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電気グルーヴ - Wikipedia

電気グルーヴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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電気グルーヴ
(DENKI GROOVE)
出身地 日本
活動期間 1989年 -
ジャンル テクノ
レーベル SSE
(1990年)
ソニー・ミュージックエンタテインメント (トレフォート)
(1991年)
キューンレコード
(1992年 - )
メンバー 石野卓球 Vo., Sampling
ピエール瀧 Vo., Sampling, Taki
旧メンバー 若王子耳夫 G., Strings
(1989年 - 1990年)
高橋嵐 Systems
(1989年 - 1990年)
CMJK Sequencer, D.J.
(1990年 - 1991年)
砂原良徳 Programming
(1991年 - 1999年)

電気グルーヴ(でんきグルーヴ、DENKI GROOVE)は日本テクノ・ユニットである。

1989年石野卓球を中心に結成。1991年、シングル『RHYTHM RED BEAT BLACK / TMN VS 電気GROOVE 』でメジャーデビュー。その後、アルバム『FLASH PAPA』で本格的にデビューした。シングル「N.O.」や「Shangri-La」などのヒット曲で知られる。また、各種テレビ番組やラジオ番組への出演でも活躍している。度重なるメンバーチェンジを経て、現在のメンバーは石野卓球ピエール瀧の2人。キューンアーティスツ所属。

当人たちは一貫して自分達を「電気」と略している。デビュー当初はメンバー自ら「DG」とも称したが、定着には至っていない。そのほかに「電G軍団」、「電気ちゃん」などがある。世俗的に「電グル」と略される場合も多くあるが、これはメンバーやファンにとっては敬遠されている略称である。

ユニット名表記のゆらぎについて、公式なものとしてJASRAC著作権者登録名である電気グルーヴ、英語圏での一般表記DENKI GROOVEの他に、頻度は低いが電気GROOVE(初期のグッズなどに見られる)がある。 電気グルー、電気グルーは誤りである。

目次

[編集] 概要

テクノを中心とした電子音楽による楽曲を音楽的特徴とするバンド。 結成当初はボーカルスタイルにラップの方法論を取り入れていた為、ヒップホップグループに分類される事も多かったが、1993年のアルバム『VITAMIN』のリリース以降、より純粋に電子音楽を主体としたスタイルへと移行する。その頃より国内での活動と並行し、海外でのリリースやライヴ活動も精力的に行う。そのため評価は国内だけでなくヨーロッパ圏のテクノ・シーンでも高い。 一方、前身となったインディーズバンド人生に代表される、かつてのナゴムレコード周辺の「ナゴム系」バンドの傾向・特徴も受継いでおり、特異な歌詞とパフォーマンス、発言の数々は音楽性と並んでサブカルチャー的な支持を集めている。国内では逆にそういった部分を苦手と言われる場合もあるが、一方で石野卓球が細川ふみえ篠原ともえをプロデュースした際はかわいらしい歌詞や、最高売り上げ記録を持つシングル「Shangri-La」などの、彼らの普段とは方向性が異なる曲もある。

現在はソロ活動も精力的に行っている。石野卓球は主に音楽面、ピエール瀧は主に映像面で活動している。タレント業とソロの方向性が違っており、それぞれ特異な才能を発揮している。

石野は前述の篠原ともえのプロデュースや、プレイステーションのゲーム「攻殻機動隊」でのBGMなども制作するなど活動の幅は広い。 また瀧は映画「ステレオフューチャー」や「ローレライ」で重要な役柄を演じたり、漫画雑誌週刊少年チャンピオンで連載していた「樹海少年ZOO1」の原作を担当する(作画は漫☆画太郎)など、こちらも幅広く活動している。

[編集] メンバー

最初に結成を呼びかけ、主に音楽的な方面でイニシアティブをとるのは石野だが、メンバーが三人以上在籍する当時から、バンドのリーダーを瀧とする場合と石野とする場合と、その時々によって宣言は適当である。特にデカくて目立つという理由からか、TVのバラエティ番組等では瀧をリーダーとして紹介する場面も多々見られた。

[編集] 過去在籍したメンバー

[編集] 砂原良徳

砂原良徳」の項を参照のこと。

[編集] 若王子耳夫

石野や瀧と同じく、前身バンド「人生」から電気グルーヴに参加したメンバー。ギターとストリングスを担当。ベースも弾く。かつて「人生」ではボーカルも担当しており、フロントメンバーのひとりであった。代表曲「耳夫サンバ」は「人生」やナゴムレコードのファンだった初期のスチャダラパーもサンプリングしていた。瀧とは「悲しい」という別ユニットも結成し、大槻ケンヂ率いる「まんが道」のステージにも参加したことがある。電気結成から間もない頃に宝島社から発売されていたビデオマガジン「VOS」の連載企画「電気グルーヴ的こころ」には石野、瀧、耳夫の元「人生」の三人で出演していた。電気の初代ギタリストとしては吉沢が(一時的とはいえ)先に在籍していた経歴があるため、この「電気グルーヴ的こころ」では二代目ギタリストとして紹介されている。高橋と共に「662 BPM BY DG」の発表と同時期に電気を脱退した後は、ナゴム時代の同僚バンド「死ね死ね団」に加入しての活動を経て、さらに「Badge714」に参加する。現在は、330 mimio名義で、CUBISMO GRAFICO FIVEにギタリストとして在籍。

[編集] 高橋嵐

結成当初の電気グルーヴに在籍した。プログラミングを担当。高橋0777、Nobuo・A・Takahashiの名でクレジットされている場合もあった。本名は高橋コウジ。石野からは高橋ブタオとも呼ばれる。「662 BPM BY DG」発表後に脱退したが、その後もRobot Compo、タカハシテクトロニクス、T2、ミュートロン、PALOMATIC等、複数名義で精力的に活動。トランソニック、SYZYGYなどのテクノレーベルでのリリースや、自身もmicrobe recordingsを主宰した。1993年にはYMOのトリビュートアルバム「Who's YMO - Remade In Japan 再日本製」にも参加し、「Insomania」を独自の解釈でカヴァーした。アンビエントやチルアウト、ブリープ、エレクトロニカ系の音作りを行う。リル・ルイスによるハウス初期の傑作「フレッチ・キッス」曲中の喘ぎ声に合せて自慰をするなどの特技も。その他『ハブラシの柄の部分を肛門に挿すと気持ちいい』という情報を耳にしたものの、誤ってブラシの部分を突っ込んでしまい、抜けなくなって散々な目にあったという伝説を残しており、電気ファンにとっては高橋=ハブラシという印象が強いが、実は808ステイト来日公演のフロントアクトも務めた経験あり。

[編集] CMJK

テクノバンド「Cutemen」での活動を一旦終了し、耳夫と高橋が脱退した後の1990年に電気グルーヴに加入。電子楽器のプログラミングと作曲を担当した。本名は北川潤。CMJKの名前は電気グルーヴ加入後につけられたものである。石野卓球、ピエール瀧と同じく芸名で活動することを要求された事から、しぶしぶ考案し名乗るに到ったという。そこで尊敬するDJ「カット・マスター・スウィフト」に肖り「カット・マスター・ジュン・キタガワ」、略してCMJKとした。現在もこの芸名は使用され続けており、今となっては本名よりもこちらを好むという。これがもし考え付かなかったら、メンバーから「ゲンゴロウマル」という芸名がつけられるところであった。アルバム「FLASH PAPA」発表後は電気グルーヴを脱退。その理由に冠しては、当時マスコミによってメンバーとの不仲説などいくつかの心無いネガティブな憶測が囁かれていたが、実際のところは人気グループの一員として楽に活動し、定期的に印税を受け取り、既成のロックバンド的プロセスを踏んでいく事に対し疑問を抱いた結果、いちダンスミュージック・プログラマーとして折り合いをつけた末の決断だったとファンクラブの会報では語っている(ちなみにマスコミ向けに行った脱退会見では、全裸で会見に臨んだ卓球と瀧をバックに「もうこんな奴等とはやってられません」とコメントしている)
このあとピコリンとCutemenとしての活動を再開し、さらに元M-Ageの梶原裕司と共にConfusionを結成。それと同時にゴッサムシティ、CT.SCAN、ALEX, incの変名でも活動。石野や砂原と共に1990年代のジャパニーズテクノシーンの一翼を担う。「キーボードスペシャル」誌での連載「CMJKのグルコン」は、砂原良徳による「まりんのキーボードスペシャル」と並んで、若手クリエイターに支持された。
バンド活動終了後は膨大な数のアーティストのプロデュースや作曲、アレンジを続けている。その主な顔ぶれは浜崎あゆみ佐野元春少年隊PENICILLINV6ユースケ・サンタマリア猿岩石キャイ~ン篠原ともえKICK THE CAN CREW東京パフォーマンスドールFLIP-FLAP片瀬那奈、「マクロスプラス」(サウンドトラック参加)など多数。自身のクラブイベント「BOO」でもDJとして活躍している。バンドを脱退したものの現在もメンバーとの付き合いは続いており、電気グルーヴ10周年企画アルバム「The Last Supper」にも参加した。

※この他にも吉沢、K太など一時的に在籍したメンバーも複数存在する。なおサポートメンバーであるDJ TASAKAKAGAMIに関しては「電気グルーヴと関わりの深い人物」の項目で後述する。

[編集] 略歴

  • 1989年にそれまでナゴムレコードで活動してきたインディーズ・バンド「人生」を解散させた石野は、同バンドに参加していた瀧を誘い電気グルーヴを結成(当時の石野直筆による挨拶文には『「人生」の大幅なメンバーチェンジに伴い「電気GROOVE」とバンド名を改名する』ともある)。当初のメンバーは石野(ヴォーカル・プログラミング)、瀧(瀧)、若王子耳夫(ギター)、高橋0777(アラシ、プログラミング)の4人(吉沢、DJ・K太も含める場合もあるがこの2人は本格的に参加をしていたわけではない)。
  • 1990年6月25日にインディーズのSSEレーベルからアルバム「662 BPM BY DG」をリリース。同時期に石野、瀧、CMJK(プログラミング)の3人にメンバーを一新する。
  • 1991年2月1日TMNのシングル『RHYTHM RED BEAT BLACK [Version 2.0]』のカップリング曲『RHYTHM RED BEAT BLACK [Version 300000000000](三那由他ヴァージョン)』でメジャーデビュー。これは木根尚登のラジオで流れた電気の曲を、たまたま聴いていた小室哲哉が気に入って企画されたものである。電気曰く、「虎の威を借る狐作戦」で大ヒットしたが、石野は当時から小室を内心小バカにしていたそうで、小室所有のフェラーリに自分の性器を押し付け、「ここから腐るぞ」と語ったという。その後も石野は小室の作るユーロビートの路線に一貫して否定的態度を示していた。
  • 同年4月10日にメジャーデビューアルバム「FLASH PAPA」リリース。その後同年6月にCMJKが脱退。かねてから付き合いのあった良徳砂原(よしとく・すなはら。のち砂原良徳、愛称:まりん)が加入し、ライヴを主とした活動を展開する。当初の彼等は「ハウスラップ・ユニット」という触れ込みであり、ナンセンスで過激なラップ歌詞をハウス・サウンドに乗せる手法を取っていた。
  • また同時期より、石野と瀧がニッポン放送の『オールナイトニッポン』土曜2部のパーソナリティを担当。ギャグセンス巧みな2人のトークと毒舌、狂った企画が一部の屈折したリスナーに大人気に。また「お薦め」コーナーで石野が紹介した最新の海外テクノ・トラックの数々は、リスナーにテクノの種を植え付けることになる。1992年10月に火曜1部に昇格後、1994年3月まで担当した。
  • 1993年12月1日にアルバム「VITAMIN」リリース。石野が当時旅先のイギリスで体験したアシッド・リヴァイヴァルの衝撃を初期衝動に制作されたこのアルバム以降、それまでのギャグ路線は影を潜め、電気は本格的なテクノに挑戦し始める。このアルバムはこの頃から日本でも盛り上がるテクノ・ブームともシンクロして好セールスを記録し、日本のテクノ・ブームの火付け役とも評されるようになる。
  • 1994年には、ポンキッキーズに瀧がレギュラー出演。電気として番組に楽曲『ポポ』を提供する。このあたりから、一般的な知名度もあがり始め、瀧はテレビ・タレント活動も多く行うようになる。
  • 1994年8月1日企画アルバム「DRILL KING ANTHOLOGY」リリース。
  • 1994年12月1日アルバム「DRAGON」リリース。このアルバムに収録された『虹』はドイツのMFSレーベルからもシングルとして発売され、電気グルーヴが海外でも活動する足がかりをつくった。
  • 1995年8月2日ボックスセット「PARKING」をリリース。電気グルーヴとしての名義になっているが、メンバーそれぞれのソロ作品をパッケージし、特別リミックスシングル等を追加したものである。この年はバンドとしての活動は少なく、各自のソロ活動が盛んな年だった。
  • 1996年3月1日各自の充実したソロ活動を経て、久々にアルバム「ORANGE」をリリース。だが、後にメンバーいわく「電気が世間になめられていた時期」と話す。初期電気グルーヴのスタイルを真似た宇宙犬なるバンドがメジャーデビューを果たし、メンバーを憤慨させる。
  • 1997年3月21日に発売されたシングル『Shangri-La』は当初は売れなかったものの、同年5月頃からオンエアされた日産・テラノのCMでタイアップ曲として起用され、それをきっかけに徐々にセールスを伸ばし、ついに同年7月にはオリコン週間ランキングトップ10にランクインを果たした(余談だが、電気グルーヴの当時の事務所に日産自動車からヒットの祝いとしてテラノが1台プレゼントされたという)。ダンス・ソウルの名曲『Spring Rain』(Silvetti)のストリングス・フレーズを大胆に取り入れた、電気グルーヴにおいては珍しいラヴ・ソングである。
    また、同年5月14日発売のアルバム『A(エース)』はメンバー3人の個性が高次元で融け合った最高傑作との誉が高い。最終的にはシングル・アルバム共に50万枚近く売り上げ、電気グルーヴは一般の音楽リスナーにも広く知られるようになる。『Shangri-La』発売から『A』、アナログEP『あすなろサンシャイン』、ライヴツアー『野球ディスコ』までの一連の活動は、メンバーより公式的に『Aプロジェクト』と名付けられている。
  • 1999年、突如砂原良徳が脱退。以後現在まで石野、瀧の2人での活動となる。同年、石野自ら主宰するレイヴイベント「WIRE(ワイアー)」が始まり、電気自体も参加。
  • 2000年、砂原脱退後初のアルバム「VOXXX」リリース。アルバム制作とライヴ・ツアー「ツアーツアー」サポートメンバーとしてDJ TASAKAKAGAMIが参加。同年7月にこの「ツアーツアー」の模様をスタジオで編集したライヴ・アルバム「イルボン2000」をリリース。
  • 2001年に2枚組セルフ・トリビュート・アルバム「The Last Supper」をリリース後、9月に行なわれた「WIRE01」でのライヴを最後に、NHK-BSの特別番組内にて電気グルーヴの活動休止を宣言。ただしこれは文字通りの「休止」であって、解散を意味するものではなかった(※「休止」中の最中にも、全身を隠し尻だけ露出して「電気グルーヴ、尻だけ復活」する案や、石野と瀧が脱退して新たに加入させた別人だけで復活するという案もあったが、結局実現せず)。
  • 2004年3月に3年の沈黙を破って新曲を含めた初のベスト・アルバム「SINGLES and STRIKES」を発表、7月に行われた「WIRE04」で本格的に活動を再開。12月にDVD「ニセンヨンサマー~LIVE&CLIPS~」発売。
  • 2005年4月からは「電気グルーヴ×スチャダラパー」としてスチャダラパーとのコラボレート開始。J-WAVE2005年春のキャンペーン・ソング『Twilight』を発表。6月にはセカンド・シングル『聖☆おじさん』、フル・アルバム「電気グルーヴとかスチャダラパー」発売。8月にはSUMMER SONIC'05、RISING SUN ROCK FESTIVAL'05 に出演(なお公式発表はないものの、2006年初頭に当ユニットの解散式を内々で行ったことが、いくつかの雑誌記事内で触れられている。だが、同年10月14日の「Big Connect'06 PART2」の電気のライヴにスチャダラがシークレットゲストとして登場。再び電気×スチャとして共演を果たしている)。また、瀧に第一子が誕生。石野いわく「バカ親」と評するほどの溺愛ぶりを「メロン牧場」において披露した。
  • 2006年7月岡本太郎の壁画「明日の神話」復元後の除幕イベントにライヴアクトとして出演。また、その様子を生放送で伝えた日本テレビの特別番組では「弾けないギターを弾くんだぜ」のリミックスバージョンがOPテーマに採用された(これを使用した映像とクロスオーバーするかたちで本人らが登場)。これ以降「LIQUIDROOM 2nd ANNIVERSARY」のワンマン公演、「フジロック・フェスティバル’06」、「Big Connect'06」等でのライヴより本格的な活動を再開する予定。現在、ニューアルバムを準備中である。ちなみに、これまでのライヴではアンコール演奏を一切行わないスタンスの電気だったが、「LIQUIDROOM 2nd ANNIVERSARY」の公演では「この歳になるとアンコールやらない方がかっこ悪い」という事でファンの声援に応えていた。このライヴのリハーサル期間中、無理な体勢(「レギュラー西川くんの失神のポーズ」)のまま寝てしまった石野は齢40歳を目前にして四十肩に。

[編集] 作品

[編集] CD

[編集] アルバム

[編集] シングル

[編集] レコード

※電気グルーヴとして初の12インチシングル。DRILL KING ANTHOLOGYから瀧勝「人生」のハードフロアリミックスをシングルカット。カップリングは石野による「新幹線」と砂原による「Popcorn」のそれぞれ録り下しリミックスを収録。本来は瀧勝とのスプリットシングルと言う事になるが、海外展開をも見越してか「DENKI GROOVE」名義のシングルとなっている。

※アルバム「DRAGON」からのシングルカット。三曲のインストナンバー(エディットがアルバムバージョンと多少異なる)と未発表曲「DINOSAUR TANK」を収録。

※ドイツのレーベル「MFS」からリリースされたシングル。石野とも交流の深い親日派のクリエイター、マイク・ヴァン・ダイクとポール・ヴァン・ダイク、The Positive Thinkingのリミックスを収録。マキシCDシングル盤も存在するが、こちらは若干内容が異なる。海外における電気の活動展開のきっかけをつくった。MFSからのリリースのきっかけは、トビーネイションがマイク・ヴァン・ダイクに虹を紹介したことがきっかけである。

※「MFS REMIXES」に続いて発売された「虹」リミックス第二弾。Go=Ten Forward、Commander Krilly、そして日本人のDJ TOBY(当時ドイツ在住)のトビーネイションによるリミックスを収録。DJ TOBYはともかくとして、リミキサー達は日本における電気のパブリックイメージを知らないだけに、全く既成概念とらわれない解釈は新鮮である。こちらもやはりマキシCDシングル盤が存在する。

ボアダムス山本精一の別プロジェクト「想い出波止場」とシカゴ・ハウスの狂人王カジミアによるGreen Velvetのリミックスを2ヴァージョン、そしてアルバムから「反復横とび」の徳光和夫ナレーション無しバージョンを収録。当初は「誰だ!」のGROOVE YARDリミックスも収録する予定だったが、出来がイマイチだったので見送られることに。後にタイアップの関係で急遽CDシングルカットが決定した「誰だ!(RADIO EDIT)」に収録された。ちなみにこのシングルから国内のアナログ盤はFILE RECORDSの販売となる。アルバム発売直後にシングルカットが予告されていたが、諸々の手際の悪さから相当長い間の延期状態が続き、ファンをヤキモキさせた。

※DJ MISJAH、LAIDBACK LUKEの海外勢のリミックスと石野、砂原によるセルフリミックスを収録。ちなみにLAIDBACK LUKEは当時大学に在学中で「試験があるから締め切りを待ってくれ」とのお願いがあったらしい。

※「虹」リミックス第三弾。Talla 2XLCとJay Rayによるリミックスと、Maydayで演奏された電気のライヴPAを収録。特に電気自身のライヴバージョンは海外での活動を伝える貴重な音源としてだけでなく、「虹」のベストテイクとの呼び声も高い。ただし、このシングルは前二作とは異なりCD盤が発売されておらず、プレス数も少なく、日本国内への逆輸入もわずかだった。

  • あすなろサンシャイン(TAKKYU ISHINO RECONSTRUCTION)- 1998年9月30日

※上記リミックス盤とは異なる内容。電気がドイツのMayday参加に際してコンピ盤に提供した石野によるニューリミックスをシングルカットしたもの。石野のレーベルLOOPAからのリリースとなった。キャプテン・ファンクのリミックスも収録している。

※同名CDのアナログ盤。「Niji (RMX for Wire 99)」はCDではショートエディットたものがフルバージョンになっている。

  • ジャンボタニシ/密林の猛虎打線- 2000年※非売品

※プロモ盤。CDのみ発売の「Nothing's Gonna Change」のプロモ盤EPも存在した。

※「The Last Supper」の発売に先駆け10周年記念企画として三ヶ月連続で発売された12インチシリーズの第一弾。過去のリミックスアルバムの未発表テイクや、新たに製作されたリミックスなどで構成されている。Thomas Schumacher、Korsakov、そしてKAGAMIが参加。

※Popsoda、Sensorama、KAGAMIのリミックスを収録。

DJ TASAKA、Overrocket、そして電気によるセルフリミックスを収録。

  • DRIL KING GOLDEN HITS vol.4- 2001年 ※非買品

※コーネリアスのリミックスや電気のセルフカヴァーを収録。プロモ盤のみしか存在しないこのvol.4だが、収録曲自体は「The Last Supper」に入っている物と同じである。

※Lexy & K-PaulとPopsodaのリミックスが収録されたヨーロッパ盤。前者のリミックスはWIREのコンピレーションにも収録されている。

※「The Last Supper」からシングルカット。ジャケットはYMOの「ソリッド・ステイト・サバイバー」のパロディである。

[編集] VHS

  • 電気GROOVEのしっかりノろうぜ - 1992年※非売品
ヤマハの50ccバイクの教習用ビデオ。そのナビゲーター役を何故か電気グルーヴが担当(当時ヤマハJOGの雑誌広告に電気グルーヴが起用されていた)。基本的に非売品で、バイクショップの店頭で原付免許受験者向けに貸し出ししていた。KARATEKA当時の電気の映像資料として貴重である。ちなみに石野は免許をもっていない。
初のライヴ・ビデオ。全国鼻毛あばれ牛ツアー武道館公演の映像がメイン。
野村ツアーの模様を収録したライヴ・ビデオ。初回限定盤のみCGクリップ集「シミズケンタウロス」との2本組。ちなみにジャケットの半人半馬の人形のモデルは当時プロモーターを務めていた「ゲロモーター(=酔ってゲロを吐くプロモーター)」こと中山道彦(現キューンレコード社長)。
同タイトルのツアーの模様を収録したライヴ・ビデオ。『Shangri-La』のPVも収録。
電気グルーヴ・石野卓球・ピエール瀧のPV集。DVDでも発売されている。
WIRE04、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2004のライヴDVD。「カフェ・ド・鬼(顔と科学)」、「弾けないギターを弾くんだぜ」、未発表曲「Mr.EMPTY」のPVも同時収録。キャットファイトに関する発言を残している石野が女キャラと殴り合っているなど業の深い仕上がりとなっている。このPVは全編手描きアニメーションとなっており、天久聖一が三週間をかけてひとりで作画した。実はもう一曲「中年パンク」という新曲も堂々収録される予定だったが、諸般の事情で『お蔵入り』となった。本編の内容から話が逸脱しまくりの石野と瀧による副音声オーディオコメンタリーは必聴である。

[編集] 他アーティストへの提供作品

02:Showgi Master
阿部がユニコーン時代にリリースしたシングル。まだバンドとして活動中にメンバー全員がそれぞれに製作したソロシングルを発売するといった企画だった。その中で電気グルーヴ(瀧&石野)はカップリング曲の作詞を担当。棋士を目指す妖怪の姿を描いた内容。そもそもはラジオ放送内で電気がユニコーンのファン、とくに阿部をリスペクトしていると発言した事が切っ掛けとなった。砂原は参加していないが、発売当時の雑誌企画で感想コメントを残している。
  • YMO 『TECHNOPOLIS 2000-00』- 2000年
02:テクノポリス TECHNOPOLIS(Denki's Techtropolis-RMX) Remixed by 電気グルーヴ
13:アブソリュート・エゴ・ダンス ABSOLUTE EGO DANCE(Denki's Eisa-RMX) Remixed by 電気グルーヴ ※アナログLP盤にのみ収録
前作『TECHNOPOLIS 2000-01』に収録の砂原良徳(既にグループを脱退)のリミックスに続き、続編にあたる今作では電気グルーヴとして二曲を提供。
当アルバムのコーディネーターは単行本「電気GROOVEお兄さんのお仕事いろいろ」や雑誌連載「濡れてシビれて」を手掛けた吉村栄一氏。彼のコメントによると、石野はこの仕事を以来される以前から、YMOリミックスに対する確固としたヴィジョンを持っており、満を持して完璧なかたちで日の目を見る事となったという。この二曲以外にも「The Last Supper」初回限定版ボーナス音源としてアウトテイクの「TECHNOPOLIS(Denki's electropolis-remix)」が特別収録された。
石野のソロ名義でのリミックスは数多く存在するが、電気グルーヴ名義としては極めて珍しい。これ以前は(扱いとして「リミックス」かどうかは微妙だが)1991年のTMN「RHYTHM RED BEAT BLACK」にまで遡る。

[編集] 書籍

  • 俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ(1992年、宝島社ISBN 4796603468
    まだぎりぎりサブカル誌だった「宝島」誌上で連載されていた企画「脳が溶ける奇病」の内容を下敷きに、大幅な加筆と再編集を加えた一冊。石野、瀧、砂原の生い立ちから、アルバム『UFO』リリース前後までを、虚実織り交ぜて綴られた書き下ろし単行本。内容としては意図的な乱丁、文章の乱れ、嘘のディスコグラフィー、単発本にもかかわらず読者コーナー、無意味な割引券などの狂った演出に、根本敬岡崎京子井上三太、そして天久聖一の漫画が華を添えている。彼らの家庭環境からアマチュア時代までを振り返ることのできる興味深い資料である。特筆すべきは巻末のディスクレビューで、彼らが影響を受けたであろうテクノニューウェーブからプログレッシブロックの名盤が、ジャケット写真と共に数多く解説されている。当時これらのジャンルを総括する書籍は例がなく、重宝された。執筆には静岡時代からの盟友野田努が参加。この本とほぼ同時期にリリースされた「人生」ベスト盤のレヴューも「こくそ虫(狂人鬼)」名義で担当している。余談ではあるが、野田の実弟は「人生」の元メンバー(当時の芸名は「くちづけ」)だった。
  • 電気グルーヴ“KARATEKA”マガジン(1992年、ソニー・マガジンズ
    タイトルが示すとおり、アルバム「KARATEKA」に合わせ発売された大判ムック本。他の電気関連書籍に比べてグラビアページが多く、ヴィジュアル中心の内容だが、文章も充実している。石野の「メリーノイズ」としての初ステージから当時の電気の活動までを貴重なスナップ写真と共に振り返る「KARATEKAそして鼻毛あばれ牛への道」は、上記の「俺のカラダの~」と合せて読むことで、電気の歴史をより深く知ることができる。
  • 電気GROOVEお兄さんのお仕事いろいろ(1994年、ソニー・マガジンズ)ISBN 478970906X
    石野、瀧、砂原の3人が世にある様々な職業をいわゆるコスプレをしながら紹介する、低学年向け書籍を模した本。体裁は文庫本。『テクノ・ユニット』の項では「テクニックがないというコンプレックスは強く、なにかというと「センス」を強調したがります。」と、自嘲的に表現している。また、『タキ』も職業のひとつとして取り上げられている。後にメンバー自ら「なんで出たのかわからない本」と振り返る。
  • 電気グルーヴのメロン牧場 花嫁は死神(2001年、ロッキング・オンISBN 4947599936
    「ロッキング・オン ジャパン」、「BUZZ」誌で1997年からの長期連載を、2001年までの時点で約四年半分(+ボーナストラック)を一冊にまとめたもの。ちなみにこれ以前に「R&R NEWS MAKER」誌で連載されていた「濡れてシビれて」(石野いわく「メロン牧場とほとんど同じ内容の連載」)の単行本化の告知が存在したのだが、こちらは現在に到るも刊行されていない。

[編集] ゲーム

ソニー・ミュージックエンタテインメントからプレイステーションで発売された。
電気グルーヴがプロデュースした作品。自らゲームのジャンルを「クソゲー」と名乗っている。オールナイトニッポン二部時代から構想されていた物が実現したともいえる一本。ひたすらバイト(ミニゲーム)に勤しみ、溜めたお金でガチャガチャで音素材をゲットする。その音素材を組み合わせて曲を作る事ができるという内容。ゲーム部分を瀧、音部分を石野&砂原がプロデュースしている。VOXXXの一曲目「地獄に堕ちろ電気グルーヴ」はこのゲームの音素材をサンプリングして作られた。
プレイステーション・ポータブル用ソフト。
ピエール瀧がプロデュース。「グルーヴ地獄V」のバイト・ゲーム部分のみを再構成。

[編集] ツアー・ライヴタイトル

電気グルーヴのライヴやライヴ・ツアーのタイトルにも変遷がある。以前は毎回凝ったインパクトのあるものばかりだったが、「野村ツアー」以降はひねらないシンプルなものになっている。

  • 仏恥義理(ぶっちぎり)TECHNO GROOVE TOUR
  • うんこわしづかみ/うんこもりだくさん 東名阪クアトロ2days
  • 第6回野糞探し大会
  • 2階からぎょー虫ぶらさげおじさん(浅草キッドとのジョイントライブ)
  • 全国鼻毛あばれ牛ツアー(当初「全国し尿食べある紀ツアー」としていたが、新聞広告が打てないということで却下される)
  • ドキッ!男だらけの女相撲大会
  • Kicking Noise Of DENKI GROOVE~超巨大ダンプ豚グソ号発進ツアー
  • 汚物処理班緊急出動!
  • 野村ツアー
  • 下痢便発電所 異常なし'83(実際は1994年に開催)
  • たんぽぽツアー
  • 10th Anniversary~野グソ飛ばし大会
  • ツアーめがね
  • 歌う糞尿インターネット攻略本
  • TOUR 野球ディスコ
  • ツアーツアー

[編集] 出演

[編集] テレビ

  • ファンキートマト(1991年頃、TVK

高城剛、チエコ・ビューティ等とメインMC担当。

本来はレコード会社によって「電気グルーヴ」というバンド自体をプロモーションするためのアーティストビデオ的な30分番組作品であった。同時期に電気と共にキューン・ソニーに所属していたスチャダラパーも「スチャダラ30分」という番組を制作している。これらは各地のレコード店にVHSソフトのかたちで配布され、店頭で流される事を目的としていたが、のちに一部の民放TV局でもオンエアされている。電気と親交の深い中京テレビの苅谷氏のデレクションのもとに名古屋ロケで製作された。構成は電気たっての希望で、当時「夢で逢えたら」や「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」で東京進出を始めた頃の高須光聖氏を起用。高須氏も電気との対談というかたちで番組に出演している。冒頭にはダウンタウンもちょっとだけ登場。もともと石野は熱狂的なダウンタウンマニアであり、大阪時代より独自の情報網を駆使して「4時ですよ~だ」などの番組VTRを入手していたほどだった。その後も電気は「ごっつええ感じ」等、多数の番組にゲストとして出演しており、瀧は高須氏ともプライベートで親交が深い。
  • 今田・東野の前戯なき戦い! VS 電気GROOVE(1993年、朝日放送
関西ローカルの深夜枠「フリーチャンネル」で放送された今田耕司東野幸治司会の特番第二弾。初回では今田と東野の対決という構図で展開されたが、続編である今作では東京から電気のメンバー三人を向え、今田・東野(+人数あわせに山田花子)と数々の過酷なバトルと罰ゲーム(知らないおじいさんが裸足で踏んでついた餅を食べさせられる等)を演じた。今田・東野といったツワモノを相手に、芸人としても優れた才能を発揮していた当時の電気の活動の極北として、マニアの間で伝説となっている番組である。この番組の収録で大阪に訪れた際には、その日の夜に同局のラジオ番組「ABCミュージックパラダイス」にもゲスト出演。ヘトヘトになりながらも昼間の収録でボルテージの上がっていた石野は、このとき実に饒舌で「女を殴るミュージシャンは日本で俺と坂本龍一だけ」などの名言を残した。当時は「FLASH PAPA MENTHOL」、「VITAMIN」へと硬派なテクノ路線に傾倒していく一方で、「ダウンタウンのごっつええ感じ」における「鼻リーグ」でのダチョウ倶楽部とのリアクション芸対決や、「浅草橋ヤング洋品店」における「中華大戦争」のリポーターなど、およそミュージシャンらしからぬ芸人的活動も頻繁に行っていた。なお、当番組は対決パートの他に撮りおろしの今田・東野のコント&歌(「親父の唄」)と電気のライヴ映像が挿まれた。とくに電気のライヴはCDに収録されていないバージョンのアレンジ(クラフトワークなどをサンプリング)で、資料性も高い。ちなみに、当時の今田は「ごっつええ感じ」で東京進出を開始した時期で、東野は関西中心に活動していた。この番組が縁となったわけではないが、のちに石野は彼らによるWEST END×YUKIの「テクノでSO・YO・NA」のプロデュースとリミックスを手がけた。
  • 金曜モグラネグラ 電気グルーヴのパンダの流れ作業∞(1993年、テレビ東京
鈴木慶一田島貴男ローリー寺西(現・ROLLY)、大槻ケンヂなど、曜日ごとに異なるミュージシャンがホストを務めた深夜番組。電気担当の金曜日は「亀甲縛りトーク」などの珍企画が数多く放送された。のちに瀧個人による番組となり、タイトルも「瀧正則アワー なかよし学級」と改められた。

[編集] ラジオ

  • 電気グルーヴのビリビリ行こうぜ(1991年 ニッポン放送
  • 電気グルーヴのオールナイトニッポン(1991年-1994年 ニッポン放送)
    • ちなみに番組放送中に「俺らのオールナイト聞いてる奴らって俺らのだけじゃなくて他の曜日も聞いてるんだろ? 誰のオールナイトが一番面白くて誰が一番つまんねーかハガキ募集しようぜ」といって当時のパーソナリティをランキングしたことがある。自分たちの番組内で募集したのにもかかわらず1位は福山雅治、最下位は裕木奈江だった。その公平性?が評価されたのかどうかは分からないが実際に裕木奈江のオールナイトニッポンは程なくして終了している。
  • 電気グルーヴのビリビリ行こうぜ(1994年-1995年 ニッポン放送)
  • 電気グルーヴのUP's 主は冷たい土の中に(1996年 TBSラジオ
    • '96年4月-9月の水曜UP'sの時間枠は週代わりでさまざまなパーソナリティーが担当したが、電気グルーヴも(少なくとも)4月10日と6月19日に「主は冷たい土の中に」のタイトルで担当している。どちらの回もメンバー三人に加え、月曜UP's担当の伊集院光がゲストとして出演。残念ながらレギュラー番組にはならなかった。
    • 略して「ある土」。タイトルはオールナイトニッポンの番組中でもネタにしたことのある、小学校の音楽の時間に歌わされたスティーヴン・フォスター作の曲名より。
  • 電気グルーヴのドリルキングアワー(1996年-1997年 TOKYO FM
    • FMらしく、以前の番組に比べフリートークと音楽紹介中心の構成。宣伝になっているのかどうかが微妙な新作ゲーム紹介のコーナーもあり。'96年10月18日放送回より砂原がレギュラーとして加わり、三人で放送していた。
  • BINTAN GARDEN『電気的』(1997年6月8日 FM802
    • 一連の『Aプロジェクト』を総括し振り返る特別番組。当時のメンバー3人で放送する予定だったが、収録の直前に砂原が入院した為に欠席となった。
  • TR2 (2003年2月 J-WAVE)
    • 2月のマンスリーパーソナリティとして瀧が起用される。最終週には卓球もゲストとして登場した。冒頭卓球が持参して来たシャンパンを開ける音からスタートし、時間が経つごとに卓球が泥酔。当時は発売を予定していた二種類のアルバムが相次いで発売延期を余儀なくされるというヘビーな状況が続いていた為か、それとも電気として久しぶりのラジオ番組だったからなのか、思いついた単語やダジャレをその場で延々と口にするなど、終始妙なハイテンションでトークを展開。瀧による番組進行をダジャレと愚痴で妨害し、後述のOH! MY RADIO以上にグダグダの放送となった。件の発売延期や諸般の事情でお蔵入りになった楽曲と卓球選りすぐりの珍曲などが多数放送されている。
  • OH! MY RADIO(2005年4月 J-WAVE
    • 電気グルーヴ×スチャダラパーのコラボレーションの一環として、一ヶ月間限定で瀧とアニがパーソナリティーを担当。1stシングル「Twilight」は同局のLiving in Tokyoキャンペーンソングに選ばれていた。終始独特のユルいテンションで放送された。短期間ながらも朝青龍をいじった投稿コーナーが好評を博す。二週目にボーズとシンコ、三週目に石野、そして最終回の四週目はメンバー全員が登場。シングルとアルバムの制作秘話と砂原良徳の近況について語った。番組中でかかった曲の一部は瀧のiPodから直接ポン出しされた物であったという。

[編集] 広告出演

  • ヤマハ JOG(1992年) - 雑誌広告・店頭POPビデオ
  • シチズン ATESSA(1993年) - TV-CM
  • ペプシコーラ(1994年) - TV-CM ※テーマ曲は録り下しのインスト曲。映像にはメンバーが出演。
  • ローランド シンセサイザー JD800、JD990(1994年) - 雑誌広告 ※もともとTB-303、JUNO-106をはじめとし、ローランド党である電気だが、このJD990も『N.O.』の間奏のピアノソロなど多岐に渡って愛用されている。
  • カネボウファッション事業本部 FILA ボディボード(1995年) - TV-CM ※田中秀幸(フレイムグラフィックス)制作のCG映像のBGMとして瀧のナレーションと録り下しのインスト曲提供。
  • 日産自動車 テラノ(1998年) - TV-CM※CMテーマ曲として『Shangri-La』を提供。
  • 赤城乳業 ガリガリ君(1998年) - ノベルティ製作
  • タワーレコード(2001年) - TV-CM,雑誌広告 ※タワレコのセールと「DRIL KING GOLDEN HITS」、「The Last Supper」とのタイアップ。「The Last Supper」ジャケの宇宙人CGキャラが『誰だ』のKAGAMIリミックスに合せて不気味に踊る。

[編集] 電気グルーヴと関わりの深い人物

  • 天久聖一
    正式なメンバーとしては迎えられていないが、天久聖一の存在は電気グルーヴにとって重要なものとなっており、近年その存在感はさらに増してきている。本業は漫画家でCDジャケットやラジオのノベルティグッズのデザイン、ミュージック・ビデオのアニメーション作画を手掛けるが、それ以外にもLIVEに半裸で登場したり、THE・天久聖一withギ・おならすいこみ隊名義の楽曲「モテたくて・・・」(日射病撲滅キャンペーンソング)などでは作詞とボーカル、赤城乳業ノベルティ版「ガリガリ君」では自作のポエム朗読などを担当した。こういったバンドへの貢献的活動と同時に、ゲストとして呼ばれたラジオでうっかり放送禁止用語を発してメンバーやえらい人を困らせたりと憎めない存在である。また、石野卓球は彼の著書の多くに「オビラー」(=帯の推薦コメントを書く人、あるいはそういった職業を指すらしい)として秀逸なコメントを提供している。瀧とは「イボピアス」なるユニットを結成している。
  • 椎名基樹
    石野の中学時代の後輩にして元「人生」のメンバー「ポートピア83才」。「人生」の代表曲「男の中の男」のコーラス担当などが有名である。静岡の伝説のバンド「正露丸X」出身であり、「人生」解散後は自身のバンド「ジェリーボーン」を結成し活動した。また、「オールナイトニッポン」に放送作家として参加。陸上部出身で足腰が強かったので、「深夜の使いっ走り」というコーナーが誕生した。「スイカの差し入れひとつで女性教育実習生を落とした」、「ジェリーボーンのライヴで意気揚々とステージに上がったは良いものの、ボーカルマイクがトラブった事に激怒して出演を中断し楽屋に篭城」、「ボイラー技師の親父はいかりや長介似」、「静岡時代は数々のライヴハウスを締め出され、公民館を中心とした活動を余儀なくされる」など数々の伝説をもつ。のちに「ココリコミラクルタイプ」、「OH!スーパーミルクチャン」、「西川貴教のオールナイトニッポン」など数々の人気番組に関わる。また、天久聖一らと共に雑誌「SPA!」の投稿ページ「バカはサイレンで泣く」を担当。電気の「オールナイト」のDNAを受継ぐ高いクオリティのネタハガキが毎回投稿される長期名物連載である。
  • (世界の)ケン・ニシイ
    本名・西井健一。現在はピエール瀧のマネージャーであるが、その活動や影響、見る者に与える衝撃はその範囲に留まらない。メンバーからは「金の埋まる顔」とも、初対面のココリコ田中直樹には「あれは反則」とも言わしめたほどである。もともとは『オールナイトニッポン』内の『見知らぬ他人の家にお泊り』企画にハガキを応募した一般リスナーであった。だが、実際には彼の家に瀧は泊まらず、後述するリスナー藤崎龍馬の家に瀧ともども何故か西井も泊まらせられるハメに。番組終了以降もその容姿と憎めないキャラクターを買われ、なにかと電気グルーヴのマスコット的存在として親しまれてきた。 『Flash Back Disco』、『ピエール瀧体操30歳』『ピエール瀧の体操36歳』等のPV映像でその姿を確認できる。『電気グルーヴのドリルキングアワー』内にて世界的なテクノクリエイター、ケン・イシイにあやかり(世界の)ケン・ニシイの名を授かる。ピエール瀧製作のDVD『究極ホ乳類ニシイ』ではタイトルにその名を冠する事となった。いっぽう藤崎龍馬は後に渡独し、現在はDJ LYOMAとして主にベルリンのテクノシーンを舞台に活躍中である。
  • ブラボー小松
    本名は小松としひろ。1990年代に朝倉ミツヒロと共にSEXというユニットを結成し活動する傍ら、電気をはじめとしてNOKKOピチカートファイヴのサポートギタリストを担当した。SEX以外にもMUSCLE BEAT、東京スタイルズ、高木完らとの東京ブラボー、ボアダムス山本精一とのGuitooなどにも参加。瀧のソロプロジェクト「ピエール瀧とベートーベン」ではギターベートーベンとして加わった。新幹線のぞみ号の座席シートを運行開始から恐らく日本でいちばん最初に壊したといわれる人物。
  • 三波春夫
    「お客様は神様です」で有名な大衆歌謡歌手。紫綬褒章受章、勲四等旭日小綬章受章、新潟県民栄誉賞受賞。1992年、シングル「ハウスおまんた囃子」で突如ハウス・サウンドを導入。これに関連して開催された"HARUO IN DANCE BEAT"なるライヴイベントにて電気と共演(「ハウスおまんた囃子」等の楽曲の製作そのものには電気は関わっていない)。当日はゲストとして、死んだはずの瀧勝も登場した。そこで勝は春夫に「おまんた囃子」のワンフレーズを伝授されるが音程を外してしまうという、うすら寒いミニコントを披露。春夫サイドの書いたシナリオを瀧が嫌々演じたかたちとなる。この経験は現在でも瀧にとってトラウマになっているという。が、翌日のワイドショー等の報道では電気の活躍の模様は一切触れられなかった。2001年に他界。息子はタレントの三波豊和(万年さん)。
  • 日出郎
    日本テレビ「天才たけしの元気が出るTV」などの番組でも有名な強烈なキャラクターのニューハーフタレント。デビュー当時の電気とは親しく、「オールナイトニッポン」二部時代には度々ゲストとして登場した。1982年にショーパブ「ギャルソンパブ」にてダンサーデビュー。その後は歌手としても活躍する。代表曲はチモ・バヨの楽曲の日本語カヴァー『燃えろバルセロナ』。1990年代初頭の電気グルーヴは新宿二丁目にハマっており、連日連夜、日出郎の店に通い詰めていた。別に彼らがゲイというわけではなく、その場の独特の『キてる』雰囲気と、怖いもの見たさという点で好んでいた模様。電気がラジオやイベントなどの締めの言葉によく使う「なにひとつ盛り上がる事なく~」というセリフは日出郎がショータイム終了時に使っていたものである。ちなみに上記の『燃えろバルセロナ』は当初は石野に作詞依頼が来たものの、当時の歌手としての日出郎は普段のキャラとは正反対のシリアス路線の作品を発表し続けていた為、マジメな歌詞を書いて提出したところ、結局ボツになってしまったらしい。実際フタをあければ『燃えろ~』は当時のバルセロナオリンピック開催に便乗した下品極まりない直球ゲイソングで驚いたと語っている。後に椎名基樹が脚本・シリーズ構成を担当した「スーパーミルクチャン」シリーズでは、オカマの大家を演じている。
  • 萩原健一
    ミュージャン・俳優。電気グルーヴが今最もリスペクトする人物。石野のユニットInKのライヴツアーでは「ショーケントレイン」のカヴァーを披露している。
  • 朝本浩文
    かつてはミュート・ビートでキーボーディストとして活躍。その後は自身のバンド「RAM JAM WORLD」の活動と並行し、電気のセカンドアルバム「UFO」やUAなど数多くのプロデュースを手掛ける。
  • 五島良子
    「新幹線」および「虹」で美しい声を披露した女性ミュージシャン。そもそもは電気と同じキューンソニー在籍(当時)ということで白羽の矢が立ったが、この起用は正解だったらしく、石野も「天使の声」と絶賛している。電気の作品やライヴへの参加だけでなく、石野プロデュースでシングル「TSUKI NO HANA」もリリースした。ボーカリストだけでなく、作曲者としても和久井映見西田ひかる中島美嘉椎名純平高橋真梨子らに作品を提供している。
  • 會田茂一
    通称アイゴン。堀江博久(現・ニール&イライザ)らとのバンド「ACROBAT BUNCH」としての「FLASH PAPA MENTHOL」への参加、「VITAMIN」での「富士山」のギター、そしてEL-MALOとしての「虹」のリミックスなど、様々な形態で電気の作品に関わる人物。事実、石野もインタビューにて「過去に共演したけど、また共演したいミュージシャン」として名前を挙げた事がある。石野や砂原のソロ作品でもギターを披露。砂原とはEL-MARINなるユニットも結成した。現在はEL-MALOの他にFOE、HONESTYへの参加など、数多くの作品で活躍中。作曲とプロデュースを手掛けた木村カエラのシングル「リルラリルハ」のヒットが記憶に新しい。ちなみに上記の朝本浩文の「RAM JAM WORLD」にもメンバーとして在籍していた。
  • 王選手
    王選手といっても王貞治のことではない。通称あっちゃん。元「人生」のメンバーで、瀧と並んで楽器を演奏しないメンバーとして在籍した。もともとはナゴムレコード関連のライヴの客として訪れていたが、中でも異彩を放っていたため、気がつくと演者として舞台に上がる事となっていた。ナゴムきっての怪人物であったが、昼は某有名大学に通う秀才でもあった。初期は「井ノ頭健康」の芸名で活躍したが、のちに「王選手」、「長嶋監督」などへと改名する。主にダンスやコントや奇行、暴れ役、たまにメインボーカルなんかも担当。ライヴ中、自分で投げた消火器にあたって四針縫う大怪我を負い血まみれになったことも。ピエール瀧と組んで「畳ワンちゃんミュージカルショー」も公演。サッカーボールに扮した王選手を瀧がドリブルしながら蹴りまわす内容だった。「人生」だけでなく「筋肉少女帯」や「死ね死ね団」などナゴムの看板バンドのいくつかにメンバーとして加入と脱退を繰り返した。しかし「人生」解散後、電気グルーヴとして1991年に2月に東京タワーで行われた特別ライヴにダンサーとして乱入を試みるが、メンバーには全くの知らない人として無視される。その頃には都内の翻訳会社に入社。後に外資系のソフトウエア企業に転職、さらに脱サラして有限会社を起こしたなど、様々な噂がある。
  • DJ TASAKA
    ヒップホップからテクノに転向した異色のDJ。石野卓球主催のクラブイベント「LOOPA」のレギュラーを務めた他、同名レーベルではサウンドクリエイターとしても活躍。吉本興業の芸人三瓶のCDプロデュースなども手がけた。電気グルーヴの活動には、1999年に行われたスペースシャワーTVの10周年記念イベント「2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」のライヴにサポートメンバーとして関わって以降、アルバム「VOXXX」にはコ・プロデュース的な立場で参加し、続いてライヴツアー「ツアー・ツアー」、WIREでのステージにも上がる。「VOXXX」収録の「エジソン電」、「密林の猛虎打線」などの名曲は、彼の存在なくしては完成しなかったともいえる。電気からは「美白DJ」との異名を授かるが、もともと極端な色白なので特に美白を心がけているわけではない。「ツアー・ツアー」前後に性病を患うが、無事完治した。後述する「DISCO TWINS」のファーストアルバムでは吉川晃司をゲストボーカルとして迎えるが、PV撮影の折には吉川に「動きが固い」とダメ出しを受けていた。
  • KAGAMI
    テクノDJ、サウンドクリエイター。1995年に「Y ep」でフロッグマンレコーズよりデビュー。のちに「DISCO TWINS」を結成するDJ TASAKAと共に、電気グルーヴの活動には「2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」以降のライヴとアルバム「VOXXX」にサポートメンバーとして関わり、砂原脱退後の電気の屋台骨を支える。電気グルーヴももちろん、くるりなどジャンルを問わず数多くの楽曲のリミックスを手がけている。2000年に発表したシングル「TOKYO DISCO MUSIC ALL NIGHT LONG」は大ヒットを記録した。TASAKAとは電気のサポートメンバーとしての共演から発展し、「DISCO TWINS」なるクラブイベントを催す。さらに同名のプロダクションユニットとして活動中である。DJミックスCDや、ゲストに前述の吉川晃司や宇多丸(Rhymester)らを迎えた全編ボーカルチューンによるオリジナルアルバムを発表している。
  • TOKYO NO.1 SOUL SET
    渡辺俊美(G.Vo.)、BIKKE(MC.Vo.)、川辺ヒロシ(Turntable)からなるユニット。ヒップホップをベースとしながらも、文学的な歌詞をライムとも詩の朗読ともつかない独特なスタイルで聴かせるBIKKEのラップが特徴的。インディーズでのいくつかのリリースの後に1994年「ロマンティック伝説」でデビュー。結成は1980年代後半~1990年代初頭と諸説あり。スチャダラパーらと「リトル・バード・ネイション」を結成し、ジャパニーズ・ヒップホップ・シーンの黎明期を切り開いた。電気との直接的な関わりは、近年の電気グルーヴXスチャダラパーでの活動を経た以降、石野と川辺によるInKなど盛んだが、それ以前にも1990年代よりSOUL SETのメンバーは雑誌のインタビュー等で電気に対するリスペクトを表明していた。また、石野も「オールナイトニッポン」での浅草キッドとのサイコロトークの中で、「いま気になる女性タレント」として渡辺の嫁であるタレントのちはるの名を挙げたり、ソウルセットの名曲「ヤード」を自身の連載で大絶賛していた。また、石野、川辺ともに番組開始当初のNHK「ポップジャム」にて、『DJ』と称して変な神輿のような高いところにあるブースにひとりぼっちで置き去り&さらし者にされたという苦い経験を持つ。
  • 小山田圭吾
    ロリポップ・ソニックフリッパーズ・ギターを経て、現在はソロユニットCorneliusとして活動するミュージシャン。和田弘とマヒナスターズのボーカル三原さと志を父に持つ。一見して小柄で華奢に見えるが、三度の笑えない交通事故から生還した鋼の肉体を持ち、女装も似合う。電気とフリッパーズ・ギターは、スチャダラパーなどと共にデビュー当初からポストバンドブームという括りで論じられる事が多く、電気も少なからず良きライバル的に意識していたようで、当時の発言の端々でフリッパーズの斬新な活動姿勢や作品などに肯定的な態度を示していた。「ミュージシャンの歌詞には思い入れが無い」と頻繁に言っていた石野ですら、CMJKとの対談で、「好きな歌詞のミュージシャン」としてフリッパーズギターを挙げていたほどである(ちなみにCMJKはフリクションを挙げていた)。活動当時は自ら「『小学六年生』から『リミックス』まで」と語るほど多岐のジャンルに渡る媒体露出も有名となったが、このプロモーションスタイルは電気やスチャダラパーにも影響を与えている(ただし、電気の場合は『リミックス』から『スーパー写真塾』までで、その後、電気グルーヴが小学六年生に露出した際には中山美穂の楽曲を酷評した)。瀧いわく日本の音楽業界は総て少なからず『小山田の影響を受けている』らしい。砂原は「KARATEKA」発表後に、石野の「いないいない病」の発病などから、一時的に解散の危機に陥った電気の状況を憂いで「まだ電気にとっての『ヘッド博士の世界塔』(※フリッパーズが解散直前に発表し傑作とも評されたアルバム)を作らずに終わるのは勿体無い」と涙ながらに訴え、危機的状況を覆したほどであるという。一方、小山田も自身のラジオ番組内で電気とスチャダラをして『別の学校にいる同じ学年の友人みたいなもの』と発言している。それから「オールナイトニッポン」、「ドリルキングアワー」に小山田がゲスト出演するなどの場面はあったが、音楽活動方面での直接的繋がりは1996年に発表されたCorneliusのリミックスアルバム「96/69」まで待たれる事となる。このアルバムでは石野と砂原がそれぞれ一曲を手がけたが、当初の構想では電気グルーヴとして一曲任されるアイデアもあったという。ちょうどその頃辺りからプライベートにて砂原と親しくなり、一緒にパジャマパーティを開くほどに。同時期に製作された電気の「A」、小山田の「ファンタズマ」は互いに何らかの影響を与え合う作品となったという。これ以降、電気とのメディア上での共演もさらに増え、テレビブロス10周年記念シングルとして「九官鳥 & ヒズフレンズ」を石野と共同制作。スペースシャワーTVの10周年記念イベント「2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」では対バンし、電気の10周年企画アルバム「The Last Supper」、電気グルーヴ×スチャダラパーのシングル「聖☆おじさん」にもリミキサーとして参加した。石野、川辺ら共にホップジャムの「DJブース」に置き去りにされた1人でもある。瀧が愛猫の便所を掃除したまま手を洗わず握った『喧嘩握り寿司』を食らわされた経験を持つ。
  • ケラリーノ・サンドロヴィッチ
    通称ケラ。またはKERA。現在は主に演劇方面で劇作家&演出家としての評価が高い人物であるが、かつては「人生」も所属したインディーズレーベル「ナゴムレコード」を主宰し、石野や瀧を静岡から全国区へブレイクさせた偉大なる人物。自身も「有頂天」、「空手バカボン」として音楽活動を行い、石野にも多大なる影響を与える(「いないいない病」の先輩でもある)。これと並行して当時から劇団「健康」を主宰し、初期の公演では石野と瀧、大槻ケンヂらを演者として起用していた。現在は「健康」を解散し、劇団「ナイロン100℃」をベースに活動している。音楽方面に関しても「有頂天」解散後「ロングバケーション」としての活動を経て、「ザ・シンセサイザーズ」を結成した。ちなみに、外国人名を名乗っているが、生粋の日本人。本名は小林一三という。太りやすい体質である。1991年にクラブチッタ川崎のイベントに電気とともに「ロングバケーション」として出演したが、楽屋で他の出演バンドの喧嘩の嵐に巻き込まれた。その仲裁に砂原が入ったときに発したセリフ「ケラさん、逃げて」は名言として語り継がれている。
  • 宇宙犬
    名古屋のテクノDJ、中原忍らを中心に結成されたユニット。どう聴いても初期電気グルーヴの亜流としか思えないスタイルでオモロテクノラップを展開。電気本体としての活動が半ば休止に近い状況にあった『ORANGE』から『A』への間の時期にメジャーデビューし、数枚のCDを発表した。それでいて当時のクラブ系雑誌のインタビューでは、電気グルーヴの名前が引き合いに出された時点で、ソロ活動に傾倒する当時のメンバー達に対する批判めいたコメントとノーリスペクトな態度を露にしていた。これに対して敏感だったのはむしろファンよりも本人たちで、『メロン牧場』等の連載ではことあるごとに宇宙犬をネタにトークを展開。かつて「マイアミ天国」で歌っていたような行為が「盗まれる側」として自分達にふりかかるという、石野自ら「当時の電気は世の中にナメられていた」と語る状況を最も顕著に物語る事件のひとつ。
  • 伊集院光
    ラジオパーソナリティ、タレント。電気とは共にニッポン放送でラジオ番組を持っていた頃の大親友であり最大の理解者の一人。伊集院は早くから電気のトークの手法やセンスを高く評価し、強い影響を受けている。「電気グルーヴのオールナイトニッポン」では土曜2部時代に天久聖一と共に「ポパイとマンガさんのザックザク情報局」なる嘘番組のパーソナリティとして登場したり(伊集院=ポパイ、天久=マンガさん)、火曜1部に昇格後は伊集院の担当していた「伊集院光のOh!デカナイト」が直前番組だったため度々番組に乱入、丸々2時間伊集院とのフリートークになってしまったこともある。「電気のANN」「Oh!デカナイト」は番組同士の交流も盛んで、いくつかの企画において数度対決している。まず、ニッポン放送で催された『スーパーファミスタ』対決では電気が惨敗。罰ゲームとしてサソリ、ムカデ、カマキリの腹などを串カツ状にしたゲテモノ料理を喰らわされるハメとなった(後日これが災いし、石野は発熱し体調を崩すという事態に)。さらに続いて西武ライオンズ球場(現:インボイスSEIBUドーム)でリスナーと芸能人の混合チームによってオーロラビジョンとグラウンドを利用したファミスタ対決リターンマッチが開催された。なお、電気はこのイベントのライブアクトでケツを丸出しにした状態をオーロラビジョンに映し出し、西武球場を出入り禁止になっている。そして「Oh!デカナイト」内の企画「ベースボールクイズin東京ドーム」の際には「蓮根頭ぶち殴り大会」を開催。電気チームと伊集院&久保こーじチームが対決したが、敗れた伊集院は罰ゲームとして陰毛を剃られ、それを筆に加工した「チン毛筆」を製作させられるという辱めを受けた。この「チン毛筆」は当時素人の女子高生だった乾貴美子が筆おろしを行った事でも有名である。余談ではあるが、乾は伊集院、電気、そして浅草キッドがパーソナリティーを務めたそれぞれの番組のヘビーリスナーであり、電気のANN復活の折にはスタジオに花束を送っていた。
  • ユースケ・サンタマリア
    本名:中山裕介。その天才的で情熱的かつ軽薄なトークのセンスは、かのビートたけしも認めるところであり、終始投げっぱなしの大ボラは、たけしをしてもツッコミにまわらざるを得ない。かつてはラテンロックバンド「BINGO BONGO」にヴォーカル&司会として参加し、電気と同じくキューン・ソニーレコード(当時)に籍を置くミュージシャンであった。その関係で当時は瀧との共演も何度か続き、『ピエール瀧生誕30周年パーティ』ではユースケが司会を務めている。瀧をして「同じジャンルの人」とは、バンドを解散しソロデビュー後間もないユースケの弁である。その後は篠原ともえとのユニット『カロゴンズ』やテレビドラマ『踊る大捜査線』への出演で着実にステップアップを重ね、現在は俳優やタレント業が盛んである。主演作『交渉人 真下正義』は記録的なヒットを飛ばした。かつて瀧は事務所の人間に「音楽さえやめてくれたらすぐに年収2億なんだけどね~」とタレント業一本化へのアドバイスを受けた事があるが、その人物がユースケの担当に移った時点で(「年収2億」かどうかはともかく)現在のブレイクが本格化したというのは有名なエピソードである。
  • 大槻ケンヂ
    ミュージシャン、作家。筋肉少女帯特撮空手バカボンのボーカリストとしても有名。電気の二人とはその前身、人生と筋少が同じナゴムレコードに所属していたため交流がある。人生のシングル「LOVE」では大槻やケラをゲストに迎える形で音源上の共演を果たした。のちに「ボヨヨンロック」でメジャーデビューを果たす「まんが道」という大槻のバンドには瀧も参加していた事がある。インディーズ時代、瀧の静岡の実家に遊びに行った時に「高木ブー伝説」がブーの所属事務所(イザワオフィス)から訴えられたとの一報をケラと卓球からの電話で知る。実際はガセの情報だったのだが、レコードは自主回収となり、ナゴム閉社への決定打のひとつとなってしまう。また、筋少メジャーデビュー後に大槻が大槻ケンヂのオールナイトニッポンを始める際、パートナーとしてまだインディーズで一般の知名度がほぼ皆無であった卓球を起用したいという意向をディレクターに打診したが却下されたというエピソードもある。のちに電気のメジャーデビューにあわせ大槻のオールナイトの枠を借りた電気の特別番組が放送され、それを受ける形で数ヵ月後に電気のオールナイトが放送開始された。

[編集] その他

[編集] DENKI GROOVE INFORMATION

電気グルーヴのオフィシャルファンクラブ。入会特典として会員証と年数回発行される会報(現在2006年3月発行のvol.74まで)が配られるが、会員証は特製CDシングルがその役割を果たしているのが特徴である。そのCDでしか聴く事ができない特別音源(※2000年発行版の「Suppe Suppe Inbe Inbe」のみベスト盤『SINGLES and STRIKES』に採録)とファンクラブの連絡先のナレーションが収録されている。この会員証は入会時にしか発行されず、定期的に内容は更新されている。その全てを入手する事は困難である。

[編集] 鬼日

電気グルーヴ内、そしてファンの間では11月17日を「鬼日」と制定している。 1990年11月17日、イギリスのマンチェスターで製作されたファーストアルバム「FLASH PAPA」レコーディング中、収録曲「カフェ・ド・鬼」の瀧の担当パートである「鬼、鬼~♪」のテイクに何故か何度やってもOKが出ず、数十回にわたり延々と「鬼」と言わなければいけなかったエピソードに由来する。 以来、瀧が「今まで生きてきた人生の中で最も『鬼』という言葉を口にした日」として、この日を「鬼日」とした。 ちなみに、このときのプロデューサーはヒプノトーンのトニー・マーティンが務めた。

[編集] ピグ

電気グルーヴや関連作品などを繋ぐ一種のキーワード。 もともとは石野と瀧が高校時代に製作したテープに由来する。石野と瀧の共通の友人H氏を石野の自宅に招き、彼と面識のないツッパリで強面の先輩(その正体は石野の後輩)を同席させ、H氏に罰ゲームやヨガなどの無理難題を強要させた。その際、ちょうど脚を頭の後ろに上げるポーズをとらせたとき、あまりにも無理な姿勢だった為、突如H氏の口から悲鳴とも呻きともつかない声が漏れた。それが「ピグ」である。※あくまでもこれは身内でのドッキリ企画のようなもので、後日H氏にも事の説明と了解があったらしい。

この一部始終はラジカセで録音されており、当時の電気グルーヴの前身バンド「人生」のライヴでも流された。1992年には「オールナイトニッポン」で瀧も参加した後日談的第二弾のテープと共に放送。その内容は全国区に知れ渡り、今ではファンの間で伝説のフレーズとなっている。

1996年5月には田中フミヤのレーベル「UNTITLED」のコンピレーションアルバム「UNTITLED ABSTRUCT SET 2」に「PIGU 1985」というタイトルで、これまで未発表だった部分も含めた内容がCD化された。以後、電気グルーヴ周辺の関連作品では、この「PIGU 1985」からのボイスサンプリングが頻繁に行われる事となった。

具体例としては電気グルーヴの「なんとも言えないわびしい 気持ちになったことはあるかい?」、「スコーピオン」、「エジソン電」などの楽曲、田中フミヤによるHOODRUMの「High And Low」、篠原ともえ「クルクル ミラクル」(サンプリングだけでなく、篠原による「ピグ」も収録)、コーネリアス「Moon Walk(砂原良徳Remix)」などがある。 アルバム「VOXXX」では実際に収録はされなかったが、「瀧が来ない」というタイトルで「ピグ」のテープからのサンプリングで構成された楽曲が製作されていた事が当時のインタビューで語られている。その他、電気グルーヴプロデュースによるプレイステーション用ソフトグルーヴ地獄Vでも音源が使用されている。

  • 「珍遊記」(1993年、集英社 漫☆画太郎著)
    「オールナイトニッポン」をきっかけに親交を深めた漫☆画太郎の「週刊少年ジャンプ」誌連載作品。当時まさに黄金期だったジャンプの連載陣のなかで、異彩を放ちつつ孤軍奮闘する画太郎に対し、電気は番組中でエールをずっと送り続けていた。画太郎自身にもそれは確実に届いており、打ち切り直前の終盤にて本編に石野と瀧をキャラクターとして登場させた。最終回のエンドクレジットにも電気グルーヴの名が刻まれており、最終巻では瀧が巻末コメントを寄せた。その後も親交は続いており、瀧とタッグを組んで「虐殺!ハートフルカンパニー」、「樹海少年ZOO1」などの作品を生み出した他、実写映画版「ババァゾーン」にも瀧が出演した。

[編集] 主な使用機材

電気グルーヴというバンド名が示すとおり、結成当初より「電気で作るグルーヴ」=シンセサイザードラムマシンサンプラーを駆使した打ち込みによるサウンドプロダクションが貫かれている。

  • SH-2
    ローランドが発表したモノフォニックアナログシンセサイザー。石野にとって最初のシンセ。シンプルでコンパクトながら、その完成度は高く、生産完了から久しい現在でも中古市場でプレミア化している。「人生」時代より数々の楽曲で主戦力として活躍し続けているが、「Shangri-La」のシンセベースでの使用が最も有名。砂原も同じものを持っており、「A」のレコーディングでは砂原所有のものが使われていた模様。石野所有のものにはボディ全体に瀧による落書きが施されていた(近年は黒マジックと修正液で上から塗りつぶされている)。
  • W-30
    ローランドが発表したミュージックワークステーション。サンプラーとシーケンサー、キーボードが一体になっている。石野が所有し、シーケンサーとしてコンピューターを本格導入する1995年まで、初期~中期の電気グルーヴのサウンドプロダクションの中核を成していたといっても過言ではない。「662 BPM BY DG」の内ジャケでその勇姿が確認できる。ちなみに石野は機材の取扱説明書を読まないので、シーケンスパターンのコピー方法を知らず、曲の頭から最後までマニュアルで打ち込んだりしていた。
  • S-10
    W-30と同じくローランドが発表したサンプラーで、やはり「662 BPM BY DG」の内ジャケで姿が確認できる。ピエール瀧がローンで購入した。この機材も結成当初の電気グルーヴで大活躍したといわれているが、サンプリングタイムが短い事と、保存メディアに時代遅れのクイックディスクを採用していた事などから、AKAI S-1000導入以降は徐々に一線を退く事となった。ちなみに石野が最初に購入したサンプラー、X7000もクイックディスクを採用していた。既にメディア自体が入手困難だった為に、ファミコンのディスクシステム用のディスクを調達し、任天堂ロゴ部分をハンダごてで焼き切って代用品として使っていたという。
  • K1 II
    カワイ製のデジタルPCMシンセ。今となってはマイナーな機材ではあるが、初期の電気では生音系の音色などで活躍した。WIRE04でのライヴの際、このとき演奏された「電気ビリビリ」は「FLASH PAPA」収録のバージョンに近いアレンジが施されていた事もあり、石野は久々にこのシンセを引っ張り出してきて使ったらしい。
  • S1000
    AKAIが発表したサンプラー。民間でもなんとか入手可能な価格と、充実した機能によって音楽シーンの歴史を塗り替えたともいわれる革命的機材。マイナーチェンジ版であるS1100と共に、初期のサンプリング主体だった電気のサウンドにおいてはレコードからのブレイクビーツ、フレーズサンプリングはもちろん、声ネタとしていかりや長介横山やすしのボイスサンプル、果ては屁までさまざな音がサンプリングされ、まさに縦横無尽の活躍を見せた。ただ、デビュー当時の電気にとってはやはり高価な代物であり、石野が増強メモリーを購入した際は、当時の給料が10万円だったところを、家賃が5万3千円、サンプラー関係のローン返済が月2万円となっていた為、相当貧しい生活を強いられていた。
  • JUNO-106
    ローランドのアナログポリシンセ。オシレーターにDCOを使用する事で音程が安定しており、ポリ仕様なので和音が弾ける。音色のメモリーも可能で、さらにMIDI規格にも対応しており使い勝手が良く、音も良い。これもS-1000などと並んで当時のテクノ/ハウス界で重宝されている逸品である。石野と砂原が愛用している。だが、砂原は親戚が購入した一台を借りたままずっと使っている。石野もやはり友人から借りたまま済し崩し的に所有していたが、そのJUNOをなんと一旦は売り飛ばしてしまい、その後に必要性にかられて再び買い戻したという。現在に到るも永らく使用され続けており、まさに電気グルーヴや石野&砂原サウンドの要である。
  • POLY-800
    KORGが発表したDCO方式のシンセサイザー。過去に石野の家に二台、瀧と砂原の家にそれぞれ一台が確認されている。そのうち石野と瀧が所有する一台はリバース鍵盤(白鍵と黒鍵の配色が逆になっている)というレアなモデルである。メンバー所有のうち一台は、「オールナイトニッポン」のリスナーにプレゼントされた。おなじDCO方式であるJUNOに比べれば若干チープな音色であるが、独特の味がある。簡易シーケンサーなども装備している。
  • MS-20
    KORGが発表したアナログモノフォニックシンセサイザー。パッチングにより多彩な音作りが可能であり、石野とウェストバムのユニット「Takbam」のファーストシングルの音色は全てこのシンセで製作されたものである。完成度の高いフィルターは外部からの音源入力を通す事も可能であり、サンプラーの出音を取り込んで加工したりといった方法でも使用された。ただし、こういった古いシンセは同期規格が現在主流のMIDIとは異なっており、現状の打ち込み環境に組み込むには1993年前後の専用コンバーター普及まで待たねばならなかった。その為、手弾きしたフレーズをサンプラーに取り込むなどして使うしかなかったという。砂原は「キーボードスペシャル」連載にてこのシンセを売ってくれる人を公募していた。平沢進が自身のファンクラブ会報において所有する2台のうち1台を砂原にあげたと言っており、時期は不明だが平沢進からもらった可能性が高い。石野は「人生」時代に友人が所有していたものを借りたまま今も使用。
  • Jupiter-6、Jupiter-8
    ともにローランドのアナログポリフォニックシンセサイザー。比較的アマチュアにも入手しやすかったJUNO系列の上位に位置し、とくにJupiter-8は国内最上位機種のひとつといえる。Jupiter-6はその廉価版ではあるが、Jupiter-8では対応していなかったMIDI規格を採用している点で重宝されており、InKのレコーディングでも活躍している。Jupiter-6は石野、Jupiter-8は砂原がそれぞれ所有。砂原のJupiter-8は前のオーナーの手でDIN-SYNC規格が取り付けられており、内蔵アルペジエイターのBPMをTB-303などと同期させる事ができたらしい。
  • TR-606
    ローランドのリズムマシン。同社TR-808の廉価版的ポジションにありつつ、ベースマシンであるTB-303の兄弟機にもあたる。808をさらにチープにした音色と、303とほぼ同デザインの外観をもつ。電気のアルバム「VITAMIN」の内ジャケでは石野と砂原が303を携えているのに対し、瀧が持っているのがこの606である。初期のエレクトロヒップホップの作品や、リッチー・ホーティンがPlastikman名義の作品で好んで使用したことなどで有名。プロ仕様にパラアウト改造などが施された個体も多い。発売当初から比較的安価だった為、高校時代の石野卓球はこれを購入し、初めて結成したバンド「メリーノイズ」のステージで使用していた。砂原も同じものを所有していた。電気グルーヴXスチャダラパーのレコーディングの際は、石野のmontagスタジオにあったこれをシンコが甚く気に入り、購入に走ったというエピソードも残っている。今後のスチャダラの作品での活躍も期待される。
  • TR-909
    ローランドの歴史的名機ともいえる有名リズムマシン。ハウスシーンにおける再評価によって、1990年代以降の幾多の音楽シーンに多大なる影響を与えた。電気の活動初期には本体そのものをメンバーが所有しておらず、主にレコード等からのサンプリング音源や、おなじくローランドのPCMリズムマシンR-8の音色ライブラリを使用するに止まっていたが、デビュー後に石野が入手。続いて砂原も必要性に駆られて導入したといわれる。一時期はその過剰なまでの愛着から、ライヴにおける舞台セットに巨大なTR-909とTB-303の書き割りを設けていたほどである。そのあまりにも有名な音色以外にも多機能で知られる909であるが、電気のレコーディングでは時期によって使用方法が異なるのも特徴である。当初はメインシーケンサー(W-30、MC-50等)で組まれたシーケンスによってMIDI音源的に使用されていたが、『ORANGE』の一部の曲では909本体内蔵のシーケンサーをメインに据え、サンプラーなどの外部音源をトリガーするといった使用がみられた。続く『A』ではメンバー自身がサンプラーによるリズムプロダクションに傾倒していた為、一旦音色をサンプラー内に取り込んだ上で間接的に使用されている。現在、石野使用のモデルはバスドラム、ハイハット、リムショット等に独自の改造を加えた上で再びメインのリズムマシンとして愛用されている。砂原は1995年のソロ作あたりからしばらく距離を置いていたが(一方で当時のインタビュー記事では『ただし売り払うつもりは全くない』と明言)、近年のスーパーカーのプロデュース作業などで再び大胆に使用した。
  • JD-990
    ローランドが90年代に発表したデジタルシンセサイザー。基本的にはケン・イシイも愛用するJD-800のラックマウントタイプだが、スライダーによるパラメーター入力方式が最大の特徴だったJD-800の構成を全面的に見直し、ラックマウントタイプながら非常に扱いやすく設計されている。雑誌媒体の広告キャラクターを電気が務めた事でも有名。電気の作品では「VITAMIN」以降使用されており、砂原のソロ作品「TAKE OFF AND LANDING」、「THE SOUND OF 70's」でも活躍している。
  • vintage keys
    E-MUのラックマウント型デジタルPCM音源。過去のアナログシンセ、エレピなど数々のヴィンテージキーボードの音色を収録している。この機材が発表された1993年前後から原点回帰的に、ヴィンテージ楽器としてのアナログシンセサイザー再評価の波が訪れた。電気のサウンドメイキングにも少なからず影響を与えており、これ以降は石野いわく「機材バブル期」として、数々のヴィンテージシンセが導入されていく事となる。砂原が所有しており、主に「VITAMIN」における「Stingray」のフルート、「Popcorn」におけるメロトロンの音色が代表的である。
  • MS-404
    ドイツのDoepferが発表したアナログモノフォニックシンセサイザー。1Uラックタイプで、外観も構造もシンプルでコンパクトな内容だが、非常に使い勝手が良く、数多くのミュージシャンに重宝されている。元々は1993年以降のTB-303ブームに便乗した機材だったが、実際は普通のシンセ系の音から、リズム系、SEまで幅広く使える上、オマケとしてMS-20同様のフィルター外部入力や、MIDIとCV/GATE規格を繋ぐコンバーターとしても使用可能であった。1995年当時にTB-303に若干食傷気味だった石野&砂原の間に一時的なブームを起こす。石野が『リミックス』誌で連載していたコラムでも、その年のベスト機材として挙げていたほどである。石野のソロアルバム「DOVE LOVES DUB」や大友克洋監督作品「MEMORIES」に提供したテーマ曲、その後の電気のアルバム「ORANGE」にて全面的に活躍した。特に石野がMICKIEE名義でとれまレコードからリリースしたシングルは、LFOを発振させた際の個性的な音色を全面的に押し出した内容であった。砂原は同時期のソロ作「CROSSOVER」では敢えてシンセの使用を自制して臨んだ為、森若香織のリミックス以降の使用となる。
  • DSM-1
    KORGの12bitサンプリングシンセサイザーDSS-1のラックマウントタイプ。「サンプリングシンセサイザー」と銘打っているだけに、音作りの幅の広さに定評のあるシリーズである。1990年代中期以降は12bitサンプリング方式という事で、当時主流の16bit方式よりスペックでは劣ってはいたものの、むしろこれらの旧式サンプラーは、折からのLO-FIブームの影響で、その荒い音質が逆に評価されていた。特にDSM-1、DSS-1はメモリー内にサンプリングせずとも外部入力から音を取り込んでスルーするだけで12bitサンプラー独特の音質効果が得られるという事で、ボーカルなどの長尺の素材に対してエフェクター的に使用される事が多かった。最初にテイ・トウワ坂本龍一らを中心に再評価の波は広がり、電気の「ORANGE」のレコーディングでも主に砂原が使用していた。
  • SP1200
    DSM-1と並び、1990年代中期以降に再評価されたビンテージ12bitサンプラーの筆頭として挙げられる名機。こちらはE-MUの製品である。後のAKAI製MPCシリーズにも通ずるシーケンサーとサンプラーが一体となったワークステーションタイプである。サンプリングした音の荒さも定評だが、個性的なフィルターとも相まって、とにかく出音が凄まじく太くなるという点で、テクノよりもどちらかというとヒップホップ界での評価が高い。内蔵のシーケンサーも独自の揺れを持っている。日本にて注目される切っ掛けとなったのは、1994年に坂本龍一がリリースした「Sweet Revenge」と、その製作のキーパーソンともなったテイ・トウワのソロアルバム「Future Listening!」、そして彼らがプロデュースしたGEISHA GIRLSのシングル以降だと思われる。テイは森俊彦らと共に、その名も「SP1200プロダクションズ」を結成するほどの熱の入れ様だった。テイとも親交の深い砂原も2ndソロアルバムの製作辺りから導入し、もちろん「A」のレコーディングでも使用された。そして、バンド脱退後にARMEN 1200 Soundというラックタイプへと改造を施している。スチャダラパーも1995年のアルバム「5th wheel 2 the coach」から使用しており、リリックの中にも随所にその名が登場する。
  • Recycle!
    Propellerheadが製作したPC用波形編集ソフト。PC上やサンプラー内のサンプリング素材を取り込み、アタック部分を自動的に検知して分割し、さらに鍵盤上にマッピングしてくれるという機能を持つ。BPMを任意に設定してピッチを合せるなどの作業も容易に出来た。これらの作業はサンプラー単体でも不可能ではなかった行為だが、非常に手間が掛かった為、このソフトの登場は、とにかく1990年代後期以降のサンプリングミュージックには衝撃的な代物だった。面倒な作業から開放されるだけでなく、サンプルループ/ブレイクビーツの各パーツ前後並び替えや一部差し替えなど、極めて複雑な構成でキットを組む事も頻繁に試されていった。このようにクリエイター達に新たな発想を齎した事でも特筆に価するソフトである。電気のレコーディングでは「A」で大活躍している。当時は「VITAMIN」以降から続いたリズムマシンで直接ビートを組む方法に対して食傷的になっていた為、TR-909のキックなどの定番ビートにも敢えてサンプリングを多用していた時期であった。
  • Cubase
    ドイツのSteinbergが製作したコンピューターソフト。初期はMIDIシーケンスソフトとして出発したが、昨今はVSTと呼ばれるオーディオ録音編集やプラグイン機能を備えたDAWソフトとなった。初期はATARIなどをプラットフォームとしていたが、現在はWindowsとMacが中心となっている。「FLASH PAPA」レコーディングの際にプロデューサーを務めたトニー・マーティンをはじめとし、当時のマンチェスターのシーンではATARI+Cubaseの組み合わせによるシーケンスが流行っていた為、石野も影響を受けすぐさま導入した。だが、ATARI自体にトラブルが多く、結局は慣れ親しんだW-30が1995年あたりまでメインシーケンサーを務めていた。こういったPCソフトによるシーケンスシステムの本格的導入はメンバー各自の1stソロ製作以降で、電気としては「A」のレコーディングで使用されたMAC+CubaseVST3.02からである。砂原のソロ作ではOpcode Systems製Visionを使用していたが、石野と足並みを揃える形で一時的に乗り換えていた(現在はApple社のLogicを使用している模様)。当時はオーディオ機能が導入されて間もない時期だったので、基本的にシーケンス部分のみの使用となったが、砂原いわく「2人でひとつのシーケンサーをいじるのは初めてで、ある意味バンドらしい」と語っていた。その後も電気や石野の作品では継続してCubaseVST、SXが愛用されている。現在はMacからWindowsに使用ハードが移されたが、業界で主流のProToolsよりも扱いやすさで石野はCubaseシリーズを好んでいるらしい。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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