県、郡役所、戸長役場、町村という複雑な4層構造になってしまったため、行政執行に適した規模の町村の再編が必要となった。
明治政府は1888年(明治21年)に市制及び町村制を施行するとともに、内務大臣訓令で、各地方長官に町村合併の推進を指示した。これに基づき、強力に町村合併が進められた結果、町村数は、明治21年末の71,314から明治22年末には15,820となり、約5分の1に減少した。このときは、おおむね小学校1校の区域となる、約300戸から500戸が町村の標準規模とされた。
明治の大合併を経て、地縁共同体であった町村は、近代的な意味で地域を行政統治するための地方公共団体に変貌することとなった。しかし、大きな合併を経ていない小規模町村においては、現代に至るまで江戸時代からの地縁性が残っており、欧米と比較したとき、その二重性が日本の町村の特長となっている。
[編集] 明治から戦前までの合併
明治22年以降も町村合併は進められ、明治41年までにさらに2,849減少した。
明治41年以降は漸減傾向で推移し、大正7年までには267が減少したのみであった。
1923年(大正12年)には郡制が廃止されたが、これをきっかけに町村合併等の機運が盛り上がり、大正7年から昭和5年までの12年間に、町村数は約500減少した。
その後、1940年(昭和15年)紀元2600年を記念して合併が進められた時期などがあり、昭和18年には市数200、町村数10,476となった。
1945年(昭和20年)、第二次世界大戦終戦直後には、市数205、町数1,797、村数8,818となっていた。
[編集] 昭和の大合併
第二次世界対戦終戦後、1953年から1950年代末頃にかけて実施された大合併。
戦後、新制中学校の設置管理、市町村消防、自治体警察の創設、社会福祉、保健衛生関係などが、新たに市町村の事務とされ、増大した行政執行の財政確保のために、市町村を適正規模に拡大することが必要となった。
このため、1953年(昭和28年)に町村合併促進法が施行され、新制中学1校を管理するのに必要な規模としておおむね8,000人以上の住民を有することが標準とされた。さらに「町村数を約3分の1に減少することを目途」とする町村合併促進基本計画(昭28年10月30日閣議決定)の達成のため、1956年(昭和31年)に新市町村建設促進法が施行され、全国的に市町村合併が推進された。
1953年(昭和28年)の町村合併促進法施行から、新市町村建設促進法を経て、1961年(昭和36年)までに、9,868の基礎自治体が3,472になり、約3分の1に減少した。
[編集] 高度経済成長期の合併
1965年に「市町村の合併の特例等に関する法律」(合併特例法)が制定されたが、この時期にも合併ブームが起こった。
高度経済成長期には、「大きいことは良いことだ」が流行語となり、首都たる東京都区部への人口の流出も重なって、地方の市町村では、地域拠点になることを目指した合併(例:岡山市、倉敷市、富士市)や、新産業都市の指定を目指した大規模な合併が行われた(例:平市・磐城市など14市町村→いわき市)。
又、高度経済成長期には、山間部の過疎が進行したため、隣接する都市が山間部を取り込むという動きもあった(静岡市など)。
市制施行のための人口要件が緩和され、人口3万人以上での市制施行を目指した合併も行われた(例:鴨川市、備前市、東予市など)。
明治の大合併や戦後の昭和の大合併は、それぞれ小学校、中学校の運営に必要な規模という、国において明確な行政規模の設計の上での合併推進だったのが特徴的である。これらに対して、高度成長期の合併と平成の大合併については、そのような目標設定がないまま、財政規模の増大、財政破綻の回避、に、住民の競争心や危機感をあおる形で行われ、「理念なき市町村合併」という批判がある。
[編集] 平成の大合併
2000年頃から現在にかけて起こっている合併ブーム。
1965年に十年の時限立法として制定された合併特例法は、1975年以降も十年毎に延長を繰り返して来たが、1970年代後半からは合併の動きが低調になった。
そのような中、1980年代末頃から、商工会議所などの経済団体や青年会議所を中心として、市町村合併を推進する提言が各地で行われ、これを報道機関が、明治の大合併、昭和の大合併に続く「第三次合併ブーム」と報じた。
これを受けた形で、1995年に改定された合併特例法では、住民の直接請求により法定合併協議会の設置を発議できる制度や、合併特例債制度の設置などが盛り込まれた他に、政令指定都市への移行や、町村の市への移行のための人口要件の緩和なども、数度の改定で盛り込まれ、合併論議が加速されることになった。
特に影響が大きかったのは、政府(旧自治省、現総務省)による合併特例債を中心とした行財政面での支援である。
合併特例債は、法定合併協議会で策定する「合併市町村建設計画」に定めた事業や基金の積立に要する経費について、合併年度後10年度に限り、その財源として借り入れることができる地方債のことで、対象事業費の95%に充当でき、元利償還金の70%を後年度に普通交付税によって措置されるという、破格の有利な条件であった。
合併特例債等の特例が2005年3月31日までに合併手続きを完了した場合に限ると定められたことから、駆け込み合併が相次いだ。また、合併直前に施設整備や職員採用を行う市町村や、合併特例債による町おこしとして注目を浴びた兵庫県篠山市がその後急激に財政状況を悪化させるなどの事例が発生し、新聞紙上には「合併バブル」という言葉も現れた。
市町村合併の動きは2003年から2005年にかけてピークを迎え、平成の大合併の第一弾が終了し、1999年に3232あった市町村の数は、2005年4月には1820にまで減少した。
その後、2005年4月に施行された合併新法(市町村の合併の特例等に関する法律)に基づき、引き続き市町村の合併が進められている。合併新法においては、合併特例債などの財政支援措置がなくなったため、合併の動きは鈍いが、県に合併推進勧告の勧告権があることから、合併新法の期限である2010年3月末に向けて、合併の動きが進むことが予想される。
[編集] 平成の大合併の目的
政府などが掲げる目的は、概ね以下の通りである。
しかし、最も大きな目的は、地方交付税交付金や各種補助金といった地方自治体への歳出の削減であり、基本的に平成の大合併は、地方行政のリストラの推進策、はたまた「地方潰し」ともいえる。このため、政府は、合併する市町村を合併特例債で優遇する一方で、西尾私案に象徴されるように、合併しない市町村に対する財政支援や権限の剥奪を掲げている。
しかし、政府主導による平成の市町村合併ブームには、以下のような批判も少なくない。
- 住民発議で合併に誘導する制度はあっても、合併の是非を問う住民投票が法制化されていない。このため、一応は議会の議決はあるものの、住民に歓迎されない合併も行われている。
- 合併に関する特例法は存在するが、分割や分立に関する特例法が存在しない。
- 合併後にも、旧市町村の議員が、そのまま新市町村の議員として任期を延長できる「在任期間の特例」に関する問題がある。財政難を理由にして合併をしても、合併後には議員の任期と給与を上げる事例が目立つ。
- 合併後の市町村の名称が、歴史的な地名を軽視した「方角とひらがな」ばかりになっている。(→#合併後の名称問題)
- 「規模を適正にする」という観点を軽視した合併が行われている。このため、県の面積に匹敵する巨大な市が、次々と作られている。
- 財政問題の解決を口実にした合併が目立つため、原発が立地することで国からの支援が降りる小規模自治体、空港などの固定資産税、あるいは大企業・大工場・莫大な収入を持つ個人からの地方税によって裕福な小規模自治体などは、合併によって周囲の財政難自治体の債務の肩代わりを嫌って、合併しない例が多かった。そのため、将来の財政難を理由に合併した市町村が、「貧民連合」と侮蔑的に呼ばれた。
- 各市町村の思惑が絡み合い、歪な飛地が多数発生した(例:津軽半島周辺)。
これらの問題点が挙げられている事から、矢祭町(福島県)や上野村(群馬県)などのように、合併を拒絶して、自立・自律や独自性を謳う市町村も現れている。これらの中には、山間部などに位置していて、合併によって一層の過疎化が懸念されている所も少なくない。
反面、住民が合併を望んでいるにも拘らず、「自立」を謳って合併を拒絶したり、合併協議の破談や首長と議会の対立の末に「自立」を謳う市町村もまま見受けられる。
勿論、住民が分割や分立を望んでいるにも拘らず、議会や首長が拒絶をする市町村もある。
[編集] 合併と分割の種類
[編集] 新設合併と編入合併
- 新設合併
- 合併しようとする市町村を全て廃止して、新規に市町村を設置する合併方法。合併に関る全ての市町村の法人格が消滅するため、全ての首長と議員は失職し、合併で設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。ただし、議員については合併新法による在任特例を適用することもできる。
- 同規模の市町村同士の合併で行われる事が多い。
- 編入合併
- 合併しようとする複数の市町村のうち、1個を存続法人として、それ以外の市町村を廃止して存続法人に組み入れる合併方法。
- 編入される市町村は法人格が消滅するため、その首長と議員は失職する(議員については編入した自治体の議員になることも特例として可能)。首長選挙や議員選挙は、存続市町村で合併直後に任期満了になった場合と、合併前後に首長が任期途中で死去もしくは辞職した場合のみ行われる。
- 合併する市町村の規模が大きく異なる場合に行われる事が多い。
- 類義語
編入合併の類義語として吸収合併、新設合併の類義語として対等合併という語が使われることが多い。ただし、これらの語は手続ではなく理念に基づくものである為、編入や合体と同義ではない。
合併前からの市町村の名称を引き継ぐなど、実質上は吸収合併の様相を呈するケースでも、「吸収」というイメージを極力排除して、対等な関係を強調したい場合には、手続として新設合併の手法を採ることがある。このようなケースでは、合併を機に市町村の紋章を変更するなど、対等な関係を強調する為の手続きの変更が為される事もある。
[編集] 越境合併
- ※詳細については「越境合併」を参照すること。
通常の合併は、同一都道府県内の市町村同士で行われることがほとんどだが、県境に隣接していて、地理的、経済的理由等で同一都道府県内よりも他県市町村との交流が深ければ、県境を越えた合併が模索される場合がある。これを越境合併(越県合併、県境合併)と呼ぶ。
[編集] 分割と分立
- 分割
- 1個の市町村を廃止して、複数の区域に分けて新規に市町村を設置する分割方法。分割される市町村の首長と議員は失職し、分割後に設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。合体合併の対義語で、解体分割という語で示される事もある。
- 分立
- 1個の市町村を存続させたまま、一部の区域を新しい市町村として分離する分割方法。分離前の市町村の首長と議員は失職せず、分離されて設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。分離ともいう。
いずれも、地理歴史や交通体系、住民の生活圏が異なる複数の地域を併せ持っている市町村で実施される事が一般的である。
第二次世界大戦中に国策で合併した町村が戦後に再分離されたり、昭和の大合併で合併した町村が、新市町村内の対立で分離されるといった例があった。
[編集] 合併後に分離された市町村
- 秋田県南秋田郡豊川村 - 1942年4月昭和町・豊川村が合併、昭和町が発足。1950年7月に旧豊川村の区域の一部(上虻川・船橋・岡井戸・槻木・龍毛・山田)が分離されて豊川村に。
- 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町 - 1940年4月に川口市に編入、1950年11月に分離。
- 埼玉県北足立郡志木町・宗岡村・内間木村・水谷村 - 1944年2月に同郡志木町、宗岡村、内間木村(荒川東岸を除く)、入間郡水谷村が合併、志紀町が発足。1948年4月に合併前の1町3村に再分離。尚、合併前は入間郡に属していた水谷村も北足立郡の村となった。
- 志木町と宗岡村は1955年5月に合併して足立町となり、1970年10月に改称して市制を施行し志木市に。
- 内間木村は1955年4月に同郡朝霞町と合併して新たに朝霞町となり、1967年3月に市制を施行して朝霞市に。
- 水谷村は1956年9月に入間郡鶴瀬村・南畑村と合併して入間郡富士見村となり、1967年4月に町制を施行、1972年4月に市制を施行して富士見市に。
- 1954年に市制を施行し逗子市に。
- 長野県上伊那郡宮田町 - 1954年に上伊那郡赤穂町・中沢村・伊那村と新設合併し駒ヶ根市に、1956年に宮田村として分離。
- 岐阜県土岐郡笠原町 - 1951年に多治見市に編入、1952年に一部地域を除いて分離。
- 2006年に多治見市に再編入。
- 静岡県小笠郡西南郷村 - 1893年に一部が掛川町に編入、1895年に分離して西南郷村を設置。1943年に南郷村が掛川町に編入して以降も西南郷村は存続し、1951年に掛川町、栗本村、西山口村と対等合併して掛川町となる。現掛川市西南郷。
- 兵庫県津名郡釜口村・仮屋町・浦村 - 1956年に津名郡岩屋町とともに合併し淡路町、1961年に東浦町として分離。
- 2005年に山口市・吉敷郡小郡町・阿知須町・秋穂町・佐波郡徳地町が合併し、新「山口市」に。
合併後または合併決定後に、再分離の動きがみられる主な地域。
[編集] 合併と分割の両用
通常の合併は、(1)廃止された市町村の全ての区域を他市町村に編入したり、(2)廃止された複数の市町村の全ての区域を以って、新しい市町村が設置される場合が大半である。
又、通常の分割は、(1)廃止された市町村の区域内で複数の市町村が設置されたり、(2)1個の市町村の一部の区域を分離して、新しい市町村が設置される場合が大半である。
しかし、廃止された市町村の地区を複数に分割した上で、別々の市町村と合併する場合がある。又、複数の市町村の一部を分離して、分離された地域同士で合併するパターンもある。
即ち:
- A市のB地区を分離してC市に編入する方法。
- A市のB地区と、C市のD地区をそれぞれ分離して、B地区とD地区が合体してE市を設置する方法。
- A市を解体して、B地区がC市に編入され、D地区がE市と合体してF市となる方法。
- A市のうち、B地区が分離されてC市に編入され、D地区がE市と合体してF市となる方法。
などといったパターンである。
「昭和の大合併」ではこの例も多かったが、「平成の大合併」では唯一、山梨県西八代郡上九一色村の例がある。上九一色村は、山地を隔てて北側の梯・古関地区と、南側の富士ケ嶺・本栖・精進地区に分かれ、北側と南側では住民の生活圏が異なっていた。が、2006年3月1日に分割され、北側の2地区は東八代郡中道町と共に甲府市に編入され、南側の3地区は南都留郡富士河口湖町に編入された(→上九一色村#分割と編入の経緯)。
上九一色村の外にも、三重県一志郡美杉村や、栃木県上都賀郡粟野町など、幾つかの地域で、同一市町村内の他の地域と生活圏が異なる地域の住民により、「分合両用」による他市町村への編入を求める声が上がったが、住民投票や議会の反対などにより、実現には至らなかった(→美杉村#分村合併問題、粟野町#分町合併問題)。
しかし、岩手県下閉伊郡川井村でも、盛岡市の生活圏にある村西端の門馬地区で、盛岡市との合併を望む声も根強く、今後分村合併に動く可能性もある(→川井村#分村合併論)。
[編集] 市町村合併のメリット・デメリット
以下にメリット・デメリットを記載するが、規模等により大きく異なることがあるので、あくまでも一般的なものである。
[編集] メリット
- 住民生活の利便向上
- 住民の生活行動圏に見合った行政サービスの広域化
- 通勤・通学、通院、買い物等の行動圏域は従来の行政区画を越えている場合が多いが、行政区域が広域化することによって、住民票の写しの交付等の窓口サービスが勤務地や外出先などの近くで利用できるようになる。また、文化会館、図書館、スポーツ施設等の各種公共施設については、それまで利用に制限があったり、利用料金に差がある等した隣町の施設についても、同条件で利用が可能となる。
- 住民サービスの高度化
- 住民の価値観の多様化により市町村行政に求められる機能も高度化・複雑化しているが、専門的知識を備えた職員を確保することにより、専門的かつ高度な行政サービスを提供できるようになる。
- 地域づくりの進展
- 地域のイメージアップ
- 「市」ヘの施行、あるいは新しい市町村名とすることにより、地域としての全国的なイメージアップが図られ、地域経済の活性化や若年層の定着、観光交流客の誘致、大型プロジェクトの誘致等へのプラス効果も期待できる。
- 地域づくりの契機
- 合併の議論を通じて、自らのまちを見直す機会となる。合併後も、まちづくりビジョン実現のため、住民、諸団体の地域づくりへの主体的参画が期待される。
- 行財政の効率化
- 行財政の効率化
- 個々の自治体が行ってきた管理業務を一つに集約することにより、職員数や経費を削減する一方、新たな行政ニーズの発生している部門に充てることができる。職員数も人口当たり少なくなすることができるため、行政サービスの向上を図りつつ、人件費や経費を抑制することができる。(ただし、合併で消滅する自治体においても市町村職員の地位は法律で保証されているため、人員抑制・削減効果が期待できるのは合併後数年以上経過してからとなる。また、支所の配置方式によってもその効率化効果はかなり異なってくる。)
- 施設の効果的配置
- 住民の生活行動圏に即した広域的な視点から公共施設を計画的かつ効率的に配置することとなり、隣接した地域での類似施設の重複を避けることができる。(ただし、合併前の駆け込みで事業実施する等の弊害も生みがちである)
- 権限の拡大、行政能力の向上
- 行政の高度化・専門化
- 長期的には、行政規模拡大により生み出された財源や人員の余裕を、現代においてニーズの高い都市計画、環境政策、情報化、法務等、高度に専門性を要する分野へと振り向けることにより、多様で専門的な人材を長期的に確保し、行政サービスの高度化・専門化を図ることができる。
- また、計画的かつ体系的な職員研修プログラムなどを通じて、行政職員の政策形成能力の向上が図られる。
- 広域的な地域づくり
- 広域的な視点に立った交通基盤や各種公共施設の整備、総合的な土地利用の推進などにより、一体的な地域づくりを効果的に実施することができるようになる。さらに、環境問題や観光交流振興など従来の市町村域の枠を越えた広域的な取組みが求められる領域においても、一体的な対応が可能となる。
- さらに、政令指定都市、中核市、特例市や市制への移行等により、自治体としての権限が拡大する効果も期待できる。
- 大型事業の実現
- 行財政の効率化によって生み出される財源を、選択と集中により、新たな地域づくりや産業振興のために重点的に投資することが可能となる。財政規模の拡大によって、重点的な投資が可能となり、今までの個別自治体の規模では困難であった大型事業を計画的に実施することができる。
[編集] デメリット
- 端々の地域が寂れる
- 庁舎の存在する地域は市町村の目も届き、各種事業が実施されるが、周辺部においては強く事業実施を要望せねば、取り残される恐れがあり、中心部と周辺部の格差が拡大しがちである。また、それまで行なってきた地域づくり活動が継承されず、その成果が省みられなくなってしまう。ひいては、従来の歴史、文化、各種伝統行事といった地域の特徴が失われる恐れがある。地区出身の町村職員が自発的に地域文化を支えてきた面も一部にはあり、これら職員が本庁に吸い上げられることによって、担い手が確保できず消滅することになりかねない。
- 市町村行政と地域住民との距離の拡大
- 行政組織が大きくなって、また議員の数も減少し、地域の住民の意見が市町村行政に届きにくくなる。また、行政の工法委員としての役目の他に、地域と市町村行政との実質的なパイプ役となってきた区長等の地区役員制度も都市部の様式に統一されることによって、機能が削がれる恐れがある。
- 行政サービスの低下
- 役所や公共施設への距離が遠くなり、不便になる。効率化によって、行政サービスが高度化するとはいえ、それらは長期的に効果発現するものであり、また直感的には感じられにくいものである。
- 住民・事業所負担の増大
- 町村から市に移行する場合、税等の住民や事業所の負担が増大することがある。
[編集] 合併する際の問題
市町村が合併する際の問題点としては、以下の点が挙げられる。
- 市町村の組み合わせ
- 合併後の新庁舎の位置
- 新市町村の名称(→#合併後の名称問題)
- 議員定数の扱い
- 関係市町村の財政問題
面積や地理的同質性を無視した合併もあり、この動きに対しては、矢祭町や加茂市などの「合併しない宣言」に象徴されるように、批判も少なからず出されている。
又、合併の要件を考えないまま合併に走る市町村が現れる中で、磐田市の鈴木望市長が、2002年11月22日付朝刊の静岡新聞で、市町村が合併する際の要件について、歴史的・文化的同一性、経済的同一性、日常生活の同一性を総合的に判断し、共通のふるさと意識を持てる範囲で実施すべきとしている。
[編集] 市町村の組み合わせ
どの市町村と合併するかというのは、最大の問題といえる。多くは、都市圏内、郡内などの組み合わせにより枠組みが決まっていった。枠組みを決めるに際して、地区懇談会を開催して首長が私案として提示し合意を取り付けたケース、いくつかのパターンを示してアンケートで民意を問うたケースなどがあるが、中にはこじれて住民投票にまでもつれこんだケースがある。最終的には、首長の判断が問われた。
なお、市町村の合併の議論を促し、市町村合併を後押しするため、市町村合併が考えられる組み合わせ(パターン)として、複数のパターンを含む合併市町村の組み合わせを作成し公表した県もあった。
[編集] 新庁舎の位置
新市町村の本庁の位置問題は、特に新設合併(対等合併)の場合、関係自治体の面子もあって、非常に問題となるケースがある。庁舎は自治体の中心としての意味を持つためである。実際にこの問題で合併協議がこじれる場合もある。
なお、平成期においては市町村合併が財政の健全化という文脈で語られる場合も多いうえ、また住民も市町村役場の浪費には厳しい目を向けており、旧の市町村の庁舎とは別に新自治体としての庁舎を新たな場所で新築しようとするケースは少ない。
[編集] 議員定数及び任期の取扱い
市町村議会議員の定数と任期の取扱いは、議員にとっては身分にかかわる関心事である。しかし、地方自治法上は「新設合併における関係市町村」及び「編入合併における編入される市町村」においては、市町村の法人格が消滅することから、該当する議会の議員は当然に失職することになる。
国では合併特例法において以下の特例を定め、この制度は2005年施行の合併新法にも引き継がれている。
- 定数特例 合併直後に一時的に議員定数を増やす特例
- 在任特例 合併前の議会議員が合併後も一定期間議員として在職できる特例
これらの特例を適用するかどうかは合併協議会の協議による。特例の内容は、新設合併と編入合併で異なる。
- 新設合併の場合
- 定数特例 合併後に行う設置選挙に限って、地方自治法に定める議員定数上限の2倍の範囲内で定数を定めることができる。 (例)5万人以下の市の場合 地方自治法の上限26人 → 特例の上限52人
- 在任特例 旧市町村の議員は、合併後2年以内に限り新市町村の議員となることができる。
- 編入合併の場合
- 定数特例 編入された旧市町村の区域に選挙区を設け、2回の選挙までに限り増員選挙を行うことができる。この選挙区の定数は、地方自治法上の定数上限に関わらず、以下の計算式で求めた人数以内で定めることができる。
○計算式 (編入先の市町村議員定数:A人、編入先の市町村の人口:x人、編入される市町村人口:y人) 選挙区の議員定数 = A ×( y ÷ x )
-
- 在任特例 編入された市町村の議員は、編入先の市町村の最初の選挙までに限りその議員となることができる。さらに、最初の選挙の際に、上記の定数特例による定数増により、増員選挙を選択することもできる。
[編集] 議員の特例の意義
一般に、議員の特例を定めた理由としては、次のようなものがあげられている。
- 合併後、協議で定めた協定項目や計画が遵守されているかを議会で監視する必要がある。
- 新たなまちづくりが軌道に乗るまでの間は、旧市町村の区域ごとに議員数を確保する必要がある。
しかし、誰もが知っている最も大きな理由は、失職することになる議員に恩典を与え、国が推進しようとする市町村合併に対する抵抗を和らげるためである。
この結果、体育館を議場とするような巨大議会が誕生するなど、大きな狙いの一つが行政改革のはずの市町村合併において、一時的とはいえ議員数が増加するという矛盾が生じることとなった。一方、マスコミが特例で議席増を図った市町村議会を行政改革の抵抗勢力として扱ったこともあり、肥大化した議会に批判が高まった。このため、住民の直接請求に基づく住民投票や住民の反発により自主的に解散に追い込まれる議会も相次いだ。
このため、平成の合併においても初期には特例措置の適用が多数みられたが、後半になると適用しない例や、特例を適用しても新市町村の予算が成立したのを見届けて自主解散する例も見られるようになった。この背景として、平成の合併前から、地区代表・利益代表と言われてきたものの、市町村議会議員の職能、あるいは必要性そのものに国民は疑念を抱いていたことが示されたといえる。
[編集] 財政問題
関係市町村の財政問題も、当該市町村の内部ではかなり問題視された場合がある。市町村の地方債・基金の残高状況を含む財政状況そのものは、対住民にも公表され、また横の比較可能な形で決算結果は公表されている。ところが、土地開発公社の財政状況、あるいは第三セクターへの慢性的な支出金・借入金など、市町村の普通会計に属さない領域での隠れ負債があるのではないかとの疑念が生じた。
また、「貯金」といえる基金についても、「合併が決まる以前から予定されていた事業」と強弁しつつ、「新市町村に持って行かれたら損」とばかりに合併前に駆け込み事業を行ったり、地区団体に配布したりする例も見られた。
[編集] 分割する際の問題
市町村分割が困難な問題に突き当たる場合があるが、概ね以下の問題点が想定される。
- 住民投票の範囲
- 分割後の市町村債の処理
- 住民と市議と県議の考えの食い違い
[編集] 住民投票
近年では、合併と分割のいずれにも、住民投票が適用される事例が増えている。
ただし、分割を問う住民投票を実施する際に、どの地域の意見が重視されるか、住民と議員のどちらの意見が優先されるかは、重要な課題である。
分割を巡る住民投票を実施する場合、解体分割の場合には全域が住民投票の対象になるが、分立の場合には、(1)分立を望んでいる地域のみで行う場合と、(2)市町村の全域で行う場合、の両方の事例が想定される。そして、解体分割と分立のいずれでも、議会が単独で分割や分立を決定する、という事例も想定される。
更に、分割をする際には、市町村議会が分割を決定するが、県議会の承認も得なければならない。1950年に起こった舞鶴市の分割運動では、住民投票で「東舞鶴市」と「西舞鶴市」への分割の承認が過半数を上回り、舞鶴市議会もこの決定を承認したにも拘らず、この決定が京都府議会によって否決されてしまった。
[編集] 財政問題
特に解体分割をする際には、分割前の旧市町村の地方債の処理や基金が、分割後に設置された新市町村にどの割合で継承されるか、という問題がある。
解体分割後に設置される新市町村の規模が大きく異なる場合、新市町村それぞれの規模に合わせて、A市は何%、B村は何%、という風に配分されることになる。
しかし、地方債残高が多い場合には、この地方債の処理の割合を巡って、論議が紛糾する事態が想定される。
[編集] 合併協議会
合併協議会は、地方自治法第252条の2、合併新法第3条の規定により、関係市町村議会の議決を経て設置されるもので、関係市町村の長および議会や職員、住民の代表者らによって構成され「法定合併協議会」とも呼ばれる。 法定合併協議会において「合併市町村基本計画」や協定項目を策定することにより、合併新法に基づく制度的特例を受けることができる。
一方、法定合併協議会を設置する前に、いわゆる「任意合併協議会」(任意協議会)を設置することが多いが、任意協議会は、その名のとおり法的には設置する必要のない任意の話し合いの場であり、任意合併協議会を設置せず、「研究会」または「勉強会」での協議を経て法定合併協議会を設置するケースもある。
市町村によっては、任意合併協議会で合併協定書記載項目のほとんどの協議を終え、法定合併協議会は形式的に設置して2、3回程度の協議で合併協定書を締結することもある(新潟市など)。
[編集] 合併の手続き
法定合併協議会を設置する場合の合併の手続きは、以下のようになる。事前協議から合併まで、通常22ヶ月程度が標準期間といわれてるが、当然一定ではない。
- 任意合併協議会などで事前協議を行う。(住民発議で法定合併協議会が設置される場合は事前協議がない場合もある。)
- 関係市町村の議会の議決を経て法定合併協議会を設置する。
- 法定合併協議会において、以下のような事項について協議し合意する。
- 合併市町村基本計画(案の段階で都道府県知事と協議を行う)
- 合併の期日、合併の方式、合併後の市町村の名称と庁舎の位置、合併後の事務事業の調整方針
- 議会議員の取扱い、地域自治区の設置 など
- 合併することで合意した場合は、関係市町村長による協定の調印(任意)
- 関係市町村議会で市町村の廃置分合及び関係議案の議決
- 都道府県知事への申請
- 都道府県議会での議決
- 都道府県知事が「廃置分合処分の決定」を行い、決定書を関係市町村長に交付し、総務大臣に届け出る。
- 総務大臣の官報告示により合併(分割)が法的に決定
[編集] 住民発議による法定合併協議会
1965年(昭和40年)施行の合併特例法では、法定合併協議会の設置の発議権は関係市町村の長のみが有していたが、1995年の改正により、有権者の50分の1以上の連署をもって、法定合併協議会の設置を市町村長に直接請求できる「住民発議制度」が創設され、2005年施行の合併新法にも引き継がれた。静岡市と清水市の合併は、住民発議によって法定合併協議会が設置されて合併に至った例ではある。ここは、青年会議所の発議によって協議会が設置されたもので、他にも青年会議所の組織的な住民発議で協議会が設置された事例が全国に見られるが、「あたかも住民が主張して来たかのように見えるが、中央の思惑に乗っかった物」という見方もある。
しかし、住民発議によって法定合併協議会が設置された場合、任意合併協議会や研究会・勉強会での協議の積み重ねがないケースが大半であり、協議会を設置しても合併に至らない事例が続出した。
[編集] 合併協定書の調印
合併協議会で合併協議が整うと、関係市町村長による合併協定書への調印を行うことが多い。調印にあたっては、市町村長の署名押印のほか、立会人として議会議長が署名をする場合もある。
合併協定書の調印は法的には何ら意味を持たないが、セレモニーとして、都道府県知事、地元選出の都道府県議会議員や国会議員らを招いて盛大に行われることが多い。しかし、その後に行われた市町村議会で合併関連議案が否決される事例や、合併協議会の解散に至ってしまう事例もあった。
協議段階で紛糾した市町村では、これを避けるためか、まず市町村議会で合併関連議案を可決した後に、合併協定書の調印式を行ったり、岡山市のように調印式そのものを行わず、県に申請する事例もあった。
[編集] 住民投票
住民投票で合併や分割の賛否を問う方法も、一般化する方向にある。この方法では、(1)合併または分割自体に賛成との前提で、合併の相手先や合併後の名称次第とするもの、(2)合併または分割自体に反対である、といった選択肢が設けられる。
[編集] 合併後の名称問題
合併する際の自治体の新名称は、特に合体合併をする場合は公募によって決めることが多い。公募は合併対象市町村の住民を対象にする場合、住民と通勤通学者、出身者を対象にする場合、全国対象(居住地域を限定しない)などがあるが、公募に基づいて新名称を決める際、住民の意見を無視した名称を採用して批判が出ている。
とりわけ、2001年の「西東京市」「さいたま市」「東かがわ市」以後は、合併で「南○○市」風の方角地名や、ひらがな・カタカナ地名とされる新市町村が多い。
それ以外にも、広域地名、合成地名、瑞祥地名には、「地名が示す地域の範囲から逸脱している(僭称・借用である)」「地域色を無視するものだ」「安易過ぎる」として、「地名は文化財である」という立場から従来の伝統的な地名の付け方の維持を強く望む地名研究家などから強い批判が寄せられている(日本地名研究所・緊急声明)。
一方で、従来から無批判に行われてきた、中心部の自治体の名称がそのまま合併後の新名称となって合併で拡張した周辺部にまで及び、あたかも中心部による周辺部の「地名の征服」のようなことが起こることについては、これらの地名研究家はおおむね「従来どおりの地名の付け方」として肯定的であるが、主に周辺部の住民感情を無視していることが少なくない。「地名は誰のものであるか」が問われる問題である。
いずれにしろ、これらのネーミングをされた市町村の地域を指す時、合併前の旧市町村名や、付近の駅名で呼ばれることも多い。この場合、新しい名称が定着し、人口に膾炙するまでの間には長期間を要する。
また、合併後に住所表記で旧市町村名を冠する場合もある(「A町B→C市A町B」など)。旧市町村名を冠しない場合、一つの市町村で同じ地名が複数個所存在する場合は各々区別するために、その部分のみ旧市町村名を冠する場合もある(「岡山県上道郡上道町北方」→「岡山市上道北方」など)。
西東京市のように、重複している地名を旧市町村名に変更する場合もあるが、稀なケースである(「田無市本町」→「西東京市田無町」、「保谷市本町」→「西東京市保谷町」)。
[編集] 廃案になった自治体名
[編集] 南セントレア市
愛知県知多郡美浜町と南知多町が合併する際に命名される予定であった新市名。合併協議会は、中部国際空港(常滑市沖)の南側にあることから、同空港の愛称にちなんだ「南セントレア市」に決定したことを公表した。
しかし、公募には1票もなかった市名を採用したうえ、外国風の市名を採用することに内外から抗議が殺到。その後、住民公募の上位11案を含む12案の中から最多得票案を新市名にすることを条件に、2005年2月27日に住民アンケートを実施した結果、新市名は「南知多市」と決定したものの、同時に行われた合併の是非を問う住民投票で両町ともに反対票が過半数を占めたため、新市名どころか合併自体が白紙になった。
[編集] 白神市
秋田県能代市と藤里町を除く山本郡全町村が合併する際に命名される予定であった新市名。新市名公募の際、要項で「現在の市町村名以外」という条件をつけて公募した結果、近くにある「白神山地」からとった「白神○○(○○には別の地名や方角など)」などの応募があり、協議会での協議の結果、最終候補10案のうち4案が白神のついた名称となり、その中から「白神市」が新市名に決定した。
しかし、「白神はもともと青森県の地名」「白神山地の世界遺産登録地域が新市域には含まれていない」などの理由で青森県側の市民団体などが猛反発し、署名運動などが起こり、最終的には協議会解散に追い込まれた。その後、「能代市と二ツ井町」(新設合併で新市名は「能代市」)、「山本郡山本町、琴丘町、八竜町」→(三種町-みたねちょう)、「同郡八森町、峰浜村」→(八峰町-はっぽうちょう)で合併が決まった。
[編集] 中央アルプス市
長野県駒ヶ根市と上伊那郡飯島町・中川村が合併する際に命名される予定であった新市名。一般公募で集まった新市名案が、合併協議会での協議の結果、「伊南市」「駒ケ岳市」「駒ヶ根市」「駒美市」「中央アルプス市」「美駒市」の6点に絞られ、この6点について2005年2月に住民アンケート調査を行った結果、駒ヶ根市では「駒ヶ根」が、飯島町・中川村では「伊南」が1位となり、3市町村の合計では「駒ヶ根」が1位となったが、「駒ヶ根市だと吸収合併というイメージが強く、地元住民からの賛同が得られにくい」「伊南(いなん)は隣接する伊那(いな)市と混同しやすい」などの理由で、アンケートでは「駒ヶ根」「伊南」に続く3位だった「中央アルプス市」が新市名に選ばれた。
しかし、「(山梨県の)南アルプス市の二番煎じだ」といった批判が殺到し、2月27日に行われた3市町の住民投票・意向調査の結果、駒ヶ根市と飯島町で合併反対票が賛成票を上回り、新市名どころか合併自体が白紙撤回された。
[編集] 安土市
滋賀県神崎郡能登川町・五個荘町、蒲生郡安土町の合併によって誕生する予定であった新しい市の名称。
一般公募で集まった新しい市名案の内「安土市」「きぬがさ市」「近江安土市」「東近江市」の4点に絞られ、2002年9月27日に委員による投票の結果「安土市」に内定したが、五個荘町の委員から「現存の町名を使うのは吸収合併を発想させる」として反対の意見があり、また能登川町の住民からも「3町の中で最大規模で、町役場を新市役所に使う事になった能登川が、なぜ最小規模の安土の名称を使うのか」と反対の声が上がり、「きぬがさ市」に変更するよう動きがあった。
ところが、合併協議会では「協議結果を尊重する」として住民の意向を無視して「安土市」に正式に決定した。この決定に激怒した五個荘町が2002年12月15日に脱退を表明。合併自体が白紙撤回となり、合併協議会は解散した。
その後、五個荘町は八日市市などとの合併で東近江市となり、能登川町も後に東近江市に加わったが、安土町は近江八幡市との合併協議が決裂(しかも原因が再び新市名問題)し、結果的に孤立してしまう羽目となった。
[編集] 平泉市
2005年9月に岩手県一関市と西磐井郡平泉町・花泉町、東磐井郡大東町・藤沢町・千厩町・東山町・室根村・川崎村が合併し、平泉市になる予定だった。しかし、最終段階で破談となり、2005年9月20日に平泉町と藤沢町を除く1市4町2村で新「一関市」が発足するに至った。
破談は、合併協議会での新市名「平泉市」決定を前に平泉町の委員が他町の委員に対し「(平泉市に決定しなければ)一緒に退席してほしい」と要請していたとの風聞から不信感が広がったことが原因とされるが(このとき、一部東磐井郡と花泉では新市名「磐井市」派だった)、背景には旧一関市において新市名への抵抗が大きかったこともあるといわれる。藤沢町は合併せず、単独で存続することになった。
[編集] その他
新名称に批判が続出しながらも名称を再検討することなく合併した例は、北九州市、あきる野市、最近ではさいたま市、西東京市、さくら市、東かがわ市、丹波市、淡路市、四国中央市、ふじみ野市、つくばみらい市、奥州市、みどり市などがある。
一方、新名称に批判が続出するなどして、名称を再検討した例としては、以下の例がある。
- 福島県ひばり野市(正式決定後に飯舘村の離脱を受け再検討、南相馬市として合併)
- 千葉県太平洋市(関係町村間で合意、批判続出で再検討し山武市として合併)
- 岐阜県ひらなみ市(正式決定後に批判続出で再検討、海津市として合併)
- 滋賀県西近江市(正式決定後に批判続出で再検討、高島市として合併)
- 島根県石見銀山市(最終候補として提案されたが、旧大田市の反発で空転した後再検討、大田市として合併)
- 鹿児島県れいめい市(正式決定後に批判続出で再検討、いちき串木野市として合併)
- 沖縄県宮古市(関係市町村間で合意、岩手県宮古市の反発と住民アンケートの結果を受け再検討し、宮古島市として合併)
また合併後に変更した例として、昭和の大合併時のものだが徳島県鳴南市(鳴門市)がある。
[編集] 市町村数の推移
年 | 市の数 | 町の数 | 村の数 | 市町村数 |
---|---|---|---|---|
1888年12月 | - | 71,314 | 71,314 | |
1889年12月 | 39 | 15,820 | 15,859 | |
1947年8月 | 210 | 1,784 | 8,511 | 10,505 |
1956年4月 | 495 | 1,870 | 2,303 | 4,668 |
1965年4月 | 560 | 2,005 | 827 | 3,392 |
1995年4月 | 663 | 1,994 | 577 | 3,234 |
2003年4月 | 677 | 1,961 | 552 | 3,190 |
2005年4月 | 739 | 1,317 | 339 | 2,395 |
2006年4月 | 779 | 844 | 197 | 1,820 |
[編集] 市町村合併の一覧
- 1990年から2002年までの市町村合併
- 2003年の市町村合併
- 2004年の市町村合併
- 2005年前半の市町村合併 - 2005年後半の市町村合併
- 2006年の市町村合併
- 2007年以降の市町村合併
- 都道府県別市町村合併一覧
[編集] 関連項目
- 市町村の合併の特例等に関する法律
- 合併特例区
- 全国市町村一覧
- 消滅した日本の市町村の一覧
- 消滅した郡の一覧:消滅した郡について
- 大字
- 消防本部 - 市町村合併により組織の見直し、トラブルなど。
- 警察 - 市町村合併により警察署の署名変更や統廃合が進んでいる。
- 住民投票