宮古島市
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宮古島市(みやこじまし)は沖縄県宮古列島に位置する市。2005年10月1日、平良市と宮古郡伊良部町・上野村・城辺町・下地町の5市町村が対等合併して誕生した。
目次 |
[編集] 市勢
- 面積:204.39km²
- 人口:55,911人
- 男性:27,868人
- 女性:28,043人
- 世帯数:22,799世帯
- 人口密度:273.55人/km²
(2006年5月31日現在)
[編集] 地理
[編集] 字名一覧
住居表示はいずれも字名の前に旧市町村名がつく。字名が旧町村名と同一の場合も同じ(字伊良部→伊良部字伊良部、字上野→上野字上野)。
- 平良地域
いずれも旧市名の「平良」が字名の頭につく(例:字西里→平良字西里)。
- 池間(いけま) 池間島
- 大浦(おおうら)
- 大神(おおがみ) 大神島
- 狩俣(かりまた)
- 久貝(くがい)
- 島尻(しまじり)
- 下里(しもさと)
- 荷川取(にかどり)
- 西里(にしざと)
- 西仲宗根(にしなかそね)
- 西原(にしはら)
- 東仲宗根(ひがしなかそね)
- 東仲宗根添(ひがしなかそねぞえ)
- 前里(まえざと) 池間島
- 松原(まつばら)
- 城辺地域
いずれも旧町名の「城辺」が字名の頭につく(例:字福里→城辺字福里)
- 新城(あらぐすく)
- 下里(しもざと)
- 下里添(しもざとそえ)
- 友利(ともり)
- 長間(ながま)
- 西里添(にしざとそえ)
- 比嘉(ひが)
- 福里(ふくざと)
- 保良(ぼら)
- 上野地域
いずれも旧村名の「上野」が字名の頭につく(例:字上野→上野字上野)
- 上野(うえの)
- 新里(しんざと)
- 野原(のばる)
- 宮国(みやぐに)
- 下地地域
いずれも旧町名の「下地」が字名の頭につく(例:字上地→下地字上地)
- 上地(うえち)
- 嘉手苅(かでかり)
- 川満(かわみつ)
- 来間(くりま) 来間島
- 洲鎌(すがま)
- 与那覇(よなは)
- 伊良部地域(伊良部島)
いずれも旧町名の「伊良部」が字名の頭につく(例:字長浜→伊良部字長浜)
- 池間添(いけまそえ)
- 伊良部(いらぶ) 一部下地島にまたがる
- 国仲(くになか) 一部下地島にまたがる
- 佐和田(さわだ) 一部下地島にまたがる
- 仲地(なかち) 一部下地島にまたがる
- 長浜(ながはま)
- 前里添(まえざとぞえ)
[編集] 沿革
詳細の歴史は旧平良市または他の旧町村を参照。
- 明治末期までの間切制時代は平良間切・下地間切・砂川間切の3つに分かれていた。
- 1908年4月1日 島嶼町村制施行に伴い、平良・下地・砂川の3間切と多良間島をもって平良村、下地村、城辺村、伊良部村の4村が成立
- 1913年2月14日 平良村多良間島(水納島も含む)が多良間村として分村
- 1924年2月1日 平良村が町制施行、平良町となる
- 1947年2月1日 城辺村が町制施行、城辺町となる
- 1947年3月7日 平良町が市制施行、平良市となる
- 1948年8月1日 下地村東部が上野村として分立
- 1949年1月1日 下地村と上野村の一部が町制施行、下地町となる
- 1956年 宮古空港が開港。
- 1959年9月 台風14号が宮古島を通過、同島での最低気圧が908.1ミリバール(ヘクトパスカル)と観測(宮古島台風)。
- 1961年 農業を目的として大神島から集団離島。島の人口は半減した。
- 1964年 琉球放送が平良市久貝にラジオの中継放送局を開局(1150kc、2005年にFM中継局に転換したため廃止)
- 1966年9月 台風18号が宮古島を通過、同島の最大瞬間風速が85.3m/sと観測。この記録は日本での観測史上最大の記録である(第2宮古島台風)。
- 1967年12月22日 沖縄放送協会(OHK・現在のNHK沖縄放送局)が宮古島をはじめ先島諸島で沖縄本島に先駆けてテレビ放送を開始(KSDY・US9ch、復帰後1976年まではNHK沖縄宮古総合テレビジョンとなる。なお沖縄本島では1年遅れて放送が開始された)。
- 1968年9月 台風16号が宮古島を通過、死傷者を出す大きな被害だった(第3宮古島台風)。
- 1972年6月 NHKがラジオ第1と第2の放送を沖縄本島と同時に開始。
- 1975年4月 宮古島の県道平良与那覇線(西里~上地)、城辺下地線(現在の同路線名の県道とは別ルート)、平良保良線(福里~保良)が国道に昇格され国道390号となる。同島では初の国道となる。
- 1976年12月22日 NHKテレビの沖縄本島・日本本土との同時放送が開始(同時に教育テレビ・FM放送も開始される)。また電話も沖縄本島や日本本土と即時通話可能になった。
- 1978年5月 宮古島初のケーブルテレビ局である宮古島有線テレビ(現在の宮古テレビ)が開局。
- 1978年12月 宮古空港~那覇空港間にジェット機(B737型機)が就航。
- 1982年4月1日 伊良部村が町制施行、伊良部町となる
- 1985年4月 第1回宮古島トライアスロン大会開催。
- 1989年7月 宮古空港と初の本土直行便となる東京(羽田空港)便が就航。
- 1992年1月 宮古島~池間島間に池間大橋が開通。
- 1992年2月 宮古島で初のプロ野球オープン戦開催(中日-大洋戦)。
- 1993年2月 プロ野球オリックスが宮古島で初のキャンプを実施。
- 1993年12月16日 琉球放送と沖縄テレビが宮古島など先島諸島でテレビ放送開始。
- 1995年2月 宮古島~来間島間に来間大橋開通(農道橋として建設され、日本一長い農道橋となる)
- 2001年7月 宮古地区全6市町村で宮古地区市町村合併研究会発足
- 2002年4月 宮古地区合併協議会発足
- 2002年7月20日 宮古島初のコミュニティFMとなるエフエムみやこ開局
- 2005年10月1日 平良市・城辺町・下地町・上野村・伊良部町の合併により発足。
[編集] 行政
- 市長:伊志嶺 亮(いしみね あきら, 革新系, 旧平良市長, 2005年11月13日選出)
- 1994年から平良市長を3期11年務める。2005年10月の市町村合併に伴う宮古島市長選挙で下地敏彦(自民・公明推薦)を破り宮古島市初代市長に選出、就任した。前職は医師(開業医)。
[編集] 合併の経緯
多良間村を含む宮古列島の6市町村は、2001年7月に「宮古地区市町村合併研究会」を設置し、2002年4月には法定合併協議会に移行した。協議会では合併期日を2005年1月1日、新市名を「宮古市」としたが、多良間村では2004年2月に行われた住民投票の結果、反対票が賛成票を上回ったため離脱を表明し、合併協議は暗礁に乗り上げた。
さらに下地町でも議会が合併に慎重となり、2004年8月には多良間村を除く5市町村での法定協議会設置案を否決(4市町村が可決)し、9月には合併協議からの離脱を表明、また上野村でも下地町を除く合併に異論が出たため離脱を表明し、平良市・城辺町・伊良部町で法定協議会を設置した。
2004年12月になり下地町と上野村が合併協議に復帰(3市町の法定協議会に復帰)し、新市名は「宮古市」「宮古島市」「琉宮市」の中から「宮古市」に決定したが、岩手県宮古市から見直しを要請されたため、2005年2月から3月にかけて新市名を問う住民アンケートを行ない、その結果「宮古島市」が「宮古市」を上回ったため、最終的に新市名は「宮古島市」に変更された。
2005年3月15日には合併協定調印に漕ぎ着けたが、伊良部町では直後に審議が行われた合併関連議案を否決した(4市町村は可決)。合併特例法の期限が迫る中、4市町村では急遽、伊良部町を除く法定協議会を設置したが、3月25日に伊良部町議会は合併関連議案を一転して可決し、当初の予定通りの合併が実現した。
[編集] 市の組織
合併に伴い市内に5つの庁舎(旧平良市役所、旧城辺町役場、旧下地町役場、旧上野村役場、旧伊良部町役場)が存在することになるため、宮古市地区市町村合併協議会では分庁方式を採用する方向であった。分庁方式では各庁舎に業務部門を設置することになるが、離島である伊良部町に業務部門を設置することで生じる問題点や、分庁方式となった場合の行政サービスの低下を懸念する声などがあり、伊良部庁舎は伊良部総合支所として設置することになった。このため宮古島市では分庁方式と総合支所方式が並立する形で業務を行っている。
- 平良庁舎
- 総務部(総務課、財政課、税務課、市民生活課)
- 企画政策部(企画調整課、秘書広報課、地域振興課、情報政策課)
- 平良支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 城辺庁舎
- 福祉保健部(生活福祉課、介護長寿課、健康増進課、国民健康保険課、環境保全課)
- 城辺支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 下地庁舎
- 建設部(都市計画課、道路建設課、住宅課、下水道課、港湾課、空港課)
- 下地支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 上野庁舎
- 経済部(農政課、むらづくり課、農地整備課、水産課、観光商工課)
- 農業委員会
- 上野支所(地域振興班、市民生活班、事業推進班)
- 伊良部庁舎
- 伊良部総合支所(総務課、市民課、福祉保健課、経済課、水産観光課、建設課)
[編集] 国の行政機関
- 内閣府
- 沖縄総合事務局平良港湾事務所
- 沖縄総合事務局宮古海運事務所
- 沖縄総合事務局宮古財務出張所
- 沖縄総合事務局平良統計・情報センター
- 法務省
- 那覇地方検察庁平良支部
- 那覇地方法務局平良支局
- 那覇家庭裁判所平良支部
- 財務省
- 沖縄地区税関石垣税関支所平良出張所
- 平良税務署
- 厚生労働省
- 沖縄社会保険事務局平良事務所
- 宮古公共職業安定所
- 宮古労働基準監督署
- 農林水産省
- 那覇植物防疫事務所平良出張所
- 国土交通省
- 大阪航空局宮古空港航空路監視レーダー事務所
- 第11管区海上保安本部石垣海上保安部平良海上保安署
- 宮古島地方気象台
- 大阪航空局下地島空港事務所
[編集] 県の行政機関
- 沖縄県宮古支庁
- 沖縄県警宮古島警察署
- 福祉保健部宮古家畜保健衛生所
- 福祉保健部宮古福祉保健所
- 土木建築部下地島空港管理事務所
[編集] 警察
- 宮古島警察署(旧宮古警察署)
[編集] 市議会
宮古島市議会は定数28人。2005年11月13日に合併後初めての市議選が行われた。11月25日に開かれた宮古島市初の臨時議会にて友利恵一が議長に選出。
- 各派の構成(2005年12月現在):与党10名(革新系)、野党10名(保守系)、「そうぞう」8名(与党側のスタンス)
[編集] 経済
[編集] 産業
- 主な産業
- 農業:サトウキビ、タバコ、マンゴーをはじめとした果物類(トロピカルフルーツ)など。
- 観光:透明度の高い海とサンゴによる白い砂浜が象徴的で、ビーチリゾートや各種マリンスポーツが人気。海岸線沿いにゴルフコースが数ヶ所あり、水平線を望む景観で人気のスポット(海沿い特有の強い潮風のため比較的高難度)。観光客向けの大規模施設はさほど多くなく、レンタカーなどを移動手段とした景勝地巡りが主な観光コースとなり、コース周辺に小規模な飲食品店・土産物店などが点在する。
- 酒造:宮古島市内には7つの酒造所(池間酒造・沖之光酒造・菊之露酒造・多良川・千代泉酒造・渡久山酒造・宮の華)がある。
- 化学工業:りゅうせきがサトウキビを原料とするバイオマスエタノール製造プラントを建設しており、バイオマス燃料自動車実用化の実証実験を開始している。
- 産業人口
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
- 津山市 (岡山県):1965年3月15日 姉妹都市締結 (旧平良市と)
- 世田谷区 (東京都):友好都市締結(旧平良市と)
- 室蘭市 (北海道):1998年8月3日 交流都市締結 (旧平良市と)
- 上越市 (新潟県):姉妹都市締結 (旧城辺町と)
- 耶麻郡西会津町 (福島県):友好都市
- 鳴門市 (徳島県):親善交流都市
- 加茂郡白川町 (岐阜県):2004年 交流都市締結
[編集] 海外
[編集] 地域
[編集] 健康
[編集] 教育
[編集] 高等学校
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[編集] 中学校
[編集] 小学校
[編集] 養護学校
[編集] 観光・文化
[編集] 景勝地
[編集] ビーチ・海岸
- 砂山ビーチ(平良)
- パイナガマビーチ(平良)
- 与那覇前浜(下地)
- 吉野海岸(城辺)
- 新城海岸(城辺)
- 保良泉ビーチ(城辺)
- イムギャーマリンガーデン(城辺)
- 長間浜(下地・来間島)
- 中の島(伊良部・下地島)
- 渡口の浜(伊良部)
- 佐和田の浜(伊良部)
[編集] 史跡・拝所
- 仲宗根豊見親の墓
- 人頭税石
- 漲水御嶽
- サバ沖井戸
- 久松五勇士顕彰碑
[編集] 博物館
- 平良市総合博物館
[編集] 植物園
- 平良市熱帯植物園
[編集] 美術館
- 恵子美術館
[編集] ホール・集会場
- マティダ市民劇場
- 宮古島市立中央公民館
- 宮古島市立伊良部公民館
- 宮古島市立下地公民館
- 宮古島市立久松地区公民館
- 宮古島市立西原地区公民館
- 宮古島市立下崎地区公民館
- 池間島離島振興総合センター
- 伊良部島離島振興総合センター
- 来間島離島振興総合センター
- 城辺農村環境改善センター
- 上野農村環境改善センター
- 下地農村環境改善センター
[編集] 体育施設
- 宮古島市総合体育館
- 宮古島市民球場
- 勤労者体育センター(野球場)
- 城辺運動公園(野球場)
- 宮古島市城辺陸上競技場
- 宮古島市農業者トレーニングセンター
- B&G海洋センター
- 佐良浜スポーツセンター
- 宮古島市上野体育館
- 下地勤労者体育センター
[編集] その他
- 上野ドイツ文化村
- 宮古島海宝館
- 宮古伝統工芸研究センター
[編集] 交通
[編集] 空港
[編集] バス
[編集] 道路
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[編集] 港湾
- 平良港
- 来間・前浜港
- 佐良浜港
- 長山港
[編集] 船舶
- 平良港-伊良部島・佐良浜港
- 平良港-多良間島・譜天間港
- 多良間海運(フェリーたらま1日2便)
- 島尻港-大神島
- 大神海運(ニューかりゆす1日3便)
[編集] 出身有名人
- 下地幹郎(政治家、衆議院議員、旧平良市)
- 下地勇(ミュージシャン、旧平良市)
- 垣花正(ニッポン放送アナウンサー、旧平良市)
- 上里一将(サッカー選手、旧平良市)
- 末広尚希(ロックバンド・gulff、旧城辺町)
- 池間正樹(ロックバンド・gulff、旧平良市)
- 佐渡山武士(ロックバンド・gulff、旧平良市)
- 下地正晃(navy&ivory・ボーカル)
[編集] マス・メディア
[編集] 新聞
[編集] 放送
- 宮古テレビ(ケーブルテレビ・1978年に宮古島有線テレビとして開局)
- エフエムみやこ(コミュニティFM・76.5MHz) 2006年よりFM沖縄の番組も一部ネット
- 琉球放送(RBCiラジオ)、ラジオ沖縄(ROK)のFM中継局がある
(RBCiラジオはかつてAMの中継放送局で独自のコールサインをもち、那覇の親局とは別に独自の番組を放送したことあるが、夜間の外国・本土からの混信によりFM波に切り替えて、中継局も宮古島の久貝から伊良部島へ移した)。
- 中継局周波数一覧
(NHKラジオ・周波数単位はR1とR2はKHZ、FMはMHZ)
所在地 | R1 | R2 | FM |
---|---|---|---|
宮古島市平良 | 1368 | 1602 | 85.0 |
(民放ラジオ・周波数単位はMHZ)
所在地 | RBCi | ROK |
---|---|---|
宮古島市伊良部 | 82.7 | 84.1 |
(テレビ放送・単位はCH)
所在地 | 総合 | 教育 | RBC | OTV |
---|---|---|---|---|
宮古島市平良 | 7 | 4 | 32 | 34 |
[編集] イベント
- 宮古島100kmワイドーマラソン(1月)
- オリックス・バファローズ春季キャンプ(2月)
- 八重干瀬まつり(4月)
- 全日本トライアスロン宮古島大会(4月)
- ビーチバレー宮古島大会(6月)
- サニツ浜カーニバル(7月)
- オリオン・ビアフェスタ(7月)
- 宮古まつり(7月)
[編集] 郵便・電話
[編集] 郵便
郵便の集配業務は宮古郵便局が行っており、郵便番号は以下の通りとなっている(郵便番号の右のカッコ名は一元化前の受け持ち局)。宮古島内には宮古郵便局を初め、橋で結ばれている池間島を含め5つの集配郵便局(旧市町村ごと、ただし平良市内は大神島含む宮古島と池間島に分かれる)があったが、合併により集配業務を宮古郵便局に一本化した。さらに2006年9月からは2007年10月の民営化による業務効率化により伊良部郵便局の集配業務を宮古郵便局に一元化した。宮古郵便局は本土復帰前は那覇や八重山と同じく「中央郵便局」であった。また同名の郵便局が岩手県宮古市にもある(そちらも集配郵便局)。
- 宮古郵便局:906-00xx(宮古、大口事業者は906-85xx、906-86xx、906-87xx)、906-01xx(城辺)、906-02xx(沖縄上野)、906-03xx(下地)、906-042x(池間)、906-05xx(伊良部)
[編集] 電話
宮古島のうち旧平良市内は復帰前から自動ダイヤル化(旧市内に限り)されていたが、それ以外の地域の自動ダイヤル化は1976年の沖縄本島との海底ケーブル開通とほぼ同時に行われ、同時に沖縄県内や日本本土との市外通話も可能になった(それまでは現在では自動コレクトコールの番号である「106」などをダイヤルして交換手に頼まなければ通話ができなかった。これは逆に他地域から宮古島市へかけるときもそうだった)。
市外局番はダイヤル化当初数年間は平良市の宮古島内のみ09807で、池間島は098075、下地町と上野村は098076、城辺町は098077、伊良部村は098078と別々だったが、1983年頃に多良間村(当初は098079)も含め09807に統一された。さらに2002年12月には電話会社の新規参入で市内局番1桁では逼迫する恐れが出てきたため市外局番を現在の0980となり(多良間村も含む)、市内局番が従来の70番台に加え、60番台も使用可能になったものの未だに60番台は使用していない。また単位料金区域(MA)は多良間村を含め沖縄宮古MAであり、同じ0980を市外局番にもつ沖縄本島北部(名護市以北)の名護MAや石垣市などの八重山MAへは同じ局番でも市外通話となり、市外局番からダイヤルすることになる。長年同じ沖縄県内の沖縄本島や石垣島とはかなり距離があるため、通話料金もかなり割高だったが1980年代後半にようやく沖縄県内の市外通話料金が特例で隣接扱いとなり、沖縄本島や石垣島などへ通話料金は日中3分20円(10円で話せる時間は1分半、公衆電話は1997年より42.5秒)となった。
- 宮古島市内の市外局番の変遷
- 平良(池間島を除く) 09807-X(1976~2002)→0980-7X(2002~)
- 池間島 098075(1976~1983)→09807-5(1983~2002)→0980-75(2002~)
- 下地・上野 098076(1976~1983)→09807-6(1983~2002)→0980-76(2002~)
- 城辺 098077(1976~1983)→09807-7(1983~2002)→0980-77(2002~)
- 伊良部島(下地島も含む) 098078(1976~1983)→09807-8(1983~2002)→0980-78(2002~)
※沖縄宮古MA全域で1990年代以降、市内局番の空き番号である「4」(現在は「74」)が使用可能になり、下4桁の加入者番号の頭1~2桁で使用地域を分けている。
※平良地域は1990年代以降、従来の市内局番2または3(現在の72また73)が満杯になったため池間島向けの市内局番の5(現在の75)が使用可能になった(ただし加入者番号は3000~9999)。また市内局番72のうち加入者番号5000番台は宮古島北部の字狩俣と島尻、大神島で使用されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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